表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄のあとで、紅茶を淹れました(連載版)  作者: 絵宮 芳緒


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/12

第8話|静かな評価

ローゼンヴァルト公爵家の領地には、派手な変化はなかった。

新しい建物が次々と建つわけでも、劇的な改革が行われたわけでもない。


ただ――

人の動きが滞らず、仕事が自然に繋がり、無理のない形で回っている。

それだけだった。


王都から派遣された視察役は、帳簿を閉じて静かに息を吐いた。


「……数字は控えめだが、無駄がないな」


農地の収穫量。

人員の配置。

使用人と領民の関係。

どれも目立つほど優秀ではない。

だが、綻びがない。


「よく整っている。特別な手を入れている様子もないのに……」


公爵家の縁者が管理している、と聞いていた。

有能な部下が揃っているのだろう――

視察役はそう結論づけ、静かに頷いた。

その評価が、王都へと戻っていく。



一方で、遠く離れた大国――

ヴァルディエール王国の王宮では、別の形でその報告が読まれていた。


「……ベルンシュタイン王国のローゼンヴァルト公爵家、か…」


王は、机上に置かれた報告書から視線を上げる。


数字は控えめだが、伸び方が美しい。

人の流れも、物流も、妙に噛み合っている。


「婚約破棄の件……確か、あの令嬢が一方的に解消を押し付けられたはずだな」


王は、少しだけ考え込むように目を伏せた。


「王太子が手放した令嬢……だったな」


記憶に残っていた。

宴の席で、王子の半歩後ろに控えていた少女。

華やかに笑うことはなく、

けれど、場が揺らげば、いつの間にか整っていた。


静かで、柔らかく、

それでいて不思議と目を離せない存在だった。


「……偶然にしては、出来すぎている」


王は、静かに命じた。


「探ってくれ。目立たぬように…だ」


それから少し後。

――紅茶の香りが、湯気から余韻へと変わった頃。


アンネリースは、屋敷を離れ、近くの庭園を散策していた。

避暑に訪れた貴族の別邸が点在する、穏やかな場所だ。


ふと、風に乗って、香りが届く。


知らないはずの茶葉――

けれど、驚くほど澄んだ、深い香り。


思わず足が止まる。


庭の一角。


木陰に設えられた簡素なティーテーブルで、一人の青年が紅茶を楽しんでいた。

その傍らには、執事姿の男が控えている。


「……珍しい香りですね」


アンネリースがそう声をかけると、青年は驚いたように顔を上げ、そして穏やかに微笑んだ。


「お好きでしたか。よろしければ、ご一緒に」



「田舎の小領主の家の者です。アデル・ヴァルノアと申します」


そう名乗る声音は穏やかで、所作もあくまで控えめだった。


押しつけがましさはなく、距離の取り方も心得ている。


けれど――


立ち居振る舞いの端々に、どうしても隠しきれない品が滲んでいた。



湯気を残したまま、カップが静かに彼女の前へと運ばれる。


白磁に、淡い花の意匠。

それは可憐で、主張しすぎない花をかたどっていた。

朝の光を含んだような淡い黄のドレスと、不思議なほどよく馴染んでいる。


口をつけた瞬間、アンネリースの表情が変わる。


「……これは……」


言葉を失い、気付けば、笑みがこぼれていた。

普段は見せない、少しだけ無邪気な笑み。


「……こんな茶葉、初めてです」


その一瞬を、青年は見逃さなかった。

静かに、けれど確かに、心が動く。


――やはり、彼女だ。


名を明かすのは、まだ先でいい。

その答えを出すのは、まだ先でいい。


ただ今は、この香りと、この時間を、共有できればそれでよかった。

庭に、紅茶の香りが満ちる。

それは、静かな出会いの始まりだった。


「また、どこかで」


それ以上踏み込まない。


「はい。ご馳走さまでした」


アンネリースは一礼し、その場を後にする。



彼女が立ち去ったあと、青年はテーブルに残されたカップに、ふと視線を落とした。

白磁に描かれた、小さなマーガレット。

誠実と、信頼。


そして――心に秘めた愛。

それを口にするつもりは、まだなかった。



その日、誰かが声高に称えることはなかった。


だが確かに――

静かな評価は、少しずつ積み重なり始めている。

王都にも。

そして、遠い大国の王の胸の内にも。


風が庭を抜け、紅茶の香りがゆっくりと薄れていく。


けれど、その余韻だけは、確かに残っていた。

まだ名も持たない感情が、

静かに芽吹いたことを。


まだ、それを言葉にする者はいなかった…。


登場人物


アンネリース・フォン・ローゼンヴァルト

18歳/ローゼンヴァルト公爵家令嬢

王太子との婚約を一方的に解消された後、実家の領地で静かに暮らしている。

派手に目立つことはないが、物事を整え、人と人の間に無理のない距離を作ることに長けている。

自覚はないものの、周囲に安心と安定をもたらす存在。

紅茶を好み、香りや余韻を大切にする。

穏やかで控えめだが、芯は強く、必要な線引きを決して曖昧にはしない。



アレクシス・フォン・ヴァルディエール

ヴァルディエール王国の若き国王。

28歳。

即位して数年、年若いながらも政務は安定しており、「落ち着いた王」と評されている。

身長は高く、姿勢が良い。

細身ながら鍛えられた体つきで、かつて騎士としての訓練を受けていたことが窺える。

淡いプラチナブロンドの髪と、澄んだ青灰色の瞳を持つ。

微笑みは控えめだが、ふとした瞬間に年相応の優しさが滲む表情を見せる。

理性と感情の均衡を大切にする王であり、

静かに物事の本質を見極めようとする観察者でもある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