監視役のヒガサお姉さん
第1章と第2章の間のお話です。
◆レンドウ◆
副局長アドラスが、何時ものようにメガネを光らせながら俺を監視しているのが印象的だった。3階の執務室の窓からこちらを覗いている。実際メガネが太陽を受けて輝いているのだから間違った表現ではないはずだけど、まぁメガネよりは……目を光らせている、って言った方が人間の文章的には正しいんだろうな。
とりあえず言いたいことがある。……お前は監視役じゃないだろうと。本来の監視役はほれ、今も俺の隣にいる。
ヴァリアー敷地内の大樽噴水広場は、今日に限っては、照りつける日差しと暑さを紛らわすために水遊びしている人間は少なかった。
何故なら、もっと大衆の興味を惹く物体が芝生の上に鎮座しているからだ。
ヴァリアーに住む人々、その老若を問わず、時間に空きがある人間はまるで“来なきゃ損”とばかりに集まっていた。100人を超えているだろうか。俺はその人だかりには加わらず、少し離れた位置、噴水の周りの縁石の前にいる。なぜ腰掛けないのかと言えば、立っていないとモノが見えないから。
……まぁ、俺もパンピーだからさ。
工業が発達してるって何度も聞かされた、デルとかいう国からの贈り物。正しくは、デルにある組織(向こうの国では会社というらしい)からの贈り物。副局長が懇意にしているんだとか。珍しいものだってんなら、とりあえず一目見ておきたくなるのが吸血鬼ってもんだろ。
あの黄色い物体の名前は自動車というらしい。自動車の正しいアクセントがいまいち分からないが、想像していた形と全然違う。クルマの足って、全然足っぽくないんだな。ドーナツじゃん。どうみても、それは便利な移動手段には思えない。
だって、前後にしか移動できないじゃん。構造的に。横か斜めにしか移動できない生物くらい不便そう。何かのボードゲームでは直進しかできないコマもいたような気がするから、それよりはマシか。
……ちなみにさっき、老若を問わずと言ったが、男女は問う。やはりこの手のものに関心を持ちやすいらしいのだ、男って生き物は。
――人間社会に適応しようと努力し始めて早一ヶ月。一番ホームシックになる期間はそろそろ脱したかという頃。
「私が一番気になってるのは」
俺の隣、かろうじて耳元と表現しても差し支えない程度の距離から声が聴こえる。耳障りの良い低音の声。
発生源は今この場には珍しい、女性だ。紫色のウェーブがかった長い髪を、後ろで束ねている。その瞳も、また紫紺。
「ん」そちらを見やると、彼女は続ける。
「――あれだけ沢山の見物人が集まったわけだけど、動かせる人はいるのかなってこと」
彼女のコードネームは≪ヒガサ≫。本名は知らない。しかし、“ヒト”の少女リバイアによれば、ヴァリアーにおけるコードネームとは、本名と見なして問題ない程の重きを置かれた身分証明らしい(隊員は一人の例外なく、コードネームが記載された隊員証を持ち歩いている)。俺は正直、皆もっと真面目にコードネーム付けろよって思う時がある。だってヒガサとか、今もここにある日傘と混同しちゃう可能性があるじゃないか。
そう、ヒガサ、彼女は今も太陽に弱い俺を気づかって、愛用の漆黒の日傘の保護圏内に俺を入れてくれている。女性にしては高い身長を誇っていてくれて助かった。お互いに負担が少ない。しかし、俺が持つべきだろうか……? いや、無用な気遣いなような、申し出るのが少し、少しだけだぞ、気恥ずかしいような、ああああ。
結局言い出せないまま飲み込んで、淡々と返事をする。
「そんなに操作が難しい乗り物なのか」
まァ確かに、馬に乗るったって訓練が必要だしな。自動車とやらも最初は言うことを聞かないのだろうか。
「デルでは富裕層を中心に一般人にも割と普及してるらしいけど、ある程度の技量がないと危険みたい。走る凶器、って称される時もあるとか」
落ち着いた声が、スラスラと述べる。ヒガサ本人は意図していないようだが、少し気だるげにも聴こえる女性にしては低い声が、耳に入って不快じゃない。気だるげなのに言葉がハッキリ聴こえるというか。だから第一印象は、ハキハキと話す人だった。
日頃、男にしては無駄に高い声、加えて口うるさい奴と一緒にいる機会が多いから、相対的にそう感じるのかもしれないが。まじレイス小言マンだから。
「走る凶器、か……」
俺は小さく首を捻った。どうにも、走るって単語とあのドーナツが結びつかないんだよな。
いや、あれが回転するんだろうなってことは何となく解ってるよ?
