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快炎鬼  作者: 吉田四郎
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五の炎

五の炎

3ヵ月後の夜。

家族連れなどで賑わっているファミリーレストランの2階の窓際のテーブル席で、政岡は純子と向かい合って座っていた。

若い女性を目の前にしながら、政岡はぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。

窓の下の歩道を行き交う通行人の姿は少なく、ちらほらと擦れ違う程度だった。

歩道前の車道は中央分離帯が設置されたバス通りになっていて、向こう正面には古びた町屋の商家が建ち並び、外壁が薄いグレーの4階建てのビルが商家に挟まれるようにして中央に建っていた。

ビルの1階の右隅は小さな玄関で、左側の大部分はシャッターが取り付けられ、上部の2、3、4階の窓は小さく、部屋の照明は全てが消えていてビル全体が暗かった。

政岡は表通りをぼんやりと眺めながら、心の中で呟いていた。

『どこにいるんだ? 丈二……』

『無事でいるなら早く戻ってきてくれ。頼むから……』  

純子は飲みかけのコーヒーカップを静かにテーブルの上に置き、政岡の顔を下から 覗き込むようにして訊ねた。

「思い出していたのね。丈二さんを……」

「何をやっても頭から離れねぇ。いつまでってもこのざまだ」

「思えば不思議な事件だったわよねぇ?」

「同じ日の同じ時間帯に殺人犯を含めた3名の人間が、京都の市街地からパッと姿を消してしまったのだから……」

摩訶不思議まかふしぎとはこのことだ」

「あの日は殺人事件が発生して、緊急配備での一斉検問が行われていた。蟻の這い出る隙間どころか水も漏らさぬほどの厳重警戒中の出来事だった」

純子はテーブルに両肘を付き、身を乗り出して政岡に訊ねた。

「これってさあ」

「三人揃って忽然こつぜんと姿を消したのだから、鞍馬山の天狗にさらわれたとか、神隠しにあったってヤツじゃないの?」

「バカを言え」

「いつの時代のことを言っているんだ?」

「だったら、どう説明してくれるのよ? 三人揃っての失踪を……」

「それを説明出来れば、何も悩む事なんてねぇよ」

「それが私に対する答えなの?」

「そうだ」

「すべてが謎で、奇怪で、ミステリーなのさ」

純子はテーブルから身を離した。

「呆れたわね」

「政岡刑事ともあろう人がミステリアスな事件なのに、まるで他人事ひとごとのようにあっさりと言うなんて……」

「何とでも言いやがれ」

政岡は当時のことを思い出していた。

「今から思えばすべてが謎でミステリーから始まった」

「緊急配備の非常時だというのに、丈二は「直ぐに戻る。30分ほど俺に時間をくれ」といきなり叫んで、俺が制止するのも聞かずに覆面パトから飛び出していきやがった」   

政岡は苦虫にがむしを噛み潰したような顔で呟いた。

「何が直ぐに戻る……だ」

「あれからもう、3ヵ月にもなるぜ?」

純子は再び身を乗り出して、政岡に訊ねた。

「私、週刊誌で知ったのだけどさあ」

「珍皇寺の境内に残されていた遺留品も、随分と謎が多かったそうね?」

「謎の多い遺留品なんてぇ物じゃ無かったぜ」

「俺から言わせりゃ、あれは現代科学でも証明する事の出来ねえ「オーパーツ」だ」政岡は純子に話しながら、珍皇寺での現場検証を思い出していた。

―――

小松原通りの路上には数台のパトカーと白バイなどの警察関係の車両がズラリと 並んで駐車され、珍皇寺の表門の敷地にはマイクロバスが入り込み「立ち入り禁止」のテープが門前に張られ、府警本部と所轄の捜査員たちが慌ただしく動き回って物々しく現場検証が行われていた。

