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快炎鬼  作者: 吉田四郎
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一の炎

一の炎

西暦20XX年・夏。

その日は朝から雲一つ無い晴天で、土手の高い京都の鴨川の桜の並木道にも夏の暑い日差しが燦燦と降り注ぎ、生い茂った桜葉の隙間からは木漏れ日が地表に幾つもの 水玉模様を作って揺らいでいた。

鴨川の高い土手から河川敷に下っていくと、そこではジョギングに励む人やランニングで汗を流す人たちが多くいて、人々は擦れ違う毎に笑顔で片手を上げて軽い会釈と挨拶を交わし、ラジオ体操に興じている人たちはラジオから流れ出る心地良いリズムと音声に合わせながら軽く身体を慣らし、そのかたわらでは優雅に太極拳を楽しんでいる老人たちがいて、虫取り網を持って蝉の鳴き声を頼りに追い求めている数人の 子供たちが、老人たちの横を走り抜けていくといった長閑のどかな朝の風景だった。

―――

その頃、山間を流れる上流の賀茂川河川敷では少しばかり様子が違っていた。

静寂な上流の賀茂川の河川敷には人影は無く、川岸から少し離れた場所に幹の太さが直径10㌢程の雑木がポツンと一本だけ生えており、野球帽を後頭部にチョコンと あみだに被った若い男が、両足を前に投げ出して木に背もたれ、緩やかな水流で心地良い岸辺のせせらぎを聞きながらくつろいだ様子でスマホを操作していた。

麦藁帽子を被った3.4歳くらいの男の子が小川の水面を何度もバシャバシャと水飛沫みずしぶきを上げながら「キャッ!キャッ!」と声を上げてはしゃぎ回っていたのだが、子供はピタリと動きを止めて、スマホに夢中になっている男に声をかけた。

「パパ……」

父親は顔を上げず、なま返事で応えた。

「……どうした?」

「死んだ鳥が流れているよ」

「……魚じゃないのか?」

「違うよ!」

「死んだ鳥だよ!」

「ほら」

「あっちにも、こっちにも…」

おもむろに顔を上げた父親は、我が子が指差した先を見て驚いた。

「マ、マジかよ?」

なんと、そこには鳥の死骸が次々と流れ下っていたのだった。それも一種類の鳥の死骸だけで無く、カラス、マガモ、ムクドリ、ヒヨドリ、ハトなど各種雑多の野鳥たちの死骸が混じって流れていた。

青ざめた父親はスマホを止めて立ち上がり、川に入って子供をうながした。

「か、帰ろうか?」

「うん!」

すっくと子供を抱き上げて父親が川面を見ると、野鳥の死骸が次第に減っているのと反比例して、深手を負った瀕死状態の野鳥たちが増えていた。ハトの羽根は中程でポキンと折れて曲がり、ムクドリやカラスなどの鋭く尖っているくちばしは大きく欠け、鳥たちは再び飛び立つどころか羽根をバタつかせる力も弱くなり、死が訪れてくるのを待つだけの状態だった。

不安な顔で父親が上流の山並みを見上げると、上空では数千羽以上はいると思われる鳥たちが、揺れ動く黒い雲の集団となり、群れの形を自在に変化させていた。

その状況はあたかも何者かが山の上空で野鳥たちに指示を出しているか、それとも何者かが野鳥たちの種類の大小を選別しているのではと思われるような光景だった。  

わしたかなどの大型の猛禽類は見当たらず、スズメ、メジロ、ウグイス、ツバメ、モズ、ヤマガラ、ハクセキレイなどの小型の野鳥たちの姿も見当たらない。 

中型のハト、カラス、ヒヨドリ、ムクドリ、キジバト、カモ、マガン、ハヤブサなどが主体になっている野鳥たちの集団だった。

素早く形状を変える黒い雲のように見えていた野鳥たちの集団は、空中において既にパニック状態に陥り、激しく乱高下を繰り返しながら、目に入ってくるすべての鳥は敵とばかりに見境なく、狂ったように激しく相手を攻撃し続けていたのだった。

