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【解決編】

【クソビッチ。早く死ね】


 亜美はスマホの画面に浮かんだ見知らぬ人からのメッセージを見る。またか。数日前から急に知らない人からメッセージを受け取る様になった。Xは互いに相互フォローしていないと、投稿内容を見れないように設定しているはずなのに。どうやって以前呟いた投稿にこの人たちはコメントを残すことができるのか。亜美はその方法が良く分からずに首をひねる。でも、ま、いっか。気にしてもしょうがない。制服のスカートにスマホを入れて、いつものように彼女の家の玄関チャイムのベルを鳴らす。


ピンポーン


「は~い」


 インターホン越しに元気な彼女の声が聞こえ、バタバタと少し玄関口が騒がしくなってきた。そして勢いよくその玄関の扉は開かれる。


「菜々ー。今日も来た~!!」

「もう全然大丈夫だって!亜美ってば、心配しすぎ」


 あの不思議な出来事から数日後。

 亜美は、毎日菜々のもとへ通っていた。菜々はもうすっかりといつもの調子を取り戻しており、ヒステリックに陥ってた時の状態の面影もなく、今ではすっかり見違えるほど生き生きとしていた。きっと茉莉花の呪いが完全に解けたのだろう。そう信じたい。


「いや、まだまだ油断大敵だよ」ニヤリと怪しく微笑む亜美。「てか、菜々の学校ってまだ休校なんでしょう?そんな噂が今日回ってきたよ」

「まぁね…。残念ながら…」眉を下げる菜々。「ほら、実際さ、そんなに月日が経っていないのに、二人もウチの学校の生徒が亡くなってるじゃん?マスコミも騒ぐし、保護者会でも問題になるし…。もうしばらくは休校が続くと思う…」

「そういえばさ、この前亡くなった子って…」亜美は少し戸惑いながら話を紡ぐ。「菜々を呪ってた子かもしれないんでしょう?」

「うーん。なんかそうみたいだね。噂で私も聞いた」菜々はまるで他人事のように淡々と答える。「でも、あくまで噂だもの。本当にその子が裏垢で茉莉花の記事をリポストして、私を呪ったのかなんて分かんない。みんなはさ、自業自得の天罰だっていうけれど、あんな恐怖を体験したからこそ、憶測で人を貶めるような発言はしたくないの…。知らない人から色んな事言われるのって、結構心にダメージ食らうしね…」

「そっか…。まあ、私としては、菜々に対する呪いが解けて良かった、っていうのと、何で嘘をついてまで呪いの力を頼ろうとしたのか、っていう犯人への怒りとで、実際は複雑なんだけどね…。犯人が亡くなったら亡くなったで、怒りをどこにぶつけていいのか…。今本当に宙ぶらりん状態で、感情が迷子中…」



ピコン ピコン ピコン



 二人の会話に少し間が空いた時だった。亜美の携帯からメッセージの着信を告げる音が数回連続して鳴った。


 亜美はスマホの画面を上の方だけスカートのポケットから出して、通知内容をチラ見する。


【クソビッチ】

【死んでください】

【盗人女狐】


 誰かが亜美のXにそうコメントを残した。それを再度知らせるものだった。


「おばさんから?」

「え、あ…。うん…」菜々の問いかけに一瞬戸惑う亜美。何事もなかったかのようにヘラっと笑う。「ほら、近場であんなことがあったからさ、早く帰ってこいって最近うるさくてうるさくて…」


 でも菜々には誤魔化しはきかない。長年親友をやっているんだもの。亜美の笑顔の違和感にすぐに気が付く。


「明日、ここから学校登校すれば?せっかくだし久々に泊って行ってよ!おばさんには、うちのお母さんから電話させるし、夜通し話そうぜぇ~」

「いや、でも…」

「助けてくれたお礼してないしさ、いいじゃん!いいじゃん!!」


 こんな感じで半ば押し切られるカタチで、菜々の家に泊まることとなった。



*****



「本当にあの日、菜々と一緒にいてくれてありがとう」

 菜々のおばさんは亜美の手をぎゅっと握って、声を震わせながら何度も何度も感謝の意を述べた。私は何もしていない。ただ恐怖に怯えながら、菜々に対する茉莉花の理不尽な呪いに怒っただけ。それに、茉莉花が菜々への呪いを解いたのは私の力ではなくて、それはきっと…。


「おばさん、私は本当に何もしてませんよ。全ては晃大のおかげなんですから」


 晃大の愛の力だ。どれだけ亜美が茉莉花に怒鳴っても何も変化はなかったのに、晃大が ”菜々は俺の正真正銘の彼女だ” と言ったあとから空気ががらりと変わった。だから絶対に晃大の愛の力で呪いが解けたのだ。亜美はそう信じている。


 その後、おばさんのご飯にお呼ばれして、お風呂に入って、菜々のパジャマを借りて菜々の部屋の隣の和室へと二人で向かう。実は、菜々の部屋の窓ガラスはまだ割れたまんま。なにせ彼女の自室の窓ガラスは、既製品のサイズではない、とのことで取り寄せ中だから。


「泥棒がこっそり忍び込んできても、茉莉花の時よりは驚かなそうなんだよね」


 これが最近の菜々の口癖。


 二人仲良く畳の上に敷いてある布団の上に横になる。一人じゃなくてよかった、と思う。家で一人でいるとあれこれ考えてしまうけれど、菜々が隣にいるだけでこんなにも心強い。


「ねえ、亜美?」菜々の少しかしこまった声が右から聞こえてくる。「単刀直入に聞いていい?」


 亜美は迷った。どうしようか。ようやく普通の生活を取り戻せた菜々に、また辛くて怖いトラウマを思い出させることになるかもしれないのに…。亜美は菜々に言葉を返せないでいた。でも、菜々は亜美に本当に単刀直入に聞いてきた。


「今度は亜美が呪われてるんじゃない?茉莉花に」



*****



 急激に喉に乾きを覚える。菜々の洞察力にさすがだな、と感心する一方で、知られたくなかった、という複雑な思いも芽生えていた。


「ごめんね、亜美。もしかして私に黙ってようって思ってた?」


 本当に心を見透かされているな、と思う。菜々の視線が亜美の横顔へとヒシヒシと突き刺さってくるのを感じた。でも亜美は菜々の方に顔を向けないでいた。自分だけは絶対に人に嫌われていないと思っていた。だから誰かに呪われたかもしれない、という事実がとてつもなく恥ずかしいことのように思えてしまったのだ。優しい明かりを灯している豆電球を眺めながら、菜々の方を向くことなく、無言のまま軽く首を縦に振った。


「やっぱり…。ゴメンね、こんなこと知られたくなかったんでしょう?でも、たまたま目に入ったの。亜美のXの通知の内容が。亜美ってさ、友達以外は投稿とか見れないように設定してあるでしょ?それなのに誹謗中傷のコメントが来るってことは、もしかして…、って思って…」

「そっか。見られてたか…。隠し通せると思ってたんだけどな…」亜美はポリポリと頭をかく。菜々のこの勘のするどさ。きっとこれ以上隠し通せることなんてできないかもしれない。「でもね、知らない人から、変なメッセージが送られるようになったのは本当につい二日ほど前からなの。最初は普通に、ナニコレ?って感じでスルーしていたんだけど…。昨日もさ一日中続いて…。ふと菜々が前教えてくれたことを思い出してさ。私も自分の名前でエゴサしたの。そしたらさ、あった。AKIRA.Mっていう名前のアカウントの人が、茉莉花の記事をリポストして、私を呪って、って投稿してあったの」

「…」

「アキラって知り合いはいないから。多分、誰かの裏アカウントなんだと思う。いったい誰が私のことを呪おうと茉莉花の記事をリポストしたんだろうって思って、その人の前の投稿とかよく見たらね、結構前からかなりの量で私の名前でリポスト投稿されてたの…。それこそ、数か月前もから。ショックだった。私、誰かからそんなに恨まれているんだって。学校の友人と話す度にこの子が私を恨んでるのかもしれないって思うと、その子に対して笑顔で接っすることが難しくなって来ちゃって、自分の事も嫌になってしまうようになって…。だからね、逃げるように菜々のお見舞いに来たの。幻滅した?」

「そんなふうに思わないで!私は来てくれて嬉しいよ。あの時助かったのは、亜美は晃大のおかげっていうけれど、私は亜美の力もあったと信じているんだし。それにね、Xに投稿されたポストは、絶対に誰かの逆恨み。或いはきっと誰かが勘違いして投稿したんだよ。亜美はそんな子じゃないって、私ずっと前から知ってるから分かる。ねぇ、そのアキラって人のXに、特定のヒントになりそうな、彼氏とかの名前とかは書かれていないの?」

 亜美は首を横に振る。

「書かれてない。だから、誰が私を恨んでいるのか全くもって検討がつかないの…」


 菜々と亜美は暫く考えこむ。


「亜美?」

「ん?」


「今度は私が救うからね」


「ありがと」


 菜々のその言葉だけで、亜美は元気がでる。


「とりあえずさ、菜々みたいにスマホは壊さないことにした。だって壊れたスマホからメッセが大量に来たり、茉莉花が直接私に会いに来るとか、考えただけでホラーなんだもの」

「ふふ。確かに。あれは本当に精神的に参るからね、やめておいた方がいい」


 フフフと二人で笑いあって、穏やかに眠りについた。

 でも、穏やかだったのはこの日までだった。



*****



 次の日、亜実は菜々の家から学校へ向かった。


 電車に乗っている時、【生きてる価値ある?】【学校行かずに地獄に行けよ】【いつ死ぬの?】みたいな心傷つくメッセージを大量に受信した。でも亜美はマナーモードにはすれど、決して携帯本体の電源を落とすことはなかった。もし落としたら、茉莉花が来て、菜々がヒステリックに陥らざるを得なかったあのような惨劇が自分の身にも起こるかもしれない、と思って。


「おはよう」


 兎に角、まずは誰が自分を呪おうとしているのか。それを突き止め、その人にどうして自分を呪おうとしたのか。自分の何が気に食わないのか。亜美はそのことをまずは一番に知りたい、と考えていた。ぐるぐると頭の中で誰が犯人なのか考える。あの子なのか、それともあの子なのか…。それは誰の声も聞こえなくなるほど熱心に…。


「おーはーよー!!!」

「きゃっ」


 耳元で大きな声がして亜美は飛び跳ねた。横を見る。紗智が眉を下げてこちらを見ていた。


「亜美、おはよ。どしたの?何回も声かけたのに、そんな心ここにあらず、みたいな状態で…」

「ごめん。ちょっと考え事してて…」ずっと誰が犯人なのかと考えていたから、誰の声も聞こえなかった。亜美は自分の複雑な気持ちを紗智に悟られぬよう、努めて明るく返答を返す。「それにしても、今日も一緒に登校?相変わらず仲良しだね~」


 紗智の隣にはいつもと変わらず、悠太の姿があった。二人は中学の頃からお付き合いしている、熟年カップル。悠太とはクラスが同じになったことはないけれど、紗智経由で知り合った数少ない高校の男友達だ。ふと思う。もしかして紗智が私を呪ったの?と。


「ま、同小、同中で家も近いしね。それより考え事ってなになに??もしかして、恋…とか??」

「違う違う。全くそんなんじゃないよ!」


 目を輝かして問いかけてくる紗智に亜美はいつも以上に全力で否定する。ただでさえ、誰かに恨まれているかもしれないのに…。これ以上、恋だの恋愛だの言って、知らない人の恨みを買いたくなんてない。


「怪しい~」ニヤニヤ不気味な笑みを浮かべる紗智。「なんでそんなに必死に否定するのよ~。こらーはけー!!!!」


 紗智が抱き着いてくる。そしてその様子を愛おしそうに見つめている悠太。その悠太の眼差しに亜美は自分が恥ずかしくなった。少しでも親友を疑ってしまった自分に。

 紗智は紗智だ。こんなに仲のいい彼氏がいて順風満帆なのに、ただ毎朝悠太と挨拶程度にしか話さない私のことを彼女が呪うはずがない。


「本当に何にもないって」


 いつものように紗智とじゃれあいながら、学校へと向かった。



*****


 いつもと同じ朝。いつもと同じ友人に、あまり面白くない授業…のはずだった。


 なのに、この日は違った。


 教師が黒板に書いている文字をノートに写すとき、教師の後ろ髪がなにやらモコモコしていることに気づいた。どうしたのかしら?寝ぐ…せ?亜美は教師の後頭部を凝視する。


「ひぃっ」


 思わず小さな悲鳴が漏れ、クラス中に見つめられる亜美。恥ずかしくって、「ごめんなさい」と下を向く。でも、恥ずかしさより、実際は恐怖が勝っていた。嘘でしょう?


