純情可憐な密室劇
ヒロインがヒーロー以外と交際している過去があります。
「急募! 好きな人に絶対受け入れてもらえる告白方法!!」
リリアがだんっ! とグラスをテーブルに叩きつけると、向かいの席に座るシドは困ったように微笑んだ。
リリアとシドは、王城に勤める魔術師だ。
下位貴族の子爵令嬢であるリリアは、エリート養成学院卒の経歴のおかげで王城魔術師として順調にキャリアを積んでいるし、侯爵家の次男である将来超有望株、ハイスペック男子のシドは城に勤め出す前から大注目だった。
二人とも城内ではそこそこ有名人なのだが、城を出て夜の空色のローブと銀で出来た杖を隠してしまえばただの勤め人にしか見えなくなり、退勤後にこうして下町の居酒屋に来ても目立たない。
その気楽さをリリアは大層気に入っていて、今宵もシドと共に杯を重ねていた。
「リリアさん、おかわりは?」
グラスの中身は、今しがたリリアが飲み干したばかりだ。
「お願い」
金の髪にライトグリーンの明るい色の瞳。黙っていれば近寄りがたい美貌のリリアだが、今は退勤後の解放感とアルコールのおかげで表情は朗らかだ。
「はい。すみません、同じものをもう一つ」
シドは店員を呼んでリリアの分のおかわりと、自分用に度数の高い酒を頼んだ。
「珍しいね、シド。いつもはあんまり飲まないのに」
「リリアさんがいい飲みっぷりだから、俺も飲みたくなって」
シドがにこりと笑って言うと、リリアもそっか! と笑顔になる。
「飲もう飲もう、今夜は私がご馳走するよ!」
「そんな。俺だって働いてるんだし、いつもみたいに折半でいいよ」
「なんて出来た弟分……!」
うっ、と泣き真似をするリリアに、もう結構酔ってるね? とシドは眉を下げる。
「それで、話を戻すけどね」
「ああ、うん……続けるんだ、その話……」
塩とオリーブオイルをかけてオーブンで焼いただけなのに、この店の野菜のグリルは美味しい。リリアはシドが取り分けてくれた野菜を、ナイフで一口大に切って口に運んだ。
「断られない告白? また失恋したの、リリアさん」
灰がかった茶色の髪に深い青の瞳のシドは、甘い顔立ちのハンサムだ。
けれど今は呆れた瞳で口をへの字に曲げてリリアを見ている。美形が台無しだが、それをした張本人たるリリアは失礼とばかりにこちらも顔を顰めてみせた。
「ちょっと! 人がいつも失恋してるみたいに言わないでよ!」
「恋を失うと書いて失恋だよ、リリアさん。自分からフッたとしても、失恋と言って間違いではないと思う」
「シド、可愛くないわよ!」
「はいはい、可愛い担当はリリアさんにお任せします」
「任された!」
勢いよく拝命すると、リリアは次はお肉を切り分けて、とねだった。
「まったく……俺に給仕させるなんてリリアさんぐらいですからね」
「部署の飲み会では、文官の女性達がシドのお皿を奪うもんね。たまには取り分け体験もしておいた方がいいよ、という先輩の配慮だよ」
「アリガトウゴザイマス、先輩」
わざとカタコトで言って、シドはリリアの皿に切り分けた肉とソースをかけてくれる。盛り付けの見栄えもよく、どこにだしても恥ずかしくない出来だ。
「うん、腕は鈍ってないね」
「なんの腕……」
上機嫌のリリアの言葉に、シドは苦笑して自分の皿に雑に取り分ける。
そういった女性が飲み会で取り分けを行う配慮と意中の人への水面下での戦いは、彼女達の欲望に忠実で微笑ましい。いいぞもっとやれ! と内心応援しているのだが、リリア自身は自分のペースで好きなものを食べたいので参戦はしていなかった。
意中の人がいたら参戦するかもしれない。どうだろう? 分からない。今までは職場恋愛はしたことがないのだ。
