第61話 抵抗感
「はぁ~い、待った待った」
「お二人さぁん、お荷物置いてってよぉ」
「つ、ついでに女の子は俺らと一緒に来るといいよ」
……ああ?
…………ああ、そういう人種ね。
学校、というフレーズに異様に食いついたイスラをエスコートしていたら、突如として……でもないか。近道をしようとして入り込んだ住宅街の路地。そこにたむろしていた柄の悪い三人組に絡まれてしまったらしい。
頭にバンダナを巻いた猫背。ダガーを手のひらでチャカチャカと弄り回すスカーフ。どもり気味なリストバンドのデブ。目つきの悪いそいつらを眺めて、心の中で嘆息する。
――くだらねェことやってんなよ。
それぞれトレードマークにしているアイテムを赤で統一してんのは、あれか。仲間の印みたいな? 俺も赤髪なんだ、やめてくれ。
はぁ。得てしてこの手の人種は人間社会の隅で生存し続けるものだ。受け継がれる、というか。放置国家アラロマフ・ドール的には、これも一つの正しい人間の在りようなのか。
辺りの民家の壁は薄そうだけど、誰もいないのか? それとも、トラブルが発生していることに気付いても、わざわざそれに介入して助けてやろうなんて考えを抱く人間の方が奇特なのか。そもそも、治安維持組織にタダで守ってもらいたくて近くに棲みついたような連中だしな……。
「お姉さ~ん、こんな目つきの悪くて粗雑そうな男より、俺らと遊ぼうぜ~?」
妙に間延びした調子で話すそのバンダナ野郎が、前傾姿勢でふらふらとイスラに歩み寄る。
えー……。
「おま、どうしてその面で人の目つきについて語れるんだよ……」
小さく反論してみるが、少年には聴こえていないらしい。軽く熱に侵されてんな。
ああいかん、育ちの良さそうなイスラに、この手の輩を近づけるのはマズそうだ。少なくとも、いい結果は生まないだろうことは想像に難くない。
と思ったのだが、その粗暴な手が彼女に触れるか触れないか、俺がそいつの腕を掴むためにひとっ跳びするかというところで、バンダナの腕がピタリと止まった。
思わず心中で舌を巻く。
やっぱり、凄まじいプレッシャーだ。
イスラを中心に、ある種の情報圧が周囲を席巻した。これが人間の貴族サマ(恐らく)の力か。どうして俺にはないのだろうか。
「さわらないで」
「……ッ。っと、いや~……まいったまいった」
冷や汗を浮かべながら後ずさったバンダナは、ある種勘がいいというか、素質があるというべきなのだろう。
同時に、スカーフとリストバンドにはそれが欠如しているようでもあった。
「なに女子にビビってんだよ?」
「つ、ついてくるんだな!」
仲間であるバンダナに向けてナイフで指をさし、嘲るスカーフ。リストバンドは自分こそ本物のアウトローとばかりに張り切って、イスラの左手を取った。やめとけって。
バシッ!!
――その顎に掌底が炸裂し、大柄な体が後ろ向きに倒れる。
ヒュウッ。
予想以上だ。凄い。
……一瞬、デブが音がするほどのもの凄い力でイスラの腕を掴んだんじゃないかと思ってヒヤッとしかけたが、杞憂だった。
彼女はと言うと、顎めがけて突き出したそれを、いたわる様にさすっているところだった。
相変わらず無感情気に自分の手のひらを見つめて……「いたいなあ」とか言ってる。痛そうに言おうぜ?
「つか、人を殴るとかできるタイプの人間なんだなお前……」
「初めてだけど。何事も経験でしょ」
「…………ハイ。お見事です」
見上げた根性だ。皆もイスラを見習うべきだな。
「……てめえ!!」
と、そこで激昂したスカーフがその手のナイフを振り回しながらイスラに近づくそぶりを見せたので、こりゃさすがにまずいだろう……と、彼女の手を取って下がらせる。これで手を取ったことにより俺の顎に向けてもアレが放たれたら最悪だなァ……そんときゃ見捨てるかァ? とか思いつつ、そんなことにはならないまま彼女を自分の後ろに格納。
するとどうなるかというと、代わりに俺に向けて凶刃が迫りくるって寸法よ。
ハッ!
――今まで俺が、どれだけの連中とやり合ってきたと思ってるんだ?
