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第2話|何も持たずに、屋敷を出る

翌朝、目が覚めたとき、涙の跡はどこにもなかった。

それを確認してから、私はゆっくりと身を起こす。


柔らかな羽毛を重ねた寝具は、身体を包み込むように温かい。

白と淡い金でまとめられた天蓋付きのベッド。

ここは、昨日までと何ひとつ変わらない私の部屋だった。


枕元には、読みかけの本がきちんと伏せられている。

途中で放り出した形跡もない。


昨夜の自分が、きちんと眠る準備をしていたことがわかる。

カーテンの隙間から差し込む光は、いつもと同じ。

婚約が破棄されようと、朝は来るらしい。


「……さて」

静かに息を吐いて、立ち上がる。


クローゼットを開く。

並んだドレスの中から、私は実用的な一着だけを選んだ。

落ち着いた灰青色のワンピース。

装飾は控えめで、上質なウール地。

華やかさよりも、動きやすさと保温性を優先した服だ。


荷物は少なくていい……。


というより、必要なものは最初から多くはなかった。


部屋を出ると、廊下で年配の侍女が待っていた。


「お目覚めでございますね、お嬢様」

白髪交じりの髪をきちんとまとめ、背筋の伸びた女性。

私が幼いころから使えてくれている者だ。


「おはよう、マルガレーテ……グレーテ」


「はい」

彼女は微笑んで、小さく頭を下げた。


余計なことは聞かない。

それが、彼女の優しさだった。


玄関へ向かう途中、家族と顔を合わせる。

兄は何も言わず、私の進路を尊重してくれた。

――兄、ルートヴィヒは昔からそういう人だ。


妹は、少しだけ怒っていたけれど。

――妹のエリーゼは、私の手を強く握ってくれた。


「……体にだけは、気をつけて」


「ええ」

それで十分だった。



屋敷を振り返る。

生まれ育った場所。

守られてきた場所。

白亜の外壁に、手入れの行き届いた庭園。


子どもの頃、兄と妹と駆け回った噴水のそば。

叱られた日も、褒められた日も、すべてここにある。


「行ってまいります」

静かにそう呟いて、馬車へ乗り込む。

車窓から見える景色が、少しずつ変わっていく。

整えられた街路から、素朴な田園へ。



昔、父に連れられて、領地視察に同行したときのことを思い出す。

静かな場所で飲んだ、少し渋い紅茶。

あの味は、嫌いではなかった。


やがて、馬車は小さな音を立てて止まった。

――これから暮らす、田舎領地の入口で。

私は一度だけ深呼吸をして、扉の外へ視線を向けた。

登場人物


アンネリース・フォン・ローゼンヴァルト

18歳/ローゼンヴァルト公爵家令嬢

物静かで礼儀正しいが、内面は非常に落ち着いている。

一人の時間と紅茶を愛する。

婚約破棄にも動じない安定した自己肯定感の持ち主。



ルートヴィヒ・フォン・ローゼンヴァルト

25歳/アンネリースの兄

理性的で寡黙。妹の選択を尊重するタイプ。

感情を表に出さないが、家族思い。



エリーゼ・フォン・ローゼンヴァルト

15歳/アンネリースの妹

素直で感情表現が豊か。

姉の婚約破棄に憤りつつも、送り出す強さを持つ。



マルガレーテ(愛称:グレーテ)

年齢非公開/ローゼンヴァルト家侍女

長年アンネリースに仕える年配の女性。

穏やかで口数は少ないが、深い信頼関係がある。

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