第6話 蠱黒姓ヘ
戮名と女の子は家に帰る途中で女の子の名前を決め始めた。
「入院している間にきみの名前を考えてきたんだ。ここからきみの望むように改善していきたいと思ってる。」
女の子はうんうんと頷いている。期待しているのだ。
「呼ばれたい名前があるならそれにしたほうがいいね。そういうのはある?」
「あるっていうか、考えてはきたけど、リクナ……さんのが先に聞きたい」
3日前までのか細い声ではなく、歳相応の元気さのある声がでている。
「そう、栞っていうのはどう?」
「コクロとシオリじゃなんだか合わないわ」
「そうだろうか」
「リクナとシオリでも組み合わせとしての印象が薄いもの」
女の子は名前にそこまで不満はなかったが、ピンとこなかったので別の名前を求めた。
「別にそこは考えなくてもいいじゃないかな」
「わたし、リクナの……リクナさんの仕事手伝いたい。その時にお客さんにセットで覚えてほしいの。」
「んン……嬉しいよ」
戮名は微笑んだ。いまの肩を上下させた変な声が笑い声だとわかって、女の子は心の中で面白がり、つられてにっこりした。
その後も戮名は様々な名前を出したが、なかなか女の子のお眼鏡にはかなわない。名前が決まらないまま家に到着してしまった。
「もう名前案が尽きてしまった」
「あ、わたしまだ言ってない。それにリクナの出した名前を組み合わせたらいいのができるかも。紙に書き出してさ。」
「そうしよう」
入り口正面の、書類の置いてある机から紙と鉛筆を引っ張り出して2人は名前を考え始めた。
「恥ずかしいけど言うね……剣奈。」
女の子は紙に漢字を書き出した。
「でもこれだとリクナと双子みたいなの。」
「じゃあ剣奈から出発しよう。」
2人で10分程考えた末、遂に決まった。
「決まったね」
「うん。わたしの名前は辰凪。蠱黒 辰凪。」
女の子……いや辰凪は紙をなぞって自分の新しい名前に思いを馳せている。
「あ、リクナの漢字をまだ知らない」
「こう書くんだ」
戮名
「意外と怖い漢字があるのね、殺戮の戮だなんて。」
辰凪は初めて戮名の姿を見たときを思い出した。あの時は家出した自分を捕まえにきたのだと思ってびっくりしたのだ。
脚が3対ある蠱人などいたらすぐにわかるが、住んでいたところにそのような人はいなかったので捕まえにきたわけではないとわかったのだが。
言葉には出さなかったが、その大きくて一見恐ろしい図体のイメージにぴったりの漢字だと思った。
「よく知っているね。戮という字には集めるという意味もあるんだよ。」
「ふうん……」
「そういえば辰凪は何歳なんだ?」
「10歳。戮名は?」
「19歳だ。……虫駆除の請求書を作らなきゃならないから、その間に私の仕事の手伝いの練習でもするか?」
戮名は机の上の書類を隅に寄せて、請求書を作るための場所を確保しながら話した。
「やる」
辰凪は名前の書かれた紙をポケットにしまって返事をした。
「じゃあこの資料を、虫道ごとに整理するのを頼んだ。紙の上に区別がつくように色と字があるから。」
資料には道の地形や持っていくべき装備、どこにどんな虫が出やすいかといったものがある。
戮名は資料、木と少しの金属でできたファイルを依頼者と話すときに使う机に持っていった。辰凪はそこで作業をし始める。
「あれ?どうしてファイルがあるのに資料がバラバラになるの?」
「私はよく資料を見るときに、離れた位置にある資料をファイルから外して並べて見ているんだ。新しい発見があることがあるからね。
だから資料を見返す度にバラバラになってしまうんだよ。」
(相場はスズメバチ一匹につき3000塩だが、住むところを追われた人たちには辛い金額だな)
この世界の通貨は塩本位制である。昔は塩が通貨そのものであったが不便なので金券ならぬ塩券が発行されてそれがお金となっている。
また貝も通貨として用いられ、価値が飾り文字で彫り込まれており宝石と記念硬貨を合わせたような扱いを受ける。つまり"アクセサリーとしても使える100万円札"のようなもの。こちらの単位は匁である。
(この資料すごい書き込んである……勉強熱心ね……字もすごくきれい)
順番に気を付けながら、虫道の名前が表紙(木)に書かれたファイルに資料を挟んでいく。
………
「よしできた。そっちは?」
戮名は顔をあげて辰凪の方を見る。
「まだ全然終わってない……」
辰凪は資料から目を離さずに答えた。
「大丈夫だよ。そろそろご飯を食べよう。食べたら雅織先生に入院の代金の支払いと、請求書を渡しににいくから一緒においで。」
「はーい」
2人は入ってすぐの応接室から、第ニの玄関へ向かい、靴を脱いで昼食をとった。
戮名は独り暮らしだが、体が大きいので辰凪くらいの子供が増えても問題ない。
たまに雅織と応接室でない場所で話すので、椅子ももう一つぐらいはあった。
主食は木の皮、おかずは焼かれた虫の肉だった。
辰凪は調理が甘いと思ったが、不味くはないし自分もしっかり調理はできるわけではないのでそこについては触れなかった。
昼食を食べ終わり、2人はさっき通った道を歩いて天生診療所に向かった。本屋の前を通るとき、辰凪がそちらに釘付けになっているのに戮名は気がついた。
「何かほしい本でもあるの?」
「あ、あのね……あのマンガの絵が好きだなって……」
辰凪はあるマンガを指差した。
"アシナガバチと剣"
それを見て、戮名は個性のある絵だと思った。同時に辰凪の出した名前案を思い出した。……剣奈
「剣奈はここからの案」
「ち、ちょっと!恥ずかしいからやめてよ!」
彼女は戮名の腕を叩いて抗議した。叩かれた方はなぜ叩かれたのか、何が恥ずかしいのか全く分からず困惑していた。
「???」
「早く行こっ」
辰凪は自分の攻撃に痛がりもしない腕を引っ張って早足で歩く。しかし歩幅が違い過ぎて、彼の普通の歩く速度になっていた。
天生診療所で雅織に名前が決まったことを知らせた。
お金のやりとりを早く済ませたことに対して、また辰凪はついてきたことを誉められた。
お金のやりとりについては辰凪を誉めるならまだしも、戮名に対しては明らかにからかいの意を込めて誉めていて、辰凪を引っ付かせているのかといじっていたので彼は呆れていつもより怖い顔をしていた。
戮名は、いじられて言っておいたほうがいいことを思い出した。
彼は辰凪がスズメバチの蠱人に狙われているかもしれないと外に聞こえないように話した。
そういうことはもっと早く話しなさい、絶対に辰凪から目を話すなよ、と今度は怒られていた。
「雅織先生って面白い人だわ~」
「いい人ではあるけど面白いかと言われると疑問があるなあ」
「戮名は……さんはユーモアがないわね」
「さんはもう付けないでくれ」
戮名は辰凪にさん付けされることに違和感を覚えていた。
「呼び捨てもさん付けもピンとこないの……」
「私は呼び捨てのほうがいい」
「じゃあそうする」
請求書を渡しに行く時にまた同じ本屋の前を通るのだが、辰凪は相変わらずアシナガバチと剣を見ていた。今度は戮名はなにも言わなかった。
2人はスズメバチの襲撃があった場所に着いた。代表者の田様 正二に会いに、住民に言われた集合住宅の木の階段を昇っていった。