戦いに敗れて傷つき汚れた野鳥たちは錐揉きりもみ状態となって川面に叩きつけられ、苦しみにあえぎながら息絶えて死骸となり、川面を漂いながら流れ下っていった。

上流の空で激しく闘い続けている野鳥たちの黒い集団が、父親と子供のいる下流に 向かって飛んでいった。

―――

急接近して来る黒い集団の鳥たちを見て、子供が父親に言った。

「パパ。黒い雲が近づいて来ているよ?」

「あれは雲じゃない」

「鳥のカタマリだ」

絶え間なく変化する黒雲の正体に気付いた父親は、抱き上げていた子供をパッと 小脇に抱き替え、バシャバシャと水音を立てながら慌てて岸辺に逃げていった。          

父親が慌てて逃げ出したので野球帽と一緒に麦藁むぎわら帽子までもが川面に落ち、瀕死状態の鳥たちと一緒に帽子は川下かわしもに流れていった。

「キィーキィー・ギャーギャー」と狂ったように奇声と鳴き声を上げながら、争いを続けている野鳥たちの集団のスピードは異常に速く、ようやく川岸に上がった父親と子供の近くにまで接近していた。

子供を小脇に抱き抱えた父親は、転がり込むようにして木の下に逃れ、恐怖におののきながら木陰から上空を見上げ、野鳥たちが飛び去るのを祈る気持ちで待っていた。狂った野鳥の集団は急接近して来たが、飛び去っていくのも嵐のように早かった。

木陰から出た父親は遠ざかる黒い野鳥の集団を見送りながらつぶやいた。

「……不気味な光景だ」

「何だろうな? 鳥たちが狂っちまった原因は?……」

―――

父と子が飛び去る鳥を見送っていた、その頃だった。

八坂神社の西楼門の石階段の中央付近で、一組の若いカップルが仲良く横に並んで 座り、目の前の四条大通りの人通りを見ていた。

階段を上っていく観光客たちや参拝客たちの一部の人たちは、男性の方をチラリと 横目に見ながら眉間にシワを寄せ、ひそひそと囁きながら通り過ぎていった。

例え一部の通行人たちからであっても、二人は奇妙なカップルとしてさげすまされてしまうのも無理はなかった。

女性の方の糸川真央は、黒髪を後ろで一つに束ねたポニーテールで、石段に座っていても容姿端麗さを伺い知ることが出来、顔立ちも清楚で和風的な美人だったのだが、横で座っている男性の氷室丈二の方は、白のワイシャツ姿にノーネクタイとシンプルな服装で、もじゃもじゃの頭に二本の角を生やし、大きく開いた口元からは鋭い牙が突き出ている赤鬼の面を被っていたからだった。