でもそれは走るというより回るだろ。
そもそも何故、本来の監視役であるレイスではなく、俺が愛読するようなラノベだったら髪が青で性格付けされていそうなクールビューティーヒガサさんが俺の監視役を代行しているかと言うと……。
――今日はレイスの定期検診日なのだ。
定期検診、という言葉は広義的すぎるかもしれないが、ヴァリアーに所属する俺を含めた人外は、ヴァリアーに隷属しているというか(少なくとも俺はそういう雰囲気を感じている)、友好的ですよ、という表明の為、血液を初めとした細胞データの管理を研究者にされることを拒めない。更に俺には、幼馴染を守る為に譲歩してもらった弱みもあるし。
差し当たっては、とりあえず研究者には早いとこレイスが俺の力を無効化できる謎を解明していただきたいもんだ。
ヒガサが俺の監視役を代行してくれるのはありがたいと同時に、違和感も感じる。それは彼女の外見と雰囲気に起因する。
「ヒガサってさ、なんで俺の監視役を引き受けたんだ?」
「急だね。なんでって?」不思議そうに聞き返される。
「いや、その格好とかさ、なんか雰囲気的に“いいとこのお嬢様”って感じに見えて、下働きみたいなことをしてるのが不思議だなーと」
言うと、彼女はごしっくね、と小さく言ってから続ける。ごしっく、とはなんだろう。その服の名前だろうか。
「あぁ、そういうこと。興味あるんだ?」
ふーん?とヒガサが得意気に口元を緩めたので、なんだか俺は悔しくなって、「いや、別に」と返してしまった。俺のバカ。
そのせいだろうか。ヒガサが語った理由は、真実の側面であって、本質ではない気がした。
「そうだね。レンドウ君が気にする程のことじゃないよ。ヒトの護衛任務には特別手当も支給されるし、むしろ護衛の仕事枠を待ってる隊員は多いんじゃないかな」
しかし、枠を待つ程とは信じがたい。なに、俺は優良物件か何かなの。
「え。怖がられてるんじゃないのか。伝承に名高い吸血鬼だぜ」
ちなみに、別に怖がられることを望んじゃいない。
「ふふ。この一ヶ月で、伝承に亀裂が走ってるからね。だってレンドウ君、人間の食事で普通に生きていけてるじゃない。太陽に弱いとか、野菜が嫌いとか、その程度じゃよくいる人間の悩みレベルだし」
「そんなもんなのか」
随分軽く見られたもんだ。
それでも、不快ではない。むしろ、そうだったらいいと思う。
どうしたって口に合わない人間の食事に、苦労して合わせて来ただけのことはあったってことか。
前方の人だかりが一際湧いた。密集していた人間達がミニカーと距離を取る。見ると、反対にミニカーに近づいて行く人物が1人。
「ついに動かすみたいだね。さっ、レンドウ君、もっと近くに行こう」
そう言いながらヒガサは歩き出す。
「ちょ、待ってくれよ」
太陽の下に一人取り残されそうになった俺は慌てて着いて行く。
――もしかしてこの女、移動の主導権を握る為に日傘を持っているんじゃ……ないだろうな。
――そう邪推するレンドウであったが、はてさて、真相はいかに……?