冷たい何か
「ありがとう、アドルフさん、フィリスさん」
涙を拭いながらアレシアはそう二人に言った。
「あら、お母さんって呼んでくれないの?」
「え?」
フィリスの言葉にアレシアは驚き彼女の顔を見上げる。
その表情はとても優しく、まるで本当の子供を見ているかのようだった。
「俺も、お父さんって呼んでくれたほうが嬉しい」
アドルフもそう言って、アレシアに優しい笑みを向ける。
「私たち、ずっとあなたに親として見てもらえてないのかと心配だったの。あなたはまだここに来たばかりだけど、もう立派な私たちの家族よ」
「そうだぞ。俺たちの立派な娘だ、アレシア。だから俺たちのこと、お父さん、お母さんって呼んでほしい」
アレシアは二人の言葉に、少し戸惑う。
火王のことを“お母様”と呼ぶことはあれど、“お母さん”と呼ぶことはなく、その呼び方はずっと憧れていた。
“お母様”と呼ぶよりずっと、近しく感じられるからだ。
だがいざそう呼ぶのはどこか恥ずかしい。
“お父さん”と呼ぶのは尚更だ。
アレシアには父という存在自体が初めて。
父のことを呼ぶこと……それは彼女にとって考えもしなかったことだった。
アレシアは少し照れながら、その言葉を口にする。
「お父さん」
「あぁ、なんだ? アレシア」
「お母さん」
「はい、なぁに? アレシア」
二人はアレシアに微笑みながら、彼女の名を呼んだ。
アレシアは胸いっぱいに温かい何かが広がるのを感じる。
その感覚こそが“幸せ”なのだと、アレシアは思った。
アレシアは何度も“お父さん”“お母さん”と呼び、その表情には少しずつ笑みを浮かび始める。
自分がそう呼ぶと、アドルフとフィリスは返事をしてくれて——。
アレシアはたまらなく嬉しくなり、二人に飛びついた。
それを優しく受け止め、抱きしめてくれる二人を、アレシアは“大切”だと、“守りたい”と、そう感じた————。
「おやすみなさい」
「「おやすみ、アレシア」」
そう言葉を交わし、そのことに幸せを感じながら、アレシアは二人の部屋を出る。
ドアを閉め、子供たちの眠る部屋に戻ろうとしたとき————。
「っ……リヒト……?」
「…………」
ドアの横の壁に、リヒトが背をもたせるようにして立っていた。
「ま、まだ寝てなかったんだね」
聞かれてしまったかもしれない。
そんなことを思い少し焦りを感じながらも、それをリヒトに感じ取られないように、アレシアはできるだけ普通を装う。
「…………」
「……リ、ヒト?」
リヒトに話しかけるも、彼は何も口にはしない。
その目は何かを訴えるようにアレシアに向けられていたが、リヒトは一度俯き、そして何も言わないまま子供部屋へと戻るべく階段へと向かった。
「――っリヒト!」
アレシアは思わず呼び止める。
「なに」
リヒトは立ち止まったものの、振り向くこともなく、そう返事をした。
その声音はどこか冷たい。
「あの……もしかして、聞いてた、の……?」
「…………」
暫くの間、沈黙が続く。
答えは返ってこないんじゃないか、そう思ったとき。
「……さぁな」
リヒトが一言、そう言った。
「そ、か……」
それ以上言う事もできず、アレシアは黙り込む。
リヒトは小さくため息をつき、そして先に階段を上って行った。
リヒトの姿が見えなくなり、廊下に立つのはアレシア一人。
胸が締め付けられるように痛み、アレシアは思わずその場にしゃがみ込む。
「痛い……」
小さくそう呟き、足を抱える腕に顔を埋めた。
袖に徐々に染み込むそれは、やけに冷たく感じた————。




