現実の魔法学習
魔法に関する概要説明が終わったところで、エディスン先生は1冊の本を何もないところから取り出した。
「これはね、魔法を学ぶための書籍なんだよ」
「え? これ、持てるんですか?」
霊体である俺達は物理干渉ができない。そのため、もちろん本だって手にすることができないはずなのだが、なぜかエディスン先生は片手に本を持っている。電話帳くらいの厚さで大きさはその倍程度だ。表紙と背表紙は何かの皮でできており、俺達と同じ半透明だった。霊的な本?
「魔力で編纂したから私達のような霊体でも手にすることができるんですよ。この中には、これから私が教えることが記載されています」
「はい……おお、本当に持てる!」
手渡されたその大きな書籍を受け取ると確かな手応えがある。約1年ぶりに物を触った感触に俺は感動した。
早速本を開けてページをめくってみると、懐かしい感触と共にページがめくれていく。ああ、もう本なんて1年以上読んでないんだよなぁ。
「すごいですね。ちゃんとした本だ!」
「そうでしょう。作るのに結構苦労したからね。そこまで感動してくれると私も嬉しいよ」
力作らしい本を見ながら喜んでいる俺をエディスン先生は上機嫌に眺める。やっぱり自分の成果を評価されるのは嬉しいようだ。
「魔法の勉強はこの本を使ってするんですね」
「その通りだ。そしてその本だが、望むページを念じると開くようになっている」
そう言うと、エディスン先生は俺が手にしている本に視線を向ける。すると、ページが勝手にめくれだし、とあるところでぴたりと止まった。
「このようにね。念じ方が具体的なほど正確に開いてくれるよ」
どや顔を見せられて少し悔しいが、俺もまねをしてみる。えーっと、あ、本の中身なんて俺はまだ知らないぞ。しまった。
仕方がないので、最初の章の書き出し部分が開くように念じてみる。すると、無音映画のようにページだけがめくれて目的のところが開いた。
「ほう、いきなり使いこなしますか。これは結構なことですね」
何が嬉しいのか、エディスン先生は今の様子を見て笑顔で何度か頷いていた。なんだろう、なぜか不安になる。
「これでいいんですか?」
「ええ、それでは早速始めましょうか」
「あれ、先生は本を見なくてもいいんですか?」
「構いません。全て覚えていますから」
ああやっぱり、頭の出来が全然違うなぁ。
ともかく、ついに魔法を具体的に学ぶことになった。いやぁ、楽しみだねぇ!
なんて思っていた時期が少し前までありました。
俺にとって魔法の学び方というのは、呪文を教えてもらってそれをひたすら練習し、きちんと詠唱できたら魔法が使えるようになる、というものだった。後は慣れで、使い込むほど色々できるんだろうと思っていたんだよな。後から振り返ってみるとそれは確かに間違いではない。最終的にはそういった練習になってゆくのだが、残念ながらそれだけではなかったのだ。
エディスン先生の授業の仕方を振り返ってみると、いつも最初に概要を伝え、理論とその効果を説明し、使い方を教えた上で実際に使わせてみるという手順だった。つまり、非常に理論的かつ丁寧に教えてくれるのだ。まぁ、ここまでは問題ない。理屈はきちんと知っておく方がいいに決まってるし、丁寧に教えてくれるのも好印象と言える。だが、それでも魔法の理論というのは難しかったのだ! 明らかに俺の脳みそはついていけてなかった!
