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婚約破棄のあとで、紅茶を淹れました(連載版)  作者: 絵宮 芳緒


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第7話|それでも、救われる人がいる

アンネリースは、その様子を少しの間だけ眺めてから、紅茶に手を伸ばした。



特別な朝ではない。

けれど、この静けさは嫌いではなかった。


指先に触れるカップは、白磁に淡い花の意匠が施されたものだ。

細く描かれた鈴なりの小花は、控えめで、けれど目を凝らすと確かな存在感がある。

――スズラン。

安定と平和、そして守護を意味する花。

カップから立ちのぼる紅茶の香りは穏やかで、

書簡や噂が運んでくる緊張を、無理に押し返すこともない。


窓の外に目を向けると、庭先では領地の人々がそれぞれの持ち場で静かに作業を進めていた。


使用人たちは無駄のない動きで、互いの邪魔をしない距離を保ちながら仕事を進め、

子供たちはその足元を縫うように行き交い、ときおり小さな笑い声を立てていた。

誰かが声を張り上げることも、誰かが指示を待つこともない。

けれど、確かに回っている。

それぞれが、自分の役割を理解しているからだ。


アンネリースは、その様子に小さく息を緩めた。


――ここは、静かで、守られている気がした。


そんな中、屋敷に控えめな訪れがあった。

慌ただしさを伴わない、しかし確かな目的を持った気配。

それは、領地の端に住む者からの相談であり、

あるいは使用人の家族に関わる小さな問題であり、

またある時は、行き場を失った子供が連れられてくることもあった。


「お嬢様、こちらに……」


呼ばれれば応じる。


けれど、アンネリースは決して前に出過ぎない。

必要以上に手を差し伸べることも、答えを与えることもしない。

それでも、人は彼女のもとに集まった。

話を聞き、状況を整理し、

できることと、できないことを静かに線引きする。

それだけだ。


「ここなら、話をしながら落ち着いて考えられると思います」


その一言が、どれほど人を救うのかを、彼女自身はまだ、深く意識していなかった。

再び席に戻り、紅茶を口に含む。

柔らかな味わいが、舌の上でほどける。

ふと、カップの内側に描かれた小さな花が視界に入った。

主張しすぎず、けれど確かにそこにある意匠。


――知らないままでいいことも、ある。


――踏み込まない優しさも、ある。


そんな考えが、自然と胸の奥に静まった。


遠くで、馬の蹄の音が聞こえた気がした。

それが誰のもので、どこへ向かうのかは分からない。


ただ、いずれこの静けさに、外からの視線が差し込むことだけは予感できた。


それでも今は、まだ…。

アンネリースは、カップを置き、穏やかな庭をもう一度眺める。


守られる場所で、守るべき日常を、今日も丁寧に紡いでいく。

そのことが、どこかで誰かを救っていると、知らぬままに。



――紅茶の温もりが、少し落ち着いた頃。

屋敷の門番が、応接間へ続く扉を控えめに叩いた。


差し出されたのは、一通の封書。

厚手の紙に、見慣れないが格式を感じさせる封蝋が押されている。


アンネリースは、それを受け取りながらも、すぐには開かなかった。

指先に伝わる重みだけで、十分だったからだ。

差出人の名は書かれていない。

けれど、その紋様を知らないわけではない。



――遠くにあるはずの場所から、静かに、確かに、こちらを見ている視線。


アンネリースは、そっと封書を卓上に置いた。

今はまだ、紅茶の温もりが残っている。


その答えを出すのは、まだ先でいい…。


そう思いながら、彼女はもう一度だけ、庭に目を向けた。

ここで守られている日常が、いずれ誰かの目に、価値あるものとして映るのだとしても――。


今はただ、救われる人がいる、この場所を。

アンネリースは、静かに受け止めていた。

登場人物



アンネリース・フォン・ローゼンヴァルト

18歳/ローゼンヴァルト公爵家令嬢

物静かで礼儀正しいが、内面は非常に落ち着いている。

一人の時間と紅茶を愛する。婚約破棄にも動じない安定した自己肯定感の持ち主。

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