夫と初めて出会った時のことは今でもふと思い出すことがあります。~私を絶望から連れ出してくれたのは彼です~
私は今、夫である彼と共に、家からそう遠く離れていない丘へ来ている。
見上げる限り青空。
静けさの中に温もりがあり。
心地よさに満ちた空間で大切な人と二人穏やかな時を過ごせている。
「ねえ、初めて出会った時のこと……覚えてる?」
「うん」
「あの時、私、もう本当に辛くて。だから生きることなんてやめてしまおうって思っていたの」
「言ってたね」
「でもあなたが止めてくれたでしょう?」
「びっくりしちゃって思わず……」
「おかげでこんなに幸せな今日があるんだもの、感謝して感謝して感謝してもし足りないわ」
柔らかな風が吹き抜けてゆく。
頬に触れ。
髪を揺らし。
綿菓子のベッドで眠ることにも勝るような心地よさがここには在る。
「昔のことを思い出していたのかい?」
「ええ……少し、ね」
「何か理由が?」
「いいえ、ただ思い返していただけよ。理由はないの。でも、あの時の記憶は、私にとっては大切なものでもあるのよ」
「そう」
「だって、あなたとのはじまりだもの!」
「確かに。それはそうだね。そういう意味では僕にとっても大切な過去だね」
愛しい人と見つめ合い、そっと笑う。
小さなことでもそれが何よりも大きな幸せ。
――かつて私はラウイクという青年と婚約していた。
親が勝手に決めた婚約だった。
けれどもラウイクのことは嫌いではなくて。
会って話すことは好きだったし一緒にいると楽しかった。
彼と同じ時を共有できることを素敵なことだと思っていた。
この人とならきっと幸せになれる、と、あの頃の私は純粋に信じていた。
決められた結婚でもいい。嫌な相手ではないから。自分で決めることがすべてではないと思っていたし、何よりも、彼との縁が愛おしかった。彼と隣り合って未来を見つめられるならそれだけで良かった。それ以上なんて欠片ほども望んではいなかった。
けれどもラウイクは職場の女性ミレと親しくなって。それからというもの、彼は私に対してそっけない態度を取るようになっていった。いつしかラウイクとミレの間には大きな愛が生まれ。そうなった時、私は既に要らないものとなっていた。私の存在はラウイクにとって不快な足枷でしかなかった。
そしてついにその時が訪れる。
ラウイクは私を呼び出し関係の終わりを宣言。
ミレは外見的な意味ではそれなりに綺麗な人だったけれど、心はあまり綺麗ではなかったようで、私に対して見下すような言葉を幾つか並べてきた。
そうして私たちの関係は叩き壊されてしまった。
信じてきたもの、手に入ると思っていたもの、それらが突如無になってしまった――その事実に耐えられなくて、こんな命は捨ててしまおうと思った――でもその中で今の夫である彼と知り合うことになって。
夫である彼との出会いが私をこの世にとどまらせた。
婚約破棄によって傷ついた心はすぐには回復せず。時に泣いてしまったり、時に絶望したようなことを言ってしまったり、彼には何度も迷惑をかけてしまったと思う。それでも彼は熱心に寄り添ってくれていたから、次第にそんな彼に惹かれるようになってゆき。
気づけば私の心は未来を見据えるようになっていた。
過去ばかり見ていた私は消えて。
未来へ目を向けられる私が生まれて。
その果てで彼と結ばれ、今の幸福な日々がある。
「でもさ、あの二人、結婚できなかったんだよね?」
「ええそうなのよ」
あの後ラウイクとミレは正式に婚約したようだったが、ミレに多額の借金があったことが発覚したことなどいくつかの問題が起こり揉めに揉め、結局二人は関係を終わらせることとなってしまったそうである。
親族から猛反対され愛しい人を手放さざるを得なかったラウイクは「ミレと結婚できないなら生きている意味がない!」と言い何度も命を絶とうとするも幸か不幸か失敗。
やがて実家の地下室に閉じ込められるようになってしまったそうで。
彼は毎晩「生かしておかないでくれ!」「もう全部やめるんだ!」などと叫んでいたそうだが、話を聞いてはもらえず、最低限の世話しかしてもらえない状態で放置されていたそうだ。
一方のミレはというと、借金の返済を求める人たちから逃げていたある晩に崖から転落してしまい命を落としたらしい。
「でもさ、まぁ、なんだかんだで良かったよね」
「私たちが出会えたから?」
「そう! それそれ。それが言いたかったんだ!」
青空は澄んで美しい。
「ええ、私も同じ気持ちよ」
◆終わり◆