修学旅行中だと思われる数人の女子高生たちが変なカップルの横を通り過ぎてから、賑やかに噂話に花を咲かせていた。

「見た?」

「見た、見た」

「何考えてんだろね。嬉しそうにメン付けっぱなしで子供じゃん。バッカみたい」

「彼女も可哀想よね。あんな男を彼氏にしてさあ?……」

「あら。どうして?」

「メンを付けなければいられないほどのブ男なのよ。きっと?……」

「意外と超イケメンかもよ。メンを取ったら……」

「イケメンだったら許すわね。私の場合は……」

「何が許すわよ。ブ男の彼氏一人さえもいないくせに……」

「うるさい! あんただけには何も言われたくないわ!」

女子校生たちは好き勝手な事を言いながら、八坂神社の境内に入っていった。

赤鬼の面を被った氷室丈二は、他人の目を気にする様子も無く平然と、真正面に見えている四条大通りを見ながら糸川真央に訊ねた。

「……大江山だったっけ? 研修を兼ねた社員旅行は……」

「ええ、そうよ」

「たしか、大江山ってのは鬼の酒吞童子しゅてんどうじが隠れ潜んでいた山のはずだ。だから土産は鬼の面ってことか?」

「……不満そうですね?」

「いや、そうじゃない」

「プレゼントされるのは嬉しいよ。だが、今は夏だ」

「節分用の鬼の面だとしたら、少しばかり気が早いんじゃないのか?」

「やっぱり丈二さんは何も気付いてくれなかったのですね?」

「なぜ私が鬼のお面なんかをお土産で買ってきたのか、そのワケを……」

ゴム紐付きの面を取り外し、真剣な眼差しで丈二は真央に問い返した。

「……なぜだ?」

「丈二さんは仕事の鬼だからです!」

「……この俺が仕事の鬼?」

「そうですよ」

「今日だって楽しみにしていた久し振りのデートだと言うのに『急に仕事が入ったから僅かな時間しか逢えない』って、こんなに朝早くから私を呼び出すなんて……」

「今日と言う日をすっごく楽しみに待っていた、私の気持ちも知らないで……」

「何度ドタキャンしてくれれば、気が済むのですか?」

丈二は両手を合わせて謝った。

「スマン。許してくれ」

真央の小言はまだ続いた。

「ホントはお土産だって二つ買いました」

「また、お仕事でデートがお流れになってしまうのかと不安に感じたので、お菓子と一緒に鬼の面も買っておいたんです」

真央の不平と不満を聞きながら、丈二は深く項垂うなだれたままで今朝けさの出来事を思い出していた。

―――

朝の日差しが部屋に差し込みベッド近くの机上を照らすと、写真立てには登山服姿で笑う真央と丈二とツーショットが飾られていた。

枕元のスマホが派手なテンポで曲が流れ続け、起こされた丈二は眠そうな眼でスマホを耳に近づけた。

「……氷室です」

電話の向こうで、遠藤課長の大きな声がした。

「おはようさん」

「課長、どうしたのですか? こんなに朝早くから…」

「高倉から連絡があってなあ。先ほど、お母はんが亡くなりはったそうなんや」

「ええ―――ッ!」

「高倉は一人息子で長男やから、なんやかんやとせなアカンねん。そやさかいに暫く休みを取らそうと思てんねん」

丈二は課長の話を黙って聞いていた。

「‥………」

「夏の風邪はしつこうて、渡辺も田中も寝込んでいるやろ?」

「……そうですね」

「そこで困った時の氷室丈二や」

「度々(たびたび)で悪いけど、今回も出てくれへんかぁ?」

「了解しました」

「少し遅れるかも分りませんが……」

「出ます」

心とは裏腹に、丈二はこころよく快諾してしまった。

―――

課長からの依頼を思い出した丈二は、不平不満を訴える真央に返す言葉が無かった。只々、謝るだけしか無かったのだ。

「いつだって俺の都合で会えなくなっている」

「真央が怒って当然だ」

「申し訳ない。許してくれ」

丈二の手から面を取った真央は、横に置いていた紙袋にポイと入れながら、笑顔で丈二に言った。

「もう、いいのよ。謝らなくても……」

「えっ?」

「逢えなくなった理由は言われなくてもよく分っているつもりです。丈二さんの仕事は思うようには休めない仕事だっていうことが……」

「いつものように、急に仕事が入ったのですね?」

「そ、そうなんだ」

「私もこれで少しはスッキリしました。言いたいことを全部言ってしまったから……」「今度は必ず約束を守って下さいね」

「も、勿論だとも」

「今度逢う日がとっても待ち遠しくなってきたわ。だって、逢った時の喜びが待っていた分の二倍にも四倍もなって増してくれるんだもの……」

真央は紙袋を手渡して、丈二を促した。

「遅れるわよ。早く行かないと……」

―――

八坂神社の石階段を一緒に下りながら、鬼の面の入った紙袋と背広を鷲掴みにした 丈二が真央に訊ねた。

「どうすんだよ? これから……」

「心配しないで」

「六道の辻の珍皇寺ちんのうじへ行って、写真でも撮ってくるわ」

「……珍皇寺?」

「珍皇寺って凄いのよ。地獄に通じる「井戸」と、鳴らせば十方億土じっぽうおくどの冥土まで届くと言われる「迎え鐘」の鐘楼があって、今では時代の脚光を浴びて、京都魔界伝説スポットの一つにまでなっているの」

