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魔法使いの弟子(派遣の「年齢不詳の美女」三島さんをコーヒー2杯で借り受けた鈴木さんのお話)

※このシリーズは初出2009年なのでデジタルデバイスの進化についていけてません

魔法使いの弟子



1.

「わああああっ!」

 静かなオフィスに悲鳴が響いた。悲鳴を上げた二年目営業マンの鈴木はPCのディスプレイを凝視していた。

「どうしました?」

 通路を挟んで背中合わせに座った派遣の三島が鈴木に声をかけた。

「今……今、『エクセルを終了します』って」

 そう答えた鈴木はまだディスプレイから目が離せずにいた。そこにはもういつもの無味乾燥な壁紙なしのデスクトップしかなかったが。

鈴木の部署の他の営業マンは外回りで忙しく、アシスタントの女性達もお茶の準備で席を外していた。席に残っていたのは鈴木と課長以上の数人だけだった。三島が座るシステム部の社員達は打ち合わせで同じく席を外していた。

「3時間かかったのに。もう立ち直れない」

「うーん、じゃあ魔法使いに聞いてみましょうか」

 そう言ってPCの前で呆然とする鈴木を椅子ごと横にどかすと、三島は立ったまま軽快な音を立ててキーボードを叩き出した。

 見ている鈴木には早すぎて何が起きているのかよく分からなかったが、やがてエクセルがまた起動した。

「鈴木さん、さっき落ちたブックってこれでいいんですか?」

「三島さん、いったい何をしたんですか? 何でこれがあるんですか?」

「ふふふー。PCの中には魔法使いが住んでいるんですよ」

 三島はそう言ってにやりと笑った。


2.

 三島を年齢不詳の美女と形容したのは、鈴木の同期だった。三島が来てすぐに「お前の後ろに座ってる年齢不詳の美女、何者?」と訊かれた。「短期の派遣さんだって」それ以上の情報を鈴木はもっていなかった。

 しばらく前からシステム部が主体となって業務システムの切り替えを行っていた。新旧システムにデータを二重入力するため、入力オペレーターとしてやってきたのが三島だった。通常は黙々と入力をこなしている。

営業部とシステム部は隣同士ではあったが、普段直接の交流はほとんどなく、たまに営業アシスタントの女性がPCのトラブルでシステム部の男性社員に助けを求める程度だった。

 美女っていうか、小奇麗なんだよな。鈴木は三島をそれとなく観察しながら思った。顔のつくりは普通だけど、さりげなくきちんとして見える。にやりと笑うタイプには見えなかった。

「鈴木さん」

 いきなり三島に声を掛けられ、鈴木は慌てた。

「はいっ」

「そもそもこのアイテムは手入力しなくちゃいけなものなんですか?」

「え?」

「元がどこかにあるんじゃないですか?」

「あるにはあるんですけど、単価の入った表と品名の入った表が別なんですよ」

「あら……それで手で入れてたんですか。大変でしたね」

 三島がそう言ってころころと笑った。


3.

「魔法使いに頼めばいいんですよ」

 魔法使い? また魔法使い?

 鈴木が固まっている間に、ちょうどシステム部の大野課長が席に戻ってきた。

「お疲れさまです」

「ただいま」

「お帰りなさい、お疲れさまです、大野課長。ちょっと鈴木さんの見積お手伝いしてもいいでしょうか?」

「どうしたの?」

「さっき三時間かけた見積が落ちたんです」

 鈴木が横から大野に訴えた。

「三島さん、それ直せるの?」

「ええ。30分……いえ、1時間位こっちの仕事してもいいですか?業務外ですけど、入力の方は今日の分もうめどがついてるので」

「うーん、じゃあ鈴木、俺と三島さんにコーヒー奢れ」

「はい」

 カップコーヒー2杯で借り受けられた三島は鈴木を隣に座らせ、聞き取りをしながらそれこそ魔法のように別々の表を1つに加工し、割引率を掛け、数字を丸め(という言葉は三島が使うのを聞いて覚えた)、最後に検算まで終わらせて表を完成させた。きっちり1時間だった。鈴木が一日半かけた作業が、ほぼ最初からやり直しされ、さっきよりも精度の高い表になって完成していた。

「凄い……三島さんって何者なんですか? 魔法使い?」

「いえいえ、とんでもない。私はただの魔法使いの弟子です」

 三島がにっこりと笑った。


4.

