魔王軍との会敵
9月も半ばになった。この陣地にやって来て1ヵ月になろうとしているが、今のところ何もない。魔王軍の襲撃を受けたのは陣地にやって来る前の夜襲だけだ。
そしてそれは、どこの陣地も同じらしい。各陣地の報告をまとめた結果、魔王軍は先月半ばに全方位に向かって小規模な同時多発攻撃を行ったそうだ。どの陣地もその攻撃を撃退したのでとりあえず問題はない。しかし、あまりにも見事に時期を合わせて一斉攻撃をした理由がさっぱりわからなかった。そしてそれ以来、どの陣地も全く攻撃されていないらしい。これは更に理由がわからなかった。
「というわけだ。どう見ても魔王軍は何かを仕掛けてくるだろ」
「王国軍も斥候を出しているんだろう? 何か掴んでいないのかな?」
「それが動きがなくてさっぱりらしい」
最新の話を持ってきてくれたジャックを中心に、ライナス達7人は最近の状況について話し合っていた。
「今まではどんなふうだったんですか?」
「五月雨式にあちこちを襲撃していました。そのときの気分次第としか言えないほど無秩序でしたから、逆に対処しづらかったですよ」
過去の魔王軍がどうだったのか気になったローラが尋ねると、今回とは全く違う動きだったと言うことをロビンが教えてくれた。
「全方位に向かってちょっとずつ攻撃してたっちゅーことは、王国軍の弱い陣地を探ってたんかな? そうなら、次は一番弱いところを集中攻撃してくるはずやねんけど……」
「一番弱い陣地ってどこだ?」
「弱い陣地なんて知ってる、姉さん?」
「そこまでは知らないけど、西側にある陣地群を突破されるとまずいわね」
西側の陣地群というとかなりエディセカル側に近い。ここから更に豊穣の湖側へと進むと今度は別の魔王軍の軍団と対峙している戦線にたどり着く。ここを突破されるということは、王都側の防衛線が危機にさらされることになるのだ。
「逆にこっち側が狙われる場合って……イーストフォートを本気で攻め落とすときか」
「そのときは、大軍に囲まれてあっという間にやられちまうだろ」
ジャックはライナスの予想に顔をしかめる。可能性としてあるだけに嫌な想像をしたようだ。
「わかんないことなんていくら考えても仕方ないわ、そーゆー難しいことは偉い人に任せておけばいいのよ」
「そうだぜ。来たら何でもぶった切ってやればいいんだよ!」
一番考えることが苦手な2人は頭を使うことを諦めたようだ。姉であるメイをはじめとしてみんなが苦笑する。
「そうならないように祈るしかないわね」
「ならローラとロビンにまかせとけばええやん。うちらの分まで祈っといて」
「もちろん、毎日お祈りしてるわよ」
そうやってここ最近当たり前になった風景を眺めていると、俺は陣地の中央が慌ただしくなっているのに気づいた。そして、そんな陣地から南東と南西に向かって騎兵が全速力で走ってゆくのを見かける。
さすがに自分達の近くを2頭の馬が駆けてゆくのを見逃す者はいない。そのただならぬ雰囲気に周囲の傭兵は騒然となりつつあった。
「あれ、早馬だよな……?」
「南東と南西に行ったようだぜ?」
「行き先はどこよ?」
「南東はイーストフォートか。南西は、エイベル隊長のいる陣地だろ」
次第に小さくなってゆく騎兵の後ろ姿を眺めながら、それぞれが思ったことを口にする。
「こりゃ魔王軍に動きがあったっちゅーことか」
「でも、ここから伝令が出るってことは、もしかして魔王軍の本命ってここなの?」
敵の動きを最初に察知できるのは最も近い場所にいる部隊だ。そうなると、伝令の騎兵がここから2ヵ所に出て行ったということは、この陣地が魔王軍の新たな動きに最も近いということになる。ローラの疑問はそこから導き出されたものだった。
「あー、まさか真っ正面からぶつかるなんてねぇ」
「これも神の思し召しですか……」
「張り飛ばしたくなるな、その神さん」
その後しばらくすると、傭兵は隊長だけが王国軍本部の天幕前に来るよう指示があった。
最初は、真っ青な空と地上を分ける線上にごま粒のようなものがいくつも見えていたのが、近づくにつれてその姿をはっきりとさせてくる。地上には、明らかに人間よりも大きな体躯をした巨人達にやたらと大きな獣──狼、熊、猪、馬、獅子など──が多数群れており、その上空には魔族と巨鳥が舞っていた。
