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自動販売機の向こうで

 ピピピピピピピピ!

 自動販売機のカウンタが点滅をはじめる。何事かと振り返ると、2つ目のカウンタが再び回転を始めたところだった。小さな画面に「チャンス!」の文字が躍る。時実一(ときざねはじめ)の心臓も微かに躍りだした。まさか、本当にこんなことが。一は昼間に聞いた部長の話を思い出していた。


 幕の内が二人前運ばれてきた。大きな朱色の(うるし)塗りの容器を開けると、うまきや蒲焼(かばや)きなど上等なウナギ料理がそれぞれの仕切りの中にきちんと収まっている。次いで、肝吸いが運ばれてきた。うまきを箸の先で一口大に切りながら二宮が口を開いた。

「どこまで話したかな。」

「スロットが揃うとチャンスが出てくる、というところまでです。」

「ああ、そうだった。あの時な、」

 二宮はスロットが確かに揃うのを見たという。電子表示の小さなスロットが「777」という数字でぴたりと止ったところを両の眼で確認した。しかし、その次の瞬間目の前から自販機が消えた。文字通り目の前から消えた(・・・)のだという。そして、チャンスが現れた。

「正直ハッキリとは思い出せないんだ。(もや)がかかったみたいで。」

 一は二宮に(なら)って肝吸いをすすった。何の味もしなかった。

「世界がとにかく明るかった。とても。午前中のまだ早い時間に自販機でコーヒーを買ったんだよ。でもまるで真夏の昼間のど真ん中のような眩しさでね。」

 チャンスは二宮に問いかけた。


--欲しいものを何でもあげよう。


 その時の二宮は、本当に人生のどん底にいた。小さな紡績(ぼうせき)会社に13年勤めた。勤めている間は夜な夜な部署の仲間と飲み歩いては大声で会社の悪口を言い合った。そして不況の波が来た。小さな会社では受け止めきれなかったのだろう。ある日肩を叩かれた。年齢順での有無を言わさぬ早期退職願いの提出依頼だった。なけなしの退職金と失業保険を頼りに来る日も来る日を職を探して歩いた。しかし年齢の高さの割に特に何の資格も役職も無かった二宮を、どこの会社も敬遠(けいえん)した。何度もやめようかと思った。やめるということは、人生を諦めるという意味だった。

 この会社の面接で最後にしよう。ようやく書類選考から面接に()ぎ着けることができた3社の内の、最後の1社だった。小さな駅に降り立った二宮は何の気なしに自販機に目を止めた。自販機で缶コーヒーを買うなど、(およ)そ当時の生活ではできないような贅沢(ぜいたく)だったが、これが最期(さいご)の缶コーヒーになるかもしれないなどと(なか)自嘲(じちょう)気味に小銭を入れた。


 二宮が幕の内をすっかり食べ終えた時に、一はまだ半分も食べることができずにいた。チャンスに問いかけられた二宮は散々悩んだ挙句一つだけ願いを言ったという。

「最初は仕事が欲しいって言おうと思ったんだ。でも、そうじゃないなと気付いた。何で私は仕事をしたいんだったっけ、と考えてね。」

「何て答えたんです。」

「その時は本当にいっぱいいっぱいだったからね。今ではなんであんな事言ったかなと思うんだけど。」

 二宮はこう答えた。

--束の間の休息が欲しいです。


 一の目の前で、スロットの最後の数字が止まった。「777」という数字のあとに、電子画面が「大当たり」の表示に変わった。そして、自販機が消えた。

 最初に気付いたのは、周囲がとても明るいな、ということだった。そして二宮の言葉を思い出した。まるで真夏の昼間のど真ん中のような眩しさでね。

 呆然と立つ一はやがて気付いた。これがもし二宮のいう“チャンス”の到来なのだとすれば、自分は果たして何と答えるべきなのだろうかと。浮かんできたのは二宮の色々な言葉だった。

--仕事があるというのは、幸せな事なんだよ。

--何で私は仕事をしたいんだったっけ、と考えてね。

 次いで浮かんできたのは、総務課の仕事を手伝っているときのことだった。仕事の鬼のような二宮。施設課の立場ではあったものの、毎日の業務はそのほとんどが総務課のものだった。対外的な折衝(せっしょう)はほとんど二宮がこなしてくれた。陰のように働いて、しかし苦痛は感じなかった。この人と仕事ができてよかったと思った。この人のために仕事がしたいと思った。

 声が聞こえた。あるいは聞こえたように感じただけだったのかもしれない。しかしハッキリと今答えを求められているということが分かった。

--欲しいものを何でもあげよう。

 最後に浮かんできたのは、“激戦区”での日々だった。怒号(どごう)と、罵声(ばせい)と、へりくだった対応と、陰口と。電話が鳴る。誰も取りたがらない。しかし取らねばならない。取れば聞こえてくるのは叱責(しっせき)か、あるいは溜まり切った鬱憤(うっぷん)だ。早朝の時間が好きだった。誰もいないオフィスで昨晩書き切れなかった日誌をつけた。沢山の省略と嘘が並んだ日誌だった。口惜(くや)しさが(にじ)んで消えた。半沢(なかざわ)の声が聞こえた。

--なあ、俺はさザネちゃん。いつか変えてやりたいと思ってんだよね。このクソみたいな“シジョウ”をさぁ。もっとハートフルでなくちゃダメなんだよ。だってお客さんが困ってんだから。

 一は、正面の虚空(こくう)を見つめて答えた。


「俺は、働かなくても食っていける、幸せな人生が欲しいです。」

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