0‐2
弾む足取りで私はバルカスおじいちゃんのもとに向かった。
目指すは村のはずれにある古びた石造りの小屋。
深い森の匂いが染みついたおじいちゃんの小屋。
村の人たちは彼を”無口で偏屈な変わりもの”だと噂している。けれど、私は知っていた。冬の凍えそうな夜、玄関先に誰にも見つからないようにひっそりと毛皮や薪を置いていく優しい人であることを。
「こんにちは!バルカスおじいちゃん。」
「…ん?ああ、ミアか。どうした?」
庭先で獲物を裁くためのナイフを黙々と研いでいたバルカスおじいちゃんが、私の声にぴたりと動きを止め顔を上げた。眼光は一瞬鋭い厳しさを見せたが、私を見ると不器用な老人の顔に戻った。
「ハーブを少し分けてほしいの!今日は兄様がシチューを作ってくれているの。その仕上げに必要なんだって」
「…フン、エレンの奴め。あいつは律儀に『バルカスさん』なんて呼びやがるが…こんな時まで礼儀正しい小僧なんか。ハーブならそこら中に生えているのを持っていけばいいものを」
そう毒付きながらも、庭で大切に育てている新鮮なハーブを私に差し出した。
「ふふ、だって兄様はバルカスおじいちゃんのことを師匠として尊敬しているんだもの」
「…」
彼は少し耳を染めながら私の頭を優しくなでた。
その隻腕の大きな手のひらは硬いタコだらけでぎこちないけれど、私の頭をなでるときだけは驚くほどやさしい手をしている。
「……ミア、寄り道はするなよ。…すぐに家に帰れ。エレンのそばにいてやるんだ」
バルカスおじいちゃんは空を睨みつけるように見ながらそう言った。
いつものように低い声で、どこか祈るような切実な声で。
「わかった。ハーブありがとう!またくるね!」
私は来た道を駆け戻った。
振り返ったときに見えた、夕陽に照らされたバルカスおじいちゃんの背中は、まるで嵐の前の静けさを醸し出しながら誰よりも優しくそこに立っていた。
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ハーブのさわやかな香りを胸いっぱいに吸い込みながら、私は兄様が待つ家へと急いだ。
もうすぐ兄様のシチューも出来上がる。おなかの虫が鳴り少し足早になった。
バルカスおじいちゃんの言葉に妙な胸騒ぎを抱えながら。
「ただいま、兄様!バルカスおじいちゃんからとっておきのハーブをもらってきたよ!」
勢いよく扉を開ける。
けれど私を迎えたのは…耳が痛くなるほどの静寂だった。
「……に…兄様?」
…おかしい。
さっきまで聞こえていた、暖炉の薪が爆ぜる音も、鍋のコトコトとなるリズムの、すべてがぷっつりと途絶えている。
キッチンの火は消え、お鍋の中には仕上げを待ったシチューが湯気を立てている。
……何よりも
いつも…
いつも笑顔で迎えてくれる…
兄様の姿がない。
さっきまで兄様が座っていた椅子には、脱ぎ捨てられたエプロンが力なく落ちていた。
「……兄様?…冗談はやめて、どこにいるの?」
返事はない。
「……ねえ、兄様?」
ただ、開け離れた窓からさすように冷たい風が私のほほを撫でた。
ふと、窓の外を見上げると、燃えるような琥珀色の夕陽を切り裂くように、巨大な銀色の光が、鎖のような光が、音もなく天へと昇っていくのが見えた。
それと同時に。
私の幸せな日常から一気に「色」が剥がれ落ちていく。
琥珀色だった空はどんよりとした鉛色に、鮮やかだった森は灰色へと色あせ変わっていく。
私の足元には力なく零れ落ちたハーブの束と知らぬ間にほほを伝った涙の滴。
先ほどまでは輝いていたキッチンは、今はもう灰色の檻のようだった。
「……ッ……に、いさま…」
膝の力が抜け、私はその場に崩れ落ちた。
石造りの冷たい床に手をついたとき、指先にふわりと柔らかい布の感触が触れる。
……兄様のエプロン。
いつも料理をするときに来ていた…使い込まれたエプロン。そこにはまだ、かすかなシチューの香りと兄様の体温が残っているような気がした。
縋るようにエプロンを手繰り寄せかき抱いた。
胸にあてた――その時。柔らかな布の感触の中に、ごつりとした硬い塊が当たった。
「……?」




