第58話 朝日を受けて輝いた
ヴァリアーの屋上で、俺はゆっくりと色づいていく空を眺めていた。
夜が終わる。いわば俺のための時間が終わる。
考えを整理したいと思うとき、俺はこうしてちょくちょく屋上に来るのであった、ってことにしようかなー(今日が初めて)。
山々を切り裂いて登ろうとしている太陽に目を細めていると、後ろに人の気配を感じた。
「レンドウ……」
なんのことはない。レイスだ。
振り返って、後ろ向きに手すりにもたれかかる。楽な姿勢だ。
「どした?」
気さくに問いかけたつもりだが、レイスの顔は浮かない。
「大丈夫?」
質問に質問で返されて、しかしそれに不満を抱く前に、俺の思考はパリッと乾いた音を立てていた。
「あ? 何がだよ?」
レイスはため息をついて、軽く首を振った。そのまま俺の横まで歩いてくると、同じように手すりに背中を預ける。
意外だ。「落下防止の策に体重をかけるなんて危ないよ」、とか言いそうなキャラだろ、お前。
「誤魔化さなくていいよ」
優しく、包み込むような声だった。一切の邪気を感じさせないそれに、思わず鼻白む。
「……お前にゃ隠し事しても無駄なのか」
言うと、レイスは薄く笑みを浮かべた。どういう意味だ、その笑いは。
「そうだね。観念してよ」
白髪の少年は、少し下の目線から俺を真っすぐに見据えて。
「僕は、レンドウはよくやってると思う。今日……いやもう昨日か。アシュリーさんを止めたやり方は、大人だったと思うよ」
「……」
「かっこよかった」
「おう……」
曖昧に頷いておく。
「副局長に、なんて言われた?」
「お前には責任取ってもらわなきゃなあ、みてェなこと言われた」
罪を贖え、だったか。
「そっか……」
レイスは瞑目した。そしてそれが開かれたとき、その瞳には強い意志が宿っていた。
「それは、副局長なりにレンドウの努力に報いた結果なんだと思う」
あの男が、俺に報いるために……、か。
「レンドウが始めた、周りの怒りを一人で買って、その上で自分を大したことない存在だと思わせるやり方。副局長はそれを、後押ししたんだよ」
……ああ、言われてみりゃあ、そうだなって思うよ。無言で小さく首肯する。
「きっとみんな、ヒトへの怒りを上手く消化できたと思う。リバイアちゃんのことも、感情のない化け物だなんて思ってない」
「……や、そりゃそもそも誰も思ってねェだろ。感情が無いわけあるか。感情が爆発したが故のアレだろ」
レイスを傷つけられた時の、リバイアの荒れようを思い返す。
「そうだね」
朝日に照らされて、レイスの髪は容易にオレンジに染まった。
俺は思わず、眼を瞬かせる。俺の瞳は明順応がそんなに早くないんだ。
「……痛かったよね」
その声には、悲痛が宿っていて。
だから俺は、その意味を知りつつ、またとぼけようとする。
「アシュリーとかいうのに殴られたことか? あんときゃ確かに騒いだけど、言っとくがアレは痛いフリ……」
それを、レイスは許さない。
「違うよ」
ぴしゃりと。
空間を切り裂いて響いた音に俺は口を噤んだ。
「……そうじゃない。心の痛みの方だよ」
心の…………、痛み。
「何を……」
「言ってるかって? じゃあ言ってあげるよ」
キッ、と真正面に俺を捉えて、ひとつ深呼吸すると、
「レンドウ、リバイアちゃんが向けられてた憎悪を引き付けた時、すごく痛がってたでしょ。必死で平気なふりしてたけど。だってカーリーさんに睨まれただけで心臓が痛くなるような小心者だもんね! ……人間の食事が口に合わなくても無理しておいしいおいしいって言い続けて、隠れてトイレで吐いちゃったりして。人の優しさにあったかい気持ちになったり、涙するのが恥ずかしいから、それを隠そうとしたり。一度戦った相手に再会すると、相手の方はもう気にしてもいないのに、いつまでも罪悪感ズルズル引きずっちゃって。誰かと誰かが会話しだすとすぐにレンドウだけ黙ったりするし」
「……最後のは違ェだろが!」
ただのぼっち体質じゃねェか。わざわざつつくな。
「どうせバレるって分かったでしょ?」
勝ち誇ったように、レイスが言った。ふふん、と。しかし、同時に悲しげな色も湛えたまま。器用だな。
「そうかもだけど」
それにしても。
「……俺自身、よくわかってないのに、他人のお前の方が俺の事を理解してる気がするのは……気のせいか?」
「気のせいじゃないよ。それに……もう他人でもない」
少し煽るつもりで言ったんだが、レイスは照れる様子もなく、逆に痛烈なカウンターを繰り出してきた。
「他人じゃねェなら……なんなんだよ」
「ともだち。仲間。チームメイト。トモダチ。班員。リーダー。監視役。友達。どれでもいいよ。どれがいい?」
「……お前がどれを望んでいるのかは、ビシバシ伝わってきたけどな」
「うん。じゃあ、僕が決めるね」
そう言ったレイスは、もういつもの笑顔を取り戻していた。忙しい奴だ。手すりに背中を預けるのをやめ、飛び出すようにして勢いをつけて歩き出したレイスは、俺に背中を向けたまま。
「痛みも悲しみも喜びも、一緒に背負わせて欲しい。……友達なんだから」
その最後の一節で、クルッと振り返って見せた。
そのふわりと揺れる、太陽を浴びて輝く髪。笑顔を湛えた整った顔立ちに、俺は深くため息をついて。今日もやっぱり、「女みてェなツラだなァ」と思うのだった。
――全部聴こえてたよ。戦いの最中、俺にぶつけられる声。
今は面と向かって礼を言えるような“人間”じゃないけど……。
それでもいつかは、きっと。
【第3章】 了
今回で第3章が終了となります。魔王軍からの襲撃により、ヴァリアーはかなりの損害を受けました。これを発端に、物語は動き始めます。
痛みを背負って、それでもレンドウは前に進む。