 教師の後頭部のモコモコの正体。それはこちらを覗く茉莉花で、しかも彼女と目が合ってしまったのだ。


 まだ心臓がバクバク言っている。急いで正常心を保とうと、何かノートに文字を書くふりをしようと試みるも、震えた手が筆箱に触れ、落としてしまった。「何してんの~。もしかして寝てた?」と隣の友人に笑われた。


 もしかして、みんなは見えていないの?


 再度教師を見ると、茉莉花が真っ白な顔をして教師の隣に立っていた。


 亜美は悲鳴を飲み込むことしかできなかった。




 トイレに紗智と行った時だった。

 手を洗い、髪を整えようとして鏡をみると、鏡越しに茉莉花と目が合った。驚いて後ろをみるが、誰もいない。

「え、なんでそこの洗面所だけ汚いの?こっち使いなよ~」

 紗智の声で我に返る。


「きゃっ」


 また小さな悲鳴を出してしまう亜美。だって、先ほどまで何もなかった洗面台。それがたった一瞬で、真っ黒の髪で詰まっている状態になっていたから。もう一度鏡越しに自分の後ろを見る。やはり鏡越しに茉莉花はいて、今度はなぜか泣いていた。




 「体育だるいね~」

 運動場で、体育の授業をしている時だった。どこからか強い視線を感じた。校舎を見上げると、誰もいない筈の亜美のクラスの教室に人影を発見した。鍵かかってなかったのかな?紗智に「誰か教室にいない?」と声をかけてみるも、「誰もいなくない??」とそっけなく返された。


 再度教室を見上げる。やはり黒髪の人影が見えた。


「っっっ!!!」


 遠くて顔なんて本当は見えない筈…なのだ。なのに、確信が持てた。茉莉花だ。そしてその顔は怒りに満ちており、鋭い目つきで亜美を睨みつけていた。




 菜々が感じていた恐怖とはこのこと?亜美は茉莉花を見つける度に恐怖で足がすくんだ。

 昨日までは彼女は現れることはなかった。でも、今日はふと気が緩んだそのすきに校舎のあらゆる場所で茉莉花を発見し、彼女と目があった。怒っていたり、泣いていたり、不気味に笑っていたり…。



「紗智、ごめん。やっぱり体調悪いから…」



 恐怖のあまり、早退することにした亜美。菜々に助言を求めようとスマホを開いた。


 スマホにはおびただしい数の【死ね】というメッセージと、100を超える非通知からの着信履歴が表示されていた。



*****



 ピンポーン


「菜々ぁ、助けて…」


 学校を早退した亜美は自分の家ではなく、菜々の家へ一目散に向かった。紗智にそれとなく言っても、彼女は何も見えていないし、茉莉花の呪いについても良く知らない。だから、「疲れがでてるとか?」と無難な返答を返されるし、他の友人にも「今日の亜美変じゃない?何かあった?」なんて、白い目で見られるし…。もう藁にもすがる思いだった。こんな恐怖、とてもじゃないけれど自分一人で抱え込めない。だから、菜々の元へ情報共有を求めに向かったのだ。



*****



「落ち着いた?」


 まだ学校が休校中である菜々は家にいた。そして当然のごとく、晃大もそこにいた。亜美の急な訪問にも、菜々は嫌な顔一つもせず家へと招き入れ、心配し、少しでも気分を落ち着かせようと温かいお茶を出してくれた。もうどうしたらいいのか分からなくなり、涙でボロボロだった亜美。そんな菜々の優しさに少しずつ冷静さを取り戻していった。


「なんかあったのか?」

 どうしたんだ?と晃大が眉を垂れて心配そうな顔をして亜美の顔を覗き込む。その不安げな表情は菜々とそっくりだ。似たもの夫婦とはこのことか、と少し緊張がほぐれる亜美。

「言ってもいい?」菜々の問いかけに亜美は力なく頷く。隠し通せるものでもないし、むしろ二人は茉莉花の呪いについてある程度知識はある。協力者は多い方がいいかもしれない。そういう意識の方向の転換で亜美は首を縦に振った。「実はね、亜美もXに投稿されてたの。茉莉花の呪いにかかるように」

「は?なんで?」晃大は目を見開く。「何で亜美が?ありえないだろ!?」

 自分の事のように怒ってくれる晃大。それだけで、亜美の胸には温かいものが広がった。

「何でかなんて、私にも分からないわよ。でも、実際に【中本亜美】の名前付きで、茉莉花の記事がたくさんリポストされているのを見つけたの。しかも何か月も前から…。実際に亜美が呪いに気づき始めたのは数日前かららしいけど…」

「亜美、お前まさかマジで誰かの男を寝取ったりなんて…」

 パチンと軽い音が聞こえた。どうやら菜々が晃大の頭を盛大にぶったようだ。

「そんなわけないでしょ!馬鹿じゃないの!!!」

「いや、ごめんごめん。ほら、でも一応確認ってするべきだろう?でも、そうだよな。お前はそんなことないよな。俺の配慮が足りなかったよ。本当にゴメン」

「ううん、大丈夫。同じ学校じゃないから、どんな学校生活送ってるのかなんて分からないもの。でも、信じて。私は友達の彼氏にもちょっかいをかけたことないし、それこそ寝取…ったりなんかもしたことなんてないわ。本当に全く心当たりはないの。だけど、もしかしたら私も知らず知らずのうちに人を傷つけている可能性だってある。それは否定できない。だって、私の事憎く思わなきゃ、誰も人のことを呪おうだなんて考えないもしないものでしょう?」

「でも嘘までついて亜美を陥れようとしているこの行為は褒められたものじゃないわ。もし、ただの勘違いだったら?亜美の呪われ損じゃない。普通嫌なことがあったら、本人に確認するべきよ。友達ならなおのこと」

「でも、言えない間柄だったら?」

「それはもう逆恨みされた亜美の運が悪かった、としか言えないわ。実は私ね、学校が休校の間に、ずっと自分にかけられていた呪いについて考えてたの。そしたら、いつも同じ答えに辿り着く。それは以前亜美が私に言ったことと同じ結論になってしまうのだけれど、晃大のことを好きだった後輩ちゃんが、晃大にしつこく言い寄っていたマネージャーの大谷さんや、彼女である私のことを煙たがって呪ったのかもしれないって。私たちがいなくなれば、自分に告白のチャンスが回ってくると思ってそんなことをしたのではないか?あわよくば、晃大の彼氏になれるかもしれないって思ったのではないかって?私の推測なんだけどね。考えすぎかしら?」

「ううん。私もずっとそう思ってたんだもの。もし屋上で自殺したっていう後輩ちゃんが、晃大のことを好きだったのだとしたら、十分にあり得る話。全て辻褄があうわ。そして呪いが解かれたことに焦ったから自殺したんじゃないかっていうまでが、私の推察にはなるんだけどね」

「ま、その子が本当に私を呪ったっていう確証はないし、人の感情の話だから誰にも証明なんてできない。だから本当にただの憶測なだけなんだけれど」

「確かにな…」晃大は天井を見上げる。「本人たちも、もう亡くなっちゃってるし、確かめようがない」

「そうよ。だからこの呪いはとても厄介なのよ」



*****



「なぁ、それよりさ…」晃大が右手を上げアピールする。「何よりもまず俺らがしないといけないのって、茉莉花の呪いを解く方法を考えないと、じゃね?」

「私の時みたいに、みんなで亜美は白だ、って茉莉花に叫んでみる?」

「菜々の時は、多分彼氏である晃大が叫んだから、茉莉花も呪うのを辞めたんだよ。『あれ?呪い間違えたかも』って茉莉花が我に返って呪いが解かれたんじゃない?だから彼氏がいない私は…」


 自分で言ってて虚しくなる。でも、自分の考えは的を得ていると思う。菜々はきっと晃大のおかげで呪いから解放された。友人である自分がどれだけ茉莉花に訴えても何の変化はなかったのに、彼氏である晃大が一言叫んだだけで、菜々は苦しまなくなったのだ。それを目の当たりにしていた亜美は、茉莉花の呪いが本物の彼氏の訴えで解けるものだと信じて疑わなかった。だから彼氏のいない自分に絶望するしかないのだ。


「めっちゃ聞き分けのいい呪いだな」ハハハと笑う晃大に亜美は少しムッとする。「でも、もし亜美の仮定が正しいのだとすると、違う方法を探す必要があるだろ?俺的には、その例のリポスト投稿を削除してもらうことから始めるのがいいと思う。早速、Xに問い合わせて削除してもらおうぜ。あるいは、何がなんでもその投稿の主を探しだして、消してもらうとか」

「問い合わせはもうしてるよ。何度も削除依頼したもの。でも、消されることはないし、まだまだたくさんあるの…。この投稿以上に検閲が必要な投稿がいっぱいあるせいで、私の依頼はなかなか実行されない。それに、投稿した人を探すのって辛い。友達を疑うってことでしょう?今日も一人の親友を疑ってしまった。そして後悔したばかりなの。人間不信になってしまいそうで、私怖いわ」

 目をそらしながら、自分の意見を述べる亜美。

「あのさ…解決になるかは分からないんだけど…」突然菜々が口をはさむ。そして、スマホで何かを探し出した。「これ、見て」

 【茉莉花ファンクラブ】と大体的に書いてあるとある人のブログを亜美に見せる菜々。そして、そのブログを下の方にスクロールしていくと、【今流行りの茉莉花の呪いについて】との題名の記事があった。

「ここをね、クリックすると…」

 菜々はブログ記事のURLを開く。



【茉莉花の呪いは嘘っぱち。皆、騙されている!】



 第一文にそう書かれていた。

「どういうこと?」亜美は困惑する。この記事の信ぴょう性も不明だが、いったい全体どういう意図で菜々は私にこれを見せてきているのだろうか?

「ねぇ、亜美は疑問に思ったことのない?あの女の人が本当に茉莉花なのかって…」

 亜美は考える。確かに、皆が茉莉花の呪いだ、というから、あの女のことを茉莉花だとずっと思いこんでいた。しかし、言われてみれば学校で見た茉莉花は、以前スマホで検索した彼女の画像の風貌とは似ても似つかない。でもあの女性が茉莉花じゃないとするのならば、一体誰だというんだろう?亜美は混乱する。

「亜美は茉莉花を見たことある?」

「うん。ちょっと前に友達に茉莉花の呪いについて教えてもらった時、画像検索してそこで初めて見た」

 菜々の問いに素直に自分の意見を口にする。

「その時、どう思った?」

「う~ん。可愛らしいなって。それくらいかな?」

「どんな子だったか覚えている?」

「目が大きくて、背は小さめだった気がする。あとは、茶髪のふんわりカールの可愛らしい、言うなら、小動物系芸能人っていう感じだったかも…」

「そうよね!」急に声をあげる菜々。「茉莉花は茶髪なの!」

「それがどうした?」

 晃大は不思議そうに菜々を見る。けど、亜美は晃大と違って、菜々の言わんとすることが直ぐに理解できた。

「私が学校で見た茉莉花は茶髪でもなかったし、ふんわりカールでもなかったわ。どちらかというと、綺麗で長い黒髪だったような気がする…」

「そうなのか?」

「え、晃大は見てないの?あんなにはっきりと見えていたのに」

 あの日、菜々が苦しんでいた時もだ。真っ暗な暗闇の中、茉莉花の姿はしっかりと確認できた。なのに晃大だけが見えていないってそんなことある?まさかの晃大の返答に亜美は目を見開く。

「おう。俺は全く何も見えなかったぜ?ただこの辺にいるんだろうな、って思って、適当にその辺の空間に向かって叫んでただけだからな。てか、俺は亜美もそうなんだとばかり思ってた」

「そうだったんだ…。私はね、晃大と違って菜々の部屋でもしっかりと見えたわよ。それに今日学校で目にした茉莉花の髪も、確かに黒髪のストレートヘアだった」

「へ~。でも幽霊って基本黒髪ストレートじゃね?茶髪でウェーブかかった幽霊って俺、見たことも聞いたこともないんだけど…。ギャルの幽霊って怖くなさそう、っていうのもあるかもだけどさ」

