第4話 近づきすぎた距離と、余計なひと言
放課後の家庭科室が、いつの間にか日課になっていた。
バレンタインから一週間。
俺と森山は、週に二回こっそり練習している。
「今日はなに作るの」
エプロン姿の森山が腕を組む。
赤いリボンは外して、髪をひとつに結んでいる。
制服シャツの上からでも分かる丸みが、動くたびにふわっと揺れる。
……見るな。
「今日はクッキー」
「王道ね」
「基本が一番難しい」
「先生みたい」
「先生だからな」
「えらそう」
口ではそう言いながら、森山はちゃんと計量する。
前よりずっと手つきが良くなった。
「潤ってさ」
不意に言う。
「彼女いたことある?」
突然すぎる。
「ない」
即答。
森山の手が一瞬止まる。
「……ほんとに?」
「なんで疑う」
「なんとなく」
生地をこねながら、森山が横目で俺を見る。
「女子、潤のこと普通に話してるよ」
「なにそれ怖い」
「家庭科室でよく見るって」
ばれてるじゃないか。
「別に変な意味じゃないし」
「どうだか」
森山が少しだけむっとする。
オーブンに入れて、焼き上がりを待つ。
甘い匂いが広がる。
そのとき、ドアが開いた。
「おー、やっぱここか」
三浦。
サッカー部エース。
俺の中で微妙に天敵。
「森山、これプリント」
「あ、ありがと」
森山が受け取る。
三浦がキッチン台を見て、にやっと笑う。
「仲いいなー」
「ちがうし」
森山が即答。
なぜかちょっと強い。
「教えてもらってるだけだから」
その“だけ”が、胸に刺さる。
三浦は面白そうに俺を見る。
「潤って料理男子なんだ?」
「まあ」
「モテそうじゃん」
「別に」
森山が口を挟む。
「モテないでしょ」
え。
「なんで」
「なんとなく!」
ツンだ。
三浦は笑って去っていく。
ドアが閉まる。
沈黙。
オーブンの音だけが響く。
「……あいつと仲いいの」
思わず聞いてしまう。
森山が振り向く。
「普通」
「普通って」
「部活で色々手伝ってくれるし」
胸がざわつく。
「じゃあ、この前のチョコも」
「だから義理だってば」
「ふーん」
つい、素っ気なくなる。
森山の眉が寄る。
「なにその態度」
「別に」
「潤、今日なんか変」
「森山が“だけ”って言ったから」
言ってから後悔する。
森山がきょとんとする。
「なにが」
「教えてもらってる“だけ”って」
数秒。
森山の顔がじわじわ赤くなる。
「だ、だって」
「だって?」
「なんでもない!」
オーブンのタイマーが鳴る。
森山が慌てて取り出す。
クッキーは、少し焼きすぎていた。
「……焦げた」
ぽつり。
さっきまで上手くいっていたのに。
「ごめん、私のせい」
「俺が温度見てなかった」
ぎこちない空気。
森山が小さく言う。
「潤はさ」
「ん?」
「誰にでも優しいの?」
「は?」
「女子に教えてほしいって言われたら、教える?」
即答できない。
「……頼まれたら」
森山の目が揺れる。
「じゃあ、私じゃなくてもいいじゃん」
胸が締まる。
「森山だから教えてる」
言ってしまった。
空気が止まる。
森山の頬が赤く染まる。
「……なにそれ」
「他のやつには教える気ない」
本音だった。
森山は視線を逸らす。
「ずるい」
「なにが」
「そういうの、急に言うの」
小さな声。
焦げたクッキーを一枚割る。
「でも」
森山が俺を見る。
少しだけ、デレた目。
「私も、潤だから教わってる」
心臓が跳ねる。
赤いリボンが、今日はない。
でもその代わりに、素直な表情がある。
距離は近い。
まだ恋とは言えない。
でも——
“だけ”じゃ、もうない。




