虎に噛みついた狐
エディセカルを出発して5日が経過した。予定が狂うことなく進むことができた隊商の集団は、6日目にその進路を真東から真南へと変える。
イーストフォートへ伸びる王国公路と別れを告げて何かを始めたライナス達の左手前方には、呪いの山脈がかすかに見えている。いよいよ王国公路有数の難所に入ろうとしていた。
最後の宿場町を出発したその日の夕方、隊商の集団は街道を南下してしばらくしたところで野営をすることになる。
「みんな、飯にしようか」
雇い主であるエニルに今日の報告をして戻ってきたライナスは、バリーが火を熾しているのを確認してからみんなに告げる。食べ飽きた保存食しかなかったとしても、娯楽が限られる旅路では食べることが楽しみの1つだ。誰の顔も明るい。
「よし、これでいつでも肉を炙れるぜ!」
「そう? なら私も……」
「お、美人はっけーん!」
焚き火を囲んでこれから夕飯というときになって、一行はいきなり軽薄な言葉が投げかけられる。4人が驚いてそちらに顔を向けると、明るい栗色の髪の毛をなびかせた美形の男が近づいてきた。線は細いが身につけている防具から戦士だということがわかる。
「あ、こいつらは?!……へへっ、久しぶりだよなぁ、おじょーさん、クソガキどもぉ」
そしてその後から5人が続いてやって来る。その中には、あの禿げ頭の戦士がいた。俺達が誰かわかると、一瞬険しい表情をするがすぐにやにやと嫌らしい笑顔を向けてくる。わかりやすい奴だ。
「あれ、ジャンの知り合いかい?」
「ああ、副都の酒場で会ったことがあるんだよ」
「そういやそんなこと言ってたなぁ、お前。それだったら紹介してくれよ、女の子だけでいいからさ」
うわぁ、パーティ組んでる男が隣にいるのによくそんな話ができるな。思っていたい以上に酷い。毎日のように悪い噂を聞いていたが、こんなんじゃみんなに嫌われるわな。
「よぉ、おめぇら。この2人、借りていくぜ」
「何で貸さなきゃいけないんだよ、2人は物じゃないぞ」
ジャンと呼ばれた禿げ頭の戦士がこちらに近づいて一方的なことを言い放つと、さすがに我慢できなかったライナスが立ち上がって言い返す。それに合わせて、他の3人も同時に身構えた。
「てめぇ、4人で俺達の相手ができるとでも思ってんのかよ。しかもこっちは魔王討伐隊だぜ?!」
「魔王討伐隊が何で人間にたかってんだよ。お前ら相手間違ってんじゃねぇか」
おお、バリーが口で反撃した。遠巻きにこちらを眺めている冒険者や商人からは失笑が漏れる。
「まぁ待てって、ジャン。なぁ、きみたち、こいつらは男ばかりで寂しい思いをしているんだ。そこに潤いを与えてやりたいから、少しそこの子を貸してくれないか。終わったら返すからさ」
自分を除いて話をするところにこいつの微妙な自尊心ってのが透けて見えるな。しかし、本当に自分本位な奴等だ。これ、他のところでも言ってたのかなぁ。
「だからさっきも言ったろ。お前達なんかに2人は貸せないって。さっさと帰ってくれ」
「そうだぜ。女がほしいなら色街に行ったらいいじゃねぇか」
珍しくライナスもバリーも険のある表情だ。それに対して美形の戦士は愛想笑いを引っ込めて不機嫌となる。
「あんまり言いたくないんだけどさ、こっちもできるだけ穏便に話をつけたいんだよね。こっちは6人に対してそっちは4人だろ。勝てると思ってんの?」
穏便に話をつけたいって言いながらいきなり力に訴えるってちらつかせるんのか。程度が知れるな。ああもう、面倒な連中だ。
一方的な交渉が決裂したら襲いかかってくるのは目に見えるから、それに備えておく必要がある。更に言うと、あっちが力を背景に迫ってくるなら、こっちも対抗する必要があるだろう。
(火の精霊)
数の不利を補うため、そして強い精霊を召喚できるという力を示すために、俺は火の精霊を呼び出した。