「知らなかったよ。真央が魔界に興味があったなんて……」

「お仕事に活かせるの」

真央は小さく笑って答えた。

「だって、真央の仕事はバスガイドなんだも~ん」

―――

八坂神社の西門前で左右に別れた真央は、去っていく丈二の後ろ姿を悲しそうな表情で見送っていた。

「ホントにイヤんなっちゃうわ」

「デートよりも仕事を優先してしまうんだから……」

「謝ってくれたのはいいけど、少しは判ってくれているのかしら? ドタキャンされて悲しい思いをしている女心ってものを……」

真央は自分の頭を軽く叩いて苦笑した。

「いけない、いけない」

「私っていつまで経ってもバカのまんま。ダメな女性だわ。自分のことばかり考えて、この世で一番大切な丈二さんの職業をまだまだ理解していないんだから……」

―――

下着が透けて見えている薄いネグリジェ姿の渋沢圭子がマンションの玄関先で、恰幅かっぷくのいい中年男の緒方幸蔵のネクタイをびた目で結び直していた。

「ねえ~」

「……何や?」

「今度はいつ来てくれるの?」

「気が向いた時や」

「知っているの? ウチの性格を……」

「知らん」

「どんな性格や?」

「余り長く放っておくと乗り替えるかもよ?」

「ウチ、こう見えてもせっかちなンやから…」

緒方は圭子のアゴをグイッと掴み取り、にっこりと微笑ほほえんだ。

「好きなようにしたらええがな」

「お前のこの顔の形がちょっとだけ変わってしまうのと、贅沢ぜいたくが出来んようになってしまうだけのことやから……」

圭子は引き吊った顔で笑った。

「い、いややわァ」

「冗談で言うただけやのにぃ……」

緒方は圭子のアゴから手を放し、笑顔で優しく言った。

「冗談やったら相手を選んでから言うた方がええ……」

「ワシに冗談言うて、この京都から姿を消したヤツがおるよってに……」

圭子は引き吊っていた顔を、作り笑顔に変えて応えた。

「わ、分かったわ」

「冗談言わんようにするわ。今度から……」

―――

人気ひとけの無い地下駐車場で、矢沢慎二郎が車の陰に隠れて身を潜めていた。

ネグリジェの上からガウンを羽織ったサンダル履きの圭子と一緒に車に向かう緒方の前に飛び出した矢沢は、野球帽のつばを人差し指でツンと上に上げてあみだに被り、サングラスを外してニヒルな笑いを浮かべながら二人の前に顔を晒した。

「やっとお会いすることが出来ましたなぁ」

いとしのお二人さんに……」

仰天した圭子は、思わず声を上げた。

「あ、あんた……」

「ど、どうして、ここを?……」

じゃの道はへびや。お前らの考えてることぐらい直ぐに分るがな」

持っていたセカンドバックから38口径のリボルバーを取り出した矢沢は、圭子の顔に銃口を向けた。

恐怖におののく圭子は、悲鳴を上げることさえも出来なかった。

「ヒィーッ!」

蛇に睨まれた蛙のように金縛り状態になった圭子は、か細い声で矢沢に哀願した。

「あ、あんた……」

「お願いやから、助けて……!」

「よっしゃ。わかった」

「えッ?」

「ホンマやったら俺を裏切ったお前を始末するのが本筋やけど、お前は別嬪べっぴんさんやから許したる」

圭子は驚いた顔で矢沢に聞き返した。

「そ、そんな理由だけで、ウチを許してくれるの?」

「そや」

「どっかのタレントの母親が言いよった『きれいな子もらってね』それが息子の結婚相手として求めた、たった一つの条件やった。別嬪さんちゅうのに中途半端は無い。玉の輿こしに乗って大笑いするか、男に敬遠されて泣くかのどっちかということや」        

