魔界の魔物再び
2頭のロバのような馬の間に護衛隊商の商人エニルと御者を移動させたあと、俺達は再び周囲を警戒する。
「幽霊なら私が浄化できるんだけど、黒妖犬は動きが速いから厄介よね」
「近くまで寄ってきてくれんと攻撃魔法も当てにくいからなぁ」
ローラとメリッサが周囲の様子を窺いながら一戦交えた感想を口にする。対処できる相手とはいえ、油断はできないので2人の表情に余裕はない。
周囲の様子は様々だ。隊商の集団を守っている冒険者は基本的に雇い主とその荷馬車を守ることを優先するため、雇い主の荷馬車からは離れられない。隣の隊商の冒険者が戦っているときは助けることはあっても、持ち場を大きく離れることはなかった。
他の隊商関係者の動きはばらばらだ。エニルのように自分の荷馬車に止まる者もいれば、荷馬車の護衛は雇った冒険者に任せて避難する者もいる。どちらが正しい行動かは運次第だ。荷馬車近くで幽霊に取り付かれて倒れていたり、原っぱで黒妖犬に食い付かれて悲鳴を上げている者がいたりもする。
(今度は外から来るぞ! 黒妖犬2頭と……地獄の猟犬2頭だ!)
くっそ、俺達に向かって一直線に走ってきやがる。幸い光明がいくつかあるからライナス達にも見えるだろう。けど、4頭相手だとさすがにまずい。ローラとメリッサにも食い付かれてしまう。
(火の精霊)
とりあえず盾になれる前衛の頭数を増やさないといけない。俺は火の精霊を召喚するとバリーの隣に移動させた。
その直後、ライナスとバリーに向かって地獄の猟犬が1頭ずつ噛みついてくる。
「くっ!」
「ぅお!」
大きな口を開けてそののど元へと迫った地獄の猟犬だったが、どちらの攻撃も長剣と槍斧で食い止められた。ただ、地獄の猟犬の飛び込みの勢いは殺しきれず、いくらか後方へ押し込められてしまう。
一方、黒妖犬は左右から回り込んでローラとメリッサを襲うつもりであったが、バリーの脇からメリッサを狙おうとしていた1頭は火の精霊に阻まれてしまう。しかも、撃ち込まれた火球を避けるために一旦回避した。
「土槍」
メリッサは、火球を避けた黒妖犬の着地点を狙って土槍を発動させる。通常の倍くらいもある土の槍だ。これは狙い過たず、黒妖犬の腹から背を貫いた。
『ギャァフン!』
串刺しにされた黒妖犬は、痙攣しつつももがいて土槍から逃れようとするが叶わない。次第にその動きが鈍くなるので、放っておいたらそのまま死ぬだろう。
逆にローラを襲おうとする黒妖犬の前に遮る物はなにもなかった。
「光散弾」
土石散弾が地面から土や石の粒を打ち上げるのに対して、光散弾は術者が複数の光の球を撒き散らす魔法だ。
ローラは短杖からこの魔法を撃ち出す。自分の上半身を守るように打ち出された光の球は、ローラののど元に食らいつこうとしていた黒妖犬へ直撃した。
『ギャン!』
光属性の魔法は闇属性の魔族や魔物に効果が大きいということもあって、黒妖犬は血だらけになりながら退避した。さすがに光属性の魔法攻撃はたまらないらしい。
ローラとメリッサが魔物の第一撃を退けた頃、ライナスとバリーは地獄の猟犬と激しい攻防を繰り広げていた。
身軽な身のこなしを利用して何度も寄せては引いて2人を翻弄する地獄の猟犬は、手に足に、そしてのど元に噛みつこうと様々な角度から襲ってくる。黒妖犬も素早かったが、地獄の猟犬はそれ以上だ。
「くそっ!」
ライナスはもう同じことを何度も繰り返している。
足首に噛みつこうとした地獄の猟犬の牙を躱すため小さく後ろに飛び、その脳天に長剣を叩き込もうとするが避けられる。今度は右手首に飛び込んできたので長剣を叩きつけようとするものの、地獄の猟犬の飛び込みが早くて充分な手傷を負わせられない。そして、のど元に迫られた時は長剣で辛うじて防ぐ。
一応浅い傷は負わせているが致命傷にはほど遠い。防戦一方だ。
「ちっ、速ぇ!」
バリーも同様に同じ攻防を何度となく強いられているが、ライナスとは少し違う。
力負けはしていないものの、素早さに関してはライナスにも劣るので攻撃が当たらないのだ。無傷ではあるが、それは地獄の猟犬も同様だった。当たれば1撃が大きいだけにもどかしい。
この状態だと攻撃魔法で2人を援護するのは危険だな。下手をするとライナスとバリーに当たりかねない。そうなると、やれることは限られてくる。
(メリッサはローラと黒妖犬の相手をしてくれ。俺がライナスとバリーを支援する)
「わかったで!」
俺の指示を聞いたメリッサーはすぐさまローラに近寄る。あっちはもう手負いだからどうにかなるだろう。最悪足止めはできるはず。
それよりも地獄の猟犬だ。こいつをどうにかしないといけない。
俺はまず、火の精霊にバリーの支援をさせることにした。
(バリー、火の精霊で隙を作ってやるぞ!)