職場の飲み会では大抵このハンサムの隣の席で、好きに飲み食いしている。
シドの隣の席は激戦区かと思いきや、意外に女性達が牽制しあう所為で穴場スポットなのだ。シドは放っておいてくれるし、取り分けろなどと言ってくる前時代的な上司もいないので、リリアにはユートピアである。
たまにシドに恋する女性に席を変わって欲しいと言われたらすぐに移動するので、彼女達からはたぶん都合のいい置物ぐらいに思われているようだ。
「あれ? 私も取り分け体験しておいた方がいいかしら」
「……恋人と食事の時は、どうしてるの?」
リリアが首を傾げると、シドも同じように首を傾げる。
「好きに食べてる」
「……リリアさんは、そのままでいいと思うよ……」
「言いたいことがあるなら言いなさいよっ」
シドの生温かい視線が辛い。リリアは届いたグラスに口をつけて、喉を潤した。
「やっぱりシドも取り分けとかする女の子のほうが、可愛いと思う?」
突然尋ねられて、シドは眉を寄せて考える。
「んー……どうだろう。俺は自分で取り分けたり注文したりするのが好きだからそれ自身が可愛いとかは思わないけど、好きな人の為にアピールしたい、っていう気持ちは可愛いと思う」
「満点の答え……そりゃモテますわ……」
「アリガトウゴザイマス」
彼は、胸に手を当てて芝居がかった仕草で頭を下げた。ジョークのつもりなのだろうが、様になっていて笑えない。
「俺の意見なんて参考になるの?」
「あー……えっと、ほら、モニターは多い方がいいじゃないの」
「こんなに尽くしてるのに、モニター扱い……俺のことは遊びだったんですね」
「まあまあ、諦めるのは早いよハンサムくん」
よよ、とシドが泣き真似をすれば、リリアは鷹揚に頷いた。
それからふと、真剣な表情になって頬に手を当てる。そんな雰囲気に流されることなく、シドは度数の高いグラスの中身を飲み干した。
「……好きな人に好かれる為にやっぱり努力はすべきよね? でも相手の為に自分を曲げるのって何か違う気もするのよ」
「ああ、はぁ、そうですね」
「何その気合の入ってない返事!」
「気合……」
リリアの文句を受け流したシドは、店員を掴まえて同じ酒と彼女の為に水を頼んでいる。
「もう、真剣に聞いてよ」
「真剣な話だったんですか?」
「そりゃあもう」
大真面目にリリアが頷くと、シドもきちんと椅子に座りなおした。
「じゃあ聞きますが、リリアさん。この前の恋人には何て言われて別れたんでした?」
「……仕事を辞めて家で俺を待っていてくれって言われたので、無理って言ったら、浮気されました」
ぎゅっとリリアは拳を握る。
女性であり職業が魔術師のリリアは当然非力だが、それでももう二・三発平手打ちをその元彼にお見舞いしておけばよかった。
ちなみに一般人相手には絶対にしないが、魔術戦ならばリリアはよほどのことがない限り負ける気がしない。
「その一人前の人には?」
「……お前は強いから一人でも平気だろうけど、この子には俺が必要なんだ、と言って浮気されました……」
「…………」
「うっ! そんな目で見ないで……!」
「いや、まぁ相手が悪かったと思うよ。リリアさん自身が何か悪いことしたわけじゃないし」
両手で顔を覆ってしまったリリアに、シドはうんうんと頷きながらメニューを広げる。話を真面目に聞け。
二年後輩だがシドは実力も高く、魔術に関しても天才的だ。先程大見栄をきったリリアだが、真剣勝負ではちょっと勝てるか分からない。
シドはリリアを先輩として敬ってくれてはいるが、気兼ねなくこうしてフランクに付き合えるのは、実力を認め合っているからという面も大きい。
「私だって別に、強いわけでも仕事人間なわけでもないのよ? そりゃ普通に仕事は好きだけど、それだって任された仕事をきちんとやってるだけだし、任された以上は途中で放り出したりしたくないし」
