学食の愛情モクテル
大学生活には面白い事が沢山あるけれども、二限の講義が終わった今に関しては、ランチを何処で食べるかが目下の関心事だね。
私こと蒲生希望は堺県立大生だから、その点に関しては恵まれている方かな。
何せ私が在籍する堺県立大学は大規模な総合大学だから、キャンパス内に学食やらカフェやらが何ヵ所もあるからね。
それに大学近隣の堺市中区学園町には学生向けのリーズナブルな飲食店が沢山軒を連ねているから、たとえ昼休みで学食が満席になっていても、食い逸れる心配はまず無いんだ。
もっとも、今日は土曜で人通りも少ないから、このB12棟一階の学生会館食堂だって待たずに入れちゃうよ。
「どうかな?今なら席だって選り取り見取り。ノーチャージの明朗会計でお楽しみ頂けま〜す!」
自動ドアを潜って学食に入った私は、空席が目立つテーブルを示しながら、ゼミ友の王美竜さんに笑いかけたんだ。
「お通しはカット出来ますかね…って、それじゃ居酒屋の客引きじゃない!学食に席料があるなんて聞いた事無いよ、蒲生さん…」
見事なノリツッコミで返してくれて感謝するよ、美竜さん。
日本での留学は、関西の誇る上方漫才の理解にも繋がったんだね。
「この分なら場所取りしなくて大丈夫そうだから、先にカウンターへ並んじゃおうよ。フェア限定メニューだって、今なら売り切れを気にせず頼めるんじゃないかな?」
「いいね、蒲生さん!今回の湘南・鎌倉フェア、楽しみにしてたんだ。何頼んじゃおっかな〜、私?」
フェアという三文字を聞いた美竜さんの目の色がかわり、声のトーンも明るく弾んだ物になっている。
台湾からの留学生である美竜さんは、日本各地の郷土料理をリーズナブルに楽しめる御当地フェアがお気に入りなんだ。
とはいえ私だって、今回の湘南・鎌倉フェアには興味があったんだ。
太平洋に面した神奈川県は、海産物を使った料理が美味しいからね。
「建長汁を一つに、丼ものは…釜揚げしらす丼にしますね。」
午後にも集中講義がある事を考えると、紫蘇と生姜の風味も爽やかな釜揚げしらす丼に、崩し豆腐でヘルシーな建長汁の組み合わせが無難かな。
「はい!釜揚げしらす丼のお客様、お待ち遠様。」
「あっ!ありがとう御座います!」
学食のオバさんからカウンター越しに料理を受け取る時って、結構好きなんだ。
白い調理服と調理帽でお揃いのオバさん達には、「お母さん」と呼びたくなる温かさが感じられるんだよ。
自宅住まいの私でもそう感じるんだから、親元を離れて下宿している人達は、学食のオバさんに自分の本当のお母さんを投影しているのかも知れないね。
ましてや、故郷である台湾から海を越えて日本に留学した美竜さんから見れば、きっと…
「ねえ、美竜さん…って、あれ?」
「しらすコロッケに鎌倉揚げ、それに主食のロールいなり…ホントだ、待たずに買えちゃった!」
ところが美竜さんったら、保温ケースに入っている惣菜ばっかり御盆に乗せちゃって、さっさとレジで会計を済ませちゃったんだ。
当然ながら、調理場にいる学食のオバさんとのコミュニケーションは一切無し。
「あっ!ここだよ、蒲生さん!」
それで私が会計を終えた頃には、リラックスした顔で席に腰掛け、無邪気に手さえ振っていたんだもの。
「あれ…どうしたの、蒲生さん?お腹でも痛いの?」
美竜さんと同じ席に着いた私は、相当に変な顔をしていたんだろうね。
自分のしたかった話の流れが、崩れちゃったんだから。
「あっ…いや、何でもないよ、美竜さん。」
慌てて打ち消した私だけど、何か釈然としないんだよなぁ。
美竜さんも学食のオバさんに母性を感じるのかどうか、ちょっと聞いてみたかったよ。
とはいえ、勝手に変な期待をした私がいけないんだし、いつまでも引きずっていたら色々と不味いよ。
美竜さんとの仲も、お昼御飯もね。
「それじゃあ、頂きま〜す!」
「ちょ、ちょっと!蒲生さん、声が大きいって!」
食前の挨拶が妙に大きかったけど、これは景気づけの御愛嬌だよ。
「あっ、柔らかい…」
真っ白に茹で上がった釜揚げしらすは、柔らかい舌触りとフンワリとした食感が実に心地良く、温かい白御飯との相性も最高だったの。
紫蘇の風味と生姜の香りに引き立てられた仄かな塩味が上品で優しく、余計な雑味や過剰な青臭さが無いのも有り難かったね。
合わせて頼んだ建長汁にしても、醤油と昆布ダシの味覚がスッキリと爽やかだし、我ながら良い組み合わせだったよ。
「なかなかいけるよ、この釜揚げしらす丼!美竜さんも、次来たら頼んでみたら?」
「うん…そうしてみるよ、蒲生さん…」
上機嫌の私とは対照的に、美竜さんの返事は随分とローテンションだったの。
最初は料理が口に合わなかったのかと思ったんだけど、ちょっと違うみたい。
鎌倉料理を食べている時は上機嫌なのに、ガラスコップで水を飲んだ瞬間にキュッと眉を潜め、不満そうに首を傾げるんだ。
そうかと思えば、無料の番茶を汲んできて、さっきの水で割って飲み始めるし。
一体どうしちゃったの、美竜さん?
