第76話 Jとの決着
◆レンドウ◆
右腕から、いや、左腕からもだ。血液が零れ落ちていくのを感じる。
バティストに切り裂かれた。素手でだぞ。何度でも言うが、常軌を逸してる。
せっかくカーリーから託された力が、流れていく。このままじゃ、また……何もできない弱い俺に。
――――弱気になるな、レンドウ!
俺の強いところを、見たい。そう言ってくれた、少女がいるだろう!!
背中から立ち上らせた緋翼を、竜巻をイメージしつつ、前方に躍らせる。それも、同時に二つだ。
そして、それに追従するように、俺自身を三つ目の竜巻とする。波状攻撃。
バティストが振りかざした右の腕――まるで抜き身の刀だ――に、俺もまた、黒く変色させたそれを重ねる。
奴は腕全体を紗のような黒い手袋で覆っている。黒ばっかだな。黒と黒の衝突。
自分ばかりが能力に頼っていて、若干不公平感を覚えなくも無いが、そんなことを気にしていたら……俺は永遠にバティストと釣り合えないままだ。ハンデでも、種族の優位性でも、タイプ的に効果が抜群だろうと4倍ダメージだろうと、俺は何が何でも勝つんだ。
緋翼が、ずぶりとバティストの右腕を侵食する。音など発生しようも無い攻防。だが、俺の頭の中はガンガン鳴ってる。
――――罪悪感なんて、後で好きなだけ感じればいい。どうぞご自由に、押し潰されてやればいい。
だから、今だけは。
お互いの右腕が連結されたような状態になって、距離が固定される。
バティストの左手が、俺の顔面を射抜きにかかる。首を限界まで傾けてそれを回避する。右側面の髪の毛が心配される。はらり。ハラハラする。
これ以上量を減らすわけには……アシメ野郎にされる訳にはいかない……。
右手の連結を解いて、離れる。
その際に、俺の右腕を覆っていた緋翼をそのまま全部、奴の右腕に置いてきた。
そして、一度はバティストが躱し、通り過ぎたと思われた竜巻が――バラまいていた緋翼が――持ち主の俺目がけて、還ってくる。
それは威力こそ持たない、唯の砂粒のような粒子の塊だが、
――バティストにはそれが解らない。
横目で背後より迫るそれを確認したのか、それとも気配で分かるものなのか。とにかく、バティストはそれを大げさに避けることを余儀なくされる。横っ飛びだ。……それで避けきれちまうってのが、また凄いけどな。
強風にあおられて吹き付けられる雪の粒を、避けられようもねェだろ、普通。規格外。
しかし、着地とともに奴は僅かだが体勢を崩した。着地した先が、水の中だったからだ。二本の足で立ってしまえば、それほど深くはない場所だったが(子供たちも遊ぶ公園なのだろうし、当然か)。
滑りやすくなっていたのか? なら、運は俺に向いている。その失態を取り戻すべく地面に着こうとした右腕もまた、緋翼に覆われて思うように動かないらしい。右利きなのか? ……裏目に出たな。
「……ッザ ァァァ アア ァア ァ アッッ!!」
途切れ途切れの雄たけび。そして俺もゾンビになる……かってンだよちくしょう喉痛ェ。叫びながらの跳躍。頭上で構えた肉厚の緋刃――そのまま、大剣だ――――を、バティスト目がけて。
振り
下、
ろ、
し タ。
タ?
ナ、んだ。この倦、怠……感ハ?
声が枯れテキたけド……こレだけ練り上げた力ダ。剣は元々打撃武器だなんて声もあるくら、いだ。これを叩きつけられては、唯で済むまイ。いや、これの本質は剣じゃなクて霞だがな、はハ。
け……着。けッちゃコ、だ。
――――ザッパアア!!
と、水しぶきの音が耳を劈いて、瞬間、脳みそが。
体をぶるりと震わせて、俺は“帰ってきた”と感じた。
……おい待て、ちょっと、おかしくなってなかったか、俺。
まだ、くらくらするけど。力の使い過ぎ……?