そして本に視線を落としてみると、何が書いてあるのかわからないところが多い。専門用語がわからないだけでなく、言い回しが小難しいんだよな。そう、正に専門書だ。もっと感覚的に学べると思っていただけに、とんでもなく当てが外れたと言える。
一方、エディスン先生は実に生き生きと授業をしていた。やっぱり魔法の専門家なので本業の分野に戻ってくると水を得た魚状態だ。逆に俺は死んだ魚のような目をしながら授業を受けているが。
それでも、根気よく俺に教えてくれるエディスン先生は立派だと思う。さじを投げても仕方がないというところでも、毎回なぜ理解できないのかということを考えながら色々と対策を打ってくれるからだ。これで本の文章がもっとわかりやすく書いてあったら完璧だったね。
しかし、疑問に思うことが1つだけあった。それは、俺に魔法の適性があるのかどうか、もしあったとしたらどの系統に適性があるのか、ということをエディスン先生は全く調べようとしないのだ。なのでどうしても我慢できずに質問した。
「先生、俺の適性って調べなくていいんですか?」
「適性?」
「ええ。ほら、魔法が使えるのかどうかとか、どの系統が得意とかですよ」
「そういうことですか。生きた人間の場合ですと確かにやる意味もあるのでしょうけど、君の場合は必要ないんですよ」
「霊体だからですか?」
「うーん、というよりも、君が特殊な存在だからです。ほら、以前に精霊に近い霊体だってアレブ殿に言われてましたよね?」
おお、懐かしい名前だ。初めてこの世界に来た日以来1度も見かけてない。しぶとそうな面構えをしていたから、くたばっていないかなんて心配はしていないけど。
「……そう言えば、そんなことを言われた気がします」
うん、今思い出した。すっかり忘れてたよ。
「霊魂を核としてその周りに魔力をまとわせているのが今の君の状態ですから、魔法が使えないなんてことはありえない。そして、君のまとっている魔力は無色透明という原始的な状態なので、どれにも適性があるとも言えるし、ないとも言える状態なんですよ」
「無色透明なら無属性に適性があるということじゃないんですか?」
「厳密に言うならその通りだけど、無属性は誰でも使えるからね。これに適性があっても、実は良いことはないんだ」
なるほど、適性があってもなくても同じように使えるなら、確かに意味はないわな。衝撃の事実である。悪い意味で。
「というようなことが霊体だと見たらすぐにわかるんで、君に適性検査は不要なんですよ」
「わかりました」
「ただ、どの系統にも適性があるようでないだけに、全ての系統を身に付けられる可能性がありますから、あまり落ち込まなくてもいいと思いますよ。少なくとも試してみて駄目だとはっきりわかるまでは、希望を持っていてもいいのではないでしょうか」
不安ではあるものの、今後に期待といったところか。何か極端な結果になりそうで怖いな。
魔法は無属性から学んでいる。その理由は、8系統中唯一誰でも身に付けられること、魔法を発動するための工程が基本的で他の系統にも応用しやすいこと、必要とする魔力が最も少ないことなどが挙げられる。他にも、俺のまとっている魔力は無色透明らしいので相性がいいという理由もあった。
というように色々な理由を並べても、俺の学ぶ速さが遅いことには変わりない。だから、ずっと付きっきりで教えてくれるエディスン先生に申し訳ないと思って何かの拍子につい謝ってしまう。
「謝ることはありませんよ。確かに人より歩みは遅いですが、前に進んでいることには違いありませんから。それに、その代わり君には時間があるじゃないですか。これは他の人にはまねできませんよ。」
しかし、そんな俺の態度をエディスン先生は窘めた。卑屈になってばかりいてはいけないということだ。でも日本人の癖でね、つい謝っちゃうんですよ。
そうやって態度も矯正されつつ、無属性の魔法を学んでゆく。それでこの無属性の魔法なのだが、地味な魔法が多い。いや、爆発みたいな派手な魔法も一応あるんだけど、全体的に他の系統よりも見た目が控えめらしい。
しかし、地味なだけで役に立つ魔法は多い。
例えば、捜索なんかは人や物を探すときに使うのだが、人だけ、あるいは特定の人物だけというように絞り込んで対象物を探すことができる。条件が多くなる程消費魔力が増えるが、熟練の捜索使いにかかるとほぼ不意打ちができなくなるそうだ。