 バチンと乾いた音がした。どうやら菜々が晃大の頭を殴ったらしい。少し苦笑いをする亜美。

「変なこと言わないで!結構真面目に話しているんだから!」

「ごめんごめん」

「それでね、私が言いたいのは、【茉莉花の呪い】って実は違うんじゃないかなって」

「どういうこと?」

「だってよく考えてみてよ。なんで不倫をした側の茉莉花が、浮気や不倫相手を呪うのよ?普通逆じゃない?」

「あ、それ…。私も初めて紗智…あ、高校の友人なんだけど、彼女にその噂を聞いた時、変だなって思ってたの。なんで茉莉花が呪うんだろうって。ねぇ、もしかしてだけど今私を呪ってるのって…」

「ええ。亜美の考えと私の推理はきっと一緒よ。あの女性は茉莉花ではなくて、多分、不倫されていた、一般女性の方…、渡辺涼の元奥様の方だと思うの。で、探し出したのがこの写真」


 そう言って菜々は画面を変えて違うHPにのってあった女性の写真を見せる。渡辺薫と名前が書いてあった。はにかんだ笑みに真っ白い肌。茉莉花の笑顔を太陽だと表現するのならば、この女性は月のようだと表現するのがしっくりする。少し陰のある美人。


「あまり顔のパーツまで覚えていないけれど、私が見た女性は茉莉花というより、この薫っていう女性だったって言う方がしっくりくるかも」

「そうでしょう?私もそう思ったの。で、この人について調べていた時にさっきの茉莉花のファンの人のサイトを発見したの。そして、このブログに書いてあるコメント。数人しか書いてないんだけど、見てみて」


 菜々からスマホを借りて、その記事をゆっくりとスクロールしていく。一番下に確かに何人かのコメントが記載されていた。


 【ワイも同感w】とか、【茉莉花に決まってるくね?アイツ性格悪いの顔に出まくり】とかなどの、このブログを肯定するものや否定するものの中に、感謝の声が混じっていたのだ。


【ありがとうございました。おかげで、呪いから解放されました】

【女の人が消えました。呪いから解放されたのかも。よかったです】

【ありがとうございました】


「このブログの投稿人と連絡とって、明後日会うことになったの。よかったら亜美も来る?もしかしたらこの茉莉花の呪いを解くヒントを得られるかも!」


 呪いが解放された、とのコメントに心躍る亜美。菜々の行動力にこれほど感謝したことはない。亜美はもちろん、と二つ返事で快諾した。



*****



 今日も家に泊まる?と言ってくれた菜々に、さすがに二日連続だと悪いからと断りを入れた。しかし菜々と晃大と別れ、一人家に戻った後、亜美の心は落ち着かないでいた。

 明後日、菜々とこの呪いを解く方法を知っているかもしれない、あのブログを管理している人と会える。たった二日の辛抱だ。そんなことは分かっている。けれどどうしても小さな音や冷たい風を感じる度に過剰に反応してしまう。いつ茉莉花がくるか分からない恐怖に怯えながら過ごすこの時間は、例えたった二日間だとしてもとても長く感じてしまう。


 - やっぱり菜々の言葉に甘えてもう一日一緒にいた方がよかったかな?でも、菜々と晃大が二人で過ごす時間が減ってしまうし…


 部屋に入った亜美は布団に包まり、目をぎゅっと閉じ、全ての音を遮断しようと耳栓までした。もう何も見たくない、聞きたくない、感じたくない。


 ~♪~♪~♪


 ビクリと肩を震わせる亜美。


 着信音だ。耳栓をしているのに、その音は大音量でスマホから流れてきた。マナーモードにしているのに?恐る恐る通知名をみる亜美。しかし、スマホの画面にうつる名前にほっと息をついた。紗智だったから、亜美はその電話に出ることにした。


「もしもし」


 でも茉莉花に怯えていた亜美の声は自らの意思に対してとても小さく震えたもの。


「どしたの!?声めっちゃ暗いけど!!」


 亜美の声とは反対に、ガヤガヤとした音と共に聞こえてきた紗智の声はとても明るいものだった。人のぬくもりを電話越しに感じた亜美は途端張りつめていた緊張の糸がほぐれて、目から涙が次々とあふれ出てきた。


「ちょっと嫌なことがあって…。でも…紗智の声聞いたらなんか安心した」

「え!?なんかあったの!?ちょっと待っててね…」どうやら紗智は移動したようだ。ガヤガヤとした音が一切聞こえなくなった。「ねぇ、大丈夫?もしかして泣いてるの?私、いつでも聞くから。なんでも話してみ?」

「ううん…。ちょっと調子が悪いだけ。ありがと」


 優しく声をかけてくれる紗智。でも、茉莉花の呪いのことについて相談することはできなかった。言ったところで理解してもらえないと思ったからだ。


「そう?ま、確かに早退したもんね…。体大丈夫?でも、ホントに何かあったらいつでも言ってね。私、すぐに亜美のもとまで飛んでいってあげるから」


 携帯の奥で紗智の名を呼ぶ人の声が聞こえる。


「誰か紗智を呼んでるんじゃない?今日は早退しちゃってゴメン。また体調良くなったらきいてね」

「もちもち!オールして聞いちゃう♪」

「ありがと、てかもしかして何か用でもあったの?電話珍しいじゃん」

「あ、えっと。ほら、亜美のXが今炎上しているでしょう?もしその件で亜美が心を病んで、学校早退したのかもって考えだしたら、ちょっと怖くなっちゃってさ。それで、大丈夫?って聞きたくて。負けるなって伝えたくて電話したの」

「そっか。心配してくれてありがと。でも私は大丈夫だから」

 後ろで、俺にも変われよって、男の声出した。紗智の彼氏の悠太だとすぐに分かった。相変わらず仲の良いことだ。

「ふふ。明日、体調良くなってたら学校きなよ?でも、くれぐれも焦らないでね。ゆっくりマイペースで!もし明日も気分悪いようなら、もう一日ゆっくり休んでいいんだから」

「ありがと。すっきりしたよ。じゃね、また学校で」

「じゃあね~」


 紗智との会話を終えた亜美の顔は綻んでいた。自分は茉莉花の呪いでいっぱいいっぱいだったのに、そんな自分を心配してくれる友がいる。それだけで胸がいっぱいになる。私はなんて幸せ者なんだろう。


 ちょっと、お茶でも飲もうかな。


 そう思って布団からでた亜美。部屋の扉の前にまっすぐにこちらを見据えて立っている茉莉花がいて、彼女と目が合った。それは心臓が止まるほどの驚きで、亜実は人生で二回目の失神を経験することとなった。



*****



 二日後。

 ある人物に会いに都心にまで来た亜美たちは、菜々に促されるまま、とある喫茶店に入った。それはごくごくありふれたチェーン店の一つ。


「もう先に入ってるって」


 菜々はそう言って、注文したばかりの飲み物を片手にグルグルと店内を歩き回る。すでに写真で一度顔を確認したのだろう。違う、違う、と言葉を落としながら、近くに座っている人の顔をチラリとみては、次のテーブルへ向かい…、を繰り返していた。そして、一番奥の席で背筋を伸ばしながら綺麗に座っている男性へと視線を向ける。男はストローを使ってドリンクを飲んでいたのだが、亜美の視線に気づくや否や顔を上げ、菜々の顔を見て手を振っていきた。あ、いた、と菜々はその男性に駆け足で走り寄っていく。どうやら目当ての人物はこの男性で間違いないようである。


「初めまして」


 その男性の風貌を見て、亜美は自分が男性に対して偏見を持っていたということを実感し、そのことをとても恥ずかしく思った。茉莉花はある人気グループに所属していた元アイドル。そしてあのブログの管理人はそのアイドルグループ時代の自称追っかけ団長であり、尚且つ彼女の死後もまだブログに茉莉花について語るような愛情重めの痛いファン。きっとチェック柄の服を着た、少し小汚い、前時代的なヲタク風貌のおじさんがあのHPを管理しているのだとばかり思っていた。しかし目の前にいる男は、亜美の想像していた一昔前のヲタク像とは大きくかけ離れていた。身長も高く、軽くウェーブのかかった赤茶色の髪。年齢は20代後半くらいだろうか?いや、もっと若いかもしれない。何でアイドルをそんなに追っかける必要があるのか、と疑問に思えるほどの見目の良い男であった。


- 本当にこの人であっているの?


 横目で菜々を見る亜美。菜々はパチリとウインクする。彼が目当ての人物で間違いないという、菜々からの回答であった。


「コメントをくれたのは…」

 少し低めのハスキーボイス。なんということか。この男は声までイケメンであった。

「私です。菜々です」

 菜々はいつもの調子で笑顔を忘れずそう答え、

「の、彼氏の晃大です」

 晃大は男に対し少し威嚇しているかのように、菜々の声にかぶせる様にして答え、

「………友人の亜美です」

 亜美は二人と少し遅れて返答を返した。


「僕は、ブログの管理人の、ぷ~すけ★です」


 晃大の威嚇ボイスはこのイケメン男に対する敵対心からだと思っていた。が、どうやらそうではないようだ。男のあからさまなチャラい服装と言葉遣いに、晃大はイラついただけのようだ。でも亜美は少し理解できた。なにせ亜実にとっても彼は苦手なタイプど真ん中だからであったから。亜美自身は少し身構えはしたものの努めて平然を装うのに対し、一方で晃大は男を射るような目で睨み、舌打ちをし、長い脚をブルブルと貧乏ゆすりのようにして震わせていた。


「今日は貴重な時間をありがとうございます」

 一方で菜々は笑顔を崩さない。さすがだな、と少し感心する。

「いえいえ。それより三人とも座りなよ」

 男はとても不気味だった。三人を品定めしているかのような目くばせをしたかと思えば、気味の悪い笑顔を浮かべ、鼻で笑ったから。

「JKと話せる機会なんてないからね。ボクからも感謝をいうよ」

 加え、余計な一言を放つ。チャラそうな見た目に反して、口からでてくる言葉は何ともジジ臭い。ニコニコと愛想笑いを浮かべている菜々とは異なり、亜美はこの男のチグハグとした印象に、【茉莉花の呪い】とは違った種のホラーさを感じ、晃大と同様に少し警戒心を持ち始めていた。


「ところで菜々ちゃんの話ってさ、HPから投稿してくれた、最近流行りの()()呪いのことであってる?」

 世間話をするでもなく、唐突に確信をついてくる男。【呪い】というワードを聞くだけで三人の空気は一気に緊張感を醸し出す。

「はい。その通りです…。やりとりさせて頂いた通り、【茉莉花の呪い】について、少しお話を伺いたくて…」

「【薫の呪い】だよ。茉莉花じゃない。そこは間違えないで」

「薫?」

「まさか、僕に聞きたいことがあるって言うだけ言って、君たちは全く何も調べていなかったのかい!?」目を見開くぷ~すけ★。

「いえ、【薫さん】の存在は知っています。渡辺涼の元奥様ですよね」

「なんだ、知ってたのか」男はズルズルと音を立ててドリンクを飲む。もうすっかりカラなのだろう。汚らしい音がやけに大きく響いた。「そうだよ。薫は、渡辺涼の元妻。渡辺薫。あの呪いの原因となった女であり、呪われたものだけが見ることのできる女の正体」

「やっぱり、茉莉花じゃなかったのね!」菜々の推理が当たった。菜々は自身の考えが当たったことに喜びつつも、「でも元奥さんの方が呪いの原因って複雑だわ。何だか気持ちも分からないでもないし…」とすぐに少し同情する。

「何を寝ぼけたこと言ってるんだよ」バン、と机の上にドリンクを強く打ち付けるぷ~すけ★。「あの女が全て悪いんだ。ちょっとネットで叩かれたくらいで勝手に病んで、挙句の果てに茉莉花を殺しやがって。アイツの慣れの果てが呪いになろうと知ったことあるか」


 三人とも返す言葉がなかった。男がなぜ渡辺薫にそんなに怒っているのか理解ができなかったからだ。


「あの…」暫くの沈黙の内、口を開いたのは亜美だった。「私、呪われてるんです。心あたりのない恨みを誰かから買ってしまって…。呪われると、呪い殺されるしか未来がないってネット上には記載があったんですけど…。そんな時、菜々がぷ~すけ★さんのブログを発見したんです。ぷ~すけ★さんのブログには私と同じように呪われた子が、呪いがなくなったって感謝のコメントを残していて…。藁にもすがる思いで今回問い合わせをさせて頂いたんです」


「やっぱりそのことだよな~」男は背もたれに背中をつけ、だらんとした姿勢になった。少し会話をするのがめんどくさくなったようにも見える。「正直いうと、俺は何も知らない」

