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不思議な話はコーヒーの香り

 時実一(ときざねはじめ)が総務課の仕事も手伝うようになるのに、さして時間はかからなかった。ただでさえ暇な施設課の業務はあっという間に整理整頓され、マニュアルが配備された。少しでもやることを増やそうと社内の各所に施設維持・向上の意見箱を設置などしてみたが、投書があると目ざとく見つけたベテラン社員がサッと片づけてしまうため、従業員の満足度評価が上がっただけで一の業務は一向に増える気配を見せなかった。嘱託(しょくたく)社員の二人からは孫のように可愛がられ、派遣の女性にはお菓子を毎日貰うようになり、一は何だか複雑な思いで日々を過ごした。ついには他部署のコスト削減活動などの支援業務に乗り出そうかと、(およ)そ施設課とは関係なさそうなことを始めようとしたところで、見かねた二宮から声がかかったのだった。総務課の業務を手伝ってはくれないか、と。

 二宮の手伝いをするようになって、まずその膨大な業務量に驚いた。会議が多いのは勿論のこと、内外からの問い合わせや個別案件の対応を部長でありながらこなしている。総会の時期だったせいもあってか方々から飛んでくる資料の添削指示を課長列に迅速に与え、自らは監査結果のフォローと様々なワークグループの統括を行っていた。何よりも判断が早い。そして基本的に頼まれた仕事を断ることをしなかった。じっくりと悩んだり落ち着くような時間はほとんど皆無(かいむ)と言っていいほどで、とにかく余程スケジュールが立て込まない限りパズルのように予定調整をして、新たに飛び込んでくる業務をグイグイとおし進めていく。一が手伝いを(おお)せつかったのはまさしくそのパズルの部分で、スケジュールの調整に不備が無いかチェックするとともに、いつまでに何の資料や備品が必要なのかの指示を受けて準備の手伝いをすることだった。施設課という立場を大いに活用できる業務であり、総務課の手伝いとはいえ表面上は施設課の業務をこなしている体裁(ていさい)をとることができる。目が回る、というほどの忙しさでは無かったが、それでも早朝から夜までたっぷり仕事をできるほどにはやるべきことは増えていった。


「部長。」

 朝の6時15分だった。

「部長、よろしければ、昨晩の続きを聞かせていただけませんか。」

 二宮の眉毛が片方だけピクリと動いた。

「なんだ、覚えてたのか。」

「酔ってませんでしたから。ハッキリ覚えていますよ。」

「そうか。」

 少し考えてから二宮はちらりと周りを見渡した。

時実(ときざね)君、昼は空いているかい?」

「はい。」

「よし、ウナギ食いに行こう。その時話す。」

 昨晩は総会の打ち上げだった。総務課のメンバーに加えて、陰の功労者ということで一も呼ばれ、2次会にスナックまで連れていかれた。流石にそのあとのキャバクラは(つつし)んでお断りしたのだが、打ち上げの席で総務課の先輩たちから二宮について、いくつかの新しい噂を聞くことができた。

 二宮は中途採用でこの会社に来る前は小さな紡績(ぼうせき)会社でうだつの上がらない生活をしていたらしい。そして先の不景気の波でリストラ対象者に選ばれ、一時は職を失い自暴自棄(じぼうじき)に陥ったという。そこからどうやって今の会社にたどり着き、辣腕(らつわん)の人に変身したのかは分からなかったが、とにかく驚くような変身を遂げたらしいことは周知のようだった。


 二次会の帰りに、二宮と一緒に駅まで歩くことになった。いつもは車で来ている二宮は、駅前でタクシーを拾う算段(さんだん)らしい。シャッターの閉まった商店街を抜けた二人は、駅前の自動販売機の前で自然と足を止めた。いつもの癖で一が缶コーヒーを買う。

「懐かしいな。まだあったのかこの自販機。」

 ガコンという缶コーヒーの音と同時に二宮が呟いた。スロットのカウンタが回りだす。

「少なくとも、僕がここで缶コーヒーを買うようになってから、2年間はずっとありますね。」

「もっとずっと昔からあるんだよ。私が今の会社に入社する前から。」

 ピピピピピピピピ。

 情けない音を上げて、カウンタが「はずれ」表示に変わった。一は先ほど聞いたばかりの噂を思い出していた。うだつの上がらない生活をしていた二宮。リストラされ、自暴自棄になった--。