「任せた!」
バリーのかけ声を聞くと、俺は火の精霊に対して地獄の猟犬の移動を邪魔するように命じた。さすがに燃やされるのは嫌なのか、地獄の猟犬は火の精霊から距離をおこうとする。
更に俺は拘束をかけようとしたが、これは抵抗されたらしく効かなかった。しかし、魔法を抵抗するために地獄の猟犬は、攻めるにも守るにも中途半端な位置で一瞬身を固くする。
「よっしゃ!」
バリーはその一瞬の隙を見逃さずに槍斧を地獄の猟犬に叩き込む。狙い過たず、バリーの槍斧は地獄の猟犬の首に深々と突き刺さった。そして、大量のどす黒い血が噴き出す。1.8アーテムもの長さがある武器だからこそ届いた一撃だった。
視線を横に向けると、ライナスはまだ地獄の猟犬と戦っていた。状況は先程と変化はないが、地獄の猟犬の傷は増えている。ただ、動きは鈍っていないのであまり効果はないんだろう。
その後方では、ローラとメリッサが1頭の黒妖犬と対峙している。光散弾で手痛い一撃を被った黒妖犬は、同じ攻撃を警戒してか慎重になっているようだ。
「それじゃ手はず通りにな」
「ええ、わかったわ」
何やら作戦があるらしい2人は、お互いに頷くと黒妖犬に仕掛ける。
「土石散弾」
最初に動いたのはメリッサだった。黒妖犬の足下から土石散弾を撃ち込もうとする。しかし野生の勘なのか、一部を喰らいながらも何とか回避した黒妖犬は、そのままメリッサに向かって飛びかかった。
そのとき、ローラがメリッサと黒妖犬の直線上に割り込む。
「光散弾」
メリッサを庇うように割り込むと同時に、ローラは再び光散弾を黒妖犬に撃ち込んだ。
黒妖犬は再び悲鳴を上げて倒れ込む。さすがに2度も苦手な光属性の魔法を喰らったせいかかなり弱っていた。
「よっしゃ、今や!」
「ええ!」
2人で頷き合って何をするのかと見ていると、ローラは短杖を鎚矛に持ち替えて、メリッサはそのまま杖を持って黒妖犬に殴りかかった。え、なんで?!
ローラとメリッサに殴られ続けた黒妖犬は最初逃れようともがいていたが、すぐに動かなくなってしまう。
やがて死んだことを確認した2人は殴るのを止めた。
「はぁ、やったわね」
「厄介な敵やったわ」
文字通り一仕事したという表情の2人に俺は人知れず引く。
百歩譲って僧侶のローラが鎚矛で殴るのはいいとして、どうしてメリッサが杖で魔物を殴る必要があるんだ。やっぱりおじーちゃんの血のせいか?
最後に残ったのはライナスと対峙している地獄の猟犬だけだったが、こちらはバリーと火の精霊が加勢に入ると形勢が一気に傾いた。1対1で互角だったんだから、3対1になったらそうなって当然だろう。
バリーが牽制を行い、火の精霊が進路妨害で行動を制限し、ライナスが攻撃するというパターンが早々にできあがる。こうなるともう地獄の猟犬に勝ち目はない。
「はっ!」
明らかに苦し紛れの噛みつき攻撃をしてきた地獄の猟犬に対して、ライナスは長剣を口の中に突きつけた。長剣を根元まで飲み込んだ地獄の猟犬は、剣の刃先を首筋から生やす形で動きを止める。
「ふぅ」
「やったな、ライナス!」
地面に横たわった地獄の猟犬から剣を引き抜こうとしているライナスに向かって、バリーが声をかけた。自分も1頭倒しているので満足そうな笑顔だ。
そこへローラとメリッサもやってくる。
「ライナス! 大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。かなり疲れたけどね」
「あれ、なんでメリッサもローラも返り血を浴びてんだ?」
「え? ちゃうんねん、これは仕方ないねん」
バリーの突っ込みにメリッサが微妙に焦ったりしているが、とりあえず全員無事だ。それはいいのだが、小森林のときに比べて戦い方に余裕がなくなってきている。これはよくない。
「そういえば、周りは……」
ライナスに釣られて全員が周囲の状態を確認する。見える範囲で戦っているところはないな。それどころか、幽霊も黒妖犬もいない。
更に上に上がって広い範囲を見ると、生き残りの幽霊と黒妖犬は呪いの山脈の方へ引き上げているようだ。
「それにしても、ひでぇ状態だな」
魔物は去ったが、襲撃された隊商の集団は残ったままだ。あちこちに倒れたままの冒険者や隊商関係者が目に入る。あの魔物達は荷物には興味なかったのか、荷馬車は被害を受けたように見えない。
「そうや、エニルさんはどうなんや?!」
メリッサに指摘されるまでみんな忘れていた。近くにあった2台並列に置いてあった荷馬車に近づくと、馬の後ろ足の辺りで小さく縮こまっていたエニルと御者の姿を発見した。どうも無事なようである。
「それじゃ、私は周りの人を治療してくるわ」
愁いを帯びた顔のローラはそう言うと、怪我をしている冒険者や隊商関係者を治療するためにこの場を離れた。メリッサも水の魔法でいくらか治療ができるので一緒について行く。たぶん朝まで戻ってこないだろう。
それを見送ると、ライナスとバリーは荷馬車の車輪に背中を預けて座り込んだ。とりあえず朝になるまでは詳しいことはわからないので、待つことにしたのである。
気がつけば戦いの音は消えて、人々の騒然とした音が2人に聞こえてきた。