「はぁ!?」男のまさかの回答に晃大がガタンと大きな音を立てて、椅子から立ち上がった。「なんだよ、それ!結局分からねぇんじゃ、ここまで来た意味ないじゃんかよ!!」

「ちょっと!!」

 菜々は晃大を制止する。でも晃大はそんな菜々の制止も振り切り、私の為にまっすぐにこのふざけた名前の男に怒りをぶつける。

「亜美は刻一刻と呪いのせいで命の時間を削られていってるんだ。どうにかしてでもいいから、解決策を早く見つけなきゃならねぇんだよ!俺たちは!!クソっ。なんだよ、分からねぇって。せっかくの頼みの綱だったのに…」

「ちょっと!!!」

 二回目の菜々の制止で我に返る晃大。晃大の大きな声に驚いた他の客が物珍しそうな顔で私たちのテーブルをチラリと盗み見る。そんな周りの反応に居たたまれなくなった晃大は、すいません…、と小さな声で周りに謝罪の声を落とし、再度そっと椅子に座りなおした。

「晃大君、キミの怒りはそれで終わりかい?」男はニタリとした笑みを浮かべながら晃大にそう声をかけた後、今度は亜美を品定めするかのように目線を変えた。「そうか、キミなのか。呪われたって子は。可哀そうに」

 全く可哀想だと思っていない男の声に、亜美はぎゅっと口を結ぶ。

「実はね、俺に相談しに来た子たちには、俺があの薫って女にしてやったことを教えてあげたんだ」男のニヤニヤした不気味な笑みは変わることはない。「それを実践した人たちはね、本当に浮気をした人、逆に全く心当たりのない人関わらず、大部分が【薫の呪い】から解放された。ただし、全員じゃない。だからその方法で解決するか分からない、が俺の本音だ。それにね、例え君自身が解放されたとしても、呪いの反動で、代わりに呪った人が呪われた人と同じような苦しい思いをし、最悪その苦しみに耐えかねて自殺してしまうんだけどね。まあ、呪った人の自業自得と言えばそれまでなんだけれど…。どうする?それでもいいのならば、やってみるかい?もしキミを呪った人が仲のいい子なら、キミは心に大きな傷を負うことになるだろうけれど」


 誰からともなく、三人でお互いを見合った。自分を呪った人が今度は死ぬかもしれない…。それは間接的に自分が殺人犯になるかもしれない、ということである。亜美は悩んだ。この男のことを信じていいのか、と。果たしてそんなことをしてもいいのか、と。


 でも、誰よりも一番最初に男に返答したのは菜々だった。


「亜美は私にとっての大事な親友だもの。他の人がどうなろうとも構わない。教えてください、その方法を」



*****



「まずは茉莉花の事をキミたちはどれくらい知っているのか教えてくれるかい?」

「当時人気だったアイドルグループの一人。ただ、卒業後も人気があったのは茉莉花ただ一人だけ」と、菜々。

「不倫がバレた直後、男はモラハラに悩んで離婚をずっと考えていた。結果的に不倫かもしれないが、それって私が悪いんですか?と言って反省しなかった女」と、晃大。

「不倫で叩かれて、ネットでも誹謗中傷の嵐で、仕事もなくなっていって…。なのに騒がれることもなくなってきた時に、一人マンションから飛び降り自殺を図ってしまったことくらい…です…」と、亜実。


「そっか。その程度か…」はぁ、とため息をつく男。でもしょうがない。菜々も亜美も小学校の頃はバレーボール一筋だった為、二人とも当時の芸能界に詳しくなかったし、晃大もアイドルグループには全く興味のない男だった。三人が持っている茉莉花に対しての知識は全盛期のものではなく、むしろスキャンダル後のことだけであったのだ。「茉莉花の所属していたグループは、茉莉花のおかげで人気がでたと言っても過言ではなかった。三人ともよく知らないだろうけれど、茉莉花は歌も踊りもずば抜けて上手で、しかもどんな人間にも笑顔で接してくれる心優しい神対応のトップ・オブ・アイドル。俺は今も茉莉花以上のアイドルを見たことがないし、今後出てくるとも思えない。それくらい神がかった人だったんだよ、茉莉花は」


 その後、男は当時どれくらい茉莉花が人気だったのか、どんな魅力があったのか小一時間くらい語っていた。三人とも全く興味はなかったけれど、兎に角、呪いを解く唯一の方法をこの男が知っているものだから我慢して聞いていた。


「茉莉花の魅力はやっぱり生で見ないと半減されてしまう。だからテレビ越しでしか茉莉花を見たことのないモブどもには彼女の凄さが理解できなかったんだ。そこがネックだったんだよ。昔から知ってるファンは、彼女は売れるべきして売れた、と納得していたけれど、世間一般はそうではなかった。テレビ越しでオーラを消され魅力が半減した茉莉花のことを、ただの事務所ごり押しの女の子、とぐらいしか認識していなかったんだ。本当は茉莉花の魅力を直に感じていた、出演者やスタッフからの強いオファーだったのにも関わらずにね。で、その当時、モブ視聴者たちは『また茉莉花~?』と引っ張りだこの彼女に飽きはじめ、ネット上に一部のモブどもの愚痴があふれ始めていた。そんな時だったんだ。あのスキャンダルが週刊誌にすっぱ抜かれたのは」


 男は店員に水を貰うや否や、そのコップになぜかストローを挿し直し、直ぐに飲み干した。じゅるるという空気を吸う乾いた音が再度嫌にはっきりと耳に突き刺さる。


「ネット民たちは水を得た魚のように、生き生きと茉莉花を必要以上に叩いた。自分たちが正義だと言わんかの如くね。絶対的な悪は茉莉花しかいないのだ、と。誹謗中傷なんて可愛いもんじゃない。中には脅迫めいたものまであったんだ。俺たちファンがやりすぎた、と注意すると、『馬鹿な男が騙されているとも知らないで”不倫した悪”を庇っている』と、俺たちまで巻き添えを食らった。一日中知らない人たちから悪意ある言葉を向けられたのはあれが初めての経験だったよ」


 男の言葉に亜美は固まった。確かに不倫はダメ。そんなこと分かっている。だけど今回の呪いで亜美自身は見知らぬ人たちに批難される不気味さと恐怖を知った。だから、茉莉花が当時おかれていたであろう立場も十分すぎるほど理解ができていた。


「でも不倫していたのは事実でしょう?」声を割ったのは菜々。「それなら叩かれてもしょうがなくないですか?」

 菜々も亜美と同じように茉莉花の呪いに苦しんだはず。でも亜美とは違い、それでも誹謗中傷より茉莉花の行為が悪い、と言えるのは彼女には愛すべき晃大というパートナーがいるからだ。菜々との間に壁を感じ少しもやる亜美。

「そうだね。不倫は悪だ。だから叩いてもいい。ま、一理あるかもね。実際、もし茉莉花じゃなくて違うタレントのスキャンダルなら、きっと俺も菜々ちゃんと分かり合えていたかもしれない。でも俺はあくまで茉莉花の奴隷だから、当時の叩いてたやつら全員が俺の敵だった。なんで茉莉花だけが叩かれなきゃならなかったのか。同じく不倫した相手側の渡辺涼だって叩かれるべきじゃなかったのかって。その理不尽さに怒っていたんだ」

「それは確かにそうかもしれないですけれど…。でもやっぱり悪いのは茉莉花だと…」

 ボソボソと答える菜々に男は高笑いして一掃する。

「ハハハ。やっぱり君もそういうタイプ?これって男と女の違いか何かなの?不倫といえば全部女が悪いの?男も被害者になるの?俺から言わせれば、渡辺涼こそが茉莉花に対しての加害者で、茉莉花は被害者だ」

 ぷ~すけ★の力説に、晃大は力なく首を振る。

「茉莉花は悪者ではなかった、というには証拠が少なすぎますが、確かに女性だけ叩かれるのはおかしい話だとは思います」

「だよね?だから俺たち茉莉花のファンはさ、当時一致団結した。不倫をした茉莉花を擁護する発言をすると、『ヲタクたち、きもい』『アイドルに幻想見過ぎ』『童貞の成れの果て』なんて、見知らぬババアたちから逆に誹謗中傷を受け叩かれるから、既婚者という事実を隠して茉莉花に近づいた渡辺涼を叩くことにした。少しでも茉莉花を守るために、俺たちはこういう理由で叩く対象を変えたんだ。だって実際に茉莉花だって騙された側の被害者かもしれない真相だってあるわけだし。でも、奴のファンがそれを許さなかった。【顔だけ女に騙された可哀そうなイケメン地下俳優】なんて逆に渡辺涼を庇い、男を叩く俺たちを一斉攻撃してきて、茉莉花の炎上に油を注ぐ結果となってしまった。渡辺涼が既婚者だって隠していたことも非難されるべきなのに、それはアイツのファンには関係ないことらしい…。俺らはだんだん、馬鹿らしくなってきてしまったんだ」

「「「…」」」

 三人とも何も言えなかった。でも確かに男の言う通りだ。茉莉花だけでなく、渡辺涼にも非はあったのかもしれない。実際亜美も【茉莉花の呪い】を通して彼女のスキャンダルを初めて知った時、なぜか全部悪いのは茉莉花だけだと思いこみ、渡辺涼の事なんて微塵も考えすらしなかった。もし当時バレーに興味が無かったら、自分だってネットで茉莉花を叩いている人たちの一員だったかもしれない。


「茉莉花をかばっても、茉莉花の炎上は止まらない。かといって男の方を叩くと、彼のファンが逆上し、より炎上する。ついに茉莉花は活動停止…。俺たちは茉莉花を守りたかった。本当にそれだけだったんだよ。だから俺たちは茉莉花を叩く連中を利用することにした。俺らが一番悪い奴をでっちあげて、そいつを炎上させ、茉莉花の炎上を沈下させよう、と」


 どうしたのか分かるか?との問いに菜々も晃大も首を振る。でも、亜美は気が付いてしまった。そんな酷いことをしたのか、と。胸がぎゅっと握りつぶされる思いだ。酷い酷い酷い。ファンだからって、いくら自分の好きな人を守るためだからって。最低だよ。



「だから俺たちは、渡辺涼の妻、薫に標的を絞って意図的に彼女を炎上させることにした」



*****



 亜美は空虚の世界に取り残されたように感じた。周りの声が全く聞こえなくなったからである。でもそれは気のせいで、実際の店内はガヤガヤとした喧騒に包まれていた。ただあまりにもショックな内容に、亜美の心はここにあらずの状態になってしまっただけであった。


 男はその後も話し続ける。耳をふさぎたかった。彼らのしたことも、もちろんそうだが、薫という不倫をサレタ側の被害者をなぜそこまで必要に追いつめる必要があったのか、全くもって理解できなかったからである。


「ファンクラブのヨースケっていう先輩がさ、【渡辺涼の妻はモラハラ体質】だっていう投稿をどこかで見たって言ってたんだ。誰も真相なんて分からなかったけど、それを利用することにした。その投稿を探し出してリポストして、【離婚の真相:モラハラ妻に疲れた渡辺涼は茉莉花に癒しを求めた】っていう類のモノに加え、少し想像を足したものを複数人で何回か投稿した。そしてそんな俺らの投稿を渡辺涼のファンが発見してからは簡単だったよ。真偽の分からない投稿は、瞬く間に尾ひれがついて拡散された。あんなにも”不倫した茉莉花が悪い”で一色だった批判が、”家を守らず、働いてくれている旦那の給与の低さを責めるような、モラハラの妻が悪い”に様変わりしていった。変な正義感を持ったやつらが薫の本名をネットに公表したり、卒アルだったり、隠し撮りされたようなピンボケしたりした写真、他にも仲の良い友人と撮ったであろう動画とか色んなものがモザイクをかけられずにネットの世界に流出した。【昔からヒステリック体質だった】とか、【中学の時虐められていた】とかいう、投稿も出てきて、俺らの想像力で作り上げられた投稿は真実味を帯び始めた。いつの間にか俺らの目録通り茉莉花の炎上はすっかりと沈下し、新たなオモチャが世間の炎上の対象となった」


 亜実の目からは涙がこぼれた。感情がぐちゃぐちゃだった。自分が呪いで受けた様々な現象は、実際は本当に彼女が受けた事とリンクしていたのだとしたら?どれほど怖かったことだろう、どれほど辛かったことだろう。なぜ不倫サレタ側の被害者の心を抉る様なことをしたのか。この世の全てを恨みたくなるに違いない。呪いたくなるに違いない。ああ、どうしようもなく胸が痛い。