水しぶきの音が立った時、思わず舌打ちをしていた。
どうして俺は、舌打ちをしたんだ……? 回らない頭で、理由を考える。ああ、そうだ、当たっ……ていない、かった。それはつまり、攻撃が外れたってこ、とだ。
つまり、――ああぁ、そうだよ…………反……撃が、来る!!
「シッ!」
闇を切り裂くように、鋭く呼気を放った対敵。
しかしそれは、本来であればこの男には必要のないはずのものだ。
確実に、動きが鈍くなってきているんだ、こいつも……。
バティストの……当初に比べれば“緩慢”と言ってもいいほどになったその拳を、躱す。
躱す、躱して、躱す。それだけで、この男の体力を削ぎ落すことができる。そのはずなのだが。
その間隙を縫って、反撃を加えることを、試みてしまう。しまう、と言っても、ちゃんと成功するのだが。
「……ベア……ク、ロウ……!!」
強く意識しないと。発声によってイメージを固める手伝いをしてやらなければ、緋翼を固形化させることすら困難だった。
……またしても、体から何かが抜けていくような感覚。これが、命を削るってことか……? 脳みそが働かなくなりそうだ。
だが、その疲労感を越えた先に、未来を。俺は掴み取る。
「がはっ……」
喀血し、下半身を水につけたまま石造りの通路に背中を預けた対敵。
静かな…………決着だった。
……くうっ。
水の不快感を気にしている余裕さえない。蹲って、頭を押さえる。
俺……さっきほどおかしくはなってない、よな。
あれは、なんだったんだ。一度に緋翼を練りすぎたのが悪かったのか。
…………よし、痛みが引いてきたな。
自分の体がいきなり崩れ落ちそうで、怖かった。慎重に体を起こす。
そして、仰向けに倒れたバティストを見て…………俺は自らの行動理由を省みる。
――どうして俺は……バティストの望むまま、正面から戦ったのだろうか。
正々堂々と、こいつとの戦いに決着をつけたかったから?
いや違う。
俺はそんなことに拘泥しない。
なら、こいつのことを好きになったからか?
……いや、それも…………少し違う。
本代・J・バティストは、敵と正面から打ち合うことに拘りを持っているようだった。自らに比肩する実力の持ち主を求めての行動か、一見して制約にすら見える、徒手空拳で。
小細工を用いず。己を曲げず。相手の“魔法”に身一つで向かっていく。
そんな心意気に触れて、俺は、少しだけ…………興味が湧いたのかもしれなかった。ああ、そうだ。興味。それが一番しっくりくる。好きとか嫌いとかじゃなくて、その前の段階。俺はこの男をどう思っていいのか分からなくて、それで……答えを出したかったんだな。
その時、俺は微かなうめき声を聴く。なんと、まさか。
この男、バティスト、まだ起きてるのか。
いや、起き上がる力はもうないのか。思わず、ほっと息を漏らす。嘘、「ボブァ」って感じだった。ボブァっと息を漏らす。んな綺麗な吐息出せるほど、体力余ってねェって……。
バティストは無言で、右手を空へと伸ばしていた。それはまるで、「まだ終わっちゃいねえ」。そういう、俺に向けてのメッセージのようにも見えて。
だが、やがて、その手からも力が抜け落ち…………本代・J・バティストは、意識を手放した。
* * *
気絶したバティストを水から引っ張り上げ、休憩所のベンチに寝かせて、それから……カーリーの元へ戻ろうとした……その俺の背中に。
「レ~ンドウ君っ?お優しいこってねぇ~」
そんな、ふざけた様な調子の声が掛けられた――、
――――は、え!?
ズシャア、と音を立てて、即座に振り返って構える。具体的には、左手と左足を後ろに、右手を前方に――つまり斜めに立って――、即座に攻撃に対応できるよう、防御の姿勢。
俺の人生で、今日ここで、こんなふざけた喋り方をする人物は、一人しか存在しない。
「…………!!」
本代……なんだったっけ・アーヴリル!!