「魔王軍の部隊が尚も接近中! 距離、約2オリク! 陣容は変化なし!」
本陣にいるギブソン隊長に斥候から伝えられた偵察の結果が、エイベル隊長にも伝えられる。
「ついに来たか……!」
エイベル隊長は絞り出すような声で呟く。
魔王軍の動向を察知したギブソン隊長が近隣の陣地に救援を求めた結果、エイベル隊長率いる聖騎士団が派遣されることになったのだ。そのため、現在は王国軍の左翼を担当している。
偵察の結果だが、相手は巨人系が60体前後に巨大な獣が500体乃至600体、上空を飛ぶ巨鳥が40羽ということだった。一応魔族の姿は確認されているようだが数は不明らしい。
それに対して王国軍は、王国軍将兵が約600名、王国軍直下の傭兵が約1200名、聖騎士50名に聖騎士団直下の傭兵が約400名だ。
数だけ見れば、魔王軍600から700程度に対して王国軍約2250である。3倍から4倍の兵力差だ。これなら今までの経験上勝算はある。
しかし、今回はその常識を覆すような存在が魔王軍の中に確認されていた。
魔王四天王の1人、魔王軍軍団長ダン。このイーストフォート方面の魔王軍を指揮する将軍だ。身長約6アーテムという巨人族でも屈指の体格を持つこの軍団長は、やたらと戦場に出て暴れ回ることで有名だった。軍を指揮しているのか本当に怪しくも見えるのだが、何しろそのでたらめな怪力を活かせるばかでかい金棒を振り回すだけで周囲のものが吹き飛ぶ。岩は砕け、地面は抉れ、生き物は敵味方の区別なく爆ぜるのだ。情け容赦ないというよりも、そもそも敵味方の区別をする気がないという非常識な戦いぶりで恐れられている。
そんな常識外れの将軍が相手の部隊にいるのだ。誰であっても戦いてしまうだろう。
「最後にダン将軍が出陣したのは確か4ヵ月だったか?」
「はっ、そのとき襲われた王国軍の陣地は壊滅したそうです」
「神様へのお祈りが足りなかったんでしょうかねぇ……」
聖騎士団の首脳部の表情は厳しい。赴任してきて約1年らしいが、ついにイーストフォート方面最悪の厄災と対面することになったからだ。
「エイベル隊長、それでは、私は傭兵部隊の指揮に戻ります」
「ああ、そうだったな。無茶はするな、というのは無理か」
引きつった笑いで部下のケイス副官を見送ると、エイベル隊長はすぐそばにいるライナス達に視線を移す。
そう、どうして聖騎士団首脳部の会話を当たり前のように聞けていたのかというと、ライナス達とジャック達はエイベル隊長に呼ばれて来ていたのである。
ダンというでたらめな魔王軍の将軍の存在が確認された時点で、中央山脈や先日の夜襲での活躍を面接で聞いていたエイベル隊長が、その腕を見込んで自分の手元に置いたのだ。特に、攻撃をほとんど受け付けないという単眼巨人を倒したという手腕が決め手になったらしい。
「聞いた話を総合すると、あのダン将軍は一旦暴れたら見境がなくなるらしい。そのため、我々の所へやってきたときに、中央山脈のときと同じようにダン将軍の相手をしてもらう」
ライナス達は緊張した面持ちで頷く。正直なところ逃げ出したいが、そういうわけにもいかない。
「それで、支援担当をジャック達にしているが、それで大丈夫なのか?」
「はい、ジャック達とは以前から一緒に戦っていますので、連携がとりやすいんです。もし困ったことがあったら、そのときに聖騎士団のお力を借ります」
ライナスははっきりと答える。
ダンという四天王の1人と対峙することになったら、本当は聖騎士団全てで対応してほしいところだ。しかし、噂通りにでたらめな奴だとしたら、恐らく近づくだけで相当な損害を被ることになるだろう。聞けば以前倒した単眼巨人のようにほとんど攻撃を受け付けないそうなので、単純に数だけで圧倒できるとは思えないのだ。そのために、ライナス達8人だけと人数を絞ったのである。
「魔王軍との距離が約500アーテムを切りました! 敵の獣が突撃してきます!」
「魔王軍地上部隊から4……いや5人が空に飛んでいきます。恐らく魔族です!」
