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◆ ◆
「今日も生き残った俺達に乾杯だ!」
『乾杯!』
黄金の酒が注がれたジョッキがヂン、と景気の良い音を響かせる。
夜闇を吹き飛ばすような灯りの中、武骨な装備を身にまとう傭兵達は、いつものように野太い笑い声を方々へ飛ばしながら、暖色に包まれた酒場を一層華やかに彩っていた。
「さて、今回の討伐依頼はどうだったんだ?」
「へへ、前哨戦としてはボチボチさ。しかしどいつもこいつもてんで手応えがありやがらねえ」
「俺ァ今日大物を仕留めたぜぇ。森の奥に逃げ隠れてやがった魔樹の群れを焼き尽くしてやったのさァ……一緒に来てた傭兵共もうっかり焼き殺しちまったがなァ!」
「だははは! ンだよ、例の作戦ホントに実行しちまったのか! イカれてんなテメーも」
「大丈夫だァよ、傭兵やってる奴なんてのはみんな身寄りのねえはぐれモンだ、七、八人消えたとこで誰も気にしやしねぇ! 興奮したんだよ……最近の依頼はもう残飯処理みてぇだったからよォ」
「依頼自体も少なくなってきたよな。いいことではあるんだろうが」
「よくねぇよ商売あがったりだぜぇこちとら」
「ゼヒ魔物共を駆逐し尽くしても俺らを養ってもらいてぇもんだぜ、戦えもしねえ一般人共にはよ」
「その通りだッ! 誰が魔物の巣窟に囲まれたこんな国を守ってやってるか! 俺達だ!!」
「そうだそうだ!」
酒に呑まれた傭兵たちが唾を飛ばしながら口々に言い放つ。
「このベステアを守ってるのは、インチキくせえテネディア教でも教会騎士の奴らでもねぇ! 俺達傭兵だ!」
「ヒューッ」「もっと言えもっと言え!」「くたばれ教会騎士共!」
「ま、明日で全員廃業かもしれねぇけどな!」
「ははは! 違げえねぇ――――」
ガダン、と。
一際大きな陶器の音が、その喧騒を一瞬無音にする。
「はい、いつものお待ち」
「ありがとう」
それはとあるテーブルに置かれた大皿の音。
そこにあるのは、うず高く積まれた茶色い肉の山。
席に腰かけているのは、たった一人の小柄な少年。
「…………」
少年は運ばれてきた料理にすぐには手を出さず、両手の親指以外の指先を胸元に当てる。
指先は古ぼけた木彫りの紋章に添えられていた。
目を伏せた中性的な顔立ちの人物を大きな翼で包み込んでいる、慈愛に満ちた表情の女性が彫られた小さなネックレス。
想いを込めるように目を閉じ、少年はしばらく動かなかった。
やがて紋章から手を離すと、塩で単純に味付けされた一口大の肉の山にナイフを突き立て、少年は数枚を一気に口へ放り込み、咀嚼し始めた。
『………………』
傭兵たちは揃って不愉快そうな顔をし、肉を食み続ける少年を睨む。
腕っぷしの強い傭兵家業が戦果と料理、美酒に騒ぐ酒場において、その少年の存在は明らかに「異質」だった。
少年がかぶるボロボロでぶかぶかの中折れ帽子の下へと、次々に消えていく肉。
着古された茶色の外套を、体を埋もれさせるようにして身に付けているため、遠目からは茶色の物体が蠢いているだけにしか見えない。
それでも傭兵たちは一人残らず、彼という存在を認識し、忌み嫌っていた。
「チッ……相変わらず気味の悪いガキだぜ」
「臭せぇ……体臭がここまで漂ってきてるぜぇ!」
聞こえるように放たれた悪口にも、少年は微動だにしない。
ただただ粘性のある音を鳴らしながら、肉を見つめて咀嚼を繰り返すだけである。
傭兵たちはますます眉間のシワを深くした。
「オイ……テメーに言ってんだよこのザコッ!!」
酒が少年に降りかかり。
ジョッキが肉の山を打ち、床に散乱させる。
「ははは! いいぞいいぞ!」「ナイスショット!」
傭兵たちの笑い声。
中折れ帽子のつばから酒を滴らせながら、それでも少年は彼らの方を見ようともしない。
ジョッキを投げた傭兵が席から立ち上がって少年へ近寄り、床に落ちた肉を踏みにじった。
