破邪粉像
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふうん。「平安時代の経の文字に、人工物と思しき真鍮を確認。金工史的に画期的な発見」か。確かこれまで真鍮って、日本では江戸時代になってから開発されたっていうのが、定説だったっけ? それを600年ほど遡るんだから、えらい違いが生まれるねえ。
こーちゃんも知っているかも知れないけど、真鍮っていうのは伝説の金属、オリハルコンの正体のひとつじゃないかといわれている。金に似た光を放ちながら、金よりも安いということで、劇の小道具に使われることもあるようだ。設定上は金製となっているものを、実際は真鍮を用いて作ったりね。
金属は、石と並んで古くから僕たちの生活の近くにあったもの。紀元前から、加工に1000度前後の熱を必要とする、鉄を鍛えることができていたという話。僕は個人的に驚きを隠せなかったね。それほどの高温、機械の力なしでは作れないと思っていたから。
以降、金属の加工や精錬に興味が出てきたんだけど、不思議な話もいくつか混じっていてさ。こーちゃんもこの一話、ネタとして抽出してみないかい?
先にも触れた平安時代は、まじないを用いて邪を退けることが、一般化していた時代だ。とある貴族の家でも、先祖代々伝わる、ある道具を用いた破邪の方法が伝わっていた。
弦打の儀。矢をつがえずに弓の弦を引いて、音を鳴らす。それによって魔や病を払う儀式だ。
それだけなら平安時代において、別段、珍しいことではない。だがその家ではこの儀式を行う時、傍らに仏をかたどった像を用意する。弓を持つ時、これを仏壇に乗せた上で弦を鳴らすんだ。
弦を打つ回数に関しても、独自の決まりがあったらしい。それをめぐる事件のひとつを、今回は話そう。
その家の当主が7代目を迎えた、ある日の昼間のこと。待望の第一子誕生に一同が湧き、女房達が赤子の面倒を見る傍ら、男たちは弦打の準備に取り掛かっていた。
この家では当主たる貴族本人も弓を取り、実際に弦を鳴らすのが通例だったらしい。子供の産まれた部屋を囲む四方の部屋へ散り、男たちは順番に弓を引き始める。
当主のそばへ置かれているのは、開いたハスの花の上に腰を下ろした如来像。
当時の主流だった、木彫りではない。数百年前に先祖が手に入れたという銅製だ。これらの像には長く持たせるために、鍍金が施されるのが通例だったが、それもない。たゆまぬ手入れによって、元の赤黒い色を保ち続けている。
新しい子が産まれた際の弦打は10回。一回一回の間隔はそれなりに開けるが、残響が完全に絶えぬうちに、音を重ねていく手はずとなっていた。ところが3回目に弦が鳴いたところで、仏像に変化が見え出す。
最初に現れたのは頭部。粒が集まったように見える螺髪が、上の方から少しずつ元の色を失い、緑色へとなっていく。それを確認しながらも、当主は弦を鳴らす手を止めない。
6回を重ねると、もう上半身がすっかり染まり、9回を超えると身体どころか下のハスまで緑色の兆しに沈む。すべてが完了した時には、もはや赤っぽいところを探すことなど、思いもよらないほどになっていた。
当主はそれを確認すると、弓を置かずに床の間へ。そこに立ててある矢筒から、一本の鏑矢を手に取った。各所からの弦打の音も順番に止み出し、赤子の元気な泣き声こそが屋内の支配者になろうとする中、当主は庭先へと降り立つ。
弓を構えた。鏑矢をつがえ、狙うは天。
存分に引き絞られた弦は、刺さるべき相手を持たない虚空へ矢を送り出す。戦の開始を告げる時にも使われる鏑矢は、屋敷周辺に長く長く音を響かせながら、やがて見えなくなってしまう。
その音が消えないうちから屋敷の中、および周辺の家屋で慌ただしく、人がうごめく気配がした。屋敷からは「火を焚け」「住職を呼べ」と次々に指示が出て、用意に取り掛かっているであろう音。家屋たちからは、外で遊んでいる子供を連れ戻し、次々に玄関の戸を閉ざしていく。物忌みの支度だった。
当主は物音が止み、おそらくは一通りの準備が整ったところで、部屋の中へと引き返す。
すでに件の仏像の周りには、広く四方を囲うように燭台が置かれていた。火も入れられ、それぞれのそばには正装した男がひとりずつ。その手にはいずれも太刀が握られ、朴の木をそのまま削り出したような色合いの鞘に納まっている。
「……坊はどこへ?」
「ご安心を。すでに奥方様と共に、離れた蔵の中へ入っておりまする。入り口にも人を立て、終わるまで何人たりとも通すなと厳命いたしました」
「大儀であったな」
この空気を醸す屋敷の内に、赤子を置いておくわけにはいかない。誰が一緒であったとしてもだ。一同はそのまま部屋の中で待機し、ややあって屋敷の入り口から新しく人がやってくる気配がする。先ほど呼ぶように指示が出されていた、住職のものだった。
