第55話 振る舞い
◆アドラス◆
戦いが終わってから最初に日が沈もうという夕刻、ヴァリアー内部には居心地の悪い空気が充満していた。
それはいつ爆発するか分からない、ガスの溜まった坑道のようなもの。
誰も彼もが不満を燻らせ、隣人を疑っている。
――お前が、裏切り者なんじゃないのか?
口には出さずとも、隊員たちの中にそういった疑念が渦巻いているのがひしひしと感じられる。
この状況は非常によくない。
気分のいい仕事とは言えない。しかし、だからこそ、私がやらねばならないだろう。
――責任の所在の追求と、必要であれば、その断罪を。
「だから、ぼ、……ぼく、」
「うん。よく話してくれたね……」
ヴァリアーの地下6階、物資の保管蔵で埋まっている層だ。ここなら誰も来ないと踏んでいたのか。生憎、私の目を誤魔化すことはできなかった。それは私にとって恐らく幸運であり、彼女にとっては不幸だったのだろう。
通路の角から、私は姿を現した。
桃色の髪の少女が、表情を絶望に歪ませる。見つかった。そんな反応だった。
もう一人、紫色のウェーブ掛かった髪の女性は、努めて冷静であろうとしているようだ。そういう振る舞い。
――この二人、旧知の間柄だったのか。
「ミンクス。あなたが裏門を開けたのですね?」
ビクッ、と少女の方が震える。とても応答できうる精神状態ではないらしい。少女は俯いて、まるで女性の庇護を甘んじて受けようとしているかのようだ。
だが、君にそうやって逃げられていては、うちの組織は瓦解してしまう。
……君に非があるというなら、私はそれを裁かなければならない立場なのだ。
「……答えられないということは……」
当たっていると考えてもよさそうだ。
ため息をついて前進すると、対するように女性が一歩踏み出してきた。
その手には、布という鞘を失った骨組み――いや、針だ――が握られている。
「お嬢様!?」
私に武器を向けるかのように前に出た彼女を見て、ミンクスが声を上げる。
お嬢様。どういうことだ、その呼び方は。まるで、少女の方が仕える側だとでもいうかのような……。
「待ってください、副局長。彼女は騙されていただけで――」
「ヴァレンティーナ。これは明確な裏切り行為ですよ」
彼女が弁解しようとするのを片手で制して、私はプレッシャーをかける。いつまでそちらに付いているつもりかと。貴方は振り返って、少女を捕縛するべき立場のはずだぞ、と。
だから、決定的な溝を現すため、私は彼女を本名で呼んだのだ。
「貴方の昔の交友関係に、ミンクスは含まれていませんでしたね。何故、秘密にしていたのですか」
ヴァレンティーナが歯噛みする。
「……忠告したはずですよ。疑われるようなことはするなと」
「――秘密にしていたことは謝ります。ミンクスとは故郷にいた時からの関係でした。私の屋敷で勤めていた、従者でした」
でも、と彼女は続ける。
「ここに来てからは、本当に関わりは無かったんです。彼女もそれを望んでいるようでしたので、私は他人として、振る舞って……」
言いながら、ヴァレンティーナはミンクスを気遣わし気に見た。少女は縮こまって、震えている。涙を流しているのか。
考えろ。この場を収める方法を。当初はミンクスを切り捨てる心づもりだった。私の心がどれだけ傷つこうとも、今回の事態の原因となった人物に責任を追及し、それに対する恨みで再度ヴァリアー内の結束を固めるべきだと。
だが、状況が良くない。まさかここで、ヴァレンティーナが絡んでくるとは。分かり切っていることだが、彼女は仲間を見捨てるような人物ではない。しかし、ヴァリアーの人間たち全員が、言ってみれば彼女の“仲間”な訳で。板挟みとなっている状況で、彼女はどうするつもりなのか。流血を避けたまま、この事態を解決できるとは思えない。
いや、できなくはないのか。私がこれを胸に秘め、ここで彼女たちを見逃せば、あるいは……。
「ヴァレンティーナ、ミンクス。私は貴方たちを――、」
「アドラス? なにこれ。どういう状況?」
声が、背後から響いてきた。
――馬鹿な。こんなことが重なるなんて。
「…………どうしてここに?」
「いや、皆の怪我の治療のために、足りなくなったものを探しに来たんだけど……」
ピーア。
――しかも、何故レンドウ君を後ろに従えているんだ。
どれだけ他人をこき使うのが好きなのだ。
そう、軽く笑いながら呆れたかった。でも、できない。
今のピーアを、私は全面的に信用することはできない。
彼女の内に潜む奴がいる限り、私はどんな時も≪副局長アドラス≫でいなければならない…………。
◆レンドウ◆
――ええっと、これは一体どういう状況なんだ?
