形見に託されていた希望
アシュレイが裂け目の先に足を踏み入れ、街並みを見回しながらゆっくりと歩みを進める。
アルフォンスも彼女に続いて裂け目の中に入ると空間を繋ぎ合わせた。
記憶の中だけの存在と化していた【太陽と月】という小さな国。
気づけば“忘れ去られた街”という異名で呼ばれるようになっており、国の名に込められた栄冠さえもが忘れ去られていた。
かつて、様々な人種が共存し、その色鮮やかさと共に賑わいを見せていた商店街も、今では見る影もない。
しかし、面影は辛うじて残っていた。
アシュレイはその面影に記憶を重ねるようにしながら、ゆっくり歩いていく。
またその地を踏めるとは思っておらず、夢を見ているようだった。
だがそれも、向かっている先に気づけば、心が冷えていく。
「あぁ、やっと気づいた? いわゆる、処刑場さ」
闇の少年が感情をのせることなくそう淡々と言って、アシュレイを追い抜いていった。
かつて、天使と謳われた少女が無意味に裁かれた場所。
かつて、“悪”という濡れ衣を着せられた罪なき人々が、淘汰された場所。
「どうして、今更……」
そう小さく呟くアシュレイに、少年は言った。
「その耳飾り。僕は君の過去は知らないけど、それが大切なものなのはわかる。君はもしかしたら”形見”だと思ってるかもしれないけど、そんなもんじゃない。それは、――“希望”だよ」
やがてたどり着いた処刑場の中央――もう一つの家族が命を落とした場所で、少年は立ち止まる。
そしてアシュレイの方に振り向くと、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「その耳飾りからは、闇の魔力を感じる。それもただの魔力じゃない。魂の一部としての魔力だ。そこに込められた、――いや、もしかしたらその中で生きているのかもしれない。そこから伝わってくるものを頼りにここに来たけど、……心当たりは?」
アシュレイの頭の中に駆け巡るのは、世界の光を、色を、教えてくれた彼――リヒトとの想い出だった。
彼との偶然の出逢い、落ち着いた声音、ふとしたときに自分に向ける柔らかな表情、前を向かせてくれる言葉、光に連れ出してくれる温かな手、そして彼の最期――そこまで辿って気づく。
リヒトの最期を、知らないことに――――。
「――あるみたいだね。耳飾りに込められた魔力の持ち主曰く、『記憶を取り戻せ』だって。……あーもう、うるさいな、わかったよ。正確には、『最後まで記憶を取り戻せ』らしい」
まるで今ここで彼と会話をしているかのように。
まるで、まだ彼が生きているかのように。
少年はうんざりとした様子で溜息をつきながら言う。
アシュレイは耳飾りを外し、手のひらで陽の光を浴びて煌めくそれを見つめた。
まさか、と期待が胸を膨らませ、呼吸を乱れさせる。
少年は“希望”だと言った。
「リヒト……」
その名を口にして、耳飾りを握りしめ額に当てる。
その時――。
『目、瞑ってろ』
そんな声と共に、アレシアの視界を奪うように抱きしめた、彼の温もりを思い出す。
彼の顔を覗き見ると、その肌の一部は、まるで竜の鱗のようになっていて。
片目も、竜のそれのように、瞳孔が鋭くなっていた。
彼は、――リヒトは、禁忌に手を出したのだ。
命を代償に、竜と一体化するという、禁忌の魔法、禁忌の契約。
その命とは、己のみならず、相棒のものも対象となった。
竜の命諸共喰らい、その力が尽きるとき、魂ごとこの世から消え去り輪廻の理からも淘汰される。
そうしてリヒトは、アレシアを“悪”へと変える人々を、殺していったのだ。
そうして、家族を殺す“悪”を、処刑していったのだ。
弟たちは、また敵が増えてはいけないからと、数減らしのために、騎士達に先手を打たれ殺された。
正義の鉄槌を謳った“聖なる炎”に燃えつくされる前に、その炎から体を救い出しても、心まで救うことはできなかった。
『ぼく、……ぼくだって、生きたいって、そう……おも、ってた……』
火傷で爛れた頬に涙を伝わせながら、焦点の合わない虚ろな目で、ずっと心の奥底に閉じ込めていた本心を吐露して、その鼓動を止める。
アレシアは、そんな彼らの体を抱きしめることしかできなかった。
そんな中、ある女が言った。
その女はアレシアが殺したこの国の騎士団長の娘――つまり現騎士団長だった。
『おめでとう、バッドエンド』
その言葉は、現騎士団長への殺意を高めるのに十分すぎた。
リヒトが憎悪を彼女に向けた。
彼らの攻防は激しさを極めた。
しかしその終わりは、現騎士団長の刃がリヒトの喉を切り裂き、その血しぶきによって幕を閉じてしまう。
感情の昂りが、かえって隙を生み出してしまったのだ。
そして、女は言った。
『おめでとう、バッドエンド』
『黙れ……』
『そしてありがとう、ハッピーエンドを』
『黙れぇぇぇええええええ……!!!!!』
叫び、アレシアが彼女へと殺意を向けたその時、引き留めたのは――リヒトだった。
『逃げろ、今度こそ絶対に』
掠れた声でそう言った。
アレシアは彼の頭を抱きしめるようにして、額同士を触れさせながら涙を流した。
まるで幼子のように。
リヒトはアレシアがつける耳飾りに触れ微笑んだ。
『俺は、ずっと、お前の傍にいる――最期まで、ずっと』
「やっと、思い出したんだな」
走馬灯のように流れる悪夢のような記憶から、現実に引き戻される。
聞こえた声が、思い出と全く同じだったからだ。
「よぉ――久しぶりだな、アレシア」
まるで、窓から突然現れ“王女”という鎖から、もう一つの家族のもとへ連れ出してくれた、あの時のように。
頼もしさと優しさを兼ねた雰囲気で。
そこに立っていたのは、一部の肌が鱗状になり、片目の瞳孔が鋭くなっているものの、記憶と変わらない柔らかな微笑みを浮かべるリヒトの姿だった――。




