第60話 家出少女イスラ
屋上への扉は重く、錆びていた。無情な時の流れを感じるぜ。先客がいることから分かる様に、鍵は掛かっていない。というより、鍵穴がそもそもなかった。不用心な作りだな。
古代文明は建物を作るときに、外敵から身を守ろうとか考えなかったんかね。賊の類を気にする必要もない平和な時代だったというなら、羨ましい限りだ。……滅びたっぽいけど。
まァ、そもそも鍵を掛ける=安全っていう訳でも無いんだけどな。所詮金属のつっかえ棒でしかない。壊す方法なんざ幾らでもある。
押してドアを開くと、それがギギギと唸りをあげる。こりゃ、先客に気付かれない様にってのは不可能じゃねーか?
身を隠す意味も無いな……と考えていると、さっきより纏まった数で飛来した雨粒が顔を撫でて行った。否、顔に留まった。渋い顔をしつつ、先客へ呼びかける。
できればここに留まっていたい。雨ざらしになりたくない。
「おーい、あんた! ……こんなとこにいたら、風邪引いちまうぞ」
「…………あなたはダレ?」
俺の問いかけは丸きり無視か。濡れることを厭わぬ様子で、プラチナブロンドの女は訊き返してきた。
長い髪を後ろで結わえ……、いや、ちょっと違うな。幾つもの小さい束を作って、それがなびいている。それ結わえる意味あんのか。もっとガッ! ズバッ! と纏めろよ。おしゃれさんか。
俺と同じか、少し年下だろうか。シャープな印象を与える顔立ち。まつ毛なっが。目ん玉まんまるだ。外見の割に、声が高いというか、幼く聴こえるというか。クレアとは大違いだな。
随分と育ちが良さそうな女の子じゃないか。俺の質問にパッと答えてくれてたら、更にいい子ポイントあげられたんだけど。
まあ、仕方ないのか。俺の外見はあいつと違って優しくないし。というか、怪しいですよ。知ってるっつの。
「レンドウ、だ、よろしく!」
相手との距離を考え、区切りながらしっかりと発音してやった。
少女は「ふうん」と言ってから頷いて、
「わたしはイスラ」
名乗り返してくれた。
いや~、やっぱ名前を教え合うのって信頼関係の第一歩だよね~。
と思ったが、ちょっとまて。今教えてもらったそれがこいつの本名である保証はどこにもないよな……。というかイスラって、女性名なのか? 最近は男性名だとか女性名だとか、そういうのがあまり気にされなくなっている風潮があるとも聞くが。
とか考えていると、
「悪いけど、今は一人になりたいから」
そう、静かな決別の言葉を打ち付けられました。そうして彼女は空を見上げられました。
――目に水入れる趣味でもあんの?
二の句が継げないでいると、イスラはこちらを一瞥し、「……素直に立ち去ってくれるとありがたいんだけど」と立て続けに要請してきた。
「お、おう……」
俺が悪いんですか。たぶんあなたからすればそうなんでしょうね?
その妙な迫力はなんなんだよ。
反射的に一歩下がって、扉を閉める。雨音は遠ざかり、俺は振り返って、登ってきた階段を眺めた。
「いやいやいやいや」
違うだろ。すごすご退散してどうする、レンドウ。このまま降りようってか? 何しに来たんだよ。
落ち着け、深呼吸しよう。目的を見失うんじゃない。
俺の目的は、あの少女の機嫌を取ることじゃない。嫌われようが何しようが、身柄を確保する必要があるのだ。ん~? 違うぞ。そもそも、まだ彼女が目的の人物かどうかもハッキリしてはいないんだ、一応。たぶんそうだとしても。
再挑戦するしかねェだろ! つーかなんでタメ口利いてくんだオマエ!
……よし、この怒りのパワーがあればいける!
再びドアノブを回し、押し出す。
その瞬間、ズアッ! と圧のようなものを感じた。この僅かな時間の間に雨脚が強まったのか、と思ったけど、違う。
まるで、この向こうに瘴気に満ち溢れた異界があるかのような。
「なんでまた入ってくるの」
イスラは、表情は無に近い……先ほどのままなのに、その身にまとうオーラだけは変えてきた。悪感情なのは手に取る様に分かった。
「よく考えたら俺の目的はお前な気がするんだよね」
よく考えなくてもそうだよ。どうしてさっきは。俺、馬鹿すぎかよ。
イスラは訝し気な視線(なのか?)を俺に向けて、微妙に首を傾げた。傾げてるよね?