「茉莉花の炎上はやがて消滅した。目的が達成されたから俺たちはそれでよかった。後は世間が薫を叩こうがどうしようが知らなかった。世間では茉莉花のスキャンダルが忘れ去られていたし、きっとこれで茉莉花は仕事に復帰できるチャンスが与えられるってそうホッとしていたんだ。なのに、なのに!!!!」


 ここから皆は知っている。炎上も消え、悪い噂もなくなってきた頃に一人建設中のビルから飛び降りた。そう、茉莉花は自殺した。そしてその翌日、妻渡辺薫も同じく自ら命を絶った。


「茉莉花は心優しい女性だったから、他の人が叩かれるのを見て心を病んでしまったんだと思う。俺たちが良かれとして行ったことは茉莉花の首を逆に絞めてしまっていた…。結果薫の炎上が茉莉花を殺したんだ。俺たちは後悔したよ。でも、後悔してももう遅い。茉莉花はこの世からいなくなってしまったんだから。そしてあの悲劇から数年経った今、なぜか再度Xに茉莉花の名前が挙がる様になった。調べるとそれは【茉莉花の呪い】として拡散された負の遺産。俺はすぐに気が付いた。あの女が死後もなお、茉莉花のイメージを悪いものにしようとしているって。俺は誰も見なくなったあのブログを再開し、茉莉花のイメージを上げることに専念した。そしたら、俺のサイトに迷い込んできた人が呪いの解き方を教えてほしいって言ってきた。俺は知らなかったけど、別の人間をスケープゴートにたてろ、って言ってやった。俺たちが茉莉花を守るために薫に実際にしていたようにな。そしてそれを聞いたある女の子が自分のことを投稿したポストを攻撃したんだ。そしたら、呪いが無くなったって感謝の声が返ってきたんだ。その時だよ、【薫の呪い】を茉莉花が浄化してくれているって気が付いたのは。やっぱり茉莉花は死んでもなお、女神のような存在だ。全員を救うことはできないし、救えたとしても、代わりに叩き始めた人物が呪い返しにあって、自殺したって声も聞くようになったけど、それは、自業自得。茉莉花のような女神でも全員を救うことなんてできやしないんだから」



*****



 ぷ~すけ★と別れカフェを出た後の三人は暫くの間声を発することはなかった。各々自分の中で整理していたんだと思う。実際、亜美も男から話を聞いた後、茉莉花だと思っていた女を初めて見た時のことを思い出していた。菜々が暴れだしたあの夜、あの女は確かに呟いたんだ『マリカ』と。信じていた旦那に裏切られ気落ちしていた時に、まさかの世間からのバッシング。自分のプライベートまで芸能人でもないにも関わらず晒され、見知らぬ人から誹謗中傷を受ける日々の中、もしかしたら薫という女性は茉莉花のように誰かの愛する人を横取りする女たちを恨むことでしか自分の正気を保てなかったのかもしれない。”薫”という見ず知らず女性の心情を自分なりに想像していくにつれて、亜美の心は次第にブルーになっていった。


「亜美はどうしたい?」


 菜々がようやく発した声に亜美は首を振る。

「分からない。どうしたらいいか、本当に分からないの…。でも話を聞いて、私は何より薫さんを救ってあげたい。呪いの元凶から解放してあげたいって思ってる」

「そっか亜美らしいね。でもその前に亜美にかけられた呪いを解かなきゃ。死んでしまったら元も子もないでしょう?呪いを解いた後に薫さんについて考えましょう」


 亜美は気が引けていた。よくネットニュースで誰かが炎上するのは耳にするけれど、実際に自分がそんなコメントを投稿したことがなかったから。でも、呪いを解けるかもしれない唯一の方法は、攻撃対象を他人の人に入れ替えることだとあの男は言う。自分が助かるためとはいえ、本当に他人を攻撃していいのか。悩む亜美。

 

「私はぷ~すけ★さんに賛成だからね」菜々はまっすぐこちらを向きながらそう言う。「誰が何と言おうとも、私は亜美に死んでほしくない。だから、お願い。嫌かもしれないけれど、亜美を呪ったヤツに一泡吹かせてやろう?」


 分かってる。菜々も興味本位で誰かを攻撃したいわけではないことに。でも、どうしても乗り気になれない亜美は首を縦に振ることができない。そして、そんな亜美の煮え切らない態度についに晃大が亜美の鞄を引っ張り、中からスマホを取り出した。


「俺らも一緒に地獄に落ちてやるから」


 そう言って亜美にスマホを差し出した。亜美はスマホを触る。チカチカと何度も何度も非通知の電話の着信の知らせが舞い込んでいる画面には、見知らぬ人からの心無い言葉のコメント投稿の通知で溢れかえっていた。


「ごめんなさい…」

 亜美はそう呟き、スマホを手に取る。菜々は優しく亜美の手を包み込み、大丈夫だから、と呟き、晃大は力強く頷いた。亜美はひっきりなしに受信する誹謗中傷のコメントを避けながらも、ようやく茉莉花の記事をリポストして亜美を呪うよう指示した例の投稿を画面に出すことができた。そしてそのポストをリポストする。



【嘘つき。男が貴女から離れていったのは、貴女のモラハラが原因でしょう?】


 こう投稿するのが正しかったかどうかなんて分からない。ただ、あのぷ~すけ★という男と今日話したことを思い出しながら、薫が当時受け取ったであろう最初に向けられた悪意の言葉を自分なりに考えてこう投稿した。でも亜美の胸はぎゅっと締め付けられた。顔を上げた時、遠くの方に自分たちを見つめている、薫の姿が見えた。その顔は青白く、彼女からは怒りも憎しみも感じなかった。ただ、失望しているようなそんな悲しみを彼女から感じた。亜美は瞬きをする。すると彼女は消え、もうそこには誰も何もいなかった。









 あのぷ~すけ★の言葉を実行した日からピタリと誹謗中傷のコメントも、非通知からの電話もなくなった。念のために確認すると、例の亜美を陥れるためのリポスト投稿も削除されていた。やがて呪われてから二週間たち、呪いは解けたのだと三人で歓喜した。でも呪いが解けてから数日後、一つ亜美の周りで変化が起こった。大好きな親友がいつも何かに怯えるようになっていった。そしてあれから一週間後、ついに学校に来なくなった。高校に入学したときからずっと一緒にいた、紗智が。



*****



「あれ亜美じゃん?」


 紗智が学校を休むようになってからというもの、亜美は毎日紗智の家に行っていた。それは、彼女が自分を呪っていたかもしれないという憶測からでは決してない。ただ紗智が心配だったからである。けれども残念ながら亜美はまだ紗智に会うことはできていない。なぜならいつも紗智に会うことをインターホン越しに彼女の母親に断られるから。しかしそれでもめげずに亜美は紗智の家へ毎日通った。少しでも紗智と対話の時間を設けるために。けれど、今日紗智に会いに行く道中で代わりに出会ったのは、今一番会いたくない人、悠太だった。ペコリとお辞儀して、彼から遠ざかろうとする。しかし悠太はなぜか亜美の向かう方向へついてき始めた。そう、紗智の家へと。


「ねえ、もしかして今日も紗智ん家行くの?毎日お疲れだね。でも会えないんしょ?もしかして喧嘩しでもしてる?」


 ただの喧嘩だったらどんなに良かっただろう?亜美は首を振る。「喧嘩じゃないよ」と言葉を添えて。


「でも紗智、亜美にだけ会ってくれないんだろう?喧嘩以外にそんなことある?」


 その言葉から、自分には会ってくれないけれど悠太とは会うんだ、と少し心が傷つく。なんで紗智が亜美と会ってくれないか、だって?そんなのきっとあなたのせいだよ、と言いたくなるのをぐっとこらえる。紗智が自分を呪った張本人かもしてないなんてことは、まだ分からない。自分の検索方法が下手だっただけかもしれない可能性もあるが、紗智を呪ってほしい、なんていう投稿はXをくまなく探しても見つけることはできなかった。それなのに、紗智も同様に亜美や菜々と同じ呪いにかかっている。信じたくなくても今この現状が、紗智が限りなく黒に近いグレーだと言っているのである。でももし仮に紗智が亜美を呪った張本人だとして、呪い返しに会っているのだとしたら、悠太との関係をどう紗智が勘違いしたのか、それが全く亜美には理解できなかった。だから紗智は呪い返しにあっているわけではない。誰か別人に呪われたのか、あるいはただ単に本当に体調が悪いだけ。そう自分に言い聞かせていた。呪い返しを実施した次の日から、紗智の態度がおかしくなったのも、それはきっと単なる偶然なのだ、と、紗智を信じることに決めた。


 でもその一方で、もし仮に紗智が何かを勘違いしているのであれば、これ以上刺激しないようにするためにも、悠太と一緒にいることはどうしても避けたかった。なのに、話を切り上げようとしても悠太は話を終わらせてくれるどころか、亜美に話しかけ続け、決して亜美のことを放っといてはくれない。


「俺さ、毎日紗智の所にお見舞いに言ってる亜美のこと、結構すごいなって感心してるんだ。だからもし今日も紗智と会えないんだったら、可哀そうだなって思って…。実はここだけの話、昨日紗智と話したんだ」

「え?」


 まさかの言葉に固まる亜美。


「アイツも亜美と同じ返答『喧嘩なんかしてない』って。でも実はさ、ここだけの話、俺と紗智の間も最近色々あったんだよ…。その別れ話的な…ね…。一応さ、紗智の方には、別れ話は俺ら二人の問題で亜美は関係ないだろう?だから亜美に当たるなって、叱っといたから。俺とは会うのに亜美を避けてるなんて、俺は納得できないし、亜美のことをこれ以上避けるなら、俺はお前をもっと嫌いになるって」


 なんてことを!亜美の顔から血の気が引く。紗智の勘違いに拍車がかかってしまう!


「ま、そんなこともあったしさ、今日は一緒に紗智ん家に行こうぜ?俺と一緒なら、アイツもアイツの母さんも断りにくいだろ。それに本当はさ、アイツの家の前で亜美を待ってようと思ったんだ。でもここで会えてラッキー。これってある意味運命じゃね?」

 

 今、もし一緒に紗智の家に行こうものなら変な誤解を与えて、紗智の心の傷をよりえぐってしまうのは確実に違いない。何とかして悠太をこの場から引きはがさないと。でもどうやって?亜美の不安なんてお構いなしに悠太は笑顔で続ける。


「アイツの部屋入ったことある?びっくりすんなよ。いつもはさ、めっちゃ綺麗に片づけてあるんだけど、最近ちょっと俺との別れ話に病んでるみたいで…。今、引くくらい散らかってるんだ。でもきっと一過性のものだと思うし、見て見ぬふりを今日だけはしてほしい」


 小学生の時からファンクラブがあって、中学時代は彼女が絶えなかったと聞いていた、この自他ともに認めるイケメンと称される悠太の笑顔。今日ほど殺意を覚えた日はなかった。



*****


 

 何とかして悠太と二人きりで紗智の家に向かうことは避けたかった。けれど、上手い言い訳も思いつかず、気が付けば紗智の家の前で二人並んで肩を並べ立っていた。悠太は慣れた手つきで腕を伸ばしインターホンを推す。


「やっぱり私はいない方がいいんじゃ…」

「何言ってるんだよ。毎日お見舞いに来るくらい紗智のことを心配しているんだろう?こっちまでの電車賃だって馬鹿にならないぜ?俺が今日紗智に会わせてやるから遠慮なんかするなって」


 確かに紗智と亜美の家は学校とは真逆の場所にある。だから二人で遊ぶといえば、互いに通学定期のある学校周辺が多かった。それに、悠太の言う通り確かに毎日紗智のもとへ通う電車賃だって自分のお小遣いから出しているから馬鹿にならない。でも、それ以上に()悠太と一緒にいることが嫌だった。変な誤解を紗智に与えてしまうかもしれないことの方が、亜美にとっては一大事のことであった。


「いや、でも…」

 と再度拒否する亜美に、「いいって、遠慮するなよ」と食い下がる悠太。


「はい」


 そんな二人の会話を遮るかのように、しわがれた女性の声がインターホン越しに聞こえた。いつもと違う声。紗智のお母さんじゃない。紗智本人の声だった。


「あ、紗智?」大丈夫?と続ける予定が亜美は少し言葉に詰まってしまった。このインターホンのカメラ越しに自分たちはいったいどういう風に映っているのだろう?「さっきそこで悠太君と会って、一緒に来ちゃった。ごめんね」