「今日も女待ちか? 臭せー体でご苦労なこったなマセガキ。もしやと思ってたがテメー、あの女に体臭かがせて興奮してんのか?」
「……女待ちはお前らの方だろ」
「分かってねえな、これだからガキは。俺らは治療待ちなんだよ、ロクに戦いもしねえテメーと違ってちゃんと仕事してるからな」
「僕だって仕事してる」
「傭兵の仕事は戦うことだぜ。お前がやってんのは雑用ばっかじゃねーか」
「小型の魔物に苦しむ人だっている」
「オウそうさ、だからとっとと消え失せろ。ここは大型の魔物や魔族を狩る傭兵御用達の酒場だ。害虫駆除がしてぇなら別の仕事に就け」
「小型を狩る傭兵がいたって……」
大皿が割れる。
肉が一枚残らず床に散乱し、倒れたテーブルの下敷きになる。
最近恒例のこととなったその光景に、傭兵たちは大声で笑った。
「おっと悪りい、足が滑っちまった」
「……なんでだ。なんでこんなことするんだ。いつもいつも」
「は? オメーが臭せーから。汚ねーから。小型ばっか狩りやがって大物を狩る俺ら傭兵のブランドを落とすから。あと臭せーから」
「……ッッ、」
「お? なんだやる気か? そのナリでこの俺と? 殺していいなら遊んでやるぜ?」
装備の隙間からこぼれる筋肉を唸らせるようにし、傭兵が小柄な少年を見下ろし凄む。
負けじと少年も彼を睨み返し、一触即発かと思われたが――――その空気を変えたのは鳴り響く少年の腹の音だった。
酒場を揺らさんばかりの嘲笑が空間に満ちる。
少年は奥歯を噛みしめて顔を伏せ、外套の下で服を握り締める。
「悪いなぁ、その日の稼ぎは全部メシに消える生活してんだったか? 少しはその食い意地改めろっつー、お前の大好きな女神テネディア様からのお達しだろうよ! 毎度バケモンみたいに食いやがって!」
止まない笑声。
少年は足元の肉を見つめたまま、固まって動かなくなってしまった。
「しかもさー、みんな知ってる? 俺こないだあいつを見かけたんだけどさ、」
別のテーブルからも傭兵が立ち上がり、少年へ向けあごをしゃくる。
「どこで見かけたと思う?――――なんと『最終攻略戦』の説明会場だったんだぜ!?」
「さ――最終攻略戦?? え、何だお前、え??? 参戦するのか? 攻略戦に? 小型しか狩ったことがねえお前が??????」
嘲り笑いがいよいよもって大きくなる。
「――――っっはははははは!!! こりゃ傑作だなオォイ!! なんでテメーみたいな小便ガキが魔族共との戦いで役に立てると思ったんだ? そんなことも分からねえのかお前! だははははは!!」
「しかもいいかァ、ザコガキ! 明日の攻略戦は最終攻略戦なんだ。魔物・魔族の巣窟になってるギアガロク巨大連山を越えるために、これまで数十年間何遍も繰り返されてきた戦争の、最終局面なんだぜぇ!?」
「魔族共も死に物狂いで抵抗してくるハズだ。大型の魔物、魔族が最前線に出てくる戦いになるのは明白! ……で? そんな場でテメーみてーなザコに何ができる? 邪魔にしかなんねえんだよ!!」
「そうだそうだ!」「実力考えろバーカ!」「んなことしたって誰もお前をホメねーぞ!」「そのオモチャみてーな剣で何ができるってんだ!」
少年が腰に提げた、所々欠けている鈍色の鞘と、それに収まる色あせた柄を持つみすぼらしい剣を指し、笑い転げる傭兵たち。
傭兵たちが腰で光らせる商売道具に比べ、少年の剣は明らかに鈍の気配を漂わせていた。
「……うるさい」
「あ?」
「僕だってこの国――ベステアのことを大事に思う人間の一人なんだっ。そうテネディアに誓ったんだっ! 国の大事に立ち上がらなくて、何がテネディア教の――」
「テネディアテネディアやかましいんだよ異教徒のボクちゃんよ!」
「い――異教徒?」
「そうさ――この神聖な場所に、」
傭兵が少年の首元のネックレスを掴み、
「俗物を持ち込んでんじゃねえ、ってことだよ!!」
「や――やめろッ!!!」
少年の首から、テネディアの紋章が引き千切られ。
傭兵はそれを、やすやすと握り潰した。
「あ――――」