「……誘拐犯?」
「まだやってねェから少なくとも犯はいらねェだろ! つーかこんな遠巻きにする誘拐犯がいるかッ!」
はぁ~、とため息をついて、日傘を広げる。屋上へと足を踏み入れると、床で水が跳ねた。割と溜まってんな。結構凸凹してるのか。
俺のその動きに合わせ、イスラは後ろへ下がろうとした。とは言っても、それは頓挫する。理由は簡単、彼女はもともと落下防止の柵のすぐそばにいたからだ。
「止まって」
それ以上下がれないと分かると、すぐに手を上げ、俺に歩みを止めるように言うが、構わず進もうと……したら、イスラは迷わずに柵を乗り越えようとし始めたッ!?
「わがっだ! 止まるから! だからやめて!」
なんなのこの子。怖い。
柵に手をかけた体勢のまま頭だけで振り返るイスラ。
「あなたはどこの人? 誘拐犯じゃないなら、パパにわたしを連れ戻すように依頼された、とか」
パパって。かわいいなオイ、とか思いつつ、全力で頷く。
「ああ、たぶんそれで間違いねェよ。俺は治安維持組織ヴァリアー魔物対策班15番隊所属……の、レンドウだ」
どうだ、スラスラ言えたぞレイス! 練習した甲斐があったぜ!
……なんで上手く言えた時に限ってお前はいないんだ?
名前はもう言う必要なかったか。言いつつ、首元から隊員証を引っ張り出して、見せつけるように突き出していた。
イスラはといえば、俺が掲げる隊員証をじっと見つめている。
――あァ、そうか。よく見えないのか。
人間だもんな。俺たちとは視力が違うのだ。
「どうして……ヴァリアーが? わたしは魔物みたいなものだってこと?」
「――なんでそうなる! 過保護すぎるお前の親父さんが、各方面の巨大組織にお前の捜索を依頼したんだろ! 大方! 知らんけど!」
イスラがまた斜に構えたというか、突飛な意見を出してくるのもだから、慌ててしまう。何この子、自分で自分のキレポイントでも探してるのかよ。キレる旅ですか。
彼女に近づきながら、害意がないことを示すように傘を持ち上げてやる。入れてやるぞ、という意思表示のつもりだ。
イスラはといえば、俺の全身を確認することを忘れない。一挙手一投足を見逃さないつもりかよ。
右手は傘で、左手は隊員証を掲げることで埋まってるっていうのに、それでも信用なりませんかね。
「ほら、入れよ。……つーか、なんで傘持たないでぶらついてんの」
少し責めるような口調になってしまっただろうか。イスラの前に立って、目いっぱい腕を伸ばして傘に入れてやると、勿論俺の方は傘に入りきれず、少しずつ濡れ始める。
「だって、そんなもの用意してたら家出ばれちゃうもん」
「もんて」かわいいからやめれ。
「年齢を考えろよ」
「14才だよ」
「…………マジで?」
嘘だろ、おい。リバイアと同い年?