 きっとこの時何よりもまず、紗智の体調を気にするべきだった。なのに亜美の口からでた言葉は、悠太と一緒にいることの言い訳。言って直ぐに後悔する亜美。これじゃあ何だか後ろめたいことをしているみたいだ。


「大丈夫よ。分かってる。いつも来て…」

 インターホン越しに聞こえる紗智の声。風邪をひいた時のようなのどに腫れを感じさせるしわがれた苦しい声。

「それより大丈夫?声、すごいことになってるけど…」

 つい紗智の話を遮ってしまう亜美。

「…」

「風邪なんだったら、また明日とかに改めようか?」

 本当は今すぐにでも紗智と話したい。もしなにか誤解をしているであれば、ちゃんと釈明したい。そして、あわよくば茉莉花の呪いのことも話したい。でも悠太の前でこれらの話をすることは避けたかった。どうしても二人きりで話し合いたかったのだ。

「今日せっかくここまで来たのに?ちょっとだけでも顔見ようぜ」なのに、空気の読めない悠太。少しイラっとする。「てか、昨日お前風邪ひいてなかったじゃん。タイミング悪すぎだろ。昨日も言ったけど、ちょっとだけなら家あがらせて…」

「もう長いことお休みしてるのよ?また風邪がぶり返したのかもしれないでしょう?」何とかして悠太を落ち着かせようと、彼の声にかぶせるようにして説得を試みる亜美。「せっかく久しぶりに話すんだもの。体調が万全の時の方がいいに決まってるじゃない」

「でも…」

「お願い、悠太君。今は一番に紗智の体調のことを考えてあげて?」

「まあ、亜美がそういうなら…」

「ありがとう、亜美…」そういう紗智の声は少し涙声だった。亜美はズキンと心に痛みを感じた。一度も自分の体調を心配してくれない彼氏。しかもあろうことか、悠太との関係を疑っている友人と二人で家にまで来たこの状況。こんなの、疑いたくなくても疑ってしまうよね?特に心が弱っている時なんか、全てを憎んでしまうよね?もし自分が逆の立場だったら、誰もいなくなった一人の部屋で大声をあげて泣いてしまうかも…。



 あ。



 亜美は気づいた。紗智のこの声は決して風邪から来ているわけではない、ということに。昨日の悠太との会話できっと心か深く傷ついて…そして…。


 もしそうであるならば、今、亜美が何か慰めの言葉をかけたとしても、紗智には全く響くことなんてだろう。むしろ、悪影響を与える可能性の方が高い。きっと今自分がしてあげられる一番のことは、さっさと元凶である自分がこの場を去ることだ。


「ねぇ、亜美?毎日ここまで来てくれて本当にありがとう」でも紗智は亜美が帰ろうとする時にこう言葉を紡いだ。「後でマインするから、また来てね」



*****



 亜美は悠太と並んで紗智の家を後にした。


「アイツ、携帯壊したって言ってたのに、マインできるんか。俺のは全部未読無視なのに…。それとも新しいのを買ったのか…」

「ちょっと復活したんじゃない?私も良くあるよ。壊れたと思ったらただバグってただけで後から使えるようになるの」

「でもなあ。俺、紗智が壊したスマホの実物を見たんだぜ?あれが使えるようになるとは全く思わないんだけど…」


 亜美は悠太の声に反応することはなかった。


 ピコン


 亜美のスマホに紗智からメッセージが送られてきた。まだグチグチと隣で文句を垂れている悠太に気が付かれないように、そのメッセージに【OK】と返事を送る。


 あることが亜美の頭を過ぎる。それは、菜々が呪われていた時の事。菜々も不気味な通知を受信するスマホを壁にぶつけたり、水没させたりして、ボロボロに壊していた。なのに、壊したはずのスマホは、なぜか壊れておらず、問題なく誹謗中傷のコメントは受信するし、亜美に【助けて】というメッセージだって送れたのだ。きっと紗智のスマホにも同様の症状が発生しているのだろう。これも茉莉花の呪いの影響なのだろうか?




 亜美は紗智からのメッセージを再度確認する。


【20時に学校で】



*****



 亜美は19時半に家を出た。母親に、「ちょっと、忘れ物取りに行ってくる」とそう言い残して。こんな時間に?なんて母親は驚いていたけれど、「明日が期限の課題だから…」と茶を濁した。部活動はこの時期19時までは活動を許されているから、もしかしたらなかなか帰らない生徒や残業している教師がまだ学校にいる可能性がある。もしそうであるならば、紗智と二人きりで話すことは難しいかもしれない。でも、ちゃんと話したい。例え自分の事を呪った本人が紗智だったとしても恨まない。勘違いさせてごめんって謝って、ちゃんと理解してもらうんだ。そして茉莉花の呪いを解呪する方法をまた二人で模索するんだ。


 亜美は足早に駅へ向かっていった。一刻も早く紗智に会うために。


 そして、その道中で偶然にもデート中の菜々と晃大に出くわした。


「亜美がこんな時間に一人で外出とかめずらしい。どうしたの?コンビニ?」

「ううん。学校にちょっと用があって」

「え?こんな時間に?なんでよ?」

「その…。友達が20時に学校で待ち合わせしようって言ってたから。その子と全然会えていなかったし、色々と直接話したいこともあるしね」

 亜美の笑顔の回答とは裏腹に、菜々の顔は強張っていた。

「ねぇ、その友達って、例の紗智って子?」


 菜々には軽くいきさつを伝えていた。あのぷ~すけ★の対処方法をしてから、まるで茉莉花の呪いにかけられたように、一番仲の良かった友人が、何かに怯えるようになり、ついに学校に来なくなってしまった、と。二人で一緒にXで紗智の名前を検索した。もしかしたら紗智も誰かに恨まれて、茉莉花の呪いの被害者になってしまっている可能性だってあったから。でも、X上には紗智の名前付きで茉莉花の記事がリポストされているものはなかった。だから菜々は絶対にその子が犯人だ、と信じて疑わなかった。一方で亜美は直接紗智から話を聞くまでそうであるとは信じたくなかったのだけれど。


「やだなあ。もしかしてまだ疑ってるの?でも、もし仮に私を呪った子だとしても大丈夫。ちゃんと話をしようと思ってるし、話せば分かってくれる子だから」

「ねぇ、亜美?ちゃんと聞いて」菜々の瞳の奥は揺れていた。心配という感情がヒシヒシと伝わってくる。「私ね、亜実がまだ呪いに苦しんでいる時に、その紗智って子から電話があった、って前に言ってたことを思い出したの。あの時、『Xで亜美が誹謗中傷を受けている』って言ってたって。私も亜美のX確認したけど、誹謗中傷のコメントなんて見れなかったわ。私も呪われていたから、亜美が嘘をついていないって分かるよ?でも、あの不思議な攻撃的なコメントは、呪われている人だけが見れるの。私の時もそうだった。いくら晃大に言ったって、彼は理解してくれなかった。なのに、その紗智って子は見れたのでしょう?それって私からしたらとても奇妙なことなの。まるで自白していたようなもの。亜美が友達を信じたいって気持ちも分かるけど、私何だか嫌なことが起こる気がするの。こんな時間に人気のない学校に呼び出すなんて、きっと罠よ?お願いだから、行かないで」

「俺もやめておいた方がいいと思う。その子が仮に亜美の呪いと、もしなんら関わりがなかったとしても、こんな時間に家から離れた人気のないところに呼び出すなんて、何かおかしいぜ」


「でも、携帯壊れてるって言ってたし、ドタキャンのマインを送ったとしても見てくれるか微妙だもの。大丈夫よ、二人とも考えすぎだって。それにそれほど遅い時間でもないし、残業中の先生も居そうじゃない?」


 あっけからんとそう言い張る亜美に、「じゃあ、私も一緒に言っていい?」と、菜々は突拍子もないことを言い出す。

「一緒に?え、なんで?」

「亜美のお友達を疑いたくはないんだけれど、やっぱり不安なの。こっそり後ろから隠れてついていくから。絶対に二人の邪魔はしないから。何かやばいって思ったら手を差し伸べられる場所にいたいだけ」


 亜美は戸惑った。親友の紗智のことをそんなにも疑われるのは気分がいいものではなかったのだが、でもそれ以上に自分の事を人一倍心配してくれる親友の心遣いが嬉しかった。


「分かった」



*****



 学校に着いた。現在部活動に参加していない亜美は、日の昇っている頃の明るい学校しか知らない。あたりが暗くなった夜の学校は、暗くてなんだが不気味な雰囲気を醸し出していた。おまけに何だか寒く感じる。


 亜美は携帯を二台握りしめる。一台は自分のスマホ。繋がるか分からなかったが、紗智に【着いたよ。どこにいるの?】と念のためマインを送った。だが、案の定、中々既読にならない。やはり悠太の言う通り壊れてしまって使用できていないのだろうか。不安になった亜美はもう一台のスマホに、「今マインしたけど、既読にならない」と独り言を呟いた。実はこのもう一つのスマホは菜々のもの。


『何かあったらすぐに駆けつけるから』


 菜々はその言葉を実行するため、買ってもらったばかりの新品のスマホを亜美に手渡していた。紗智と菜々は互いに面識はない。だから、菜々や晃大をつれて紗智に会いに行くことに、亜美は正直気が引けていた。そんな亜美の心情を理解した菜々が、それでも心配だから、と彼女のスマホを手渡してきたのだ。このスマホは晃大のスマホと電話を繋いである。音をはっきりと拾えるかは不明だったが、もし何か違和感を感じたら、直ぐに駆けつけることができるからとのことで菜々に無理やり持たされたのだ。菜々のスマホに耳にかざしてみても、晃大たちの声は全く聞こえない。どうしたらよいのか分からなくなった亜美は、とりあえずスカートのポケットに菜々のスマホを突っ込み、正門へと一歩一歩近づいていく。



~♪~♪~♪



 亜美のスマホから音楽が流れてきた。マナーモードにしているはずなのになぜか音が鳴るスマホ。この症状はあの時と同じ。茉莉花の呪いの時と。少し不気味に思いつつも画面にでた着信の主の名前を目にして少しホッとする。


「もしもし?紗智?」

「一人で来たんだ。偉いじゃん」


 亜美は一瞬戸惑い、スマホの表示画面を再度確認した。しかし、そこに表示されている名前は紗智で間違いがなかった。でも、この声は亜美の知っている紗智じゃない。彼女はこんな冷酷な声を発したりしないから。辺りをキョロキョロと見渡す亜美。紗智の姿を探す。本人の姿を確認して、この胸のざわめきをどうにかしておさめたかった。でも見当たらない。紗智はどこにもいない。


「今からさ、経路を言うから上がってきてよ」

 冷たい女の声がスマホからなおも聞こえてくる。

「上がる?」

「うん。私、今、屋上にいるんだ」


 亜美は上を見上げる。確かに奥の校舎の屋上に一人の人影が見えた。暗くてはっきりとは見えないけれど、どうやらその人影は亜美に向かって手を振っているようである。


「え!?屋上にいるの!?どうやって入ったの?てか、危ないよ!」

「大丈夫。全然危なくないから」


 あろうことかその人影は屋上の柵を乗り越えて端に腰かけ、足を宙にブラブラとさせこちらに向かって手を振っていた。こんな危険なことをしているのに、なんで誰もこんな気が付かないの?辺りを再度見渡す亜美。そこで気が付く。何かがおかしい。確かにもう、夜である。でもされどまだ20時。にも関わらず、職員室は真っ暗で、学校の周りには人気が一切しない寂しいものだった。そう言えばここに来るまでの間、誰一人として人とすれ違っていないし、一切見かけてもいない。まるで廃墟に迷い込んでしまったみたいである。


「先生はみんな帰ったし、生徒も誰もいないよ」クスクスと笑いながら、まるで亜美の思考を覗いているかのような言葉がスマホから流れてくる。「でも、警備員だけは排除できなかったわ。彼らに見つからない経路を教えるから、できるだけ音を立てずにここまで来てね」


