アシュレイの心
アシュレイが火王の執務室の前までやってくると、ドアの前には宰相のアレック・ローウェルが立っていた。
彼は何も言わず一礼すると、ドアを開ける。
アシュレイが部屋の中に入るとドアは閉められた。
部屋の奥には、白を基調とし金色と紅色で縁取られた机に、紅を基調とし黒と金で蓮の花の絵が施された椅子があった。
そこに座るは、火ノ国の王アーデント・レッドフォード。
執務室には彼女以外誰もいなかった。
メイドも専属騎士も皆おらず、その空間にはアシュレイとアーデントのみだけがいた。
「大丈夫よ。私と貴女以外誰もいないわ」
火王が言う。
どうやら人払いをしたらしい。
その口調はいつもの一国を背負う一人の王としてのものではなかった。
一人の母としてのもの。
本来の彼女のものである。
「……それで用件はなんでしょうか。心話で済むものならばわざわざこうして呼ばないでしょう。よっぽど重要な話と見受けられますが」
アシュレイはどこか淡々と言った。
彼女にとってアーデントは母というよりも、王としての印象が強かった。
アシュレイが幼かった頃から、アーデントは一国の王として常に国務、執務をこなし、“子”であるアシュレイとの時間はないに等しいほど少なかった。
物心ついた頃からアシュレイは王女としての礼儀作法を習い、自由な時間も無ければ自由な感情もない。
アシュレイは、アーデントにとって自分は“子”という立場があるだけの、一人の“王女”としてしか見ていないと思っている。
そこに母の愛というものを感じることはなかった。
アシュレイは自然と歳を重ねる毎に母アーデントの元を離れていった。
【身分を偽りアレシアの名を語り、そうしてメイドとなりすまし城内に潜む“闇”を見つけ出し抹殺する】
そんな任務さえ与えられるようになり、それをきっかけとして自分は母にとって道具でしかないのだと、そう思うようになっていた。
そうして自然と、一国の王女であり一人のメイド兼騎士としての自分が築き上げられた。
“あの事”が無ければ、感情というものがそこにちゃんとあることを知ることはできなかっただろう。
アーデントは椅子の背もたれに寄りかかり、アシュレイに問いかける。
「――貴女、アルフォンスのことをどう思う?」
アルフォンス――それは新しく騎士団に入団した者であり、魔法を使えない、だが誰よりも強い者。
――――“異例者”。
「興味が湧くと同時に恐怖に近いものを感じます。感情を読むことのできないなんてことは、今までにありませんでしたから。竜と契約をしておらず魔法が使えないというのにあの強さ。そして、感情も読むことができない。……こんなにも異例な者である彼……注意するに越したことはないかと思います。彼が私共の元に来たのが吉とでるか凶とでるか。……測りかねますね」
「貴女もやっぱりそう思うのね」
アーデントはアシュレイの答えを聞くなり、目をつむり小さく息をついて腕を組んだ。
「アシュレイ。今から話すことは、絶対に誰にも言わないと約束して。これは貴女だからこそ話し、そしてその任務を任せられるの」
「はい、お任せ下さい」
そうして、アーデントはある“命令”を下した。
「彼はある一つの可能性を生みだすと同時に、それとは別の可能性も見えてくるわ。それは相反するものなの。間違えればきっと恐ろしいことが起こるわ。だから、そこを貴女にも見極めて欲しいの。私だけでは情報収集が難しいしね。彼に関するいろいろな担当は貴女にお願いするわ。だから彼を調べて頂戴」
「承知しました」
アシュレイがそう答えるとアーデントは言う。
「それと、闇の襲撃についても話しておくわ」
そうして彼女は話し始めた。
自身が見た光景と瞬間を。
それはあまりに無残で、残酷で、そして無慈悲なものだった。
正に“全滅”したという。
【孤独な悪魔】と呼ばれる者らしき少年が率いる闇の者達によって、騎士団側の戦況は徐々に悪くなっていった。
そんな中、突如現れたアルフォンス。
アルフォンスは圧倒的な強さで闇を倒していったという。
送り込まれた騎士団の数を遥かに超えた闇の数。
全滅したと思われていた闇は生き残っていたどころじゃない。
その数を増やしていた。
そんな中、アーデントは気づいていた。
それをアシュレイへと伝える。
「――本物の闇じゃなかった。謂うならば、闇に“堕ちた”っていうのが正しいわね。全てが黒じゃなかったの。闇は髪も眼も全て黒のはずなのに。……髪や眼とかのどこかは火の象徴の赤や雷の象徴である黄色とか……私達五属性の色だったのよ」
「……闇に“堕ちた”。そんなことができるのでしょうか」
「さぁ……それは定かじゃない。だからこそ貴女に調査を頼むのよ」
「…………」
アシュレイは小さく頷いた。
そこで終わりかと思ったが、すぐにアーデントが口を開く。
「あぁ、あと、彼、アルフォンスのことなんだけど……あの少年に似ているような気がするの」
「感情が読めないところ、ですか?」
「そ。そこが一番大きいわ。ただ見た目は明らかに違うし、何よりアルフォンスは相棒がいない」
「ですが、強さは群を抜いてますね」
「えぇ。彼はいろいろと異例だわ」
「それはそうですが、一応助けていただいた方ではあります」
「そうなのよね……。時間軸が合わないし、彼がもしあの少年でも味方である闇を殺す理由もわからないし……」
アーデントはため息をつき、最後に言った。
「とにかく、アルフォンスは正に“異例”。……頼むわよ、アシュレイ」
アシュレイはそれに「はい」と答え、「失礼します」と言って一例すると執務室を後にする。
既にその顔はメイドであるアレシアのものであった。
すれ違った宰相のアレックに会釈し、そしてメイドの仕事へと戻る。
アーデントから話を聞いた彼女の心境。
そこには普通抱くはずのないものがあった。
それは――
――“喜び”である。
そして、アルフォンスに対する想いも普通と違った。
アシュレイはアルフォンスが闇であることを望んでいるのである。
いや、正しくは――
――騎士団を殺した者であることを、望む。
彼女は知っていた。
――闇が“闇”でないことを。
そして彼女には、感謝の心があった。
――騎士団を殺してくれた、そのことへの感謝である。
そして彼女は――
――――闇の味方になりたい。
そう望んでいた。
彼女の心には、憎悪があった。
それは騎士団へ対するもの。
そして闇へと慈悲の心があったのである――――。
その心が生まれたのは、まだ、彼女に“アレシア”という存在ができたばかりの頃の話。
その日彼女は一度心を手にいれ、そして失った――――。