その割には、なんつーか……随分と発育がいいな? 身長は170近くありそうだし。体つきも……その、うん。子供には見えませんでした。見えません。何も見ていません。いやらしい意味では決して。
「本当だけど?」
不思議そうな目で見つめられると、何も言えなくなってしまう。
「は、はー。へー。そうなんだ。うん。…………で、どうして家出なんかしたんだよ」
そもそも、人間とは何があれば家出をしようと考えるものなのだろう。
「退屈すぎるお屋敷での生活に嫌気がさしたとか? 自由を求めて籠から飛び立ってみたくなったとか……と、んー」
人差し指を立てて、一を表現しながら言ってみる。と、
「そこまで解ってるなら訊く必要ないよね」
「あってんのかよ……」
あってた。一つ目で。この俺の中指の疼きをどうしてくれる。
四つくらいは考えてたんだぞ。二は、お魚盗んだ野良猫を追いかけてだな……。
いや、そんなことはどうでもいい。問題は、俺をして妙に圧を感じさせるこの少女を、無事に家に帰せるかどうかだ。できるだけ穏便に済ませたいものだが。
「一応聞くけど、雨降ってきたからって理由で帰るつもりは?」
「ない」
「ですよね……」
すっぱりと答えるイスラに嘆息する。
家出少女の心情なんてこの俺に推し量れるワケねーぞ。
「はぁ」
思い切って、ゆっくりとイスラに並んで背中を柵にもたれさせる。
幸いにも、露骨に走って逃げられるようなことは無かった。
「レンドウ、近い」
なんなの? という目線を向けてくるイスラ。
「単に濡れたくねェんだよ」
右肩を上げて、首で傘を固定しながら、隊員証を服の中に戻す。ぐらぐらと揺れる傘が、右側に立つイスラの頭をつついたのか。不快そうに身じろぎする気配があったが、文句は言ってこなかった。
一応、雨から守ってやってることに対して感謝の念はあんのね。
「……家出って、目的地とかあんのか」
「どこでも」
「どこでも?」
「……ん」
訊き返すと、イスラはこくりと頷いた。身長の割に、小動物みたいな動作だ。もういちいち可愛いとか言わないんだからね。
「どこでも新鮮だから。どこまでも歩いていきたい」
「どこでも欲を満たせるのに、どこまでも行きたいのかよ」
近場で満足しとけよ。なんで一瞬欲が浅いフリしたのお前。
「レンドウ、どこか楽しい場所おし、……知ってる?」
「教えてって言おうとしたぞこいつ」
思わず口に出してしまった。すぐさまイスラはそっぽを向いてしまった。しまった! うわあん俺のバカ。
「え、ええと、楽しい場所だな! 楽しい場所、楽しい場所……」
――14才の家出少女は何処に行けば欲求を満たせるんだ?
酒場に連れてくわけにもいかねーし(俺も飲めねェ)、ヴァリアーに案内しようとでもすれば絶対に拒否されるだろうし、亜人たちの居住空間なんて以ての外だろう? エーテル流も眺めてるぶんには綺麗かもしれないけど。
「……国立平和記念公園とかどうだ? 俺が戦った時にできたクレーターとか見れるかもよ」
クレーターを作ったのはリバイアだけどな。
「それ見ても楽しめない。というか、野蛮……」
「仕方ないだろっ、戦いばっかの職場なんだから」
や、俺は討伐される側だったんだけどね……。
忘れもしない、竜の時代980年、4月9日のことだ。いや、わざわざ長ったらしく言わずとも、単に今年の出来事なんだけども。
――幼馴染であるクレアが一人で失踪した。俺は必死でクレアを探していた。嫌な予感がして、いてもたってもいられなくなって。
里の掟を破って、俺は人間界に飛び出した。クレアの匂いを辿ってこんなところまで来ちまった。等の本人はと言えば、人里で暴れだしたところをヴァリアーの面々によって鎮圧、捕縛されていた。それに激昂した俺は、感情のままに人間を蹴散らし、レイスには噛みつきもした。
そして……、そして。
…………ダメだ、やっぱりその先は思い出せない。忘れもしないとか前置きしといて、これだよ。まぁ、結果としてレイスに負けたから、俺は牢屋にぶち込まれたんだろうとしか思えん。
不思議なのは、レイスの方もその時のことをちっとも覚えていないらしいってところだ。何、意識ないまま俺を倒したの? どういう才能だよ。寝てる間に料理とか始めちゃう病気の人がいるって聞いたことあるけど、そういうのかよ、レイス。
と、関係ないことを考えちまった。
「ああ、野蛮なクレーター(というか野蛮なリバイア痕)が気に食わないなら、因縁の第二国立平和記念公園じゃなくて、第一の方にすっか? ちょっと遠いけど。……えーと、学校の近くだったよな。……うん、道は分かる、はず」
と、最後の方はブツブツと呟くような自己確認になっていったのだが、イスラは「が……っこう?」そこに喰いついてきた。
「学校が、何かしたかよ? って、うわっ」
右を見て、思わずのけぞる。すぐそばに、鼻息荒いイスラの顔があったからだ。
「学校、行こう、レンドウ! 行くべき!」
なんだよ、どうしたどうした。急に元気よくなりやがって。
つか……、行くべきて。
俺が引きこもりみたいに聴こえるセリフはやめてくれ。
夏の旅路をテーマにしたこの「魔王編」の終わりかけくらいまでが、既にpixivに上がってます。私の編集速度を越えてまで読み進めたい方は、pixivを覗いてみてくださいね。