三の炎
三の炎
境内の「迎え鐘」の御堂の陰で身を隠していた矢沢も野鳥たちの異変に驚き、怪訝な顔で上空を見上げていた。
「な、何や?」
「何が起こったんや?」
―――
不思議に感じたのは真央と丈二と矢沢だけでは無く、参道の木の天辺でも白頭ガラスが鋭い眼光で境内の様子をジッと伺っていた。
「…………」
―――
丈二の腕を掴み、真央は丈二を促した。
「ねぇ、行って調べてみましょうよ」
「ダメだ!避難するのが優先だ!」
「犯人が珍皇寺に隠れていると確認したワケじゃないでしょ?」
「ま、それは、そうだが……」
「何が起こったのかを調べてから避難しても遅くは無いと思うの。ことの真相を後で政岡さんに報告してもいいのではないかしら?」
「それもそうだな」
「よし、行ってみよう」
木の枝の天辺では白頭ガラスが鋭い眼光で、参道を境内に向かって駆けてゆく真央と丈二を見送っていた。
「…………」
―――
急いで参道を駆けつけてきた二人は、境内の前で立ち止まり、落下してきた野鳥たちを目の当たりにして絶句した。
地上に激しく叩きつけられるようにして落下した野鳥たちは首の骨が折れたり翼が折れたりしていて、瀕死状態で藻掻き苦しみながら喘ぎ続けていたのだった。
まだ余力のある野鳥たちは、再び飛び上がろうと必死で羽根をバタつかせていたが、 その努力も空しく飛び上がることが出来なかった。
苦しみに喘ぐ野鳥たちの甲高い鳴き声と奇声が、境内に響き渡っていた。
「クワッ! クワッ! クワ―――ッ!」
「ギャギャギギィ―――ッ!」
目の前の異様な光景に恐怖を覚えた真央は、丈二の片腕をしっかりと捕まえて離さ なかった。
「こ、怖いわ」
「元気に飛び回っていた鳥が急に落ちてくるなんて……」
「季節外れの鳥インフルエンザの「サーズ」か、それともヒトコブラクダが感染源でコロナウイルスが変形した「マーズ」と思ったが……」
「どうも、それでは無いようだ?」
「コウモリが感染源だった新型コロナウイルスが、突発的に悪性の鳥インフルエンザに変化して、それが一気に空中で拡散してしまった「新型の鳥コロナウイルス」かもしれないな?」
「私は「サーズ」でも「マーズ」でも「新型の鳥コロナウイルス」でも「オミクロン」でも無いような気がするの」
「何だよ、 そう思う理由は?……」
「だって……」
「さっきも話したように珍皇寺には頭の白い変な鳥がいるだけでなく、車の上で昼寝していた野良猫だって突然、変な騒ぎ方をしてビックリさせられたから……」
「騒いだのか? 急に野良猫が?……」
「ええ、そうよ」
「見えない相手に向かって威嚇してるの」
「背中を丸めて毛を逆立てて、そして牙を剥いて……」
真央は小さく背を丸めながら、一気に丈二に襲いかかる素振りを見せた。
「フッシャ―――ッ!」
「おっと、真央が真似れば、化け猫だって可愛い子猫ちゃんだ」
お道化る丈二に対し、真央は少し頬を膨らませて怒った。
「茶化さないでよ。真剣に話している時に……」
「悪かった。許してくれ」
「鳥だけが騒いだので無いとすれば、動物たちが持っている予知能力が災いしてしまったのかもしれないな?」
真央は丈二の答えが気に入らず、不満顔で問い返した。
「予知能力が原因で飛ぶ鳥が落下して……そして瀕死状態になっていると言うのですか?」
「俺は学者じゃないし、その道の専門家じゃない。例えばの話をしているだけだ」
「例えて言えば、動物が何を予知したというの?」
「地震だよ」
「……地震?」
「大地震が起きる直前に動物たちが異常行動を起こしている事例が、世界の各地で数多く報告され確認もされているンだ」
「1995年1月17日の阪神・淡路大震災の時は、犬や猫が急に騒ぎ出しているし、スマトラ島沖地震の時も、数百頭いた野生の象や野ウサギが予兆を感じて逃げ出したって話だ」
「動物たちが異常な騒ぎ方をしたのはそれだけじゃないぞ」
「ニュージーランド・クライストチャーチ大地震の発生2日前には、スチュワート島の浜辺にイルカやゴンドウクジラが百頭を越えるほど打ち上げられているし、2011年3月11日の東日本大震災の時は、放牧中の馬たちが立ち上がって口を寄せ合せるだけでなく、他の馬たちと異常なぶつかり合いをしていたそうだ」
「まだ詳しく調べていないので断言することは出来ないが、2016年4月14日の熊本地震の時も恐らくそうであっただろうと俺は思っている」
「それに、京都には幾つもの活断層が走っている。南海トラフ地震と併発 して直下型大地震発生の可能性だって以前から指摘されているんだ」
「猫が突然騒ぎ出し、鳥がこんな酷い目に遭ってしまったのも、人間には感じ取れない地殻変動で生じる電磁波や、帯電エアロゾルを感知する予知能力があったからこそ、動物たちは狂ったように互いを傷つけあっているのかもしれないってことだ」
「もしそうだと仮定すれば、これは京都で大地震が起きる前兆だ」
真央の表情が険しく変化した。
「そ、そんな……」
「京都で大地震だなんて……」
「安心しろ」
「地震が来ると決まったワケじゃないのだから……」
怯えながら真央は丈二に訊ねた。
「教えてよ」
「丈二さんは刑事さんなのに、どうしてそんなに地震に詳しいのよ?」
「理由は後で話す。とにかく今は早くここから立ち去ることが先決だ」
丈二は真央の手首を掴んだ。
「行くぞ!」
「は、はい」
とその時、突然、聞いた事も無い凄まじい轟音が境内に轟き渡った。
ズ、ズ、ズ、ズゴゴゴォ―――ッ!