珍皇寺の境内のそこかしこには、焼け焦げた鳥の死骸が転がっていた。

ベテランの森野刑事がペン先で一羽の鳥の死骸をゴロンと転がしながら、鑑識課の 若い職員を見上げながら尋ねた。

「どんな状況になったら、鳥はこんな死骸になるのや?」

「判りません」

森野は呆れた顔で、鑑識課の若い男を見た。

「どういうことやねん? 鑑識が判りませんって……」

「お手上げだってことです。説明のしようが無いってことです」

「おいおい。それが京都府警の鑑識課の言う言葉かいな?」

「科捜研でも同じ見解けんかいだと思いますよ」

みつかれた箇所が黒焦げになり、生焼け状態というのは前例がありません」

森野は立ち上がって、疑いの眼差しで鑑識課の男に聞いた。

「ホンマかい?」

「ホンマです」

「よっしゃ、分った」

「例えばの話でエエから、教えてくれ」

「……どうやったら、鳥がこんな死骸になると思う?」

「灼熱の牙を持った犬でもいれば……。こうなるでしょうね?」

「なるほど」

「……灼熱の牙を持った犬か?」

納得した森野はボケツッコミで、すかさず大きな声で切り返した。

「ンな犬、おるワケ無いやろが!」

鑑識課の若い男は苦笑した。

「……ですよねぇ?」

―――

現場検証は「迎え鐘」の御堂の前でも行われていて、数名いる鑑識課の一人に中堅  クラスの岡田刑事が聞いた。

「もう、いいかな?」

カメラを持った鑑識課の職員が答えた。

「どうぞ」

「写真はすべて取り終えましたので……」

境内の地面には38口径のリボルバーが子供のオモチャのようにして握り潰され、 2個の空薬莢からやっきょうと2個の使用済みの実弾が半径3㍍以内に落ちていた。

腕組みをした片方の手で下アゴを掴み、岡田は深く考え込みながら遺留品を黙って 見下していた。

そして、おもむろに口を開いた。

「有り得ねー話だ」

「どう考えてみても、理解することの出来ねー遺留品ばっかりだ」

「殺人犯が所持していたと思われる回転式38口径のリボルバーのシリンダーの中で弾丸タマ装填そうてんされたまま、薬莢が爆発せずにまるで子供のオモチャを握り潰したように丸く固められているのだから……」

白手袋を装着している手を伸ばし、岡田は1個の弾頭を拾って目前でかざした。

「……線条痕せんじょうこんが残っている」

「この弾丸タマは、発砲されたってことの証明だ」

「……それがなぜ、飛んでいきもせずに空薬莢とともにこんなところに2個も転がっているんだ?」

―――

岡田刑事から少し離れた境内で、同じく中堅の真田刑事が、木製のグリップが焼け焦げ、形を無くしている拳銃の前で政岡と一緒にしゃがみ込み、角度を変えて覗いていた。粘土細工のようにグニャリと歪められ、僅かに形が残されている銃口にペン先を差し入れて持ち上げ、目の前で翳しながら真田は小首を傾げた。