圭子はホッと胸を撫で下ろし、安堵あんどの表情を矢沢に見せた。

「ウチ、笑う方やね?」

「そや」

「泣くと笑うの差は紙一重や。俺の気が変わらんうちに、早よ、どっかへ行け!」

「お、おおきに」

矢沢に礼を言った圭子は、緒方に向かって言った。

「おっちゃん。ウチ、せっかちやから行くわ」

「ほな、さいなら」

緒方に別れを告げた圭子は、飛んで逃げるようにしてその場から去っていった。

残された緒方の眉間に、矢沢はサッと銃口を向けた。

「見損ないましたで。組長おやっさん……」

「こんな場所トコに隠しとったンでっか。俺の情婦スケを?…」

緒方は矢沢の行動に動ずること無く、落ち着いた態度で矢沢を諭しにかかった。

「早まるな。矢沢……」

「まず、ワシの話を先に聞け」

「じゃかましいわい!」

「死にさらせ! このボケ!」

矢沢が叫ぶのと同時に乾いた銃声が、無人の地下駐車場に響き渡った。

―――

八坂神社に面した四条通りを大勢の人たちが四条大橋に向かって走っていた。

橋の欄干はすでに集合している大勢の野次馬たちで埋め尽くされ騒然となり、四条大橋の走行車線には各種の一般車両だけでなく市バスやタクシーなどが渋滞に巻き込まれていて、四条大橋近辺は大勢の野次馬たちと停止している車両で大混乱に陥っていたのだった。

停止している車両から運転手や客たちは、何事が起きたのかと心配顔で車外に飛び出して人だかりのしている欄干に近づくと、数え切れないほどの鳥たちが鴨川上流の上空で奇声を発しながら狂ったように激しく入り乱れて闘いを続けていた。  

野次馬たちの中に混じっている若者たちは争う鳥たちに喝采を送り、スマホで動画を撮って楽しんでいた。

「ワオ―――ッ!」

「な、なんだよ。この鳥の大群は?……」

「鳥の喧嘩なんて初めて見たぜ。スッゲーッ!」

「これイタダキーッ! ユーチューブに投稿! サンキューッ!」

川幅一杯に広がって争い続けている鳥たちに大喜びしている若者たちとは対照的に、主婦連中たちは騒ぐ鳥たちを注意深く観察した。

「鳥肌が立つほどに怖いわねぇ」

「サーズとマーズに引き続いて、今度は鳥同士が殺し合う恐怖の新型コロナウイルスの出現じゃないかしら?……」

「私は違うと思うけど、でも、何だかイヤな予感がするわ」

「これって、これから京都で何かが起きる前触れとか前兆じゃないのかしら?」

「こ、怖いことを言わないでよ! 心配で今夜は眠れないじゃない!」

―――

赤鬼の面を付けた丈二が勢い良くドアを開け、紙袋を持って部屋に入ってきた。

「ジャ、ジャ―――ン!」

「人呼んで『仕事の鬼』只今、参上……」

部屋の奥のデスクにいた課長の遠藤が、胡散臭そうに上目使いで丈二を見た。

「何が、ジャジャーンや?」

「それに何やねん! そのめんは?……」

「仕事の鬼の面です」

「誰が仕事の鬼やねん?」

「この氷室丈二ですよ」

丈二は面を外しながら、課長に近づいた。

「氷室丈二をめてやって下さいよ。非番の時でも要請があれば不平の一つも言わずに出勤してくる仕事の鬼なんですから……」

「アホか」

「仕事の鬼は何もお前一人だけとちやうわい。ここにおる京都府警本部・刑事部捜査第一課の全刑事が事件解決に全力をそそいどる「仕事の鬼」ばっかりなんじゃい!」「アハ! そうでした」