「まぁ……それが普通だよね。あ、アイスあるよリリアさん」
「頼んで!」
「はいはい。バニラとチョコのダブルね」
彼女は大きく頷いた。
失恋に関しては実際のところ、リリアが悪いわけではない。
見た目に惹かれた男が勝手にリリアに恋をして、リリアが受け入れると有頂天になるのだが、だんだんと彼女の優秀さに引け目を感じていくのだ。
そして当然リリアとて貴族令嬢の端くれなので、恋人といっても清い関係だ。
せいぜいが一緒に観劇に出掛けたり手を繋いだ程度の関係なのだが、男性の方はそれも不満らしく浮気しているにも拘わらず身持ちの固い女はこれだから、などとリリアを責めてくるのだった。
好きだと言ってきたのは男の方なのに、これではリリアが怒るのも無理はない。
シドはその流れで傷ついてきたリリアを何度も見てきた。幸い切り替えの早いリリアはすぐに立ち直るが、それでもまた信奉者のように熱心に愛を告げられると真剣に取り合ってしまうのだ。
「……告白されて付き合うの、やめたらいいんじゃない?」
「人を尻軽みたいに言うんじゃないの」
「そういうつもりじゃないけど……」
リリアが唇を窄めると、シドは顔を顰めた。
「勿論、全然知らない人とかはその場でちゃんとお断りしてるのよ。告白されても、即答もしないし。ちゃんと相手を知る時間を設けて、この人素敵だな、て思うから付き合い始めるわけだし……」
そこまできちんと段階を踏んでいるのに、最終的に相手に浮気をされてしまうならば、やはり自分が悪いのではないか、とリリアは考えてしまうのだ。
「俺に言わせれば、男の方にリリアさんと付き合う、という覚悟が足らないんだと思うけど」
「覚悟……人を事故物件みたいに言うじゃないの」
リリアは思わず、届いたばかりの水のグラスを両手で握りしめる。同じく届いた酒のグラスに唇をつけて、シドはふふっ、と笑った。
「だって学院首席卒の王城魔術師、リリア・セーデルの恋人になるんだよ?」
そう、これでもリリアは所謂高給取りのエリートであり、美貌も相俟って有名人なのだ。高嶺の花、と呼んでもいいだろう。
「並大抵の男に務まることじゃないのに、すぐにリリアさんの方が実力も給料も上だって気付いて引け目を感じるようになるなんて、気持ちが中途半端な証拠だよ」
「なるほど、私ったら高級物件」
「なんで物件で例えるの?」
あはは、とシドは朗らかに笑った。
「で? ……この流れだと、リリアさんは告白してくる人じゃなく、自分で告白したい相手が出来たってこと?」
「……うん」
突然核心をつかれて、リリアは酒精とは違う理由で頬を赤らめる。シドは顔を顰めてグラスの中身を飲み干すと、うん、と頷いた。
そこにちょうどアイスが届いたが、リリアは手をつけることなく雰囲気の変わったシドを見つめる。
「……そいつに、覚悟はあるのかな」
「知らないわよ。第一私から言うのに、相手にそれを求めるのは違うんじゃない?」
「なるほど……リリアさんから。……確かに」
うんうんと頷くシドの表情に、もう笑みはない。リリアはだんだん心配になってきて、彼の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? シド、酔った?」
「俺が酒に強いの知ってるでしょう。これぐらいじゃ酔えませんよ」
「でも顔色悪いよ」
リリアが指摘すると、シドは自分の顔を手の平で擦る。
心配そうにリリアがその様子を見守っていると、青い瞳にひたりと見つめられた。
「ああ……嫌だな」
「ん?」
「ねぇ、リリアさん」
「うん」