「よう判らんわい?」

拳銃を注視している真田に、政岡は相槌あいづちを打った。

「不思議です。とても人間業にんげんわざとは思えません」

「どうすれば粘土を握り潰したように、鋼鉄製の拳銃をこのような形で歪めることが出来るのでしょうか?」

拳銃から目を離した真田は、険しい目で政岡を睨みつけた。

「ンな話をしてるのと違うがな」 

「えッ?」 

「ワシはなあ」

「身勝手な単独行動をした氷室丈二と、それを簡単に許したお前の軽率な行動を言うてるのや」

政岡は反論することも出来ず、黙って頭を下げた。

「‥‥‥‥‥」

真田は下を向く政岡のオデコを、ツンと突いた。

「バカタレコンビか? お前ら二人は……」

顔を上げた政岡に、真田は厳しい顔で叱責した。

「忘れたんかいな?」

「刑事は常に「二人一組での行動」と決められていることを……」

政岡は肩の力を落とし、再度、ガックリと頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」 

―――

政岡は、不貞腐ふてくされた顔で窓の外の景色を眺めていた。

『何だよ、ガキじゃあるまいし……』

『ロックして、あの丈二を車内に閉じ込めておけって言うのかよ?』

純子は窓の外を見ている政岡に話しかけた。

「私、丈二さんを見たわ」

政岡は生返事で応えた。

「……そうかい」

「見たのよ。私、丈二さんを……」

政岡は驚いた。

「な、なにぃーッ!」

政岡はバンとテーブルを叩いて身を乗り出した。

「ど、どこだ!」

「どこで丈二を見たンだ?」

「八坂神社」

「……八坂神社?」

大晦日おおみそかに「をけらまいり」の時に丈二さんを見たの」

政岡は呆れた顔で、身を元に戻した。

「バカヤローッ!」

「紛らわしい言い方をするんじゃねーよ!屁でもこいて寝ていろ。そこで……」

純子は口を尖らせて反論した。

「あら?」

「随分と酷い言い方をしてくれるわね?」

政岡は純子を指差し、険しい表情で言った。

「いいか、よく聞け!」

「「をけら詣り」ってのは大晦日から元旦の朝にかけての行事だ。丈二が失踪したのは今年の夏だ。そんな古い話を持ち出してくるんじゃねーよ」

「いつだっていいじゃないの。会った時期なんて……」

「私はね。丈二さんを捜すヒントになるかもしれないと思って言ってるの。藁にも縋りつきたい気持ちでいるんだったら、もっと真剣に私の話を聞くべきでしょうが!」「一本の細い藁が太い命綱いのちづなへと繋がってくれるかもしれないじゃない?」

「よし、判った」

「話してみろ。その時の状況を……」

純子は当時を思い浮かべるようにして、話し始めた。

「あれは……」

―――

参拝客で賑わっている大晦日の八坂神社の境内では、赤々と燃え盛る「をけら灯篭」のかがり火の前で、大勢の参拝客たちが吉兆縄きっちょうなわに火をともしていた。 

友人の女性グループを「をけら灯篭」越しにスマホで撮っていた純子が、大勢の参拝客に混じる一組のカップルに気付いた。

「あら?」

「丈二さんじゃない」

「結構、いいムードになっているじゃないの。仲良く二人で吉兆縄に火をけたりなんかしてぇ?」

赤く火の点いた吉兆縄をグルグルと回しながら、若い女性と一緒に人込みの中を歩く丈二は、とても楽しそうで幸せを満喫まんきつしているように見えた。

楽しそうに帰っていく二人の後ろ姿を見送りながら、純子は同僚の女性たちに『よいお年を。来年もよろしくネ。バーイ!』と別れを告げて、足早に二人の後を追った。

丈二は火の点いた吉兆縄を回しながら、横を歩く女性に言った。

「吉兆縄は藁ではなくて竹から作られている。だから、こうしてグルグルと回さなくても意外と火は消えないそうだ」

女性は笑顔で丈二に応えた。

「消えてもいいの」

「……どうして?」

「私は寮生活だし、帰ってもお雑煮ぞうにを作る「おくどさん」(かまど)も無いし、こうして風情ふぜいを楽しむだけでいいの。丈二さんと一緒にいるだけでいいの。たとえ吉兆縄の火が消えても、火縄をグルグル回しているだけで私は幸せなの」