ピーアに頼まれて、荷物持ちとしてぼーっと歩いてただけだったはずなのに。
なんでいきなりこんなシリアスな雰囲気に遭遇しなきゃならないのか。
ヴァレンティーナ。アドラスはヒガサのことをそう呼んでいたのか。なんで?
――分かり切ってるか。それが本名なんだろう。それでも疑問は尽きない。なんで本名で呼ぶ必要があったんだ。大切に隠している相手の本名を。
それも、相手と、それに自らの立場を重んじるはずの副局長が。……怒っているからか?
……とりあえず、アドラスはその、プレッシャーを放ちまくるのやめろよ。
「まあまあ、落ち着けって。何があったのか知らねェけど――、」
シャキン。
俺の仲裁を無視して、アドラスは抜刀した。ヒガサがミンクスを立たせて、庇いながら後ずさる。
「はあ!? 何考えてんだよお前!」
思わず、後ろからアドラスに詰め寄ってその左肩を掴む。アドラスは身じろぎをしようとするが、それは許さない。許せない。放したら、彼女たちの方に飛び出そうというのなら。
「レンドウ君。君はこの場をどう収めるつもりですか?」
はい? いや、……まずだな。
「そもそも状況が分かんないんだけど、誰か説明してくれよ」
「ミンクスは裏切者だったようです。魔王軍の侵攻に協力し、裏門を開けた犯人だと見て間違いないでしょう」
アドラスがまくし立てるように言った。
……まじかよ。このピンクがか!?
いや、人となりは全然知らないけど、見覚えくらいはあるぞ。こいつが魔王軍を引き入れちまったって?
「……いや、それでもだよ。とりあえず落ち着いて皆で話し合いをするべき、って……これ誰のセリフだったっけ。誰かが言ってたろ、今日」
確か、平等院だったかな。
しかし、アドラスの反応は冷たい。
「レンドウ君。これは朝の騒動の続きです。あの時君は、自らが道化となることで皆の憎悪を遠ざけた。アシュリーも一時的な興奮状態から覚めたようでした」
アドラス的には、俺が朝、あの場に割って入って行ったのは不満だったのか?
じゃあ、他にどんな解決方法があったんだよ。お前は何をしたんだよ。
「だがしかし、それでは保留にしただけだ。あの場では怒りを抑えられた者たちも、すぐに思い出す。再び負の感情に飲まれる」
顔を傾けて、横目で俺を見据える。
「大本となった原因に責任を取らせることでしか、この事態は解決できない」
うぐ、と言葉に詰まる。何も言い返せない俺に、まるで「詰みだ」と言わんばかりに畳みかけるアドラス。
「皆と話し合う? 何を。ヴァリアーの隊員の意志は、あの時見ましたね。裏切者に与えられるのは、死だ」
目を伏せて、明確な答えを述べたアドラス。
『死んじまえ!』
――誰かが言った言葉が脳裏によみがえった。
「皆に嬲られるような事態には陥らせません。……私が今、ここで斬ります」
「ぐがっ」
その言葉とともに、俺は弾き飛ばされていた。壁に叩き付けられて、背中が擦れる。左肩に鈍痛。
アドラスが、刀を上段に構えて、ミンクスとそれを守るヒガサの方へ疾駆するところだった。
――ああ、もう! どいつもこいつも生き急ぎすぎだろ! なんなんだよっ!!