丈二は笑顔で刑事部屋を見渡した。

「ここにいる皆さんは、怖~い娑婆しゃば刑事オニさんたちばかりでした」

―――

丈二は自分のデスクに戻って鬼の面の入った紙袋を置きながら、対面のデスクにいる同僚刑事の政岡裕次郎に話しかけた。

「大誤算だ。課長を怒らせてしまったぜ」

「今日は代打の出勤で、少しは褒められると思ったんだがなぁ?」

政岡は顔を上げることもなく、丈二を叱った。

「仕事の鬼ってのはな。テメーの口から言うものじゃねぇんだよ」

他人ひとさまから言われて初めて生きてくる褒め言葉なんだ。そんなことも気付かねぇのか。この大バカ野郎めが……」

丈二は笑いながら、政岡に言い返した。

「お前だけは俺をフォローしろよ」

「同期の桜じゃねーか。俺とお前は……」

政岡は顔を上げ、吃と険しい表情で丈二に応えた。

「軍隊じゃあるまいし、何が同期の桜だ。都合のいい時だけ同期の桜を持ち出してくるンじゃねーよ」

丈二は怪訝顔で席に着いた。

「なぜだよ?」

「課長だけでなく、どうしてお前までもがご機嫌斜めなんだ?」

「ここんとこ事件続きでやたらと忙しいからだ」

「だからイラついているのさ。事件が減ってくればそのうち笑顔も戻ってくるはずだ。お前がふざけ過ぎた所為で怒っているンじゃねー」

「だから、そう気にするな」

丈二は僅かに膨れっ面を見せながら、デスクのパソコンの電源を入れた。

『そういう時こそ態度に出さないでくれよ』

『おっと、いけねー、いけねー』

『俺まで急性イラつき症候群に感染しちまったようだぜ?』と苦笑しながら、丈二は掴んだマウスでパソコンを操作した。

―――

古くから「清水の舞台から飛び降りる」という言葉で知られている「清水寺」から  西に向かって松原通りの清水坂を下りて行くと、国道143号線の東大路通に出る。

松原通りは東に向かう車両だけの一方通行だが、そのまま松原通りを西に向かって 歩いて行くと、通りから少し入り込んだ右側に「六道・珍皇寺ろくどう・ちんのうじ」の山門を見ることが出来る。

珍皇寺の山門前の敷地は大きな石畳が敷かれていて、敷地の両サイドの土塀どべいの白壁は屋根瓦で造られていて、敷地内に一歩足を踏み入れると土塀の左側に「小野篁卿旧跡」と小さく刻み込まれた石標が立っている。

小野篁おののたかむらの石標の在る敷地内を奥へと進むと、白壁の左側に大きな文字で「六道の辻」と刻み込まれた巨石の石碑せきひが置かれていて、山門の門扉と柱は あざやかな朱色に塗られ、門扉は右に大きく開かれていた。

珍皇寺の参道には何本かの樹が植えられていて、その中の一番大きな樹の枝の天辺 (てっぺん)に一羽のカラスが止まっていた。

カラスの容姿は白頭ワシのように頭の上から両翼の付け根近くまでもが真っ白で、 体型も普通のカラスよりも2倍以上に大きく、山門を潜り抜けて境内に入ってくる真央の様子を、猛禽類のような鋭い眼差しで静かにジッと伺っていた。

真央はあでやかな朱色の山門を潜り抜け、石畳の参道を通って白頭ガラスが待ち受けている境内に向かって進んだ。

白頭ガラスはパッと枝から飛び上がり、境内に近づいてくる真央に向かって物凄い鳴き声を上げながら、急降下で一気に襲い掛かった。

「グワッグエッグワ―――ッ!」

今までに聞いた事も無い物凄い鳴き声と、真正面の上段から襲い掛かってくるカラスに驚いた真央は、悲鳴を上げながら頭を抱え咄嗟にその場にしゃがみ込んだ。

「きゃあ―――ッ!」

頭の白いカラスは真央を襲わずにUの字を描きながら急上昇して、近くの別の木の枝に止まった。

襲撃を免れた真央は、しゃがみ込んだままでキョロキョロと周囲を見渡しながら様子を伺った。

「この近くの木の枝にあるのかしら? 子育て中のカラスの巣でも……」

白頭ガラスが頭上近くの木の枝に止まっていることに気付かない真央は、ゆっくりと立ち上がってカラスの存在を確かめながら、本堂に向かって参道を進んでいった。

眼下に真央を見下ろしていた白頭ガラスは枝から飛び立つと、境内まで飛んでいってクルリと上下に回転すると、参道を歩いてくる真央に向かい、鋭く大きな鳴き声を 上げながら、再度襲い掛かった。