声にならなかった。出したかったけど、とっさに力が入らなかった。
いや、「なんだったっけアーヴリル」と口に出していたら、いい気分はされなかっただろうが。
ちくしょう、何で今更、この女が。
……今からこいつと戦いになってみろ。一撃でやられる自信があるぞ。いらねェよそんな自信。
「やいや、そんなに警戒せんでもよかよー? 戦いの終わり、その結果を確認したかっただけやから、んネっ」
言いながら、両腕を背中に回して、品を作って見せた女。
……いや、信用できるかよ。「ま、あの様子じゃほっといても大丈夫っぽいの」とか、仮にも仲間に対して血も涙もない、こんなヤツ。
「……ゾンビどもはいいのかよ。バティストはまだしも、あの雑魚どもは……介護が必要なんじゃねェのか」
ケタ、ケタケタケタケタ。俺の発言がスイッチになったのか。ぐるりと首を回して、決して俺に口元を見せない角度で嗤い声を上げる女。
「ゾ、ゾンビ、ゾンビと申すか……うしゃしゃ! 言い得て妙じゃなぁ!」
「ツボってんじゃねェよ。あの兵士の様子、おかしかっただろが。「ウゴェアア」とかしか喋れてなかっただろが」
「……くひひ。あれは、本代に仕える隠密部隊……つまり貴族のはしくれ共じゃなぁ。ま、ウチに半年しごかれれば、ひひっ。皆自ずとああなろうて」
笑いを堪えるのに苦労するといった様子で、恐ろしいことを口にしやがる。
「貴族社会、怖ッ……」とは素直な感想だ。
そこで、飽きたのか。ピタリと嗤いを止め、こちらを見て――いつまでも構えを解かずにいる俺を見て――、アーヴリルは嘆息した。
「……はへぇ、信用ないの~。んじゃあ、もうええわ。ウチの目的は果たせたし…………」
にこり。
「また合う日まで、さいなら」
言うが早いか、奴は振り返って、公園の出口へと消えていく。何なんだ、あの女。振り返り際にウインクしていったぞ。気味悪すぎる。ああ、あと、俺としては一生会いたくねェぞ。それを口に出してしまえばまた突っかかられそうで……。口を噤んだ。
……目的ってなんだ。いつから戦いを見物していた。
全く気配に気付けなかったが、まさか、ずっとどこかに隠れていたというのか……。
ずっと?
……何もせずに、大人しく?
そんなことがあり得るか。
「ッ!! カーリー!!」
その可能性に思い至るや否や、俺はずぶ濡れの身体を引きずって、滑り台の遊具までひた走る。
「…………ほっ」
そして、すぐに安堵する。カーリーの姿は、変わらずにそこにあった。近づいて、頬を、顎を包むように手を当ててみる。きちんと、生命の脈動が感じられる。
よかった……。
首元の傷跡を見る。乙女の体だ、これを残したくはない。急いで宿に戻って、医療班に預けたかった。
ようやく、だ。ようやく帰れる。
カーリーの身体をおぶって、宿に向けて歩みを進める。
道行く先、街灯は全て灯っていた。まるで、さっきまでの出来事など、無かったかのように。そんな筈、ある訳無いのに。
ただ、人っ子一人いないという事実のみが、異常事態を表し続けていた。
…………いや、こんな夜更けに、子供が出歩いててたまるか。と自らにツッコミを入れたが、思えば俺達も子供だった。
レイスにこっ酷く怒られるだろうなあ。「そんなに怪我して!」「しかも、びしょ濡れ!」「顔が怖い!」ただの悪口みたいなのが脳内再生されたんだけど、なんだ。レイスはそんなこと言わねェ。たぶん。
今まで、鬱陶しく思っていたお小言だというのに。今はそれすら待ち遠しい。
一刻も早く、日常に回帰したかった……………………。
* * *
……こうして、レンドウ少年の苦労の夜は――戦いの夜は――、ようやく終わりを告げる。
だが、あくまで終わったのは、少年にとっての夜だけであった。
この陰謀渦巻く街は、まだ血を喰らい足りないというかのように、宵闇を深めていく。
深めていく、深めていく――――。
【第5章】 了
ふふ、可愛い戦闘描写だなぁ……と、自分で投稿しながら思います。
pixivに投稿しているものでは、このあと既にバトル展開を3回ほど書き終えていますが、書く度に自分の成長を実感しています。あぁ、はやく皆様に最新部分のバトルをお届けしたい(n回目)