アドラスを止めるべく両腕を振り回して、緋翼をその足へと絡みつかせる。いや、駄目だ、間に合わない。防いでくれ、ヒガサ!
上段から振り下ろされた一撃を、頭の上で水平に構えた仕込み傘(傘部分はもう無いけど)で受け止めるヒガサ。その針の強度は中々のものらしい。密度があるということか。円形状で幅があるそれは、切断系の攻撃への耐性が高いのかもしれない。
一瞬、ピーアの方を見る。疑念があったからだ。
――お前は、どっち側なんだ?
こいつがヒガサとアドラスのどっちに着くのか、今までの短すぎる付き合いではいまいち判断がつかない。
幸いにも、というべきか、今の彼女はオロオロするだけで精一杯。あまり注意は割かなくてもよさそうだった。
ヒガサのガードを崩そうと連続で刀を振るうアドラスの背後に、ひとっ飛び。その襟を掴んで、地面に引き倒しにかかる。
テメェ、その攻撃喰らったら普通の人間は死んじまわねェか? ヒガサをも殺すつもりなのか?
確かに掴んだと思った。そのはずだ。だが、何をされたのか分からなかった。
俺は右手を抱えて後ろへ跳んだ。
「あちいッ!?」
焼けるように熱かった。今もじんじんと響いている。痛覚に、脳みそに直接刺さったような、強烈な痛み。
――外傷はないようだが。
とにかく、直接触るのは警戒した方がいいか。なんなんだよ。お前の母ちゃん触れたらまずい植物か何かかよ。
両手に緋翼を練り上げ、二振りの剣と成す。と言っても、中に仕込ませる物質がない以上、威力はほどほど、切り裂くのも難しい、打撃武器といった体だが。
だけど、その代わり、くっそ軽いんだぜ。
絶え間なく緋翼を放出させながら、ヒガサを追い詰めるところだったアドラスの背中へとそれを連続で打ち付ける。瞬間振り返った奴は本当にさすがにさすがと言えるだろうが、まだこれの対処法はやっぱり確立できていないみたいだ。
素早く振り払われた刃に、両手それぞれの緋翼を当ててやる。すると、当初こそ緋翼を易々と切り裂かんばかりにめり込んだ刀身が、それを切り裂ききる寸前で止まる。ってギリギリかよ!
それでも、間に合った。
それは波打ちながら刀をズブズブと飲み込み始める。こうなれば、もうその刀から手を放すしかないだろ。
案の定、アドラスは刀から手を放した……しめた、と思った瞬間、俺は、そう、油断していたのだろう。
「――ッ!!」
腹部に強烈な蹴りを入れられて、俺は再度後ろに飛ばされた。なんだろう、反復運動を繰り返すおもちゃじゃないんだからさ、俺。ぶっ飛ばされてはまた向かって、またぶっ飛ばされてって。弄ばれてる子供感。
纏わりついていた緋翼が宙に消えていく。刀を拾い上げながら、アドラスは俺の背後へと叫ぶ。
「ピーア! 人を呼んで来てください!」
その叫びに、俺も振り返る。
「……えっ!? でも…………」
「早く!」
内心、どんな葛藤があったのかは分からないが、それでも彼女はこくりと頷いて、エレベーターの方へと駆け出した。ちっ、結局そっち側に付くのか。
向かった先は、戦える隊員がいる先となれば、やはり地上近くだろうか。
これは急いで決着をつけないと。……っていうか、ヒガサとミンクスを守るために行動してる俺も、やっぱり反逆者ってことになるのか? うわっ、やっちまった。よく考えたら、かなりヤバいな?
吸血鬼の里から差し出された人質のハズの俺が治安維持組織の内部で暴れるのって、もしかして里にとってかなり良くないのでは……?