他にも、光明なども非常によく使われている。暗闇を照らす光を生み出す魔法だ。似たような魔法に火系統の火光があるが、魔力消費量は光明の方が少ない。暗闇の中で術者の近辺を長時間周囲を照らしてくれる。1人で行動しているときは特に心強い。
このように、魔法使いなら誰もが必ず利用するほど便利な魔法が無属性には多いのだ。だから決しておろそかにはできない。初めて無属性の説明を聞いたときに、一瞬どこの系統にも属さない魔法の寄せ集めだと思ったけどそんなことはなかったです。ごめんなさい。
それで、無属性魔法を習い始めてからしばらくして、1つ気になったことがあったのでエディスン先生に質問してみた。
「先生、無属性魔法はこれくらいできればいいだろうって目安はあるんですか?」
「ん? 練習すればするほど習熟するので常に研鑽はするべきですよ?」
「あー、いや、そうじゃなくてですね。別系統の魔法の勉強に切り替えるタイミングはどうなってるのか知りたいってことです」
「なるほど、そういうことですか。まぁ、代表的な無属性魔法をしっかり発動できるようになった上で、君自身が望んだらですね」
などという意外な返答を聞いて俺は驚いた。
「あれ、全部じゃないんですね」
「各系統の魔法は唱える呪文の形式でいくつかに分類できます。ですから、各型ごとで呪文を1つずつ唱えられるようになれば、あとはその本を使って自習できるからですよ。本の読み方は最初に教えましたから、各呪文の概要、理論、効果、詠唱文言は本を読めばわかるはずです」
おおう、噂に聞く欧米の授業スタイルか。道理で本の内容をつまみ食いするような感じで授業が進んでいたわけだ。そして、無属性の全ての型を学び終えると自習の日々が始まる。このやり方は結構のびのびとできるので嬉しい。
しかし、決して油断はできない。レポートを提出しなくていいのは楽だよな! なんて思ってたら時々課題などを突然出されて、後日実技試験があるのだから油断できない。不合格になると補習が行われる。学生時代を思い出す瞬間だ。
「無限に時間があるわけではないのでずっとというわけにはいきませんが、ある程度は自習の時間を取ります。君はその間に魔法を自力で学ぶコツを習得してくださいね。旅に出ると絶対に必要になりますから」
などとエディスン先生は力説する。俺もこの意見には賛成だ。いつかは独り立ちしないといけない以上、自分1人でやれることはできるようになっておきたい。
「とはいえ、今すぐ全てを身に付ける必要はありません。旅の途中も大半は移動でしょうから、その合間に自学自習すればいいんです。今は自習するコツとある程度の無属性魔法を覚えられたらそれでいいですよ」
つまり、学習方法と最低限の道具の使い方を覚えられたらいいわけか。後はその応用でどうにかなると。ふむ、だんだん勉強のコツがわかってきたぞ。
「ちなみに、1つの系統に割り当てられる自習時間はどのくらいですか?」
「そうですねぇ……一応、最大で9ヵ月くらいを考えています」
「1日の大半を勉強に使うんですから、相当な時間ですよね」
「ええ、若かった頃の私からすると殺したくなるほど羨ましい環境ですね」
笑顔でさらっと怖いことを言わないでください。ちゃんと真面目に取り組んでるじゃないですか……
こうして、俺はいくつもの魔法を覚えていく。ライナスの守護霊として移動範囲を制限されていることもあって思うように練習できないこともよくあるが、それでも有り余る時間を使って1つずつ習得していった。
最後に、この学習成果についてだが、俺は大体満遍なく四大属性と無属性の5系統を身に付けることができた。少なくとも火、水、風、土、そして無属性に苦手なものはなかったということになる。しかし逆に、これといって得意なものもない。特に相性が良い系統だと威力が増したり消費魔力が少なくて済むらしいが、俺はどの系統も平均的でしかなかった。
(これはこれで器用ですね)
などとエディスン先生に言われた。褒められてないよね、これ。
それでもエディスン先生の求める水準には何とか到達したことで、俺は勉強は次の段階へ移ることになった。