 そしてスマホの声の主は屋上までの経路を亜美に淡々と伝える。


「まずは手前の方の校舎の玄関は鍵が開いているから、そこから入って。でも、すぐに見える目の前の職員室の前を通らずに、手前の階段で一気に三階まで上がるの。それから、窓から人影が見えないように、屈みながら渡り廊下を進んで、奥の校舎に来て。廊下すぐ近くの階段にはもう片方の警備員がなんかウロウロしているから、屈んだままの姿勢で左に曲がって、奥の階段の方を使って四階に上って。四階に来たら、そのまま生物室の方まで歩いていくと、その隣に屋上に繋がる階段があるわ。南京錠の鍵は壊してあるから、そのままその扉は開けてもらって大丈夫よ」

「え、壊したの?」

「それより、道順覚えた?」


 会話をしようと試みても、この声の主は電話越しではどうやら亜美と話したくないようだ。まるでセリフのように決められた言葉しか話さない。どうしようかと考えた末、亜美はとりあえずその場にしゃがみ込むことにした。

「何してるの?」

 不可解な亜美の行動に、より一層冷たい声で威嚇する女の声がスマホから漏れてきた。亜美はそんな声を無視して、聞いた屋上までの道順を声に出す。そして全て言い終わった後、しゃがんだ姿勢は崩さないまま、屋上を見上げた。

「紗智も分かっているでしょう?もし夜に無許可で学校の敷地に入って、しかも屋上なんかに上がったことが先生たちにバレてごらんよ。絶対に停学だよ?そんなの困る…。だから忘れないようにもう一回復唱しただけ」


 スマホを通して女のため息が聞こえてきた。


「心配しなくても、教師は誰もいないって。ほら、早く上がってきなよ。早く今の通路でここまで来ないと、警備員に見つかっちゃうよ」

「なんで先生がいないって言えるの!?前一緒に担任に聞いたじゃん。何時まで仕事してるのって。その時聞いたでしょう?試験前は21時まで学校にいることなんてざらにあるって…」

「だから、いないってば。()()()()()が排除してくれたから。ま、警備員だけは流れで排除できなかっただけなの」

 再度はあ、という大きなため息とともにそう言葉を吐き捨てた。


「お姉ちゃん…?」


「もう、いいよ。来ないなら帰って」


 お姉ちゃんっていったい誰?そう聞こうとするが、亜美の返答のが気に食わなかったようで、紗智は急にスマホの電話を一方的に切ってしまう。音がしなくなったスマホには、紗智の名前だけが表示されていた。再度屋上を見上げる亜美。屋上の端に腰かけていた影はもうそこにいなかった。ドキドキと急に大きく鼓動が鳴り、その鼓動音が耳元まで届いた。何だか嫌な予感がする。


 でも…。


 亜美は意を決して正門の門扉をぐっと押す。自分でこの扉を開けたことなんて今までなかった。だって学校に来たらいつも開いているものだから。門はとても重いものだったけれど意外とすんなり開いた。鍵ってかかっていないものなんだ…。不用心だな、と少し感じる。そこから学校の敷地内へと足を踏みいれた。途端、記憶の奥底に仕舞っていたはずの、あの気味の悪い冷気が亜美を襲う。寒いとか、冷たいとかそういうレベルのものではない冷気。突き刺さるかのような痛みを兼ね備えたその冷気に凍えてしまいそうになる。


 亜美は紗智に言われた通り、校舎へ侵入し職員室を避けるようにして手前の階段を上っていった。職員室で誰か人が話す声が聞こえた。きっと警備員たちだ。こんな時間に学校に忍び込んでいるなんてバレたら本当に停学処分になってしまう。亜美はぎゅっと息を殺し、抜き足指し足、足早にその場所を後にする。



「せめて校舎の外にいてよ…。怖いよ、紗智…」


 亜美の震える声は真っ暗な廊下に吸い込まれていった。



*****



 足早に屋上に向かっているつもりであったが、暗くて冷たい校内は意外と恐怖を煽るもので、震えが亜美の足をもたつかせ、意外と屋上へと到着するまでに時間がかかってしまった。紗智によって壊されたであろう壊れた南京錠と錆び切ったチェーンの奥にある重い扉をゆっくりと開ける。ひやりとした冷たい風がブオっと顔にかかった。前髪を軽く整えると、屋上の奥に長い髪をなびかせ遠くを見つめている紗智の姿が目に入った。校舎の外で見た人影と同じく、どうやら屋上の端で足を空中に放り投げ、ブラブラとしているようである。まだ人が一人通るには隙間は小さい。再度重い扉をギイっと奥へ押し込むと、扉が動いたと同時に、壊れた南京錠が地面に落ちた。ガシャンと大きな音がした。そして紗智はこちらのほうにゆっくりと振り返る。思わず息をのむ亜美。月に照らされた紗智の顔は隈がひどく、まるで病人のように生気もなくげっそりとしていた。


「遅いよ。待ちくたびれた」

 壊れたような笑みを浮かべながらそう言葉を落とした。


「ちょ、紗智!危な…」

 紗智はその場に立ち上がる。一歩でも踏み出せば屋上から落ちてしまいそうだ。

「いつ私だって気が付いたの?」


 でも亜美の心配をよそに、紗智は冷たい声で亜美にそう問いかけた。


「何を言っているの…?」

 

 ドキドキと心臓が早打ちをし始める。まるで何かを警告しているかのようだ。紗智の顔は真剣だった。信じたくない。でも、紗智の冷たい視線と強い口調は、Xに茉莉花の記事をリポストして、亜美を呪おうとしたのが彼女だと告白しているかのようであった。


「知らないふりしても無駄だよ」困惑する亜美とは対照的に、紗智は笑ってこの状況を楽しんでいた。「それにしても酷いよね。呪い返しがあるなんて知らなかった」

「やっぱり、紗智があの投稿を…?」

「やっぱりって、疑ってたんだ。友達に疑われるとか辛すぎだわー。でも、そうよ、大正解。あれは私の投稿」

 つい口からでた本音にそう畳みかける紗智。信じていたのに。最後まで信じていたかったのに…。

「何で?ねえ、何であんな嘘をリポストしたの?紗智…」


 先ほどまで余裕の笑みを浮かべていた紗智は、亜美のその言葉を聞いた途端、鬼のような険しい顔へと変貌した。


「嘘!?亜美は本当にそう思ってるの?自分が何をしでかしたか、本当に分からないの?大好きだった親友に裏切られて、呪いでもなんにでもしがみつきたくなってしまった私の気持ちが亜美には分からないの!?」


 紗智の瞳から一筋の涙がこぼれた。泣きたいのはこっちの方だ。だって、本当に心当たりがない。だから何も分からない。私だって紗智のことを大好きな友達だと思っていた。ねえ、いつから?いつから紗智は亜美に裏切られたと感じ、自分の事を恨んでいたの?


「本当に分からない。私が何かした?」

「…」

「紗智に呪われるくらい、酷いことをしたっていうの?」

「…」

「それで私の事を呪ったの?私のことがずっと嫌いだったの?」

「…」


「ねぇ、紗智、冷静になってよ。私、紗智のこと大好きなんだよ?紗智の彼氏を奪おうとするはずがないじゃない!悠太君のことを好きなるはずなんてないじゃない!」


 亜美もまた紗智に問いかけながら涙をボロボロと流していた。


「そういうところよ。そういうところが嫌いなの!」紗智は心の内に溜めていた自分の感情をさらけ出し始める。「亜美は知ってたじゃんか!私が小学生の時から悠太が好きで、何回振られても諦めずに、何度も告白してようやく中三の春に彼女になれたって。いっぱい努力した話もしたよね?ボブヘアーが好きだって言われたら髪を切って、ロングが好きだって言われたらエクステをつけて…。化粧だって、悠太の好きなアイドルとか女優に近づけるように、いっぱいいっぱい研究したのよ?なのに…!!!」紗智の顔は涙でボロボロだった。胸がキリキリと痛む。いつも隣で笑っていた紗智。その笑顔の裏にはとんでもない悲しみを秘めていたなんて全く知る由もなかった。「中学の時も女の子に羨望の眼差しを向けられることが当たり前だった悠太は、全く興味がないって顔する亜美が新鮮で、どんどん私を放り出して亜美に惹かれていった。分かる?二人でいても、最近の悠太は亜美の話しかしないのよ?それがどんなに惨めで、辛いことか」


 ちゃんと全部覚えている。どれだけ紗智が悠太のことを好きだなんて。悠太の歴代の彼女の中で、一番付き合った日数が長くなったって言ってた日、二人でお祝いしたんだもん。それに付き合ってもう二年だ、だなんて喜んでいた時だって、もう熟年カップルだねって一緒に喜んだ仲だもの。


「・・・ごめん」


「謝らないでよ、もっと私が惨めになるじゃない」フンっと鼻で笑った紗智は今度は自分語りを始めた。「最初はね、自分の醜い嫉妬が嫌だった。でも、亜美のことは信じていたの。決して私を裏切らないってずっとずっと信じてた。あれだけ私と悠太の仲を祝ってくれてたんだもの。だから亜美のことをずっと信じることができた。でもね、半年くらい前に街で知らない女の子と歩いているのを偶然見かけたの。こんなところで会うなんて珍しいって嬉しくなっちゃって話しかけようとしたらさ、『ねえ、噂のイケメン男子、今どんな感じ?』って、聞かれてて、私ドキッとしちゃった。前に亜美は私に好きな人なんていないって言っていたから、私亜美の好きな男性のタイプとか思えば全く知らなかった。だから悪いことだって分かっていたけれど、亜美の恋バナが気になってしまって、亜美に話しかけることはやめて、二人が話しているのを聞き耳立てることにしたの。

『実はね、もう別れたいって何度か相談された。もう別れるのは棒読みかも』

『じゃあ、別れたらすぐ告白するの?こんなに待っていたんだし…』

『ううん。別れてからすぐの告白って友達を裏切ることになる気がして…。だから、もう少しまだ興味ないふり続けるつもり…』

『そっか。でも少しずつアピールはしていきなよ?ただの女友達の立場で居座ることに満足しちゃだめよ』

『はは。でも、向こうも結構脈ありだと思う。その、好き…的なこと言われたし…』

『きゃー!!やっと片思いが報われるじゃん!おめでと!』

『最初は一目ぼれから始まったのにね。友達を裏切るようなカタチになって罪悪感がすごいあるんだけれど、すごく嬉しくて幸せな気持ちでもあるの。私、最悪かな?』って…。

 涙が溢れそうになったわ。だって、ちょうどその数日前に悠太に『俺、好きな人ができたかもしれない。一旦距離置こう』って言われたばっかりだったから。私は悠太が大好きだから、ずっと彼を目で追っていたから、誰のことが好きなのか痛いほど彼の気持ちが分かってしまうの。だから、亜美の心の内を知ってから、ずっと苦しかった。でも、悠太はまだ私と付き合ってくれてる。どの彼女よりも長く、付き合ってくれてる。でも別れたら、今度は亜美と付き合っちゃう。悠太はどの彼女とも告白されて付き合っていて、自分から告白なんてしたことないから…。だから、自分から初めて好きになった亜美ともし付き合っことになってしまったら、一生別れることないんじゃないか?これから一生、友達が自分の好きな人とイチャイチャするのを見ているだけなのか?そんなの耐えられるわけがない。だから…、死んじゃえって思った。親友に彼氏をとられるくらいなら、死んでほしいって思ったの。それで、決めたの。茉莉花を殺したお姉ちゃんに呪い殺してもらおうって…」


バタン


「亜美はそんな子じゃない!ひどい勘違いだよ!」


 少し前から後ろの扉の奥でバタバタと階段を誰かが駆け上がる音が聞こえていた。音が一瞬止まったかと思えば、開かれた扉から、悲鳴にも似た叫び声と共に菜々が飛び出てきた。一生懸命走ってきたのだろう。はぁはぁと息を切らしながら、それでも尚、亜美の為に紗智に意見する。


「あんたの彼氏が勝手に亜美に惹かれてしまったんでしょう?それを亜美のせいにしないでよ!嘘までついて呪いのリポストをして…。亜美は呪い殺されるところだったのよ?あなたが呪い返しにあっても全く同情なんてしないわ」


 突然の部外者の登場にも紗智は動じることなく、冷たい声で淡々と菜々に返答を返す。


「土田さん…だっけ。私が全面的に悪いって言いたいんだろうけれど、もしあなたの自分の彼氏が心変わりする瞬間を目の当たりにしても同じことが言えるの?」

 菜々は堂々と答える。

「ええ。晃大の心まで私は支配したくない。自由に生きてほしい。そりゃあ、すごく悲しむことになるだろうけど、私にはそんな時に心の支えになってくれるであろう亜美がいるから、私はあんたみたいに全てを人のせいにしない。彼氏の心が他人に動いたとしても、それを誰かのせいだなんて絶対にしない」