「!」
「な、何なの。この音は?……」
―――
突然の轟音に仰天したのは「迎え鐘」の御堂の裏に隠れていた矢沢も同様だった。
「な、何やねん。この音は?……」
矢沢の顔色がサッと変わった。
「じ、地震や!」
「地震が来る前の地鳴りやーッ!」
―――
その場に立ち尽くしていた丈二も、矢沢と同じことを感じていた。
そして、ポツリと真央に呟いた。
「地鳴りだと思う」
「えッ?」
「大地震が来る前触れかも?……」
真央は丈二の腕に縋り付き、恐怖に怯えながら訊ねた。
「す、直ぐに大きな揺れがくるのですね?」
丈二は怯える真央を強く抱きしめた。
「心配しなくていい」
「地鳴りがしたからと言って地震が必ず来るとは限らない。例え来たとしてもこの俺がいる。俺がキミを守る」
「命に代えても真央を守ってみせるから安心しろ」
怯える真央を抱きとめていた丈二が、本殿前に設置されている石塔婆の方を見て、怪訝な顔で小首を傾げた。
『ン?』
『何だか様子がおかしいぞ?』
石塔婆の前の玉砂利がまるで豆でも炒っているかのように、ジャジャジャ……と小さな音を立てながら激しく上下に弾け続けていた。
「安心しろ。地震じゃないようだ」
「えッ?」
怯える真央から身を離し、丈二は石塔婆を指差した。
「見ろよ。あれを……」
真央は丈二の指差す先を目で追うと、丈二の言っているように石塔婆の前の小石だけが小さく音を立てて飛び跳ねていた。
「小石が飛び跳ねているだろ?」
「ええ……」
「地震じゃない証拠だ。小石が動いているのはあそこだけだから……」
「……でも、変ね?」
「どうしてあそこの小石だけが動いているのかしら?」
とその時、又も地鳴りが起こり、二人の目の前の地面が音を立てて大きく陥没し、直径が2㍍ほどの大きな穴が突如としてガボッと出現した。
同時に声を出して二人は驚いた。
「キャッ!」
「うわッ!」
二人は恐る恐る、穴に近づいていった。
「どうして穴が?……」
「なぜかしら?」
二人が穴に近寄るのをまるで待っていたかのようにして、突然、陥没した穴から一匹の大型犬が勢いよく境内に飛び出してきた。
二人は再度、驚かされ、後ろに飛び退いた。
二人の前に飛び出して来た犬の体型は、タイリクオオカミに似ていて、毛並みは長く 虎のような縞模様になっていた。
空中でクルッと一回トンボを切ってトンと着地すると、二人の存在に気付いた犬は威圧するような鋭い眼光でグイと睨みつけてきた。
恐怖に慄いた真央は、咄嗟に丈二に抱きついた。
真央を抱き止めた丈二も、犬の迫力に圧倒されていた。
『マ、マジに怖いぜ。この犬は……』
傷付いた鳥たちも、突然の犬の出現に驚き、バタついていた。
背後でバタつく鳥たちに気を取られた犬は、丈二たちから目を逸らし、必死で飛び立とうとしている鳥たちに向かって駆け出した。
鳥に駆け寄る犬を、真央と丈二は呆然と見送っていた。
「なぜ、犬が穴から出てきたのかしら?」
「不思議だ。常識では有り得ない話だ」
羽根をバタつかせ藻掻き苦しんでいる一羽のカラスに近づいた犬が、ガブリと一噛みすると、カラスは犬の口の中でボワッと炎を上げて燃え上がった。
二人は又も驚かされた。
「ウソ!」
「マジかよ?」
「信じられないわ!」
「冗談じゃねーぜ」
犬は燃えたカラスを口からポイと横に放り出すと、バタつきながら必死になって逃げようとしている鳥たちを、まるでモグラ叩きのように、次から次へと襲い続けて噛み殺した。
丈二は真央の耳元に口を近づけて促した。
「逃げよう」
「その前に府警本部か政岡さんに連絡した方がいいのでは?……」
「そんなヒマは無い。連絡するのは逃げてからだ。相手は化物の犬だ。咬みつかれ 手足が焦げてからでは手遅れだ」
化物の犬は丈二たちのヒソヒソ話に気付き、野鳩を咥えたまま、鋭い眼光で キッと二人を睨みつけた。
黒焦げになった野鳩が、魔犬の口からドサッと地面に落ちた。
魔犬はガバッと口を大きく開け、火炎放射器のような炎を二人に向かって勢いよく噴きつけてきた。
「ひ、火まで噴きやがったぜ!」