そして無詠唱成功! 最近大体成功するようになってきたからいけると思ったが、ちゃんと出てくれてよかった。最近はローラもメリッサもあんまり失敗しなくなってきたからなぁ。俺も負けていられない。
メリッサの横手に出てきた上位の火の精霊を見た相手の6人は明らかに動揺する。
そして周囲もどよめいた。強力な精霊が召喚できるということに驚いたこともあるだろうが、いきなり精霊を呼び出して威嚇するというのも普通では考えられない。悪くても喧嘩ですむと思っていただろうから、事の成り行きが不透明になってきて心配し始めているんだろう。
(喧嘩になったときに数の不利を補うために召喚した。驚いているうちに早く話を付けよう。あと、メリッサが召喚したことにしておいて)
そう伝えると、メリッサの顔が引きつった。最近のライナスは慣れたようで当たり前のように受け入れてくれるようになったが、メリッサはまだ初々しい態度を見せてくれる。
「ほら、早く帰ってくれ」
「そうだぜ、飯が食えねぇだろ」
「てめぇら、こっちにはライナスがついてんだぞ! 魔王軍の四天王をぶっ飛ばすくらいの奴を敵に回す気か?!」
本人はここにいるんだから敵に回りようがないだろう。まぁ、本物と出会う確率なんてほぼないからこんな嘘を平気でいうんだろうな。
「ライナスは俺だ。お前達なんかに味方なんてしないぞ」
「本人に向かって何言ってんだ。馬鹿じゃねーの」
ついにライナスが名前を明かした。すると、周囲を含めて一瞬静まりかえる。
「はっ、馬鹿はてめぇらだろ! ライナスって言やぁ2アーテム近い巨漢の戦士じゃねぇか。てめぇみたいに小さくねぇぜ!」
「全く、どうせならもっとましな嘘をつくんだな。こっちは本人に会ったことがあるんだからわからないはずがないだろう」
禿げ頭と美形の戦士はそう言うと笑う。後ろに控えている4人もだ。
こっちからすると相手の言っていることが嘘しかないことは一目瞭然である。しかし、俺達のことを知っている人物がいない以上、それを証明しないといけない。何しろ、みんなが知っているのは噂の方のライナスだからだ。さて、どうしたものか。
そうやって6人が笑っていると、ライナス達の雇い主であるエニルが前に出てきた。それに全員が注目する。
「俺は商人のエニルだ。今回、この4人を護衛として雇っている。最初に会ったときに冒険者カードを見せてもらったが、確かにライナスって書いてあったよ」
そうか、契約を交わすときに身元を確認しないといけないから、冒険者はカードを依頼主に見せるんだった。冒険者カードの名前を変更することなんて普通はしないから、これは証明の1つになりそうだ。
これに対して、禿げ頭と美形の戦士は表情を強張らせる。後ろの4人も笑うのを止めた。
「た、たまたま名前が同じってだけだろう!」
「そうだ、本物のライナスがこんなに貧相な奴のはずがない!」
尚も禿げ頭と美形の戦士は抵抗を続ける。引っ込みがつかないっていうのもあるんだろうけど面倒だな。
「私は光の教徒の僧侶ローラです。神に誓って、彼の者がライナスであることを証言します」
今度はローラが前に出てライナスが本人であると宣言する。今は一僧侶であるローラの発言はそれ程重くない。しかし、仮にも聖職者が神に誓ってまで発言するとなるとその言葉は無視できない。
「それをどうやって証明するっていうんだよ、ええ?!」
禿げ頭が次第にキレつつある。情勢が不利になっていることを自覚しているんだろう。あと一押しか。
「そんなら、イーストフォートでもらった感状を見せたろやないか。王国軍と聖騎士団の両方からもらってるさかいに、これなら文句あらへんやろ!」
「いいわね。それなら、聖騎士団が発行した感状にしましょう。光の教徒の僧侶なら真偽を判断できるでしょうしね」
ああ、感状ってこういう使い方もあるのか。下手な身分証明書よりも価値があるなぁ。