「おやおや。今度は手が滑っちまった」
「ああああああああああっっっ!!!?」
パラパラと床に散乱する紋章の破片。
少年は悲痛な叫び声を上げ、肉の油と靴の汚れに塗れた床で砕かれた破片を拾い集める。
背後には次から次へと嘲笑が突き刺さった。
「だははは――もはや狂信者だなそこまでいくと! そんだけ信心深いなら傭兵なんぞとっとと廃業して、本格的に信者でもやった方がよっぽどおナカマとヌクヌク過ごせるだろうぜ――身の程を知るんだな孤児クンよ」
「――う――うぅぅぅぅぅっ」
「あ?」
喉で唾液を弾けさせるような音に、傭兵が少年を再度見下ろす。
そこには震える両手で紋章の破片を抱え、中折れ帽子の向こうから殺意を湛えた目を見開いて傭兵を見る少年の姿。
「――いいぜ? テメーがここから消えてくれるなら、殺すってのも手段の内だ」
「ああぁぁァァ……!!!!」
少年の口から息と共に怒声。
わずかに見える伸び放題の髪の毛をざわつかせ、彼が屈んだ姿勢から傭兵の喉元に飛び掛かろうとしたとき、
「こんばんはっ!」
その女神は、現れた。
大きなスイングドアを開き酒場へと入ってくる、純白の修道服に身を包んだ女性。
服が張り詰める程に突き出した胸の上で揺れ弾む、純銀のテネディアの紋章に指を添え、女性は惚けた者達へ淑やかに一礼する。
「テネディアの託宣に従い、今日も皆さんの傷を癒しに来ました。未熟な身ではありますが、本日も――」
「俺らの女神がやってきたぞおおおぉぉっっ!!」
『うおおおおっっ!!!』
傭兵たちが歓喜の雄叫びを上げる。
女性は「はんっ」と小さく叫び、しかし楽しそうに両耳を塞いで笑う。
そんな騒音さえ気にならないほど、少年もまた「女神」に見惚れていた。
「今日こそ俺が一番乗りだッ!」
「あっテメー、ずりィぞ! 抜け駆けすんな!」
「テレリアちゃ~ん、今日俺大型の群れを仕留めてきたんだよォ。傷がウズくんだ、最初に治療してくれよォ」
「わっとと――大丈夫ですよっ! 皆さんちゃんと治療してあげますから、いつもみたいに並んでくださいっ!」
酒で脂ぎった男達が、肉体を見せびらかすようにして次々にとっておいた生傷を、テレリアと呼ばれた女性にさらす。
テレリアはその男臭さにも嫌な顔一つせず、静かな笑顔で傷を治療し始めた。
「はい、終わりましたよ」
「ありがとな、テレリア。教会の他の治癒術師共と違って無料でやってくれるからありがてぇよ」
「あっ……ふふ、ありがとうございます」
「オイ! テメ何テレリアの頭撫でてんだコラッ!」
「俺のテレリアに手ェ出すなッ!」
「ホラ皆さん、こんなところでケガしちゃ明日に差し支えますよ。次の方どうぞー! 足首ですね。はい、じゃあ失礼します」
「あー、痛みが消えてく……いつも通りいい具合だぜ、テレリア」
「あっ……ふふ、ありがとうございます、ジェウェンさん」
「後は……息子まで慰めてくれりゃいうことは無いんだが?」
「ひゃんっ! ちょ、ちょっともぅっ。手元が狂っちゃいますから」
『おいこ゛ら゛ぁ゛!!?』
「テメェ何テレリアちゃんの乳揉んでんだよ――離せって!!」
「とか言いながらもう片方揉もうとしてんだろ! させねーぞテメー!」
「しかし、お前は一回も嫌がる素振りを見せねーよなテレリアぁ……実は続けて欲しいんじゃねーのか? いい加減こんなムサい連中の相手ばかりしてねーで俺のとこに来いよ。死ぬほど可愛がってやるぜ?」
「ですから手ぇ……もうっ。ダメですよ。他の所にも、私のことを必要としてくれる方々はたくさんいらっしゃるんですから」
「っはー、見ろよあの尻も。後ろから見てるだけでもうタマんねぇよ」
「娼婦ですっつった方が納得できるよなァ!」
「抱きてぇー」
下卑た男たちの欲望に塗れながら、それでも手を払いのけることなく治療を施していくテレリア。
そんな光景に反吐が出そうな顔をしながら、しかし少年はただ目を逸らし、そばに置かれた掃除道具で床を片付けることしかできなかった。
だから少年は、