「ゴジラの親戚かよ。この化け犬は……」
なんと、魔犬の口から放射されている炎の長さは10㍍程もあって、丈二たちが立ち止まっている中間地点にまで達していた。
「逃げるぞッ!」
パッと真央の手首を掴み、その場から逃げ出そうとしたその時、境内に一瞬の閃光が走った。
辺り一面が真っ白になると同時に耳を劈く激しい雷鳴が轟き渡り、境内で一番大きな樹木に落雷が直撃し、縦に真っ二つになって割れた。
二人が逃げる間もなく今度は穴から男が勢いよく外に飛び出し、魔犬と同様に空中でクルッと1回トンボを切って境内に着地した。
男は30歳前後で黒いスーツを着用し、女性のように長い髪は後ろで一つに束ねられ、顔は細面で、今風に言うところのイケメンの優男だった。
次々と繰り広げられる思わぬ展開に、二人は逃げることも忘れ、事の成り行きを呆然と見送っていた。
黒服の男はゆっくりと玉砂利を踏みしめながら、丈二たちに近づいてきた。
丈二は真央に命じた。
「逃げろ!」
「え?」
「いいから、早く逃げろ!」
「で、でも……」
丈二は躊躇っている真央を強引に振り返らせ、ドンと背中を突いた。
「逃げろ!」
「早く!」
真央は前につんのめりながら、丈二の指示に従い走って逃げた。
丈二はパッと両手を大きく広げ、近づく男に向かって叫んだ。
「止まれ!」
「それ以上、近づくんじゃねーッ!」
男は地面を蹴って、阻止する丈二の頭上を軽く飛び越えた。
慌てて振り返った丈二は、その光景を目にして驚いた。
男は参道を逃げてゆく真央のポニーテールを、ガシッ!と掴み取っていたのだった。
「キャ―――ッ!」
悲鳴を上げる真央に、男は静かな口調で諭した。
「諦めなさい」
「あなたが私と出会ったということは、地獄に落ちる運命だったということです」
男の声が丈二の耳に入った。
『地獄に落ちる運命だとォ?』
男は半身を開き、掴んでいた真央の髪を横に振り払うようにして放り投げた。
男の力は凄まじいものだった。
真央は悲鳴を上げながら、宙を飛んでいった。
「きゃあ―――ッ!」
真央は飛んで行きながら、走ってくる下方の丈二に助けを求めた。
「助けて―――ッ!」
真央に駆け寄る足を止め、丈二は信じられないといった表情で、飛んで行く真央を 見送っていた。
「そ、そんなバカな……」
丈二の頭上を飛び越えた真央は緩やかな放物線を描き、魔犬と男が出てきた穴に吸い込まれるようにして、頭からスッポリと入っていった。
「きゃあああああ―――ッ!」
真央の悲鳴が急に小さくなり、そして……消えた。
言葉を無くした丈二は、声すらも出なかった。
「・・・・・……」
我に返った丈二が激怒した。
「冗談じゃね―――ッ!」
丈二は穴に向かって、絶叫しながら走っていった。
「真央―――ッ!」
男はパッと地面を蹴って飛び上がり、走る丈二の頭上を飛び越え、丈二が近づいて来るのを穴の手前で待っていた。
ピタリと足を止めた丈二は、物凄い形相で男を睨みつけた。
「バケモノめ……」
丈二はホルダーから拳銃を抜き取り、銃口を男の眉間に向けた。
「よ、よくも……」
「よくも、俺の大切な真央を……!」
男は銃口を向けられても、平然としていた。
「撃ちなさい」
「な、なにィ?」
「私はあなたの大切な人を地獄に送り込んでしまった人間です」
「躊躇う必要など有りません。撃てばいいのです」
「ざけんじゃねーッ!」
「テメーは人間なんかじゃねぇッ!」
丈二はありったけの声を出して叫んだ。
「大バケモノだーッ!」
男は冷たく笑いながら、一歩足を前に踏み出した。
「……大バケモノですか?」
「ある意味で的を射ているかもしれませんねぇ。その呼び方は……」
丈二は拳銃のセフティを外し、ハンマーを起こした。
「それ以上、動くンじゃねーッ!」
丈二はギリッとトリガーを絞った。
「あと一歩近づいたら、撃つぞッ!」
「撃ちなさい」
「な、なんだとォ?」
「今、私を撃たなければ、あなたはこれからずっと後悔し続けることになるでしょう」男が一歩足を踏み出すと同時に、一発の銃声が境内に響き渡った。