「グワ、グワワワァ―――ッ!」

真正面から急襲してくる白頭ガラスに仰天した真央は、逃げることも出来ず、頭を両手で抱えてその場にしゃがみ込んだ。

白頭ガラスは真央の頭上を掠めて飛び去っていき、近くの木の枝の天辺に止まって、恐怖に慄きながら身を小さくしてしゃがみ込んでいる参道の真央を見下した。  

しゃがみ込んだままで参道の木々を見上げた真央は、木の枝の天辺で真央を見下している白頭ガラスと目と目がバッチリと合った。

「あの鳥だったのね? 私を襲って来た鳥は……」

真央は鳥の容姿の異変に、直ぐに気付いた。

「あら、初めて見たわ」

「日本にいたかしら? 羽根はカラスのように黒いのに、頭は白頭鷲のように真っ白の鳥なんて……?」

真央はゆっくりと立ち上がり、木の枝に止まったままで微動だにしない白頭ガラスに向かって問いかけた。

「私に対しての警告ですか? これ以上、珍皇寺には近寄るなと言う意味の……?」

白頭ガラスは真央の問いかけに応えるように一声、大きく鳴いてから頷くように首を上下に動かした。

「カア―――ッ!」

真央はにわかに信じることが出来なかった。

「ウ、ウソでしょ?」

青ざめた真央はクルリと白頭ガラスに背を向け、そそくさと境内に向かった。

「きっと気の所為よ。私の思い過ごしだわ」

「有り得ないわよ。人間の言葉が理解出来る野生の鳥がいるなんて……!」

白頭ガラスは再び真央に襲い掛かっていくことも無く、参道から境内に向かう真央の後ろ姿を木の天辺から鋭い眼光で見送っていた。

―――

刑事たちが慌ただしく動き回っている刑事部屋の奥のデスクで、課長の遠藤が忙しい刑事たちに代って一般市民からの通報電話を聞いていた。

「えッ?」

「鳥が川の上で異常に騒いでいる……のでっかぁ?」

「えらいすんまへんなぁ」

「人間が騒いでいるのやったらトリ締まりが出来まっけど、鳥が騒いでいるだけでは、鳥をトリ締まることが出来しまへんのですわぁ」

課長はそう答えると、不満顔で受話器を置きながら呟いた。

「何で何度も同じ通報が刑事課に掛かって来るねん?」

「鳥が騒ぐのを殺人事件と同一視して通報して欲しないのや。ホンマに……」

とその時、指令室センターからの音声が刑事部屋に流れた。

『左京区下鴨4丁目、鴨川フォレストマンション地下駐車場において殺人事件発生!』ピタリと所作を止め、刑事たちは次の指令を待っていた。

『住人1名を射殺した犯人は通行中の車を強奪し、現在も拳銃を所持したまま逃走中。急行せよ!』

通報を聞いていた政岡の表情が曇った。

「おいおい。また事件かよ?」

指令室センターからの次の指令を待って聞き耳を立てている刑事たちに、課長の遠藤が席を立って大きな声で急かした。

「何をボサッとしてンねん!」

「早よ、現場に急行せんかい!」

サッと立ち上がってイスの背に掛けていた背広を取りながら、丈二は前のデスクの政岡を促した。

「行くぞ!」

「おーッ!」

丈二と政岡の両刑事だけでなく、刑事部屋に居合わせていた数人の刑事たちが一斉に部屋を飛び出していった。


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