女性は丈二の腕に縋りつき、悪戯いたずらっぽく丈二の顔を覗き込んだ。

「丈二さんは?……」

丈二は優しげな眼差しで女性を見つめた。

「俺だって同じ思いだ」

「キミが横にいてくれるだけで、それで十分だ」

―――

純子は政岡に話し終わって、首筋を縦にき出した。

「私、ああいうのって、メッチャ苦手なの」

「後ろで聞いてるこっちの方が恥かしくなってきて、首筋がイイーッ!ってむずかゆくなってきたから、私、直ぐに二人から離れてしまったけど……」

「ねえ。これっていい情報だと思わない?」

政岡は投げ捨てるように、純子に言った。

「知ってるよ。その女性なら……」

「あら? そうなの?」

「彼女の名前は糸川真央だ」

「……何者なの?」

「京都ギオン観光バスのバスガイドで、れっきとした丈二の恋人だ」

「珍皇寺で丈二と一緒に消えた女性が糸川真央だ」

「え―――ッ?」

政岡は呆れた顔で、純子を見た。

「お前ってやつは……」

「そのことも知らずに、俺に話してたのか?」

純子は素直に頭を下げて謝った。

「ごめんなさい。私、いい情報だと思ったから……」

「いいよ」

「モノのついでに、俺もお前に話してやるよ」

政岡は記憶を辿るようにしながら語り出した。

「俺が最初に彼女を知ったのは……」

―――

路肩の待機地帯に停車中の覆面パトの助手席で、政岡が前方に向かって大きな声で叫んだ。

「うおおお―――ッ!」

運転席の丈二が驚いた。

「ビ、ビックリするじゃねーか!」

「何だよ。いきなり?……」

政岡は丈二に言った。

「ったく、泣けてくるぜ。せっかくのデート日和びよりだってのに、お前のようなムサッ苦しい野郎と一緒とは……」

「うるせーッ!」

「俺だって好きでお前と一緒にいるワケじゃねぇよ」

政岡は、ぼやき気味に言った。

「こんな天気のいい日は、仕事を忘れて颯爽とドライブでもしてぇよなぁ。お前のような野郎が横でなく、可愛いちゃんを助手席に乗せちゃってよォ」

とその時、助手席の窓を軽く叩く音がした。

政岡は怪訝な顔で窓の外を見た。

窓の外には同年代と思われる女性の二人連れが前後して立っていた。

一人は前に出て車のサイドガラスを叩き、もう一人の女性は窓を叩く女の後ろで、様子を伺うようにして立っていた。

サイドガラスを下げて、政岡は女に聞いた。

「……何か。用でも?」

大柄で少しぽっちゃりとした女性が、政岡に微笑ほほえんだ。

「いい車ね?」

「サンキュウ……です」

「……ヒマそうネ」

「……でも、ないけど?」

「私たち、初めての京都なの」

「どこから来たのですか?」

「東京」

「ようこそ。京都へ……」

「私たちとドライブしながらの京都案内って、どう?……」

「いいですねえ」

「でも、詳しいことは話せないけど、俺たちこう見えても勤務中なンですよ」

「あっら~。ダサい断り方してくれるわねぇ?」

「もしかしてキミたち、おホモだち?……」

政岡は腹を抱えるようにして、大きな声で笑った。

「ダハハハ……」

「そのとぉ~り。ズバリだったりしてぇ?」

丈二が運転席から身を乗り出し、政岡と話している女の後ろの女に問いかけた。

「……真央じゃないのか?」

真央は車内を覗き込んで驚いた。

「あッ!」

丈二は勢いよく車の外に飛び出した。

何事が起きたのかと、政岡も慌てて車の外に出た。

丈二は険しい表情で車を迂回しながら、足早に真央に近づいた。

そして、静かでありながら、強い口調で真央に訊ねた。

「……「東京」から来ただって?」

真央は黙ってうつむいているだけだった。

「…………」

「いつから淡路島が「東京」と呼ばれるようになった?」

真央は小さく身をすくめて謝った。

「……ごめんなさい」

「いつもこんな手口で、男に京都を案内させているのか?」

「そ、そうじゃないのですけどォ……」

「いつもこうやって、男をナンパしているのか?」

真央は返す言葉も無く黙っていた。

「…………」

「黙ってないで言いたいことがあれば言えばいい。聞いてやるから……」

真央は深々と丈二に頭を下げた。

「ごめんなさい」

真央の先輩の静香が勢いよく二人の間に入って、丈二に食って掛かっていった。

「何よ、あんたッ!」

「ン?」

「真央の知り合いだか何だかしんないけど、めるのだったら真央を責めずに、 この私を責めなさいよ!東京だと言ったのは真央じゃなくて、この私なんだから……」「誰が言おうと関係無しだ。行動を共にすれば同罪だ」

