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月明かりに照らされて

作者: 日高 春

 

 突然の別れから一ヶ月が経とうとしていた。


「もう、あなたとは一緒に居れない。ごめんね。」


 丸い字で書かれた紙が机の上に置いてあるのを見つけた時、不思議と涙は出なかった。そんな自分が可笑しくて笑ってしまったのを覚えている。喪失感があったわけでも、悲しいと思ったわけでもない。ただ「納得」した。それだけだった。

 今何しているか、元気でやっているか、そんなことをいつまで考えていたか気になって記憶を辿ってみたが、別れて一度たりとも思ったことはなかったようだ。僕は、薄情者なのかもしれない。


 きっと、こんな所が癪に障ったのだろうと考えながら発泡酒を流し込む。彼女と居た時によく飲んでいたものを買ってきた。


「こんな味だったな。」


 と、別れてから何度飲んでも少し懐かしさを感じさせられる。


 冷めたお弁当に手をつける。つい先程、日付が変わってしまったが、これが今日初めての食事だ。朝、目を覚ましても基本的に何も食べない。昼休憩もコーヒーと煙草を持って、中広場で座っているだけなので、職場からの帰り道にあるコンビニエンスストアの割引シールが貼られたお弁当が初めての食事兼晩御飯となっている。朝御飯を作る必要性も感じないし、お弁当を持っていく気にもならない。休日は全く何も食べないので、少しでも食事を口にする仕事がある日はまだましと呼べるだろう。食事どころか家から一歩も出ていない。

 コンビニエンスストアの電子レンジでわざわざ温めてもらうのも気が引けて、帰ってから温めようと思うがいつも温めないで食べてしまっている。


 ふと、携帯電話の画面が明るくなった。


<男子高校生が飛び降り自殺。いじめが原因か?>


 ネットニュース速報の通知だった。また、どこかで人が亡くなってしまったようだ。この子の気持ちが少しでも周囲に伝わることを願う。なんて僕が言えた立場ではないが。


 よく後輩がこんな話をする。


「またどっかの学生が自殺したみたいですよ。これから生きていれば楽しいことあるかもしれないのに勿体ないですよね。」


 僕は、そう思わない。これから楽しいことが待っているかもしれないが、辛いことは辛いだろう。

 確かに、後輩の言い分も理解はできるが、人それぞれ考え方や境遇があるのだから一概に勿体ないとは思わない。個人の幸せは個人が決めればいいことだ。


 そういえば、一度だけ彼女と口論になったことがある。手紙が置かれていた前日だった気がする。その時も、命やら幸せやら生きる意味やらについて話している時だった気がする。恐らく、僕が彼女を怒らせることを言ってしまったのだろう。普段はとても温厚な人だったので、余程ひどいことを言ったのだろうと、後悔したのを覚えている。


 そんなニュースを眺めながら十分も経たないうちに食事を終え、洗面所に向かう。顔を洗い髭を剃る。剃刀を仕舞う前に左手を切ってしまった。何故だか、痛みはあまり感じなかった。


 零時三十七分。


 懐かしい発泡酒を飲み、髭を剃る。数少ない休日前の決まりになっている作業を終え、僕は、布団に潜り込んだ。明日は休みなので、自然に目が覚めるまで眠ることにする。このまま目を覚まさなかったら、この世界はどんな変化をするのだろうか。きっと何も変わらないだろう。


 零時五十二分。


 携帯が鳴った。こんな時間に連絡してくる知り合いに心当たりはなかった。


「久しぶり。元気かな?ご飯とかちゃんと食べてる?」


「あぁ、なるほど。」


 無意識に言葉がもれていた。


 どうやら僕は酷く彼女に惚れていたようだ。そして同じぐらい彼女に縋って生きてきたのだった。

 毎朝、彼女と一緒に作っていた朝御飯もお弁当も、休日に予定を立てて出かけていた日々も、とても幸せだった日々の数々も今の僕には何にも残っていなかった。思い返すと自分が壊れてしまうことが怖かった。

 涙が出なかったのは喪失感が大きすぎて、悲しみなんて感情は出てこなかったのだろう。彼女が居なくなったことを認めたくなかったのだと。


 彼女を怒らせた言葉を思い出した。


「きっと僕は死ぬのが怖くないんだよ。失うものなんて何もないから。」


 彼女は、泣きながら僕を怒鳴りつけた。怒られて当然だなと笑ってしまった。


 彼女が離れてしまった事を不意に突きつけられた僕の心は晴れやかだった。思い出が頭の中を駆け巡っている。


 出会った日のこと。

 初めて二人で出かけた日のこと。

 初めて体を重ねた日のこと。

 君が僕の家に住むようになった日のこと。

 お揃いのグラスを買いに行った日のこと。

 君がいなくなった日のこと。


 出会いから別れまで思い出に浸りながら君のメッセージを開いた。


「久しぶり。元気にやってるよ。ありがとう。」


 返事を送信した。


「急に居なくなってごめんね。やっぱり、ちゃんと会って話がしたいんだけどダメかな?」




 カーテンが揺れ部屋の中が月明かりで照らされる。

 左手が赤く染まった彼は、薄く開いた目でその文字を読んでいた。

 月のように綺麗に輝いたその瞳で。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 身近な愛情に気づく、純愛いいですね。 冷めた男の恋愛観なのでしょうか。 いい気分で読めました。ありがとうございました。 [一言] 愛情を自覚したなら、男のほうから彼女を追いかけるほうが胸熱…
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