第三話 囁く地下と影なす少女
それは、逃げ場のない追跡だった。
夜の教会に現れた魔獣。
放たれた咆哮。
少女たちは必死に抗う。
そして――崩れる床。
二人の身体は、闇の底へと沈んでいった。
その先に何が待つのかを知らぬままに。
ミレアが引いたあの引き金は、世界の理を揺るがす“始まり”だったのかもしれない。
地下へと続く朽ちた石階段を滑り落ちる寸前、ルナの叫びが闇の中で木霊した。
「――障界降翔陣!」
淡い蒼光が二人を包み、降下の衝撃をやわらげる。
ミレアとルナは、苔むした床に音もなく着地した。
「……ふぅ。ギリギリ、間に合ったね」
「ルナ、ありがとう。助かったよ」
互いの無事を確かめる暇もなく、二人の前に“それ”は立っていた。
黒いローブに身を包み、銀の仮面をつけた少女――
だがその容姿は、どう見ても十代前半の少女にしか見えない。
白磁のような肌と銀色の髪、瞳だけが不自然に深い紅を灯していた。
仮面は蛇の顔を模したもので、艶やかで妖しげな装飾が施されている。
無機質な美しさと、どこか妖艶さを孕んだ得体の知れない存在感。
「貴女たちが落ちてくるとは、予定外だったわ。けれど、興味深い」
彼女は一歩前に進む。
その動きは無音で、まるで空気すら拒むようだった。
「あなたは……誰?」
警戒するミレアの前で、仮面を外す。
そこにあったのは、冷めた灰色の瞳――どこか人ならぬ雰囲気と深い知識を漂わせている。
「私の名はラミア・ヴェルゼリオ。“黒環の楔”の第七環“蛇眼”よ」
「黒環の楔……?」
「ゼルグレア王国の影で動く者たち。そう呼ばれているけれど、それは真実の一端に過ぎない」
ラミアが視線を向けたのは、崩れた壁の先。そこには巨大な封印陣が刻まれた空間が広がっていた。
中心には、砕けた神像の台座。そして、巨大な爪痕と焦げ跡――それは先日、教会でミレアたちが遭遇した魔獣“冥咆覇牙”の痕跡に酷似していた。
「まさか、あの魔獣は……ここに?」
「ええ。あれは封じられていたの。この教会の地下深く、誰にも知られぬようにね」
ラミアは静かに語る。
「冥咆覇牙は本来、古代帝国の守護獣だったのよ。ある遺構を守るための、ね。封印の鍵でもあり、門番でもあった……」
「長い月日が経ち、制御装置は破損し冥咆覇牙は暴走。教会の聖職者たちは、封印によってその存在を抑え続けていた。だがその代償として、封印の管理者は長い年月の中で“命ある者”ではなくなったのよ」
「彼はもはや生者ではない。ただ“そこにいる”だけの番人。だから魔獣は彼に興味を示さなかった」
「……!」
ルナが小さく息を呑んだ。そう――ミレアたちが見たあの異形の聖職者が、魔獣に襲われなかった理由。
それは単に“敵意がないから”でも、“結界の外にいたから”でもなかった。
すでに人間としての命を失い、魔獣の感知の外にある存在だったからだ。
「……でも、どうして魔獣が封印を破って?」
「それを導いたのが“教会の意思”か、“楔”の内の誰かか……それは、これから確かめる必要があるわ」
ラミアの言葉は、まるで冷たい刃のように切り込んできた。
「君は“黒環の楔”って名乗ったよね。私たちに何を求めているの?」
「それは、いずれ貴女自身が選ぶこと。けれど――この先にある“遺産”に触れる前に、知っておくべきことがある」
ラミアは懐から、古びた魔導書の断片を取り出す。
その一頁には、ミレアが見たことのある形状の銃――彼女が母から託された“MP18”によく似た兵装の図解が描かれていた。
「これは……!」
「“アマリエ・クラウゼ”、かつて古代帝国“レル=フェリス”に存在した魔導兵器技師。彼の魔術と技術を融合させた異端の兵装。選ばれし適合者にしか起動できない、封印された対魔獣兵器」
「その名は“ヴァルミナ”――古代語で“霧の中に立つ咆哮”を意味する」
ラミアの灰色の瞳が、ミレアを見据える。
「そしてその血が、今も生きている」
封印の空間に、重く沈んだ空気が満ちる――
ミレアの腰に巻かれたマガジンポーチ。
その重みと、母から託された銃の意味が、ゆっくりと繋がっていく。
「ヴァルミナ……霧の中に立つ咆哮……」
ミレアは呟いた。
その時――静寂の地下聖堂に再び、あの、重く、軋むような音が響いた。
「……嘘、また来たの……?」
レミアが震える声で呟いた瞬間、崩れかけた天井の裂け目から何かがずるりと滑り落ちてくる。
それは、灰色の皮膚に黒い斑紋を持つ巨大な獣――冥咆覇牙だった。
しかし今度のそれは、先ほど教会内で遭遇した時よりもさらに異様だった。
肩のあたりには、封印具の残骸と思しき金属の枷が砕けたままぶら下がっている。
抑えが外れ、より純粋な“本能”だけを残したかのような殺意。
「……おいおい、またやんのかよ……」
ルナが小さく呟き、ミレアは静かにMP18――いや、“ヴァルミナ“のトリガーに指をかけた。
ヴァルミナ――かつて古代帝国の魔導技師アマリエ・クラウゼが創り出した、対魔獣兵器。
魔力適合者にのみ反応し、ミレアとその母クラリッサだけがその引き金を引くことができる。
(来る……!)
そのとき、ラミアがほんの一歩だけ前へ出た。
妖しくも澄んだ灰色の瞳が冥咆覇牙をじっと見据える――
口元が、かすかに歪んだ。
「……やれやれ。まったく、人間たちの運命というのは、どうしてこうも“繰り返す”のだろうね」
それは諦念でも嘲笑でもない、ただすべてを知った者のような静かな独白だった。
空気が、弾けた。
灰色の咆哮が地下に響く。
三人の少女は咄嗟に動き、それぞれが戦いの構えを取る。
――物語は再び、戦火の中へと還る。
【登場人物解説】
クラリッサ・ヴァイゲルト
ミレアの母。
異世界ゼルグレアに転移してきた異邦人であり、この地で隠遁生活を送っていた。
かつて遺跡で偶然発見した対魔獣兵器“ヴァルミナ”を手にしたことが、彼女の運命を大きく変えていく。
静かで優しげな人物ながら、確固たる信念を持っていたことが娘・ミレアにも影響を与えている。
ラミア・ヴェルゼリオ
教会の地下遺跡でミレアたちが出会った、謎めいた灰色の瞳を持つ少女。
外見は十代前半に見えるが、どこか人ならぬ雰囲気と深い知識を漂わせている。
黒環の楔のメンバーである第七環“蛇眼”でもある。
その正体や目的は明かされていないが、古の封印や魔獣に関する情報に通じている。
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
次回の更新は【4月23日】を予定しています。
レビューや評価をいただけたら、何よりの励みになります。
旅路の続きを紡ぐ力に、どうか少しだけお力を貸してくださいね。