そんな、もうどうしようもないことを考えかけ、今は余計なことを考えている暇なんてないだろ!と自らを叱咤していると、アドラスの雰囲気が変わったことに気付く。
――これからついに本気を出すとか、怒りに身を任せるとか、そういうのじゃなく。
なんというか、覇気が無い。プレッシャーが掻き消えていた。
――そしてあろうことか、刀を鞘に納めた。
「…………え、何?」
どういうこと? と思って向こうにいるヒガサを見ると、彼女も不思議そうな顔をしていた。
「……副局長?」
俺たちの言葉を受けて。アドラスは…………。
長く、深い息をついた。
そして、言う。
「今日は、もう血を見る必要はないでしょう。ヒガサ、ミンクスを連れて…………行きなさい」
しんと静まり返った空間。すすり泣いていたミンクスすら、何かを感じ取ったのか、不思議そうに変質した場を眺めていた。
「……時間がない。早くするんだ」
そう言った彼の言葉はとても真摯で。俺はようやく事態が呑み込めてきた。
見逃してやると。そう言っているのだ、副局長アドラスは!
「どういうこと? アドラス、あなたは……」
ヒガサにも理解できない理由らしい。
「できるだけ遠くへ行くといい。明日には、周辺一帯で手配が掛かるだろう。賞金稼ぎ達が、君たちを血眼になって探し始める。私はその流れを止められないし、むしろ奨励せざるを得ない」
そこまで聞くと、ヒガサは困惑しつつも、絶望的な状況に指した光明を逃すべくもないという風に、素早くミンクスの手を引っ張った。
「行こう、ミンクス」
ヒガサとアドラスがどんな関係だったのかは分からない。ピーアは、アドラスがヒガサを拾った、と言っていた。かなり深い関係があったんじゃないかと思うけど、それでも、いや、だからこそか?
「――今までありがとうございました」
ヒガサは深々とアドラスに向けて一礼すると、駆け出した。
ええっと……急いでヴァリアーから逃亡するってことか!? じゃあ何、俺もついていった方が……いいのか!?
「レンドウ君」
そう思っていたところで、アドラスに呼び止められた。
「なんだよ!?」
「残念ながら、君は逃げられない」
はあ。それは吸血鬼の里との盟約があるからってことか? 俺がここから出ていけば、吸血鬼の里を唯では済まさない、と。そういうことかよ。
「君はミンクスとヒガサを斬ろうとした私を感情のままに倒した。その罪を……贖う必要がある」
言うや否や、アドラスは素早く抜刀、その刃を閃かせた! 身体は反射的にガードを取ろうとするが、間に合うはずも無い。というか、防御した腕ごと斬り飛ばされるのがオチだ。
――が、あいにくとアドラスが斬ったのは俺ではなかった。
ブシャ、とアドラスの腹部に切れ込みが走り、血が噴き出した。
「――何やってんだオマエ!?」
「これは、あなたにやられた、傷です」
唐突に俺のせいにされたし!? いや、そこまで言われれば分かってきたけどさ!!
アドラスは容赦なく自らを斬ったようで、その場に蹲った。
「彼女たち、が、…………ヴァリアーから脱するまで、付き従うのは自由……です。ですが……最後には、戻ってきなさい、……以上です」
言い終わると、アドラスは黙った。
……死んだのか?
なんて、冗談を言ってる場合じゃない。
「だあっ、ちくしょう!」
――意味わかんねェよ! 何がどうなってるんだ!!
逃がしてくれるんなら、最初からそうしてくれよ! どうして戦う必要があったんだよ!?
エレベーターの前まで走りつくが、勿論ヒガサ達を乗せた箱は既に出発していた。一階を目指している表示を見るなり、俺は隣に控えていたもう一つのエレベーターに飛び込んだ。
どうしてこんな過疎エリアに、エレベーターが在中してるんだ。
まさかヒガサ、これを見越してエレベーターを何個もこの階に呼んだんじゃ……。
他の階から乗り込んでくる隊員を防ぎたい、という考えもあったかもしれないが、それにしても頭が回る。
……末恐ろしい女だぜ。