一番幸せな一週間
「ふぅ…」
私はノートPCを閉じた。
(映像でも授業に参加できるのはありがたい…)
あの日以来、大学でお兄ちゃんに出くわすのが怖くて、なるべく避けていた。
ひとつ思い出したら、バイトのことや、期限が迫るレポートのことや、芋づる式に不安なことが浮かんで来た。
「…大丈夫」
家のことも、学校のことも、バイトのことも、全部問題ない。
彼と会わない間、ずっと死んだみたいだった。
あの時と比べたら、何だってまし。
「しゃ! 病院行こ!」
【いい彼氏・彼女論争】
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「でーん! おすすめの漫画を持ってきました」
「おー! ありがとー!」
他にはとりあえず、昔使っていた音楽プレーヤーを持って来た。入っている曲も古いけど、暇つぶしくらいにはなるかと思ったのと、古い曲なら彼が知っているのもあるかと思い、伯父さんに相談して持ってきた。
「僕はどんなのが好きだったのかな?」
ベッドそばの棚が漫画置き場になったのを、満足げに見ながら彼が聞いた。
「そうだなぁ、スポーツ系かな。バスケとか読んでたよ」
パラパラと漫画を物色している姿は、無邪気で年下みたいだった。
(なんか、かわいいなぁ)
「そうだ、三守さんのことさ、僕なんて呼んでたの?」
「そうだなぁ… おい、とかお前とか? 名前はあんま呼ばなかったかも」
「何それ!? 昭和じゃん!」
自分のことなのに、怒っている姿がおかしかった。
「ううん、全然、そんなこと無いよ」
「…僕って、あんまいい彼氏じゃなかった?」
本心だったが、彼は全く納得していない顔だった。
「ううん。それなら付き合ってないよ。いい恋人じゃないのは私の方だったから。思い出したらがっかりすると思う」
これもまた本心だった。
「何でよ! こうして来てくれてさ、色々考えて漫画とか持ってきてくれてるし、優しくていい子じゃん」
(勝手に持って来ただけなのに、そこまで言われるとなんか申し訳ない…)
「あっ、お湯が沸いたかも、お茶でいいんだっけ?」
私は恥ずかしくなってしまい、話をうやむやなまま終わりにした。
【うたたね】
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「遅くなってごめんね? まだ大丈夫?」
「うん、おじさんから聞いてたから全然気にしないで。学校?」
学校の課題を終わらせてから会いに行くと決意して、遅くなったとはいえ何とか今日も病院に来られた。
(夕食前には帰った方がいいだろうし、一時間くらいかな)
「うん、課題の提出があって、さっき出したとこなの。あっ、ゲーム持ってくるの忘れた!」
「いいよ、漫画も読んでる途中だし。今度持ってきて?」
「うん…」
…
「はっ」
(寝てた? 何してたんだっけ?)
「あっ」
目の前には淹れた覚えのないお茶があった。顔を上げると、漫画を読んでいた彼と目が合った。
「あ。起きた」
「嘘っ、ごめん、来て早々!」
一体何しに来たのか。恥ずかしいやら申し訳ないやらで、彼の顔を見られなかった。
彼は漫画を膝の上に置いて、笑った。
「いいよ全然。疲れてるのに来てくれてありがとう」
「私が勝手に来てるのに…」
記憶があっても無くても、どうしてこんなに優しいのか。
「ていうか寝てる? 入院してる僕より顔色悪いよ?」
「えっ? そうかな」
彼を心配させるのはいけない。今日は早く寝ようと誓った。
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(いっこ下なんだよな)
僕たちってどうやって知り合ったんだろう。後で聞いてみよう。
彼女が待ち遠しくて時間が遅く感じる。
彼女が来てからは時間がすぐ進んでしまう気がする。
(今日は彼女のことも聞いてみたいな)
まだ数日だけど、恋人って前提があるからか、彼女に会うのが一番の楽しみになった。
昨日は疲れてるっぽかったから、心配でもあるけど。
ふと、無防備な彼女の寝顔を思い出した。
ついさっきまで色々話してたのが急に寝たのは驚いたけど、目元のクマや血色の悪い顔が気になった。
(入院患者に心配されても困るよな)
早く退院して、病院の行き来をしなくて済むようにしたい。記憶もない僕には、彼女のためにそれくらいしかできないけど。
【無理しなくていいよ?】
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今日は午前中ヒマだったので、ちょっとしたサプライズを用意した。
お、何も知らない彼女がやってきた。
身体を温めると治りが早い気がして、白湯ばかり飲む僕のために、彼女がケトルに水を入れてくれていた。
(ふふふ、まだ僕がろくに歩けないと思ってんな)
「今日はね、これ飲もうと思って」
僕はベッド脇に戻ってきた彼女に、さっき売店で買って来たお茶パックを見せた。
「あ! いいね、でも緑茶って珍しいね」
(あ、そうなんだ。いつもはカフェインを取りたくないだけだけど、これに合うと思ったんだよな)
次に、これまたさっき買って来たいちご大福を取り出した。好みが心配だったので、一応クッキーもテーブルの端に置いた。
「あれ? 伯父さん来てたの?」
「ううん。昼前に買って来たの、車いすで(微ドヤ)」
「え!? すごい、一階まで行ってきたの?」
案の定、彼女はめちゃめちゃ驚いて可愛かった。エレベーターだから何階でも同じだけど、とにかくかわいい。
「あっ」
彼女は戦利品の中に、ひよこのお菓子を見つけた。そういえばお土産っぽくてついでに買ったな。
「レジ横にいたから一羽誘拐してきた。そいつから食べる? …どうしたの?」
ふと見たら、彼女が、ひよこを見つけた時の表情のまま泣いていた。どのタイミングで泣いたのか全然分からなくて焦った。
彼女は泣いてることに気付いたみたいで、すぐに涙を拭いた。
「ううん、これ、私、一番好きだから、嬉しくって」
まだ止まらない涙を慌てて拭いながら笑う彼女の頬に、手を伸ばした。
驚いたのか、彼女の目が丸く見開かれた。可愛いと思った。そのまま、顔を近づけた。
唇が触れ合う間際で、彼女が僕の腕に手を添えて止めた。
「無理しなくていいんだよ? 恋人だったからって、今は最近できた知り合いと同じなの、分かってるから」
「無理なんて…」
いや、記憶もないのにしたいからキスするお前は恋人やろって勝手すぎないか?
僕はちょっと理性を取り戻した。
「いや、ごめん急に。でも僕、今の僕も、三森さんが好きだよ?」
(どうしたら泣き止んでくれるんだろ?)
僕はまだ冷静を取り戻せなかった。
「まだ一週間だけど、毎日楽しいし、かわいいって思っ、思ってるし、その、恋人で良かったって思ってるから」
だからって急にキスしようとすんなよって感じだが、とにかく無理とかじゃないってことを分かってほしくて、しどろもどろでも伝えようとして目を合わせた彼女は、
顔が真っ赤になっていた。
僕は考える前に聞いていた。
「だから、お願い。キスして良い?」
彼女は真っ赤な顔で頷いた。