第7話 代表者正二
正二の家の大きさはあのショウリョウバッタの家とそこまで変わらなかった。
戮名が扉をノックする。
「はい」
中から男性の返事がした。
「蠱黒です。田様正二さんに請求書を渡しに来ました。」
扉が開き、トノサマバッタの男がでてくる。彼は近くで見る蠱黒の大きさに少したじろいだ。
「おお……」
戮名が先に挨拶をする。
「こんにちは」
「こんにちは、わざわざご苦労様です。」
彼は戮名から請求書を受け取る。同時に戮名の左後ろにいる辰凪に気づき、彼女のほうを見る。
「その子は……」
「今度一緒に暮らすことになったんです。自己紹介しなさい」
「蠱黒辰凪です。10歳です。」
「ひなぎちゃん、こんにちは。」
「こんにちは」
辰凪は人見知りしてか細い声で話す。あいさつが終わると戮名が口を開いた。
「正二さん。少しお聞きしたいことがあるのですが。」
「なんでしょう」
「なぜ集合住宅の木の樹液がでるところが虫が集まるまで放っておかれたのか、理由を知っていますか。」
彼は人の過失を責めたい訳でも犯人探しをしたい訳でもなかったので、ただの好奇心で、聞いた人が不快にならない口調で訊いた。
「夜の間にやられたので誰も気づかなかったんです。犯人ですが、バッタは樹液を好んでは食べません。近くには樹液を好む種族もいたのでその人たちなのかと思いました。」
戮名は相槌を打って真剣に聞いていた。辰凪も興味があるようだ。
「ですが知ってのとおり夜に蠱人の居住区で樹液の採取場所をつくることは重罪です。あのスズメバチたちがやったと考えるのが妥当です。しかしまたここでも疑問がわきます。」
「疑問」
「ええ。あいつらは塩橋街を襲ったのと同じ人だったんです。あのときは百匹近くの虫の大群を引き連れて来ました。」
「なぜ塩橋街のときと同じようにやらなかったのか。ですか。」
戮名は自分の感じていた疑問と同じなのではないかと思い、口を挟んだ。
「そうなんですよ。こればかりは警察の捜査で明らかになるのを待つしかありません。」
「不安ですね。もし虫のスズメバチを操る蠱人があれで全員だったら近くに潜んでいるかもわからない、主を失い腹を空かせた虫のスズメバチが塩夏街の脅威になるかもしれない。」
「ああ、そういう問題も発生するかもしれませんな。気が重くなります……」
戮名は淡々と自分の予測を話していたが、正二は頭を抱えたい気分になっていた。
これから目の前の案内人へ用意しなければならない金もあるというのに、ここから被害が大きくなることを考えるなんて……
塩夏街からの支援物資を割り振る仕事をしている彼は自分たちの不満や不安を人一倍強く感じていた。
「すみません、何でも悪いほうに考えるのが私の悪い癖です」
「いえ、想定できるのは良いことですよ。」
そういいながらも、肩を落として苦笑いしている様子から、褒めていないのは明らかだった。
辰凪は戮名の袖を引っ張った。
「あまり長くいると迷惑でしょうから、そろそろ失礼します。」
「そうだ、あなたが助けた子供の母親がとても感謝していましたよ。」
「あの子の……」
「取り乱して直接お礼ができなかったのが残念やら恥ずかしいやらと言っておりました。」
「子供があんな状況に置かれたら仕方がありませんよ。では失礼します。お時間をとってくださりありがとうございました。」
互いに礼をし、戮名と辰凪は帰っていった。正二はため息をつきながら請求書に目を通す。
彼は違和感を覚えた。そこに書いてあったのは、おぼろげだが覚えている虫の駆除相場よりもはるかに低い金額だったのだ。
総額の欄の近くに7割引と書いてある。また一番下の空いている部分にはこんな一言があった。
『これが私にできる支援です。』
これは決して恩を着せるために書かれたものではない。本当の相場はこれよりも高いので、経済状況が元に戻ったときに案内人らに同じ金額を求めないようにというメッセージを込めて書かれたものである。
正二は蠱黒への感謝の気持ちを感じると共に、自分の態度を恥じた。
………
「早く帰ろ」
辰凪は戮名の前を小走りで走る。
「そんなに急いでどうした」
戮名ははや歩きでついていく。
「家に帰ってから話すわ」
家に帰って川の水を汲んで手を洗う。使用した水は川から少し離れた土に流すのが決まりである。
「私はそろそろスズメバチの解体をしたいのだけれど、その話はそんなに大事なことか?」
「うん、とっても大事。」
辰凪は事務所ではなく家の部分……外に音が漏れにくいと思った場所に戮名を連れてきた。
「あのね、すっごく秘密の話なんだけど、ぜったい戮名には知っておいてほしいことなの。秘密だから、しゃがんで聞いて」
戮名は言われた通りに膝をついてしゃがんだ。辰凪が耳元で静かに話す。
「実は、わたし家出してるの。」
言われたほうは特に驚きはせず、質問で返した。
「なぜ?」
本当は聞きたかったが、家族同然の信頼関係が築けるまでは聞かないほうがいいと判断していたことを本人から話した。これが一体何を意味するのか、戮名は思考を巡らせ始めた。