表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄のあとで、紅茶を淹れました(連載版)  作者: 絵宮 芳緒


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/12

第11話|選ばなかった未来に、別れを告げて

本邸に戻ってから、数日が過ぎていた。


屋敷の生活は静かで、驚くほど整っている。

アンネリースは自室の窓辺に立ち、庭の木々が風に揺れるのを眺めていた。

心は穏やかで、波立つものは何もない。


――もう、振り返る理由がない。

それは決意ではなく、事実だった。


昼前、アンネリースが自室で窓辺に立っていると、グレーテが控えめに自室の扉をノックした。


「アンネリース様。少しよろしいでしょうか」


「ええ、どうぞ」


扉の外から差し出されたのは、一通の書状と、簡潔な口頭報告だった。


内容は、王宮内で静かに広まりつつある“噂”について。

幽閉された王太子クラウスは、正式に公の場から姿を消したこと。

婚約破棄に関する責任は彼自身に帰され、

今後、政治の表舞台に戻る可能性は極めて低いということ。

誰かが断罪したわけではない。

大きな裁きも、劇的な処遇もない。

ただ――彼の居場所が、自然と失われただけだった。



アンネリースは、話を遮ることなく最後まで聞き、静かに頷いた。


「そう……」


それ以上の言葉は出てこない。

怒りも、悲しみも、安堵すらもなかった。

胸の中にあるのは、淡い理解だけ。


――彼は、もう私の人生に関わらない。


それが、すべてだった。


グレーテは一歩下がり、様子を窺うように視線を向けたが、アンネリースの表情が変わらないのを見て、何も言わずに頭を下げた。


「知らせてくれて、ありがとう」


それは形式的な礼ではなく、心からの言葉だった。

グレーテが部屋を出たあと、アンネリースは机に向かい、しばらく何も書かれていない便箋を見つめる。


かつては、

「どう伝えるべきか」

「どう受け取られるか」

そんなことばかりを考えていた。


今は違う。

――書かない、という選択もある。


彼女は便箋をそっと引き出しにしまい、代わりに紅茶を淹れた。

香りが立ちのぼり、部屋の空気がゆるやかに満ちていく。


過去を清算した感覚はない。

ただ、もう“続き”が存在しないだけ。

それは拍子抜けするほど静かで、同時に、これ以上ないほど確かな終わりだった。


午後になり、庭を歩く。

兄が遠くから軽く手を挙げ、妹が笑顔で駆け寄ってくる。


誰も、噂の話をしない。


アンネリースも、話題にしない。


必要がないからだ。


夕刻、自室に戻ると、今度は一通の正式な書簡が届いていた。

差出人は、ヴァルディエール王国王宮。

封蝋は控えめで、威圧感はない。

内容は短い。


近く、本邸へ立ち寄る予定があること。

長居はしないこと。

都合が合えば、挨拶ができれば嬉しい――それだけ。


招請でも、要請でもない。

断る余地をきちんと残した文面。

アンネリースは読み終え、手紙を机に置いた。


心は静かだった。

高鳴りも、不安もない。

けれど、拒む理由も浮かばない。


「……不思議ね」


以前の自分なら、

期待に応えられるか、相手を失望させないか――

そんなことを先に考えていたはずなのに。


今、胸にあるのは、ただ一つ。


――会っても、会わなくても。

――私は、私のままでいられる。


その確信が、揺るがない。

夜、窓辺で紅茶を飲みながら、アンネリースは空を見上げた。


過去に別れを告げた実感はない。


けれど、もう振り返らないことだけは、はっきりしている。


選ばなかった未来は、静かに遠ざかっていく。


そして彼女の前には、

まだ名前を持たない、穏やかな時間が残されていた。


登場人物



アンネリース・フォン・ローゼンヴァルト

18歳/ローゼンヴァルト公爵家令嬢


王太子との婚約を一方的に解消された後、実家の領地で静養の日々を過ごし、現在は本邸に戻っている。

派手に目立つことはないが、物事を整え、人と人との間に無理のない距離を作ることに長けている。

自覚はないものの、周囲に安心と安定をもたらす存在。

紅茶を好み、香りや余韻を大切にする。

穏やかで控えめな佇まいの奥に、揺るがない芯を持ち、「選ばれる」よりも「自分で選ぶ」ことを、静かに大切にするようになった。

必要な線引きを、決して曖昧にはしない。



アレクシス・フォン・ヴァルディエール

ヴァルディエール王国の若き国王/28歳


即位して数年、年若いながらも政務は安定しており、「落ち着いた王」と評されている。

身長は高く、姿勢が良い。細身ながら鍛えられた体つきで、かつて騎士としての訓練を受けていたことが窺える。

淡いプラチナブロンドの髪と、澄んだ青灰色の瞳を持つ。

微笑みは控えめだが、ふとした瞬間に年相応の優しさが滲む。

理性と感情の均衡を重んじ、相手を縛らず、答えを急がせない距離感を自然に保つ人物。

静かに物事の本質を見極めようとする観察者でもある。



クラウス・フォン・ベルンシュタイン(元婚約者)

18歳/ベルンシュタイン王国第一王子


王族らしい自信家。両親の庇護のもとで育ち、喝采や舞台に慣れている。

伴侶には、自分を引き立てる存在を求める傾向があった。

王宮内の混乱や、周囲の歪みに対しては無自覚。

アンネリースの不在を知り、うまくいかないのは彼女がいないからだと思い込んでいる。

彼女が戻れば、かつての関係も当然のように戻ると信じていたが、その思いはすでに彼女の人生には影を落とさない。



マルガレーテ(愛称:グレーテ)

年齢非公開/ローゼンヴァルト家侍女


長年アンネリースに仕えてきた、落ち着いた物腰の女性。

穏やかで口数は少ないが、主の変化を誰よりも早く察する。

問いただすことも、答えを求めることもせず、必要なときに必要な距離で寄り添うことを心得ている。

言葉にせずとも通じ合う、深い信頼関係でアンネリースと結ばれている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