神アンリと人アンリ
<原典>
野ねずみと家ねずみ
神族と人族に別たれたとはいえ、二人のアンリは縁を切ったと言うわけではなく、お互いに連絡は取り合っています。
ケジメを付ける為にも頻繁に会ったりするようなことはしていませんが、それでも偶にはどちらかが他方を訪れることもあります。
人族であるアンリ──人アンリが邪神殿を訪れたのも、そんなある日のことでした。
決して、貴重な家事の担い手であるテナを失った神殿の生活状況が不安になって様子を見に来たわけではありません。
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人アンリは神族であるアンリ──神アンリを訪ねて神殿に行くと、まず周囲の部屋の様子を伺います。
床、ベッドの上、棚の上、窓枠……見たところそれほど汚れている様子はありません。しかし、人アンリは更に窓枠を指でなぞり、埃が付かないかを確かめます。
「まだ埃が……」
「小姑?」
そんな掃除チェックを始めた人アンリを見て、神アンリが呆れたように言いますが、人アンリは聞き流しました。
ところどころ不十分なところはありますが概ね綺麗な状態であり、チェックを行っていた人アンリもしばらく見回して納得しました。
「もうすぐ夕食だけど……」
「お願い」
「仕方ない」
どちらも口数があまり多くないため会話が最低限の言葉で交わされますが、元々同一人物であるためそれでも以心伝心で伝わります。
神アンリは人アンリの答えを聞いて、厨房へと向かいました。
それから三十分程が経過し、神アンリが作った料理が食卓に並びました。
「いただきます」
「いただきます」
「………………」
「………………」
二人は無言で食事へと向かいます。いえ、無心でと言った方が良いかも知れません。
神アンリの作った食事は決して不味くはありません。不味くはないのですが、しかし美味いかと聞かれるとまた微妙なレベルです。
美味くもなく不味くもない……敢えて言うなら「微妙」な味です。間違いなく「絶妙」ではありません。
「……ごちそうさま」
「……ごちそうさま」
「………………」
「………………」
もそもそと食事を終えた二人の間に静寂が訪れます。元より同一人物だった以上、自身の料理の腕なんてものはとっくに理解出来てますし、また相手が理解出来ていることも分かっています。
故に、人アンリは告げました。
「今度食べにくる?」
「是非」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて、ところ変わって黒薔薇邸。
今度は神アンリが人アンリの家を訪問しました。
広い邸宅は綺麗に掃除され、整理整頓が行き届いています。
何となく神アンリが窓枠を指でなぞりましたが、指には埃が付きませんでした。
「小姑?」
「………………」
無表情ながらどことなく勝ち誇った様子の人アンリがからかうように神アンリに言いますが、神アンリは無言で目を逸らしました。何を言っても負けだと理解していたからです。
なお、掃除をしているのは人アンリではないため、実際には彼女に勝敗を競う権利はありません。
暫くして夕食の時間になり、神アンリも交えた食卓にはテナの作った料理が並びました。
宮廷料理のような豪華さはありませんが、丹精が凝らされた素晴らしい食事です。
勿論、彼女が神殿に居た時には同じものを毎日味わっていた神アンリですが、ここ最近の食事事情が宜しくない為、かつて以上に美味しそうに見えました。
「いただきます」
神アンリは手を合わせると、早速食事に取り掛かりました。
「………………」
食事を始めると、神アンリは無言になりました。しかし、それは神殿での食事の時のような無心になるための無言ではなく、美味しい料理を味わうことに夢中になってのことです。
「いただきます」
そんな神アンリの様子を微笑ましそうに見ていた人アンリも食事に手を付け出しました。放っておくと全て食べられてしまいそうと危機感を覚えた、わけではありません。
「ごちそうさま」
「ごちそうさま」
「………………」
「………………」
同時に食事を終えた二人は無言になりますが、やはり先日の静寂とはまるで異なります。余韻を味わうための静寂です。
「やっぱり、貴女の方が良い生活をしてる。羨ましい」
そう切り出したのは、神アンリでした。
「そんなことはない、一長一短」
「そうは思えない。何処に『短』があるの?」
「それは──」
しかし、それに対して人アンリが答える前に、何やら遠くから声が聞こえてきました。
「アンリ様! ご報告に参りました! 本日の布教の成果です!」
それは聞き覚えのある男性の声でした。
勿論、二人とも誰の声であるかはすぐに察することが出来ます。
「もしかして……」
「引っ越してから毎日」
「そう……」
複雑そうな表情で黙り込んだ二人の元に、凄まじい勢いで爆走する教皇の激しい足音が近付いてきました。
<配役>
野ねずみ:神アンリ
家ねずみ:人アンリ
在野に降った筈の人アンリの方が何故か都会側ポジションに……。