難関
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「しかし……う~む」
カンムルから出た声は、想像していた元気ある返事ではなかった。それはどちらかと言えば、あぐねてるような先の不安になる声音。
「何か不安要素があるのか?あるいは、条件だとか」
「んんん。そうでは無いのだ。──ただ」
「……ただ、なんだ?」
カンムルは徐に立ち上がると、何も無い空間に指先で円を描く。するとそこには黒く染った円が現れた。
突如として──ではなく、黒に空間が侵食されていくような工程を経て、僅か数秒足らずで出現した円を指さし、カンムルは言った。
「こやつ──ゲートは、正確な移動が難しいのだ」
黒いスカートを、円の方向へと靡かせながら言うカンムルに対して、セラピアは「都合がいいのよ、そちらの方が」と、別段慰める様子もなく言ってのけた。
きっと事実なのだろう。と、ジハードは思う。妹であるセラピアは、上辺の言葉を嫌う性格。故に、本当に都合がいいのだろう。その欠点とも言えるものが。
「そう、なのだ?」
「ええ。寧ろ、正確な移動が出来てしまえば移動先で捕まる可能性もあるし」
「つまり、お前はそれすらも?」
セラピアは短く頷く。
「ええ。考えたら分かるわ。クルスさん達がハウスに行った後に、彼女は誰かを追って来た。つまりこれは、クルスさん達の可能性が高い。けれど現れたのは、兄さん達の近く。そういう事よ」
「すごいのだな」
「そんな事、ないわよ。さあ、行きましょう。長居する必要も無いし」
セラピアの言葉に賛同し、カンムルを先頭にゲートを潜る。
その時の感覚とは、とても不思議なもので。だからこそ言葉にするのが難しい。酷い耳鳴りと、引き寄せられる感覚。それは正しく“移動”しているとしか言いようがない。ただその間にも、多少なり感動を覚えた事もあった。
移動している間、その空間は合わせ鏡のように自分達を映しだしており、しかも七色の放物線が幾度となく過ぎっていたのだ。普通に生きていたら、一生体験できないであろう事象。
その時は思わず「すげえ」と、ジハードの心情が自然と吐露されてしまった。
けれど、今見ている光景はそのどれよりも衝撃的で目を疑うものだ。比べ物にならないほどに。
「ちょっと、いつまで情けなくだらしなく呆然としているのよ。これを着て頂戴」
「これは、なんだ?」
帝都・シーランから少し離れた場所にゲートを使い移動をし、数十分。この間、セラピアは状況を見てくるといい闇に姿を溶け込ませていた(カンムルは疲れたのか、岩に座って足をパタパタさせている)。
しばらくの間ジハードは、一人で自分の事に対し自問自答をしていた訳だが、不意に聞こえた「兄さん、はい」と言う言葉に手を伸ばし、ことばを見失う。言葉を見失うだけの効力が、この数枚の布切れにはあった。
「なにかしら。そんな、死んだ魚みたいな目をして。見てわかる通り、洋服よ?」
「そら、見てわかるよ!でなくて、なんで女もんの服なんだよ!」
手渡されたのは、女女したキャピキャピの服だった。ロングスカートにノースリーブ。これらを無表情で渡された日には、ジハードの時が止まるのも仕方がない。
「せっかくの美形が台無しよ? にい……姉さん」
「言い直すなよ。態とらしく言い直すなよ。なんだ? 俺を追い込むのが趣味なのか?」
「こら。姉さん、口がお悪いですよ。早く、そんな服は今ここで全てを見せながら脱いで着替えてください」
「ふざけろ! なんで俺が、スカートにノースリーブを着にゃならんのだ! しかも、こんな場所で!」
百歩譲って女装するにしろ、これは露出度が高すぎる。いくら何でもこれは、セラピアの趣味が入っているとしか思えない。様々な思いの丈を視線に乗せてると、呆れた様子で溜息をひとつ。
「わがまま言わないでよ。すぐ盗め──借りれるのはそれしかなかったんだもの」
「盗む?」
「借りれるのが」
「…………」
訪れた沈黙をセラピアの広げられた両腕がさく。
「さあ行きましょう! シーランはすぐそこよ!」
「……この事は絶対に忘れないからな」
「あら? 私は姉さんの事を忘れた事、ないわよ。あと、カンムルちゃんはこれに着替えて」
手を伸ばすカンムルにセラピアは、一枚の服を手渡す。
「なんなのだこれは?」
「これは、私達に古くから伝わる伝統の衣服よ」
「おお! そうなのか!? 言われてみれば、なんか凄いのだ!」
「いや、凄いも何も、それは猫の着ぐ──だぁあ! いってぇな! なんでまた、足を!」
「余計な事を、言わないでちょうだい。痛い目みたいの?」
「痛い目は見たくないし、痛い実体験はたった今したよ!」
「あら、それは怖いわね」
お前がこわい。と、ジハードは心で思う。
「まあいいわ」
「何もよくねーよ」
「いいのだ!」
「何がだよ」
「カンムルちゃんは、素直で良い子よね。さて、私はこれに着替えましょう」
「セラピアは、男装なのか?」
「ええ。髪の毛を切って完璧ね」
そう言うと、小さいナイフを腰から取り出し、容赦なく髪を切ってしまった。躊躇いもなく、清々しいほどに思い切った行動。
冷静になってみれば、ここまで色々と考えてくれていたのはセラピアであり、ジハード自身は何もしていない。ましてや、髪を伸ばしているのを知っていたからこそ、心を突き刺す何かがあった。
確かにこれはワガママなのかも、とセラピアの短くなった髪を見て思う。
「ええい。分かった! 俺もやってやるよ、女装でもなんでもよ!」
「さすが私の兄さんね。ついでにこれも被ってね?」
「なんでカツラまであるんだよ」
「だから盗──借りたのよ。シーランに入ってすぐある衣服屋から。深夜で店がやってなくて」
「やってないのに、どう借りるんだ」
「狩りたのよ。私はお狩りしたのよ。衣服を」
「……」
意を決して衣服を強く握る。
「よ、よし! 木影で着替えてくる。絶対にのぞくなよ!」