仏像の部屋へ通された住職は、一礼を済ませてすぐに像のそばへと座った。すでにコケが生えているのでは、と錯覚してしまうほどに深い黄緑を帯びたその像の頭上へ、住職は軽く手をかざす。右回りに5回ほど空中をかき混ぜてから引っ込めたが、その手のひらは像に触れていないにも関わらず、同じ緑色がうっすらと浮かんでいる。
住職は当主と周りの4人にうなずきかけると、そのまま像の前に座り込み、懐から数珠を出して手にかける。
当主は弓矢を床の間へ戻すと、そこの刀掛け台から、これもまた他の4人と同じ、鞘のこしらえを持つ刀を取った。他の4人が太刀と呼べる長さなのに対し、当主が持つのは、つばのついていない小刀だったんだ。彼は住職の真後ろへ、やや離れて着座。懐紙を取り出して目の前の畳へ置く。
それを見た他の4人も、太刀を持ったままその場へ座る。当主を習い、懐紙の用意も済ませた。
すべての確認を終えると、住職が像へ経を読み上げ始める。一般に知られる催事で読み上げられるものとは別だ。ところどころにこの家の先祖の名前が入る、特別なもの。彼らへ呼びかけるかのような一節が唱えられるたび、呼応するように燭台の火が揺れた。
当主をはじめとする5人はすでに刀を抜き、鞘を自分のひざの上へ乗せている。彼らの刀はどれも、のこぎりかと思うほどギザギザした刃を持っていた。彼らはその刃を、抜いた鞘の口の部分にあてがい、ゴリゴリと削り始めたんだ。
5人それぞれの刀が紡ぐ、鞘の悲鳴。極端に切れ目ができないように、彼らが少し削るたびに箇所を移し、刃はこれまで自分を守ってくれた鞘への恩を、あだで返していく。そして懐紙の上には、少しずつ鞘であったものの木くずが山を成していった。
読経が終わるまでの半刻(約一時間)余りの間、5人はいささかも手を緩めることなく、手を動かし続けていたんだ。結果、鞘は一尺(約30センチ)ほどに削れてしまい、元通りに刃をしまうには不相応な代物へ成り下がる。そしてそれぞれの懐紙の上には、山となった木のくずが。
当主から向かって、右上に位置する者が立ち上がる。抜身の刀をその場に置き、代わりに懐紙を両手で捧げ持って、像の前まで来ると中の木くずを、そっと振りかけたんだ。
すべてかけ終わると、今度は右下、左下、左上と、これもまた右回りで、前の者にならって木くずを運び、かけていく。しんがりをつとめる当主の段になると、すでに像はくずの山の中へすっかり埋もれてしまっていたんだ。
だが、そのままの状態では長く続かない。山の下からみるみる緑色が漏れ出して、白かったくずをたちまち冒し始めた。一同はじっとその様を見届け、緑の暴れるがままに任せている。像を包むものはおろか、そこから繋がる床のくずたちまですっかり染め上げられた頃、ようやく色づきは足を止めた。
めいめいが残った鞘の端を使って像の周りのくずを払い、改めて懐紙の中へ集めていく。くずの下から出てきた像は、元の赤褐色を取り戻していた。一方のくずの方は、乗せられた懐紙にすらも、ぽつぽつと緑色の染みを作るほどに湿っている。
庭の一ヶ所に集められたそれは、これまで室内で灯し続けていた火をかけられたんだ。大きな火の手こそ上がらなかったものの、紫色の煙を吐き出しながらじょじょに黒ずんでいくくずの山は、銀杏を思わせる強い臭いを放っている。
この時、すでに当主はもう一度弓矢を手に取っていた。もうもうと湧き立つ煙を見据えながら、今度は真鍮製の矢じりを持つ矢をつがえている。
しばらくは真っすぐ上っていた煙だったが、ある高さからにわかに横へ広がり出した。ふくらみの直前で細く絞られた部分は、まるで喉首。そこを中心に丸く集中していく煙は、じょじょに空を塞いでしまうほどの密度になる。白い煙の中、不自然に濃い部分が身体を寄せ合い、大きな目と口をかたどっていく。それは大口を開けた獣のようにも見えたとか。
そこを当主は射た。狙い続けていた喉首の部分を、真鍮の矢じりはあやまたず切り裂いた。
つながりを断たれた煙。その上部、顔の浮かんだ部分はつながりを失い、不規則な方向へ飛び回りながら上昇を続けたあげく、おのずから四散してしまう。
下の煙はというと、断ち切られた部分を天井とし、それ以上の上昇をしなくなった。しばらくその場にとどまったものの、くずがすっかり焦げ切ってしまうと、これもまた空中へと溶けていったんだ。
それを見届けると、当主は初めと同じように鏑矢をつがい、空高くを射る。長鳴りするその音は、儀式の終わりと周囲の安全を、皆へ知らせるものだった。
言い伝えによると、当主の先祖が昔、狐の怒りを買ったことがあり、その子供に憑りつこうとしたことがあったらしい。それを退けた際に用意されたのがこれらの品と儀式であり、子が産まれる際には、常に用心するように言いつけられていたとか。
そして今に至るまで、狐たちはしぶとく隙を見つけては、子供を我が物にしようと躍起になっている、とのことだよ。