「ど、同罪ですってぇ?」

静香は激しく丈二に詰め寄った。

「真央が一体、どんな重い罪を犯したってのよ!」

「!」

「私がどうやってタクシー代を浮かせるかも知らないで、真央は私の後ろで立って いただけじゃないの!」

「真央はあんたに、何も言ってないでしょうが!」

「真央の罪名は何だって言うのよ!」

「言ってみなさいよ!」

丈二は言葉に詰まった。

「そ、それは……」

「あんたがやっていることは、チンピラが得意にしている恫喝どうかつじゃないの!」「か弱い女性を相手に、脅迫してんのと同じことじゃないの!」

政岡は腕を組んだまま、傍で黙って二人のやり取りを聞いていた。

『彼女の言う通りだ』

『分が悪いな。丈二の方が……』

丈二は非を認めて素直に謝った。

「悪かった。許してくれ」

「実を言えば、真央は同郷の後輩であり、俺とは幼馴染おさななじみなんだ」

「そういうワケだから、真央には軽率な行動を取って欲しくはなかったってことだ」

「だ、だからと言って、まるで刑事のような口ぶりで虎のを借りた狐のように、  上から目線で真央を強く責め続けることはないでしょうが!」

「申し訳ない」 

「真央を心配して、必要以上に口が過ぎてしまったようだ」

「申し訳ないですってぇ?」

静香の憤慨ふんまんは収まることを知らなかった。 

「マジにアッタマにきたわ!」

「何よ。その謝り方は!」

「普通、謝る時は「ごめんなさい」って、頭の一つでも下げるものでしょうがッ!」

静香の勢いに圧倒され、タジタジになりながら丈二は謝った。

「済まなかった。許してくれ」

「何なのよ。その謝り方は?……」

「少しも謝っていないじゃないの!」

「分った。土下座して謝るよ」

「やって貰おうじゃないの」

本気で土下座しようとする丈二の姿を見て、真央は慌てて静香を引き止めた。

「先輩、もう止めて下さい!」

「本物の刑事さんなんです。丈二兄ちゃんは……」

「……刑事?」

「はい」

「本物の?……」

「ええ……」

静香は仰天した。

「えええ―――ッ!」

「う、うそでしょ?」

政岡は警察バッジを取り出し、驚く静香の前に提示した。

「本当だ」

「キミが怒る気持ちを理解することは出来るが、刑事を土下座させるのは少しばかり遣り過ぎじゃないのかな?」

政岡の言葉に反省した静香は、次に出てくる言葉が無かった。

―――

政岡は当時を振り返りながら、話を続けた。

「これは彼女から直接に聞いた話だが、二人は淡路島の出身で、彼女は子供の頃から丈二にあこがれと恋心をいだき続け、偶然でもいいから丈二と再会出来る日を夢見ながら、京都のバス会社に就職したそうだ」

「ところが偶然とは恐ろしいモノだ。感動の涙の再会どころか、あの時は恐怖の再会だったと彼女は後で笑っていたよ」

「どんな形の再会だって、私は羨ましいわ」

「だって、その後の二人は幸せなカップルになっているんだから……」

「ところが、そうでも無いようだ」

「え?」 

「二人は許されぬ仲だと言っていた」

「どういうことよ?」

「詳しい事情は丈二も彼女も知らないそうだが、二人とも物心ものごころが付く以前から氷室家と糸川家の両親は敵対視して、いがみ合っていたそうだ」

「あら?」

「それって現代版の「ロミオとジュリエット」じゃないの。両家の両親が仲たがい  しているなんて……」

「……ロミオとジュリエットか?」

「知っているの?」

「知らねーよ。どっちが男で、どっちが女なのかさえも知らねーよ」

純子は吹き出すようにして苦笑した。

「うふ、……でしょうね?」

何気なく窓の外の向かいのビルを見た政岡の表情が一変した。

「ン?」

異変を感じた政岡はガラス窓に顔を近づけ、店内の明かりをさえぎるために両手を顔の横に立てて暗い窓の外を見た。

全体が薄暗かったビルの2、3、4階の窓ガラスが、フェードアウトしてビルと共に消滅し、一階のシャッター部分だけが映画のスクリーンのように取り残されていた。「ど、どうなってんだ?」

