第29話 エーテル流
「わかった、長のところまで案内するから! だからアランを放してくれ。話はそれからだ」
アランにとっての頼れる兄貴分、といった風な少年からそう提案されて……非常に感慨深い。これが人を守るってことか。こいつ、なんか凄い主人公っぽいな。
……俺が悪役だから、そう見えんのか。
俺より年下であろう少年に染みついたその所作を見て、羨ましいとさえ思った。俺にも弟がいればこうなれたのかな?
で、それで俺はというと。
「まぁ、いいけど」
そう言って、あっさりとアランを開放した。……してやると、洞窟の出口に佇む少年の元へよたよたと歩いていった。アランを支えた少年の目は点になっている。
「え……?」
いや、言いたいことは分かる。本当に開放するとは思わなかったんだろ。でも、なんというか、いつでもまた捕まえられるし。余りにも実力差があることが分かったからさ、俺としては人質を手元に置いておく必要すら無いってだけなんだよ。
――そんなこといちいち言わない方が、信頼を得られるかもしれないな。
「さ、お前らの長のとこまで案内してくれるんだろ?」
「あ…………、ああ」
少年は逡巡する様子を見せた。恐らく、「人質を取り返したのにまだこいつに従う必要はあるのだろうか……」という疑問が頭の中で渦巻いたんだろうけど、さて、どうする。?
ここで君が口約束を守る人物かどうかで、俺もこっから先の対応を変えさせていただこうかと思うけど。
「わかった! ついてきてくれ。ただし、怪しい動きはしないで」
少年は決意を固めたようだ。アランの背中を押して、前を進ませる。自分は俺から目を逸らさずに進むらしい。いい考えだ。もし俺が再度襲い掛かったら、アランだけでも逃がそうってハラだな。可能かどうかは推して知るべしだけど。
* * *
いよいよ洞窟の外の景色とご対面だ。上り坂を上がり始めた少年の精神の安定のためにも、付かず離れずの距離を維持してついていくと、
「……うお! なんだこれ、スッゲェ……」
圧巻だった。多分、今日夢で見た景色のどれよりも凄い。はっきりと思い出せなくても、そう思った。いや、むしろ俺の人生でいままでこれほどの衝撃を受けた景色って無いかも……。
先ほどから洞窟を進みながらも思っていたことだが、謎の光源の正体が眼下に飛び込んできた。
そう、眼下。
俺たちが今いる場所は、かなり高い場所にある。そんな風に思える。不思議だ、俺は地下にいたはずなのに、更に広大な地下空間が広がっているなんて。どうやらくり抜かれたような巨大な空洞の宙に掛かる、長大な橋。
坂道に思えていたのは、中央に向けて盛り上がっていた橋だったのだ。
橋の下の地面――地下において地面っていう表現もどうかと思うが――まで、100メートルくらいは軽くあるだろうか。そこを、ドロっとした? 青緑色の液体が流れながら、ゴポゴポと小さな音を立てている。謎の音はこいつか。道理で水にしてはゆっくりというか、奇怪だと思った。
俺から見て左側、巨大な地下空間の片側の壁一面は敷き詰められた石段のように見える。その石段の隙間から染み出してきているのが青緑色の液体だ。
綺麗なような、それでいて不気味なような。とりあえず、触ってみたいとは思えなかった。ご遠慮願いたいね。触れようもない距離だけど。
零れ落ちた液体は、中央に向けて凹んでいく巨大な受け皿のような役割を果たしている、黒い円盤に飲み込まれていく。円盤の下からはいくつもの――20本くらいあるだろうか、数えるのを途中でやめてしまった――パイプが伸びていて、その中身は勿論……。答え合わせは振り返れば可能だ。つまり、右側だ。
俺たちがいる橋の真下を潜ったパイプ共は向こうの方で途切れ、再び液体を垂れ流している。それは血だまりのような形をとり、ゆっくりと、非常にゆっくりと地面へと吸い込まれていっているらしい。
この地下空間の照明の役割は、全てこの青緑色の液体がまかなっているんだ。
光の正体ばかりに目をやっていたが、見渡してみれば、それ以外にも興味深いことはいっぱいだ。俺たちがいる橋と同じようなものが他にも何本も掛かっていて、そのどれもが壁に突き刺さっている……つまり、同じような洞窟に繋がっているのだろう。それが一つ一つ地上へとつながっているのだとすれば、これは信じられない規模の潜伏魔人のコロニーなんじゃないか。散り散りになって逃げられたら、全員を捕まえることは不可能な気がする。
「ちょっと、あんた、お兄さん」
