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婚約破棄のあとで、紅茶を淹れました(連載版)  作者: 絵宮 芳緒


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第12話|紅茶の湯気の向こうに

朝の支度を整える音が、屋敷の中に静かに満ちていた。


カーテン越しの光はやわらかく、風に揺れる庭木の影が床に淡く落ちている。


アンネリースは鏡の前で髪を整え、ふと自分の表情に気づいた。

張りつめたものは、もうどこにもない。

肩の力が抜け、呼吸は自然で、心は穏やかだった。


本邸に戻ってからの日々は、驚くほど静かだ。

それは何も起きていないからではない。

選ばなかった未来が、完全に遠ざかったからだった。


朝の紅茶は、いつもの白茶。

花のように淡く、けれど芯のある香りが立ちのぼる。


以前、アレクシスから贈られたティーカップを両手で包み、湯気の向こうに広がる庭を、静かに眺めていた。


――今日も、良い一日になりそう。


そんな確信が、理由もなく胸に落ち着いていた。



昼前、屋敷に来客があると告げられた。

慌ただしさはない。

事前に知らされていたからだ。


アンネリースは玄関ホールへと向かう。

そこで待っていたのは、変わらぬ穏やかな佇まいの男だった。


「お久しぶりです、アンネリース嬢」


アレクシス・フォン・ヴァルディエール。

王であるはずの彼は、今日も威圧感のない距離を保っている。


「お越しいただき、ありがとうございます」


形式的な挨拶を交わしながらも、二人の間に緊張はなかった。

並んで歩く足取りは自然で、誰かに見せるための姿ではない。


庭に面した小さなサロンで、紅茶が用意された。

香りが立つと同時に、空気がやわらぐ。


「相変わらず、お好きな茶葉を選ばれていますね」


「ええ。今日は、この香りが合う気がして」


会話は多くない。

沈黙が、気まずさではなく、共有される時間としてそこにある。


アレクシスは、用件を長々と語らなかった。

近況を少し。

この国に滞在している間、帰国前にどうしても、一度だけ挨拶をしておきたかったこと。

それだけ。


「……お時間を取らせてしまいましたね」


「いいえ」


アンネリースは、自然にそう答えていた。


無理をしていない。

応えようとしているわけでもない。

ただ、この時間を受け取っている。


別れ際、アレクシスは一歩だけ距離を詰め、穏やかに告げた。


「次に会うときは、あなたの選んだ時間で」


約束ではない。

期待でもない。

選択権を、はっきりと彼女に残した言葉。


アンネリースは、少しだけ考え、微笑んだ。


「ええ。そのときは」


それ以上、何も付け加えなかった。


彼の背中が見えなくなった後、アンネリースは一度サロンへ戻り、もう一杯、紅茶を淹れ直した。


手に取ったのは、以前アレクシスから贈られた、もう一つのティーカップ。

その意匠は対になっていながら、どこか異なっている。

重ね合う蔓と蔓の間には、わずかな余白が残されていて、完成されきっていないようにも見えた。


それは、縛るための形ではなく、これから先を受け入れるための余地を持つ器だった。


湯を注ぐと、静かな音とともに香りが立ちのぼる。


——選ぶことも、待つことも、離れることさえ、すべて彼女自身に委ねられている。


アンネリースはカップを両手で包み、その温もりを確かめるように、そっと息をついた。


湯気が立ちのぼる。

カップを口に運ぶ。


――今日も、紅茶が美味しい。

胸の奥に、静かな確信がある。


誰かに決められた未来ではない。


逃げた結果でもない。


選んできた結果が、今ここにある。


窓の外では、庭が穏やかに息づいている。


この先、どこで、誰と生きるかは、まだ決まっていない。

けれど――


「これからの人生は、私のもの」


その言葉は、独り言のようでいて、確かに未来へ向けた宣言だった。


紅茶の湯気の向こうに、

静かで、自由な道が続いている。

登場人物



アンネリース・フォン・ローゼンヴァルト

18歳/ローゼンヴァルト公爵家令嬢


王太子との婚約を一方的に解消された後、実家の領地で静養の日々を過ごし、現在は本邸に戻っている。

派手に目立つことはないが、物事を整え、人と人との間に無理のない距離を作ることに長けている。

自覚はないものの、周囲に安心と安定をもたらす存在。

紅茶を好み、香りや余韻を大切にする。

穏やかで控えめな佇まいの奥に、揺るがない芯を持ち、「選ばれる」よりも「自分で選ぶ」ことを、静かに大切にするようになった。

必要な線引きを、決して曖昧にはしない。



アレクシス・フォン・ヴァルディエール

ヴァルディエール王国の若き国王/28歳


即位して数年、年若いながらも政務は安定しており、「落ち着いた王」と評されている。

身長は高く、姿勢が良い。細身ながら鍛えられた体つきで、かつて騎士としての訓練を受けていたことが窺える。

淡いプラチナブロンドの髪と、澄んだ青灰色の瞳を持つ。

微笑みは控えめだが、ふとした瞬間に年相応の優しさが滲む。

理性と感情の均衡を重んじ、相手を縛らず、答えを急がせない距離感を自然に保つ人物。

静かに物事の本質を見極めようとする観察者でもある。


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