一国の王女アシュレイ
それは、アシュレイが物心ついて間もない頃。様々なことに興味を示し出したときの話だ。
彼女は王女であるという身の上、その教育や礼儀作法を教えられることに日々の時間は使われ、自身の自由な時間などというものはなかった。
そんな中、彼女は普段通りいつもと変わらず自室にこもり、歴史についての勉強をしていた。
自分が今生きるのは始皇暦五十四年。
それまでの歴史である。
零皇暦と呼ばれているその時に、この【人間と竜が共存する世界“テウルギア”】が誕生した。
そして。
この世界に住む人々に、今までで一番大きな印象を与えたであろう始皇暦五十二年のこと。
当時の彼女にとっては二年前のことだ。
各国の王、そう―—全ての国においてある命令が下された。
その名も【闇残滅勅令】――通称DFエディタ。
その名の通り、闇属性の者たちを一人残さず殺せ、というものだ。
それが下されたのも、闇の存在が今まで曖昧にされ噂だけが独り歩きしていた中、各国が自国の騎士団の中から調査兵団を作り出し、国直々に調査がされた。
そうして明らかになった“闇”というもの。
彼らは恐ろしき者。――というのも、何やら彼ら“闇”という者たちはアシュレイたちのような普通とされる属性に比べ、その攻撃力防御力を始めとする魔力量や魔法技術、それら全てが上回っているらしい。
それらは“闇”という名から敵であるとみなされ、その強さは“危険”、この世界の“脅威”だといわれた。
そうしてDFエディタが全ての国に下されたのである。
そして、それを実行するものは【破壊者】と呼ばれた。
アシュレイ自身、その“闇”というものを現実にあるものではないような、――そう、幻想世界の何かのように捉えていた。
部屋にずっと閉じこもっているも同然の彼女にとっては無縁に近い存在なのだから、当たり前といえば当たり前だろう。
アシュレイはふと退屈に思い、窓のほうに視線を向けた。
そして椅子から立ち上がり窓のほうへ行くと、鍵を開け、そして窓を開ける。
瞬間、部屋に入って来た心地よい柔らかな風が彼女の頬を撫でた。
アシュレイは思わず呆然とする。
そして次の瞬間には、その心に外に出たいという感情が沸き上がっていた。
「アシュレイ様。何をしているのですか! ほら、続きをやりますから早くお座りになられてください」
教育係が部屋に戻って来たようだ。
それでもアシュレイは窓から離れなかった。
「アシュレイ様!」
近寄って来た教育係に、アシュレイは言う。
「ねぇ。私、お外、行きたい」
「…………」
教育係は、その言葉に何も返すことはなかった。
いや、できなかったのかもしれない。
彼女は優しい人だったから。
アシュレイにとって母に近いものだったのだ。
そんな彼女はアシュレイの気持ちを察したのだろう。
だが、その言葉を認めることは出来ない。
なぜならそれは、外には“脅威”が潜んでいるのだから。
教育係の彼女は再びアシュレイに椅子に座るよう言い、半ば無理やり勉強を再開した。
歴史の授業が終わり、次は国語の時間。
その間には十分ほどの休み時間があった。
「アシュレイ様。お茶をお持ちしました」
メイドが勉強机に紅色をした、ローズヒップの紅茶を置く。
「それでは、失礼いたします」
そう一言言って、メイドは部屋を出て行った。
それがアシュレイにとって、唯一の自由時間。
そして唯一の、“隙”だった。
アシュレイがいる部屋は城の最上階である五階である。
アシュレイは自身の相棒であるイグニートに言った。
イグニートはアシュレイには“イグニ”と呼ばれている。
その強さは火王曰く、火王である自分の次に強い、らしい。
「ねぇ。一緒に行きましょ? っていうか、手伝って! お外、とっても楽しそうっ」
その言葉に返って来たのは、とても冷たいものだった。
『ダメよ。ワタクシにも言われているんだから。ここでちゃんと大人しくしてなさい。それに外には“闇”もいる。貴女のいうとおり、楽しいこともたくさんあるかも知れないけど、それと同じ分だけ危ないこともあるわ』
「それ、誰に言われたのよ」
『火王様よ』
「またお母様……」
アシュレイはどこか呆れた様子で、窓のふちのところに力なく座りこんだ。
でもすぐに気持ちを切り替え、言い返す。
「でも大丈夫よ! 私たちなら大丈夫。だって私たち強いもの! お母様もおっしゃってたでしょう?」
『まぁ、……そう、だけど』
「ね、ならいいじゃない! 少しだけだからっ」
『…………』
「お願いっ」
『……わかったわ。少しだけよ?』
「やったぁあ!! ありがと、イグニ」
そうしてイグニが窓の外に竜の姿で現れると、その背にアシュレイは飛び乗った。
アシュレイの姿は王女としての格好ではなく、一貴族レベルの服装になっている。
王女ともなれば、そこが精一杯下げたものなのだろう。
しかし女の姿ではなく、男に近い恰好をした。
ストレートのさらさらな髪を一本に結んでいる。
傍から見れば、美しく強き少女。
その時に名を“アレシア”と名乗ることにした――――。