「そんなの口ではいくらでも綺麗ごと言えるわよ」菜々の力説を鼻で笑う紗智。「私ね、彼氏に飽きられないようにずっとずっと努力し続けてきたの。でも、ずっと不安だった。いつか離れてしまうかも、ってことが頭をよぎる度に、苦しくなった。どれだけ必死になっても人の心を繋ぎとめておくことなんてできない。ねえ、想像してみてよ。もし貴女の愛している彼氏が、他の女を、しかも自分の親友のことを好きになっても同じこと言える?その子の前で笑顔で接することなんてできる?親友を恨まないって、呪わないって、それでもあなたは言えるの?その元凶を断つしかないって、絶対に思うにきまっているわ」

「悪いけど貴女と私は違う。私があなたの立場なら、むしろ喜ぶと思うし、納得すると思う。だって彼女以上に良い子なんて私は知らないんだもの」

「そう…。そう言えば、亜美と土田さんって小学校から一緒だったんだっけ…。私以上に亜美との絆も強いんでしょうね」紗智は眉間にしわを寄せていた。全くもって菜々の言葉に賛同できていないようだ「分かり合えなくてもいいよ。私と同じ立場になった時、その時初めてきっと私の言っていることを理解できると思うから」

「ねえ、落ち着いて聞いてね?恋愛って二人でするものでしょう?」紗智をこれ以上刺激しないように、菜々は優しく声をかける。「何であなただけそんなに辛そうなの?苦しんでるの?そんな思いするなら辞めちゃったらいいじゃない!そんな恋愛なんて全然楽しくないじゃない」

「しょうがないじゃない!好きになっちゃったんだから!」紗智はどうやらヒートアップしているようだ。亜美は二人に気が付かれないようにそっと紗智のもとへと一歩一歩近づいて行った。「私だって好きなの辞めたいよ。でも、胸が苦しくなるんだもの。いつでも彼の事を考えちゃうんだもの。でもダメなの。どうしても私の目は嫌でも悠太を追っちゃうの…。嫌いになんてなれないの」

「だから呪いを利用したの?知らないはずないでしょう?あの呪いをかけられた人は…」

「二週間以内に呪い殺されるってことでしょう?知ってるわよ」紗智はその後、思いがけないことを言う。「でもねあれは呪いじゃないの。寝取った女にお仕置きしているだけよ?教えてあげる、薫お姉ちゃんは私の従姉。結婚式の時にね、中学時代の親友だった茉莉花に旦那を紹介して、そして裏切られた可哀そうな人なの。お腹に新しい命が宿っていたのに、男も女も、お姉ちゃんの体のことを一切心配することなく、二人で不倫の日々を楽しんでいたの!」



 急な告白に亜美も菜々も絶句した。まさか、考えもしなかった。あの呪いの噂のもととなった人とこんなにも近しい人が紗智だったなんて。



「週刊誌に不倫をスクープされたときのお姉ちゃんの気持ち分かる?売れない俳優をしている旦那が、自分の顔を売るために先輩たちと毎夜飲み歩いているのだと信じていたのに、蓋を開ければ、自分の親友と不倫。あろうことか、ずっとお姉ちゃんは茉莉花に相談もしていたのよ。なのに茉莉花はそんなお姉ちゃんをあざ笑って、『モラハラで苦しんでいた人を助けて何が悪いの?』って開き直った。茉莉花は自殺したっていってたけど、本当は違うの。お姉ちゃんが事の真相を聞きたくて呼び出して…、そして突き落としたの。そうお姉ちゃんの日記の最後に遺書として書かれていたわ。その証拠品はお姉ちゃんの尊厳にかかわると思って、私が隠して捨てたのだけど…。お姉ちゃんが死んで数年後、この呪いが噂でささやかれはじめ世間に広まりだした時、私感じたの。お姉ちゃんはもしかしたら、自分と同じような辛い思いをした人達を助けたいんじゃないかって。自分と同じ思いをしないように、元凶を排除して、元の鞘に納まるように皆を救おうとしてくれてるんだって。だから私もお姉ちゃんにお願いしたの。亜美を消してくださいって。だって他に頼る人なんていなかったから。でも盲点だった。まさか呪いが解かれるなんて思いもよらなかったし、呪い返しにあうなんて考えもしなかった」



 亜美は紗智の目の前に来た。二人の間には紗智によって壊された柵がいびつな形で風に吹かれていた。



「ごめん…紗智」

「だから謝ってほしくないんだってば」


「危ないから早く屋上から立ち去りなさい」

 下の方から何やら声を荒げている男性の声が聞こえた。下を覗くと三人の人影が見えた。二人は同じ制服を着ているからきっと警備員だ。そしてもう一人は…。


「違うの。私が謝りたいことは、ちゃんと自分の本当の気持ちを紗智に伝えていなかったってこと」亜美は後ろを振り返る。そこには少し困惑した顔を浮かべた菜々がいた。亜美は菜々に少し申し訳なさそうにほほ笑んで告白した。「私が好きな人は、悠太君じゃない。ずっとずっと昔から、菜々の彼氏の晃大が好きだったの」




「え?」




 紗智が困惑した顔で亜美を見つめる。亜美はもう一歩近づいた。


「紗智に言わなかったのは、相手に彼女がいたから。私の事を軽蔑してほしくなかったからなの」

「そんなウソに惑わされない。だって、だって…」

「嘘じゃないよ?私だって晃大が菜々とイチャイチャしているところを目の当たりにしてずっと心が痛かったんだもの。誰が悪いでもない。ただ、恋に落ちた私が悪いの。そう。紗智が感じていた同じ痛みを私もずっと背負っていたの」

「今更そんなこと言ったって…」

「不思議に思わなかった?何で家の近くじゃなくて、わざわざ電車に乗ってまでこの学校に通っているのか」本当は菜々の前でこんなこと言いたくなかった。全てが終わってから紗智に話そうと考えていた。でも今話さないと屋上から飛び降りてしまうかもしれん対。いてもたってもいられなくなって、亜美は少しずつ自身の秘めていた思いを話し出す。「本当はね、菜々と離れたくてわざと遠い学校に進学したの。二人のいちゃつく姿を見て心を痛める日々をこれ以上送りたくなかったから。部活動さえ入らなかったら菜々と会わないで済む、バレーの試合で応援に来る晃大を見かけないですむと思った。でも、無理だった」


 悲しそうに笑う亜美に紗智は困惑した顔を浮かべる。遠くでサイレンの音が聞こえた。きっと警備員さんたちが通報でもしたのだろう。


「友達と簡単に縁が切れるわけなかった。中学を卒業してもなお、私は菜々とも晃大とも定期的に会っていた。それが嬉しくもあり、辛くもあり、こんなドロドロした感情を紗智に伝えるのが恥ずかしくて黙ってたの。でもそれで逆に傷つけてたんだね、本当にごめ・・・」

「ねえ、今の話ほんとう?」


 振り向くといつの間にか真後ろに菜々がいた。口をわなわな震わせて亜美を睨みつけている。


「亜美、晃大のことがずっと好きだったの?」


 菜々に聞こえないように小声で紗智と話をしていたのにこんな真後ろにいてたなんて…。亜美は菜々を直視できないでいた。うんと軽く頷いて下を見る。


「なんで?いつから?」

「分かんない。気が付いたら」

「晃大が私と別れるっていったの冗談だよね!?亜美の方が好きって言ってるのって嘘だよね!?」

「ハハ。私にあれだけ偉そうなこと言ってて、いざ自分の立場になると亜美を責め立てるんだ」

 キャハハと悲しそうに、それでいて少し喜んでいるかのような、感情が良く読み取れない笑い声と共に紗智はそう菜々を挑発する。


「うるさい!お前には関係ないだろ!」


 菜々の言葉遣いが急に乱暴になったかと思えば、ドスンドスンと紗智に近づき紗智の髪の毛を引っ張る。

「痛い!」

「お前を自殺させないために、わざと亜美がそう言ったんだよ!それくらい分かれよ!」

「やば、動揺しすぎて口調、素でてんじゃん。だから彼氏に捨てられるんだよ。親友に奪われるんだよ」


「ちょっとやめてよ!」


 こんな屋上の隅っこで強い口調で言い合い、引っ張りあいなんてしないでほしい。ただでさえとても危ないのに…。亜美は二人のケンカを止めようと柵の外へでた。その時だった。




 どちらの手が当たったか分からない。でも、亜美の顔にどちらかの腕が当たり、バランスを崩した。


 尻もちをつきそうになる。でもその時、冷たい手がお腹周りを包んだ。そして、引っ張られた。
























「「「え?」」」


































 亜美はその場でよろける。
























『マリカ』

























 耳もとで声がした。と、同時に、冷たい手に暗闇の方へと引っ張られる。そして・・・























「亜美!手を!」


 紗智が見開いた目で亜美に手を差し伸べる。



 全てがスローモーションに見えた。



 だから、信じたくないものまで見えてしまった。



 手を差し伸べる紗智の背中を菜々が押した。



 真っ青な顔をして押したのだ。



















 なんで?













 疑問に思う暇もなく、紗智も亜美も同じ速度で落ちていく。落ちていく瞬間はまるでスロー再生のようにゆっくりと辺りが見渡せた。紗智は口パクでごめん、と呟いていた。やっと私の心情を正しく理解してくれたのだろう。でも、もう遅い。亜美は落ちていく下を見ずに、屋上を見上げた。菜々が怒りに狂った顔で見下ろしており、その隣にはニヤリと不気味に笑う女が立っていた。





















 ぐしゃり





















 地面に衝突する前、再度冷たい腕に抱きかかえられ、空中で遠くへと放り投げられたように感じた。。何かがつぶれる音が耳元でし、同時にきゃーとか、わーとかいう叫び声と、歓声とが入り混じった声が辺り一面に響き渡った。亜美は痛みを感じなかった。目を開ける。彼女の視線の先に大きなトランポリンのようなものが見えた。


「人殺しー!」


 トランポリンの上でそう泣き叫ぶ紗智と、彼女を制止する多数の大人の姿が目に入った。いつの間にこんなにたくさんの人がいたのだろう?どうやら声を聴く限り、紗智は警察か消防が用意したトランポリンの上に落ちて無事のようだ。よかった。本当によかった…。でも、私はトランポリンの上にいない。紗智が助かった様子を少し離れたところから見ているってことは・・・



「亜美ー!」


 今度は晃大の声が聞こえた。悲壮感溢れるその声に涙がでそうになる。冷たい地面越しに誰かが走り近寄ってきている気配を感じる。

 死ぬ前に最期に耳に入る声が愛しの人の声で、目に映る景色があなたで私は幸せなのかもしれない。





















 グルン


 ヒヤリとした手が亜美の顔をつかみ、そのまま顔の向きをかえられた。





『マリカ イッショニ ジゴクニ イコウ』




 



 最悪だ。これも親友を裏切った罰なのか?


 最期に映った顔は真っ赤に染まった薫の顔で、耳に入る音は彼女の勝ち誇った笑い声。




 亜美の意識はこうして途切れた。




*****




「ねえ、知ってる?」

「何が?」


 悲惨な事件は月日が経つごとに風化し、噂は巡る。

 目の前にいる人の気持ちが分からないから、ネットの情報に、他人に、呪いに頼るしかなくなる。



「茉莉花の炎上記事をリポストして、嫌いな女の名前を書いたら、その人の事茉莉花が呪い殺してくれるらしいよ」

 美香はいつも突拍子もなく変な噂を披露する。そして百合はいつものように笑いながら話半分で彼女の相手をする。

「何それ?」

「信じてないっしょ。でも、実際私のお兄ちゃんの同級生の知り合いの妹の友人が、茉莉花に呪われて気がおかしくなって死んだって。あれは呪い殺されたってもっぱらの噂」

「ホントに~?私めっちゃ殺したいヤツいるんだけど、裏垢でリポストして茉莉花に呪い殺しって言ってみよっかな」

「ハハ。でも、嘘ついたら逆に呪い返しにあって殺されるって聞いたから、慎重にしなよ?なんかそれで揉めて親友に突き落とされた人もいるって聞いたことあるし」

「まじか。怖っ。え~美香は絶対私の事を呪わないでね。揉めて突き落としたくないし」

「書くわけないじゃん!百合こそ、絶対に呪わないでよ~」

「もちもち」











【茉莉花様。人の彼氏に色目を使う、尻軽女の美香を呪い殺してください】



- FIN -




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