 定時が過ぎて三島が帰った後、鈴木は完成した表をもとに見積もりを完成させて決裁に回した。それから大野に改めて礼を言った。

「三島さんに手伝ってもらったおかげで無事見積もりが完成しました」

「おお、できたか」

「三島さんって何やってた人なんですか?」

「なんか色々資格持ってたな。うちの仕事にはもったいない位の人なんだけど」

 大野から聞けたのはそれだけだった。翌日、鈴木は自分のアシスタントをしている高野にも聞いてみた。

「優子ちゃんって、三島さんと話したことある?」

「ありますよ、もちろん」

「三島さんっていくつなの?独身?」

「30ですって。独身だって言ってたけど、彼氏はいるんじゃないかなぁ」

「そうなんだ」

「この前帰りに外車の助手席に乗るとこ見ましたよ」

「へぇ」

 鈴木の恋は始まる前に終わりそうだった。


5.

 普段すました顔で仕事をしている三島は、話しかけづらい。あの日にみたにやっという笑顔と思いがけない笑い声、それに微笑みが三島の印象を変えた。鈴木はもっと三島のことが知りたいと思った。魔法使いのことも教えて欲しかった。背中合わせに座ってるのに、話しかける機会はない。橋のない河のような幅1mの通路に隔てられていた。それに鈴木は日中は外回りで外出していることが多い。鈴木が戻ってくる頃には三島の席はもうPCの電源を落とされ、机の上も綺麗になっていることが多かった。


 いつか三島がシステム部の社員と雑談していた時は、仕事以外の話をしているのがとても珍しかったので鈴木は聞き耳を立てた。

「三島さんって、絶対歳ごまかしてるでしょ」

「そんなことないですよ」

「いや、30で普通そんなにドスコマンド知らないって」

「そうですか?」

 二人は鈴木には分からない話題で盛り上がっていた。鈴木は三島にもっと自分と共通の話題があればいいのにと思ったが、エクセルのことを聞くくらいしか思いつかなかった。


6.

 三島の活躍のおかげかどうかは分からないが、システムの切り替えは順調に進んでいたらしい。ある日アシスタントの高野が鈴木に言った。

「三島さん、今月末で終わりですって」

 鈴木の手がぴくっと動いて、手元のメモにペンの跡を残した。

「送別会とか、やらないのかな?」

 さりげなく聞いたが、高野の答えは否定的だった。

「うーん……短期だったし、送別会はないんじゃないですか?」


 そして鈴木が何もできないまま、三島の最終勤務日が終わった。

「三島さん」

「はい」

 鈴木は帰りかけた三島を追いかけて声をかけたものの、何を言っていいか分からなかった。

「教えてください。……魔法使いって何のことですか?」

 三島はびっくりした顔をしてから、笑顔になった。

「ああ、あれですか。プログラムの中にウィザードっていうのがあるんです。魔法使いって意味なんですけど、本当に魔法使いが杖を振ったみたいにちょちょいって作業ができちゃうんですよ。鈴木さんも覚えてくださいね。もったいないですよ、エクセルで時間食ったら」


7.

 それだけだったのか。三島を謎めいた女性に思わせていた謎のひとつが解けた。あまりのあっけなさに、鈴木は呆然とした。こんなことを聞くのに1ヶ月以上かかって、そして今日を過ぎたらもう会えなくなるなんて。

「俺……もっと三島さんに訊きたいこといろいろあったんです」

 そう言った鈴木の目からぽろっと一粒涙が零れた。三島が慌ててきょろきょろと周囲を見回し、鈴木を給湯室に引っ張り込んだ。

「どうしたんですか、鈴木さん」

「俺、もっと三島さんのこと知りたかったです。三島さんのことが好きでした」

 鈴木は泣きながら告白した。自分でも情けないと思ったが、これで最後なら言いたいこと全部言ってしまおうと、半ば開き直って泣きながら続けた。

「三島さんの笑顔がいいなってずっと思ってました」

「なんだ、もっと早く言って下さいよ」

 三島はにこやかに答えた。きっと三島は冗談で済ませようと思っているんだろうと、鈴木は余計に切なくなった。

「迷惑でしょうけど、ほんとに好きでした」

「過去形なんですか?」

「え?」

「私、鈴木さんのヴィジュアル……」

 どストライクなんですと言いながら、三島は鈴木の頬に手を伸ばした。そして動けない鈴木にキスをした。


エピローグ

 鈴木はいつ三島に腕を回したのか自分でも気付いていなかった。気付いた後もその腕を外せないまま訊いた。

「三島さん、外車の助手席に乗ってたって噂があったんですけど?」

「えーと、私の愛車は右ハンドルの古いBMですけど、彼氏はついてません。私も鈴木さんにお訊きしたいことがあります」

「何ですか?」

「鈴木さんってお歳はおいくつですか?」

「24です」

「30の女ってどう思います?」

「いいと思います。すごく」

「よかった」


end.(2009/02/19サイト初出)

「天は二物を」に続きます


※古い外車には右ハンドル仕様のものがあります

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