「ファナさん!」
「っっっ!!!??!??!」
気が付くと自分の眼前に屈んでいたテレリアを見て、ひっくり返らんばかりに驚いたのだ。
「これ、ファナさんがいつも食べてるお食事ですよね。どうして今日はこんなにメチャクチャに?」
「あっ……あぅ、あの、」
「それに、お掃除もずっと片手で……あら」
自分の胸元に視線を落とすテレリアに、ファナと呼ばれた少年は己が信仰の証を無くした状態だと気付き、思わず両手で胸を隠すように後ずさる。
手に持っていた紋章の破片が、テレリアの前に散乱した。
「………………」
「………………」
――ほんの一瞬の無言。
しかしファナにとっては、唯一余人に負けないテレリアとの共通点だと自負していた信仰を証明できない、地獄の時間だった。
信仰を失った自分に、テレリアは価値を見出してくれない。
紋章を守れなかった自分を、テネディアは見止めて下さらない。
「ファナさん」
信仰。
テネディア教。
それはファナにとって、世界で唯一の他者との「つながり」――――
「大丈夫ですよ。ファナさん」
「――――え?」
ファナが話しかけられていることを自覚したのは、その地獄が全身くまなく行き渡った時だった。
テレリアが、肉と油と酒と汚れに塗れた床に躊躇いなく掌を当てる。
ファナの真っ黒な瞳に照り返される真っ白な光はやがて柔らかな粒子となり、紋章の破片を寄り集め――――再び一つの紋章へと再構築する。
「――――――――、」
「あら……少し、破片が足りませんでしたね。探してみましょうか。この辺りで壊れたなら――」
「いい!……です」
「え?」
膝を着き、純白の服を汚してまで床で紋章の破片を探そうとするテレリアを、ファナが止める。
その手にはテレリアが修復し、所々が小さく欠けていることで――――世界でたった一つのデザインになったテネディアの紋章。
「これで、いいです」
「あ……でも、破片が集まればちゃんとした、」
「いいんです。……ありがとうございます。ありがとう」
紋章を握り締め、感極まった声で俯く少年に、少女は優しく笑いかける。
「困ったことがあったら、何でも相談してくださいね、ファナさん。テネディアはいつもあなたを見ていますから」
「――――はい。はい」
「おいおいズルいじゃねぇかテレリアよォ」
「ひゃぅんっ?」
「!?」
戸惑いの声にファナが顔を上げる。
見ると屈んだテレリアの横に同じく座り、無遠慮に尻を揉みしだいているらしい傭兵の姿。
「あの……倒れちゃいますからっ」
「なぁ、さっきみてーに順番でいいからさぁ、ブチ込ませてくれよぉ。そんな臭せーガキ相手にするよりよっぽど気持ちよくしてやっからよぉ」
「あ、それだけは出来ないんです。ごめんなさいカニスさん」
「おいクソ野郎!」「離せその汚ねー手を!!」「酔っぱらってんぞそいつ!」
「頼むよォ~!!!」
「あ、あぁっ……ちょっと。だめですよ手ぇ動かしちゃっ……他のことなら何でもしますから」
「へぇぇぇ~え? それはヒック……本番以外だったらヤッてもいいってことなのかぁ~!?」
「え? あっ、あのちょっと……」
目の前で屈むテレリアが、股を押さえながら後ろを振り向こうとする。
普段より度が過ぎた事態を察知したファナは、テレリアの肩に顔を寄せ舌を出す外道を睨み付け、飛び掛かろうと足に――――
「我が妻に触れるな。屑共」
――――込めようとした力は、行き場をなくして消え失せた。
空気が一瞬で張り詰める。
一瞬前まで欲望を剥き出しにしていた傭兵たちが揃ってテレリアから視線を外し、彼らに明確な敵意と清らかな魔波を向ける相手を見る。
酒場の入り口に立つのは、金色に縁取られた白百合色の鎧の上に、水縹色の外套を羽織った長身の騎士の姿。
外套は、その瞳と同じく碧色に輝くテネディアを象った留め具によって留められ、揺れる金砂の長髪がその威光をより一層引き立て、御姿をより神々しいものに仕立て上げる。
エクター。
テネディア教教会騎士団、副団長を務める男。