この不可解な行動は、美竜さん自身が解き明かしてくれたんだ。
「実はさ、蒲生さん…私、お酒のオツマミ感覚でメニューを選んじゃってさ…」
確かに魚の擂身で作った鎌倉揚げは日本酒に合いそうだし、しらすコロッケも稲荷寿司もビールのお供には最適だね。
美竜さんったらウワバミ並の酒豪だから、無意識のうちに酒の肴を選んじゃったんだ。
「えっ…じゃあ、お冷を飲んで変な顔をしてたのって、お酒に見立てていたの?」
「せめて気分だけでもと思ってね。私って孝行娘だから、願いが通じてお酒になるかなって…」
自分で言っちゃうかなぁ、孝行娘って?
昔話の「養老の滝」じゃないんだから、水を日本酒に見立てるのは無理があるよ。
「じゃあ、番茶を水で割ったのは?」
「日本文化を学習するために観た落語で、そんな場面があったから。番茶を煮出して水で割って、お花見に持って行くの。」
今度は「貧乏花見」と来たよ。
美竜さんったら、日本文化の知識が妙に偏っているんだよなぁ。
「とはいえ…どんなに小細工をしても、所詮は水とお茶だからね。飲めば飲むほど、虚しくなっちゃうんだ。」
鎌倉の郷土が育んだ珠玉の肴達を淋しげに見つめながら、台湾生まれの女子留学生は深い溜め息をついたんだ。
美竜さんの気持ちはよく分かるけど、県立大のキャンパス内では飲酒は御法度だからね…
でも、裏を返せば、お酒じゃなければ差し支えない訳で…
「ねえ、美竜さん?ノンアルコールでも良かったら…」
「ええっ?それは駄目だよ、蒲生さん!こないだ、ノンアルコールビールを持ち込んで鳥レバーのお供にしていたら、食堂のオバさんに注意されちゃったもん!『缶のデザインがお酒に見えるし、未成年の学生もいるから。』って…」
美竜さんったら、もう前科があるのか…
そう言えば、食堂のオバさん達がカウンターの向こうから私達をチラ見しているけど、あれは美竜さんが何かしないか不安になっているからなんだね。
「そうじゃないって、美竜さん。この場でモクテルを作っちゃうんだ。学食の隣に購買があるでしょ?あそこでトニックウォーターを買ってきて、ジュースでも御茶でも何でも良いから、好きな物で割っちゃうんだ。」
「そっか!学食の自販機で売っているなら、文句は言われないね!」
言うが早いか、美竜さんは学食を飛び出し、購買で買い求めたペットボトルの束を大事そうに抱えて帰って来たんだ。
「よし、どこから見てもジュースと炭酸水!学食にあっても違和感なしっと…」
テーブルに並べたレモンジュースとトニックウォーターに、美竜さんはスッカリ御満悦だ。
台湾娘と一目で分かるエキゾチックな美貌には、期待に満ちた微笑が浮かんでいたよ。
購買で買ったペットボトル入りのレモンジュースと、トニックウォーター。
これらを学食のガラスコップに半々の割合で注いで氷を加え、黒いプラスチックの箸をマドラー代わりにして、中の液体を軽く掻き混ぜる。
こんな簡単な行程で、モクテルはアッサリと完成したんだ。
「さあ、お昼御飯の仕切り直しだよ。このレモントニックをお供にね!」
お酒のCMみたいにグラス片手に微笑んだ台湾人留学生は、手始めに鎌倉揚げへ箸を付け、待望の黄色い液体に口を付けた。
「おっ…ウンウン…」
小さく頷き、次はしらすコロッケを軽く一口。
そして再びモクテルで喉を潤すと、今度はロールいなりに取り掛かったの。
「どう…美味しい?」
良い感じのルーチンが出来上がりつつあるゼミ友に、私はタイミングを見計らって問い掛けたの。
「悪くないね、蒲生さん!トニックの苦味とレモンの酸味が合わさって、まるでレモンジントニックかレモンサワーでも飲んでるみたい!」
喜色満面といった顔でグラスの中身を飲み干した台湾娘は、待ち切れないとばかりに二杯目を作っている。
満足してくれたみたいで何よりだよ。
「漬物を買い足してくるから、少し席を外すね。何か欲しいのあったら、美竜さんのも買ってくるから。」
「じゃあ、鎌倉蒲鉾が良いな!板わさの辛味が恋しくなっちゃって…」
台湾訛りの声に頷きながら、私は席を立ったんだ。
漬物の買い足しは、あくまでも口実。
ちょっと確かめたい事が出来ちゃってね。
「ノンアル飲料としての持ち込みは駄目だけど、トニックウォーターを買ってモクテルを作るのは黙認出来る。その解釈で宜しいでしょうか?」
耳打ちされた学食のオバさんは、カウンター越しに小さく頷いたの。
「あのお友達みたいに、学食の料理を肴に一杯やりたい学生さんが結構いて、それが見ていて不憫でねぇ… 購買の担当さんに私達から頼んで、トニックウォーターを置いて貰っているのよ。」
耳打ちで私に返答した学食のオバさんは、白い調理帽の下で優しい笑顔を浮かべたんだ。
学食内で密かに愛飲されるモクテルは、学食のオバさんの優しさが産んだ隠れメニューだったんだね。