「光の教徒の方はいらっしゃいませんか? 僧侶でも聖騎士団出身でもかまいません。ライナスの感状が本物であるか確認してください!」
ローラは早速周囲に集まってきている冒険者や商人などに呼びかけた。すると、何人かが応じてくれる。中には所用でラレニムに向かう途中の聖騎士が1人いた。
「ほら、ライナス、早う感状を出しぃな」
「え、あ、うん」
戸惑いつつもライナスは荷物から持っている感状を全て取り出して、近くにいた聖騎士に手渡した。4つ全部手渡すなんてかなり焦ってたようだ。
「4通もあるのか。どれどれ……む? これはノースフォート聖騎士団の感状ではないか。そなた、魔物討伐隊に参加して単眼巨人を倒したのか!」
「こちらはイーストフォート駐屯部隊の感状ですね。確かに四天王を撃退したとあります。そうなると、あなたがご本人ですか。お目にかかれて光栄です」
ライナスの感状を回し読みしていた光の教徒の関係者は、ライナス本人に思った以上の功績があることに驚いていた。そして、それを知った周囲の見物人も目の前に本物のライナスとその一行がいることに興奮してくる。
「えっと、感状はもういいですか?」
「おお、すまん。珍しいのでついな。この感状は大切に扱いたまえ。今回みたいに身分を証明することにも使えるからな」
手渡された感状を返してから、代表して聖騎士がライナスに忠告する。最初は何とも思ってなかったけど、ノースフォートでもらってから地味に活躍してるなぁ。これは認識を改めないといけない。
一方、周囲の興奮とは正反対に、ちょっかいを掛けてきた6人は青ざめていった。何しろ本物に喧嘩を売っていたのである。四天王を撃退する程のパーティにこの6人が抵抗できるとは思えない。
「さて、あなた達、よくもライナスの名を騙ってくれたわね!」
ローラは更に1歩前へ出て、下手なナンパ──というよりも強奪──をしようとした6人に怒りの矛先を向ける。それは俺達も同じなんだが、ローラが特にご立腹だ。
「どう落とし前をつけるつもりなんだよ」
「せや! このままタダで帰れるとは思わんときや!」
バリーとメリッサの発想がチンピラになりつつある。俺も似たようなものなんだが、さて、ここに来てどうやってこの事件をまとめるか何も考えていなかったことを思い出す。痛い目に遭わせもいいんだろうけど、どうしたものか。
周囲の見物人が6人に向ける視線もかなり厳しくなってきている。中には揉めた冒険者もいるらしく、口汚く罵っていた。
当然、禿げ頭と美形の戦士を中心に6人の居心地は最悪だろう。いい加減な噂に頼ってろくでもないことをした罰だ。
「はぁ、もういいよ。さっさと帰ってくれ。こんな嘘つきな連中なんて相手にしたくない」
6人を代表して禿げ頭が何かを言おうとしたとき、ライナスは先に口を開いた。あれ、それでいいのと思ったが、こういった連中はもう見たくないんだろうな。
それを聞いた6人は一斉に顔を強張らせてライナスを睨むが、あまりにも分が悪いせいで何も言わずにそのまま立ち去っていった。
「ははっ、一昨日来やがれってんだ!」
見物人の罵声を浴びながら去って行く6人の背中に、バリーも一言浴びせる。
「いやぁ、すっとしたなぁ!」
「ほんと、迷惑よね!」
メリッサとローラも溜飲を下げたようだ。その表情はとても明るい。
しかしそれ以上に、周囲がちょっとしたお祭り騒ぎだ。何しろ本物のライナスとその一行がいるとわかったのである。誰もが言葉を交わそうと話しかけてくる。それはライナスだけでなく、他の3人にもだ。
「今日は気分がええなぁ!」
「うう、聖女っていうのは勘弁してください……」
「俺に話せることなら何でも聞いてくれ!」
「武勲の話ですか。えっと、どこから話せばいいんだろう」
しょうもない連中に絡まれて嫌な思いをしたライナス達ではあったが、その後は別の意味で面倒なことになってしまい大変なことになる。それは日没後の不寝番が始まるときまで続いた。