すでにスクリーン化してしまったシャッター面に、風景画らしきモノが薄ぼんやりと浮かび上がってきていた。

政岡は驚いた。

「マ、マジかよ?」

乳白色っぽくて色彩が不鮮明だった風景画が、ポラロイド写真が仕上がっていくのと同様に、次第に鮮明さを増してきた。

フェードインされた風景画の左側は、真紅しんくの紅葉が生い茂り、右側は桜の花が満開で、花弁はなびらがそよ吹く風にハラハラと舞い落ちている光景だった。

「な、なんだぁ? あの絵は……」

政岡は絵を見て苦笑した。

「……桜の花と紅葉かよ?」

「四季の無い絵が描きてぇのだったら雪景色を背景に、南国の花と蝶も描写しろよ。現実的には有り得ねーファンタジーの世界へ誘ってやれよ」

ブツブツと呟きながら窓の外を見ている政岡を、純子は不審な顔で訊ねた。

「……どうしたの?」

「ふざけ過ぎた絵が浮かび上がってきているんだ」

政岡は顔を元に戻して、表のビルを指差した。

「見ろよ。前のビルのシャッターを……」

純子は政岡の指先を追って、窓の外を見た。

「ライトアップでも始めたのかしら?」

純子は不機嫌な顔で窓から離れた。

「ふざけているのはどっちの方よ?」

「何も映っていないじゃないの。シャッターに……」

シャッターに浮かぶ絵を見ながら、政岡は怒るようにして純子に言った。

「お前には見えないのか? あの絵が……」

純子は平然と応えた。

「ええ……」

「見えないわ。私には何も……」

再度、シャッターを見直した政岡が驚いた。

「な、なんてこった……」

絵の中の道路に、新たに小さく4人の人物が描き加えられていたのだった。

「じ、人物が描かれているぞ!」

政岡は必死になって、信じぬ純子に説明をした。

「あの絵は異常だ!」

「さっきまで描かれていなかったんだ。人物なんて……」

純子に説明しながら政岡が絵を見ると、絵の中の景色と人物が同時に動き出した。

政岡は大きな声で叫んだ。

「うわおーッ!」

真っ赤な紅葉と桜吹雪が舞い散る絵の中の一本道を、男女混合の4人組のグループがこちらに向かって進んできた。

「う、動いてるぜ!」

「よ、4人が、こっちに向かって近づいてきてる!」

純子はウンザリした顔で、再度窓の外を見た。

そして、身体を元に戻して政岡を睨みつけた。

「一緒じゃないの!何も描かれてないじゃないの!」

「バ、バカを言え!」

政岡は身を乗り出して、窓の外を見た。

絵の中で進行する4人の姿は段々と大きくなり、やがて性別が判るほどになってきた。

政岡は仰天した。

「な、なぬーッ!?」

政岡はパッと立ち上がって、またもや大きな声で叫んだ。

「じょ、丈二だッ!」

政岡の大声に驚き、客と従業員たちの視線が一斉に政岡に集まった。

純子は声を押し殺して、政岡をたしなめた。

「静かにしてよォ」

「絵なんて、ホントに描かれていないんだから……」

ビルを指差しながら、政岡はまたも大きな声を上げた。

「見ろ!見ろ!見ろ!」

「混じっているんだ!4人グループの中に丈二がーッ!」

純子は仕方なく、窓の外を見た。

身を元に戻した純子は、悲しそうな目で政岡を見つめた。

「描かれてなんかないって……」

政岡は窓の外を指差した。

「見てみろ!もう一度!」

純子は人目も憚らず、大きな声で政岡を叱った。

「も―――ッ!」

「いい加減にしてよ!」

窓の外を見ながら、政岡はパッと席を立った。

「ま、間違いねーッ!」

「間違いなく丈二だ! あれはーッ!」

政岡はテーブルの上のレシートを掴み取り、血相を変え出口に向かって走った。

慌てる政岡の後ろ姿を見送りながら、純子は深く大きな溜め息をついた。

「あ~あ~」

「ついにこわれちゃったわ。お兄ちゃん……」

「……お母ちゃんに報告しとこ」

「心配してた通り、やっぱ、裕次郎兄ちゃんおかしいわって……」

静かに席を立った純子は、出口の方に向った。


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