「この自販機のお(かげ)なんだよな。今の生活も。」

「え?」

 聞こえるか聞こえないかの独り言のような呟きに一が驚いて顔を上げると、二宮の視線は自販機のカウンタに向けられていた。自販機のお蔭、と言ったように聞こえた。余程驚いた表情をしていたのか、一に見つめられていることに気付いた二宮は、くしゃりと破顔した。

「そんな顔するな。狐につままれたみたいになってるぞ。」

「は、すみません。」

 慌てて視線を()らせたものの、気になって仕方がない。

「あの、」恐る恐る一が尋ねる。「自販機と今の生活に何の関係があるのか伺っても?」

 小さく笑って二宮が顔の前で手をひらひらさせた。

「嘘みたいな話だから、聞かない方が良い。」

 そう言われると、余計に気になった。少しだけでも、と(なお)も頼むが二宮は(がん)として首を縦に振らない。

「だめだ、頭がおかしくなったと思われるからな。あるいは酔っぱらい過ぎって。」

「どういうことですか。そんな妙なエピソードならなおさら聞いてみたいんですが。」

「ああ、今の若い人には逆効果だったかな。」

 声をあげて笑って、困ったように横を向く二宮は、どこか嬉しそうに見えた。それなら、と向き直って二宮が言う。

「ここのスロット、当たったことある?」

「…無いですね。2年間大体毎日買ってますけど一度も。そういうものじゃないですか。」

「そう、そうなんだよ。普通の生活してたら、絶対に当たらないんだ。」

 普通でない生活とはなんだろうか。一は、失業した自分を思い浮かべた。

「今までで一回だけ当たったことがあるんだ。このスロット。」

 一は黙って、次の言葉を待った。随分(ずいぶん)間をあけてから、二宮が続ける。

「人生の岐路(きろ)に立ったときに、チャンスってやつはフッと現れるんだよな。」

「チャンス、ですか。」

「ふざけてるわけじゃないんだ。本当に。ここで、こうして、缶コーヒーを買って」

 言いながら二宮は実際に缶コーヒーを買った。そういえば一も買った缶コーヒーを握りしめたままだった。ガコン。勢いよくカウンタが回り始める。やがてバラバラの数字が並んで「はずれ」の表示が現れた。

「その時は、こうしてはずれた後にまたカウンタが回りだして。」

「そんなこと、あるんですか。」

 一の問いに、二宮は静かに(うなづ)いた。しかし、目の前のカウンタは止まったままで一向に動く気配を見せない。火照(ほて)った頬が夜風に()めていく。電車が通過するのを待って、二宮が口を開いた。

「数字がそろってもね、缶コーヒーがもう一本出てくるわけじゃないんだよ。」

 当然、コーヒーの隣のバナナ・オレが出てくるわけでもなさそうだ。

「何が出てきたと思う?」

 ふいに質問されて一は面食らった。何、と言われてもこの自販機から出てくるのは缶飲料以外にないだろう。しかしそんな答えが求められていないことは百も承知だったので、今までの会話を慎重に辿(たど)ってみた。

「チャンス、ですか。」

「正解。」

 答えてみたものの、意味が分からなかった。


 正午を知らせる鐘を待って、二人はオフィスを出て駅前へ向かった。夜には閉まっているシャッター街もこの時間にはそれなりの賑わいをみせている。小ぢんまりとした質素(しっそ)暖簾(のれん)を慣れた様子でくぐる二宮について店内に足を踏み入れた。

「ここのな、幕の内がうまいんだよ。大将!」

 一がコップに二人分水を注いでいる内に、二宮はさっさと二人前の幕の内を注文してしまった。

「ああ、支払いは気にしないでいい。追加で食いたいものがあったら今のうちに頼んでいいぞ。」

 そういわれても一は恐縮するばかりだった。

「で、昨晩の続きだったな。」

 唐突(とうとつ)に本題に入ったので、あれこれと繋ぎの話をどうしようかと思案していた一は肩透(かたす)かしを食らう格好になった。はい、とだけようやく答えて水で口を湿らせる。

「軽い冗談だと思って聞き流してくれて構わない。突拍子(とっぴょうし)も無い話なんだ本当に。」

「は、冗談、ですか。」

 その後二宮の口から語られた話は、確かに一の想像の斜め上に飛んでいき、着地する様子をみせなかった。しかし冗談だと笑うには二宮はあまりにも真剣で、一はせっかくの幕の内の味がほとんど分からなかった。

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