僅かに顔を顰めたシドは、そわそわと水のグラスを触っていたリリアの白い手を握りしめた。
「シド?」
「まだ覚悟も意気地もないけど、俺にしておきませんか」
「……シド?」
驚いてリリアがライトグリーンの瞳は瞬くと、シドは辛そうにもう一度口を開く。
「まだ……あなたに見合う男じゃないけど、あなたが本気で恋をするっていうなら実力不足でも告げずにはいられない」
リリアは、そんなこと考えていたのか、とポカンと口を開けてしまう。
「俺なら、取り分けも注文もするし、あなたの実力に嫉妬したりしません。活き活きと仕事するあなたを同僚として誇らしく思っているし、魔術師としても尊敬しています」
「ちょっ、ちょっと……」
リリアは手の平で自分の頬や額に忙しなく触れて、何やら慌てる。その間も、シドの言葉は続いた。
「仕事が続けたいなら応援するし、あなたのやりたいことを妨げたりしません。まだあなたには敵わないけど、結構優良物件だと自負してます。だから……俺を選んでくれませんか」
真っ直ぐに見つめて熱烈に言われて、リリアは顔を真っ赤にして固まる。
握られたままの手を、するりとシドの親指の腹に撫でられて、震えた。それを見て、シドはハッとすると握る手を解こうとする。
「すみません。突然こんなこと言われても、困りますよね」
離れていく手を、今度はリリアの方からガシリと掴んだ。
「リリアさん……?」
シドは先程の激情をもう上手く隠してしまい、今はリリアを気遣うような視線を向けてくる。
あのままでよかったのに。
「私は、仕事が好きだし、魔術師としての仕事に誇りを持ってる。今の自分のことも、気に入ってる」
「うん、リリアさんはそのままでいいと思うよ」
シドが励ますように柔らかく微笑むと、リリアもホッとしたように表情を緩めた。
「だから、私は私の望むように生きたいし、そのままの私を受け入れてくれる人と恋がしたい」
「うん」
次に何を言われるのか怯えるように、少しだけシドの表情が曇った。
「普通そんな都合のいい人いるわけないって思うけど、私の場合はすぐ傍にいた。ずっと、甘えてただけで」
「うん……?」
「言ったでしょ。私の方から告白するんだから、相手に覚悟なんていらないのよ」
「それって……」
シドの瞳に光が灯る。
リリアは顔を真っ赤にしたまま、生まれて初めて自ら愛を告白するのだ。
「意気地がないのは私も同じ。シドに告白して、今の関係が壊れるのが怖かったから、こそこそリサーチみたいなことしちゃった。でも、ちゃんと言わなきゃ駄目だよね」
握る手が、シドの方からも力が増した。手は熱くて、汗も掻いてしまっているが到底離そうなんて考えられない。
「シドが好き。えっと……わ、私と付き合ってください!」
「……はい、喜んで」
リリアが、恥ずかしさと嬉しさで感情をいっぱいにして泣きそうになりながら言うと、シドはとろけそうな程甘く微笑んで即答した。
「ああ、リリアさん。夢みたいだ、ずっと好きでした。……嬉しい」
握った手を引き寄せて、シドは恭しくリリアの手の甲にキスを落とす。熱烈に囁かれて、リリアはもう見ていられない。
「う、浮気したら魔術で吹っ飛ばすからね!」
「絶対しないから、心配いらないよ」
「……結婚しても仕事は続けたい」
「結婚もしてくれるんですか?」
「え、しないの!?」
「いや……リリアさんがその形を望んでいないなら、拘る必要はないかなって」
「ええ……甘すぎる……そんなに私に甘くてどうするつもりなの? その……ああ言ったけど、シドに希望があるなら、努力する、よ……?」
「言ったでしょ。リリアさんはそのままで、いいんですよ」
二人の間に置かれたアイスクリームは溶けだしていて、バニラとチョコレートがマーブル模様を描いていた。