裏切り
「こいつ、闇ではなさそうですが、……仲間、でしょうか」
騎士の一人が闇に混ざる“普通”の少女を見て、リーダーなのであろう男にそう話しかけた。
「仲間なら捕まえなければいけませんが、いかがなさいますか」
他の騎士もまた、そう口にする。
「不安要素は消しておいたほうがいい。捕まえて――」
「――待ってください」
指示をだそうとした男の言葉を遮ったのは、――リヒトだ。
「コイツは、俺らが騙していた一般人です」
「え――?」
アレシアは、思わず自身の耳を疑った。
「リヒト……? なに、言って――」
「――コイツといる時、俺らは魔法で姿を変えてたんですよ。ほら、闇じゃない普通のやつを味方にしておいたほうが、いろいろラクでしょう? おかげで食料調達も簡単だったし、あんた達の目も気にせず今まで過ごせた」
「――ほう……?」
リーダーの男は言葉の真意をはかるように、リヒトを見る目を細める。
「……なら、どうして今こんなあっさり捕まろうとしている? せっかく味方にしたやつが助けようとしてくれているのに。――まさか、コイツを庇うために嘘言ってんじゃねぇだろうな?」
男の口調が崩れた。
まるで脅すかのように雰囲気も威圧的になる。
だがリヒトは一切動揺することなく、それどころか笑みさえ浮かべて言った。
「まさか。そんなことしませんよ。この国は俺らにとって最後の希望だったんです。それが断たれた今、もう逃げるなんて行為、馬鹿がする事でしょ。――俺は、騎士さんたちのために言ってるんですよ?」
「俺たちのため、だと?」
「そ」
「どういうことだ」
「あーもう、そんなこともわかんねぇの? くっそ、めんどくせぇな……」
リヒトの口調も崩れ、どこか高圧的な態度へと変わる。
「コイツは一般人。それも俺らに騙された被害者だ。民を守るのが騎士の仕事なのに、民を――それも被害者を捕まえたとなれば、アンタらの名声はどうなるだろうな……?」
「…………」
「崩れるどころか、こんな噂がたつぜ? ――“新たな【悪】誕生。本当の顔は殺し屋”」
リヒトの顔は、まさに“悪”のような笑みを浮かべていた。
アレシアが今まで見たこともない表情だ。
その豹変振りは、彼は本当に自分の知っている“リヒト”なのか、思わず疑ってしまうほど。
「……悔しいですが、ここは彼の言うとおりかもしれません」
一人の騎士が呟く。
「犯罪者を取り逃がすよりも、冤罪を被せるほうが民衆の反感を買います」
「それも冤罪を被ったのが被害者側だったとなると……」
部下達の言葉に男は少しの間目を閉じ、自分の考えをまとめた。
そしてその答えを口にし指示を出す。
「そいつは捕まえなくていい。むしろ保護すべきだろう。この様子だと、孤児みたいだからな」
展開をただ黙って見守ることしかできなかったアレシアを、男が同情するような、それでいて蔑むような目で見た。
「では、孤児院にでも預けますか」
騎士の一人がそう言ってアレシアの手を取る。
その瞬間、アレシアは咄嗟にその手を振り払った。
「――触らないで。……その汚い手で、私に触るな」
その声は低く、そして騎士を見る目は鋭かった。
憎しみに満ちた感情を隠す事無くぶつける。
騎士という存在とこの世の本当の悪に対する、嫌悪と憎悪――。
その命令口調は生意気という言葉ではくくりきれない、威厳を感じさせた。
それは彼女の本当の姿である、“王女”の顔。
その迫力に、騎士は思わず後退る。
だがリーダーの男は、その顔に笑みを浮かべた。
「――その目、気に入った」
男の言葉に、その場にいる全員が彼を見る。
「俺がお前を雇ってやる」
「雇う……?」
「ああ。……そうだなぁ、メイドとかどうだ? それくらいならお前にもできるだろ」
何を考えているのか――アレシアはその目を見つめる。
母親譲りのその読心力の高さでわかったのは、自分に対する興味と期待。
“闇から少女を救った”という俗世間からの評価が欲しいのかと思ったが、彼にとってそれは自分の行動についてくる付属品のようなものだった。
……それを目的とした行動ではないということ。
「それがいい」
ふと、そんな声が聞こえた。
「コイツ、結構強いよ。能力的にも、技術的にも。……俺達とずっと一緒にいたんだ、使えないはずがない」
それはリヒトだった。
リヒトはアレシアに背をむけたまま男にそう言う。
その言葉に男はどこか満足げに笑った。
「そりゃいい。メイド以上の働きを期待しよう」
リヒトはアレシアを見ようとしない、……彼女と目を合わせまいとしているようだった。
――本心を知られないため。……自分の弱さを、見せないため。
「そんなの嫌だ……! こんな人のために働くくらいなら、リヒト達と死んだほうがずっといい!!」
その背に訴えるように、アレシアは叫ぶ。
だが返ってきたのは、拒絶の意味がこもった、刃物のように冷たく鋭利な言葉。
「まだわかんねぇの? 俺はお前を利用してただけ。今はもう用済みなの。……正直、お前がこの先どうなろうと興味ねぇし。お前が死んだところで、俺には関係ない」
この時まだ幼かったアレシアに、その言葉に含まれた本当の意味を受け取るのは難しかった。
ただ一つわかったのは、“もう関るな”という拒絶。
純粋な心に傷をつけるには十分すぎるものだった。
アレシアはもう何も言うことができず、顔を俯かせる。
溢れてくる思い出が、走馬灯の如く脳裏に浮かんでは、静かに、消えていった――。
「…………」
男は、リヒトの顔を凝視する。
彼の言った言葉が嘘か本当かによって、アレシアの道は大きく変わるからだ。
リヒトの目は髪に隠れ、彼と男の身長さでは伺い見ることもできない。
だが、リヒトの口には笑みが浮かべられていた。
その笑みにどういう意味が込められているのかはわからない。
その笑みが僅かに歪んでいる理由も、男にはわからない。
だが、この少年にも“守りたいもの”があるということはわかる。
そして。
――小さな“悪”が流した一筋の涙に、その一粒に込められた大きな感情を感じた気がした。
「ここが最後だったな?」
「はい」
「じゃあもう戻るぞ。この娘は俺が引き受ける。他のやつらは任せた」
「「はっ!!」」
そう言うと、男は座り込んでいたアレシアを肩に担ぐように抱き上げる。
「やだっ、離して!! 嫌だ!!!」
悲鳴に近い声を上げながら、アレシアは男に連れられ家を出た。
遠ざかる扉が閉まっていくのがわかり、家族の姿を隠していく。
その瞬間。
俯いていたリヒトが顔を上げ、扉が閉まる直前、その口を動かした。
――――“ごめんな”。
そこに込められた意味をアレシアは理解する。
「っ――……」
溢れた涙が、幸せに満ちていたはずの世界を壊していった――……
「そうだな……。お前は何が出来る」
――――最大限、利用すればいい。
「だから、あなたが私にさせたいこともわかる」
「ほう……? ……言ってみろ」
彼女の心は、色を亡くしていった――――。
【次回】紅蓮月華の妖狐
ただ、いつか“家族”を助けるために――そのためだけに、毎日を生きた。