や、知ってるはずないというか、知られてたら怖いからいいけど。俺のファンかストーカーじゃんそれ。
穏やかに舞う落ち葉のようにすら見えるその刃を、手の甲で払いのけてやる。カン、と小気味いい音を立てて、ナイフは石に跳ね返って遠くへと吹っ飛んだ。
「は……………………えぇおええぉぉ!?」
奇声を上げて慄くスカーフ野郎の土手っ腹に蹴りでも入れてぶっ飛ばしてやろうか。そう思って足を数十センチほど持ち上げかけて――――、
――――ダメそうだ。
力が入らなくて、そのまま足を下す。後ろではイスラが、俺の奇怪な行動に疑問符を浮かべているであろうことは想像に難くない。
「なんなんだよおま♯%○×※◇」
既にその口から洩れる音が人語じゃなくなりつつあるけど、大丈夫かこいつ?
口から唾を大量にまき散らしながら、スカーフが殴りかかってくる。その拳を難なく受け止め――受け止めることならできる――、いなし、自らの勢いのままにすっ転んでいくのを尻目に、俺は走り出す。勿論、イスラの手を引いてだ。
いや、一気に引き離すなら、もっと効率のいい手があるな。一瞬足を止め、イスラの腰に手を回し、申し訳ないと思いつつも軽く転ばせるように身体を傾けてやる。と、はい、あら不思議。お姫様抱っこの完成でございます。
その間、無抵抗。後でしっぺ返しがきそうで、少し怖いな。
「ふっ!」
そのまま気合を入れて、俺は力強く地面を蹴った。
――――さあ、ごく普通のボロ民家の屋根よ! ……俺たちの体重で壊れてくれるなよ!?
「ま、まてえ!!」
誰が待つか。言いたいことは山ほどあったが、どれも勝者のセリフっぽくはならなそうなので、黙っておくことにするか。
「レンドウ、もしかして…………弱い?」
屋根から屋根へと飛び伝い、「もうそろそろいいだろう」とイスラを地面に下してやった時だった。
服の汚れを気にするようにパンパンと手で払う仕草をする彼女が、その言葉を発したのは。
随分と平然としてんな。少しは照れるとかないのか、この女。
てか、重ね重ね言うけど汚れが気になっちゃうような装備で家出すんなよ。あと叩くのもよくないと思うんだが。
……で、問題の発言についてだけど。
「や、確かにさっきのだけ見ればそう思うかもしれないけどさ! でもその前に相手のナイフを難なく弾き飛ばしたの見てなかったのかよ! 本当は超つえーっての!」
言うと、イスラは「それなら尚更謎は深まる」とばかりに首を傾げた。おお、さっきよりは感情表現が解りやすいぞ。
「なら、さっきのはどういうこと? 相手に反撃をしてはいけない戒律があるの?」
「そんなダルそうな教えは受けたことないな」
じゃあどうして、と際限なくイスラの質問攻めが続きそうだった。やめて欲しいんだが、どう言ったらいいものか。
「色々あって、さ。相手を傷つけるのが怖いんだよ。以上」
「…………そう……?」
説明不足感は否めない。だけど、この話を打ち切って欲しいという俺の願いは行き届いたらしい。イスラが汲んでくれた、と言うべきか。
――これもまた、あの日からだ。
我を忘れて暴れまわった、己に眠る残虐性を垣間見た日。敵対していた相手とはいえ、魔王軍の兵士を一人、俺はこの手で殺した。殺してしまった。
“そんなつもり”はなかったとか、正気じゃなかったとか、そんなことは言い訳にはならない。むしろ、本能で行動していたのであれば、“そのつもり”だったのだろうし。
自らが足を踏み入れた命の取り合いの世界をようやく自覚した。そういうことなのだと思う。今までの戦いでも、命を削り合っていると思っていた。でも、結果的に死者は出ていなかった。それはただ単に、とんでもなく運が良かったというだけだった。
俺は、そのことについて頭の中で整理がつけられていない。全く。
いつものようにレイスを初めとする“穏健派”によってヴァリアーに迎え入れられることになった魔王軍の兵士……つまり捕虜たち。彼らの前で、どんな顔をすればいいのかが分からない。
彼らの中の俺は、きっと悪鬼羅刹だ。
俺は名実ともに、鬼となったのだ…………。