エイベル隊長とライナスが会話をしていると、前方を監視していた聖騎士から報告が入ってくる。左翼を任されている聖騎士団と傭兵部隊にももちろん多数の獣が向かって来た。
「総員戦闘用意! 第一撃の獣共を傭兵部隊に迎え撃たせろ!」
こちらの布陣は前衛に傭兵部隊、後衛に聖騎士団となっている。それは王国軍も同じだった。
「上空から巨鳥が接近! 獣と歩調を合わせている模様!」
「傭兵部隊は獣だけに集中させろ! 空の巨鳥は聖騎士団が魔法で迎撃! 魔族の動きはどうなってる?!」
「上空の魔族に大きな動きはありません! 待機している模様!」
「様子を見てから仕掛けてくるんでしょうねぇ」
上を見るとこちらに向かってくる巨鳥が合計で12いる。聖騎士団は光の魔法を全員が使えるから、弾幕を張るように撃ったら近づくことさえできないはず。獣の数は100体程度か。これなら常識的な戦い方をしているうちは問題ないだろう。ただし、巨鳥の遥か後方に魔族が聖騎士団の部隊と対峙するかのようにじっとしている。あれが不気味だ。
「傭兵部隊と獣の距離が詰まります! あ、傭兵部隊からの魔法攻撃を確認!」
馬鹿正直に直接接触するまで待つ必要なんてない。可能ならまずは魔法攻撃で獣を仕留めるか足止めするべきだろう。
薄く広がるように突撃してくる獣の群れに対して、傭兵部隊から散発的ではあるが攻撃魔法が打ち込まれてゆく。それは獣に直撃することがあれば、脇に逸れるものもあった。また、土の魔法を使った壁を作成し、その勢いを止めようとする努力も見られた。
しかし、その効果は限定的だった。獣に知性は乏しいが、野生の勘は人以上にある。咄嗟の対応は人の予想以上に優れているのだ。
「傭兵部隊と獣が接触しました!」
監視者の報告と同時に、聖騎士団による対空迎撃が始まった。以前俺とライナスもやったが、空を飛んでいる奴に魔法を当てるのはかなり難しい。ここから見ていても全然当たらない。
それでも効果はそれなりにある。少なくとも巨鳥は攻撃を避けるので精一杯なので地上に近づけない。あの様子だと傭兵部隊を攻撃することはできないだろう。とりあえず役目は果たしているといえる。
「さて、とりあえず敵の第一撃は受け止めたが……」
「問題はあの厄災ですよねぇ。どちらに向かうんでしょうか」
エイベル隊長とランサム副官はしきりに四天王の1人であるダンの動向を気にしている。できれば王国軍側に向かっていってほしいというのが聖騎士と傭兵共通の願いだろう。逆にあちらも同じことを思っているはずだ。
「どうせダン将軍を相手にするなら、せめて地上の獣を粗方片付けてからだけでも……」
「あれ、おかしいですね。どうしてこっちには巨人が来てないのかな?」
ランサム副官に言われて初めてその場にいた者は気づいた。イーストフォート方面にいる魔王軍の一般的な戦術だと、獣の後に巨人が突撃してくるはずである。それなのに、現在正面で引き受けている魔王軍はそうでない。
「巨人はどこだ?!」
その場にいた全員が乱戦になりつつある傭兵部隊の奥に視線を向ける。すると、巨人の群れは全てが王国軍に向かいつつあった。
「こっちに巨人は来ない? なんでまた……」
ランサム副官の呟きはそこで止まる。こっちに歩いて向かってくる1体の規格外な巨人が視界に入ったからだ。
「くそっ、なんでこっちが本命扱いなんだ!」
「仲間の巨人を全部あっちに向かわせたってことは、こっちで思いっきり暴れる気か!」
こうなる可能性は考慮していたが、実際に実現すると受ける圧迫感は相当なものだ。
「ライナス、君達の出番だ!」
「傭兵部隊との距離はまだかなりある。すまないが戦線を突破した向こう側で相手をしてくれ」
ランサム副官はなかなか無茶なことをいうが心情は理解できる。歩く理不尽に自分の部隊へ突っ込まれたくないからだ。それに、間違いなく相手をするだけで周囲は大変なことになるだろうしな。
「わかりました。みんな、行こう!」
青い顔をしつつもライナスはエイベル隊長に返事をし、振り返ると仲間に声をかける。あの四天王の一角を見たせいか、バリーでさえも真剣な表情だ。
ライナスのかけ声に頷いたバリー達は、先頭を走るライナスに続いて敵将に向かった。