少年が、呆れたように声を掛けてくる。明るいところに出て初めて分かったが、一目で人外だと分かる顔立ちをしている。随分毛深い。獣人だったのか。二人とも犬の特徴が顔によく出ていた。わんわん。
オオカミと評してあげた方がいいんだろうか。
「あん?」二人の顔を見ても、さして驚きもせず返事ができた自分に、少し感心。俺は少なくともヒトを外見で判断しないらしい。……ヒトって。魔人のことをヒトって言い換えると、なんだかレイスみたいだな。
「いや、その……リラックスしすぎじゃない?」
緊張した面持ちで言われると、そういえば確かに、と思わないではない。
しかし、人生の先輩として、ここは慢心というか、軽いノリを見せびらかすべきだと思うのだ。
「俺の名前はレンドウだ」
ウインク付きで自己紹介をしてやる。少年とアランは若干引いているようだが、「そ、そう。俺はエト。こっちはアラン」と名前を教えてくれた。
いや、わざわざ言わんでもアランは覚えてたけどね。それでも、名乗り返してくれて一安心だ。一応、一定の信頼は得たのだろうか。俺の“全く警戒してませんアピール”が功を為したようだな。いや、アピールというか、まじで景色に驚いていて警戒のケの字も無かったけど。
ただ黙々と橋を渡り続けるのも何だし、こっちから話を振っていくことにする。
「エト、お前、俺がどうしてここにきたと思う?」
「え? そんなの、レンドウは治安維持組織の一員なんだろ? なら……俺たちを始末するか、捕まえる意外に目的なんてないよな?」
やっぱり、ヴァリアーって潜伏魔人の間では死神的な扱いなのか。
「それがそうとも限らないんだよなァ……」
「どういうこと?」犬耳をピクッと動かして、エトが詳しい説明を促してくる。こいつらほど顔立ちに獣が色濃く出てると、「あれ?もしかして耳が四つあるのかこいつ」なんて疑念を抱かずに済むな。頭の上の方に、髪の毛(結構ふさふさ)を避けてピンと立つ耳は飾りではなく、唯一無二の音を集める感覚器官だろう。人間の耳があるべき場所には、何にもないみたいだ。
「俺も魔人だからな……うガっ!」
言った途端、肩をガシッと掴んできたエトに困惑する。何、裏切り? 契約不履行? 今から俺に攻撃しちゃうの?
「聞いたことが無い訳じゃないけど、あんたが噂の、ヴァリアーが飼いならしてるっていう魔人の一人なのか!? まじで!?」
あァ、そういう……興味あるのね。
「種族はなんなんですか?」
臆病っぽいアランが(俺に飛びかかってきたときの元気はどうした)、おずおずと質問してきた。
「あー……言っても信じてもらえるか分からねェけど……吸血鬼」
途端に、雷に打たれたように、エトとアランは顔を見合わせた。そして、口々に言う。
「人間に捕らえられて奴隷になったっていうあの……」
「二回も負けたっていう……」
オイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!
「――確かにそうだけど!!」
いや、言い訳するのも恰好悪さに拍車をかけることになるのかもしれないけど!
それでも言わせてくれ。
「30人以上の集団に囲まれたりしたし、少なくとも3連戦はしたし、相手にも人間じゃない奴とかとても人間とは思えない化け物クラスのが何人もいたんだッッッつの!!」
エトとアランは、どうやら疑うことなく俺が吸血鬼であることは信じてくれたようだが……。
「いや、同情しますよ……」同情された。
「……まぁ、そういう訳だから、俺は嫌々人間に従わされてる身なワケ。だから場合によっては、お前らを見逃すかもしれないよってこと」
言うと、二人の顔がぱぁっと明るくなる。「本当に!?」「本当ですか!?」
こいつら他人を信じるスピード早いな。そういう俺も、もうこいつらが悪い奴じゃないって思い込んでるけどさ。
「んで、俺が今一番気になってることなんだけど……」
「?」
「俺の前に、真っ白い髪のヤツが来てないか?」
言うと、二人はハッとした顔になる。
「それ、カーリー姉さんが連れていった人だ……」
新キャラ登場かよ。
「えっと、そのカーリー姉さん? って人はかなり強いんだろうな。俺を一瞬で気絶させたらしいぞ」
「それは多分、魔法……」
アランがボソッと言ってから、あっという顔になる。そりゃ、ぺらぺらと身内の能力を喋る訳にもいかないよな。ツッコむのはやめといてやろう。
「手荒なことはしてない、絶対。むしろあの人、人間じゃないし、長達が仲間に引き込もうと説得してるはず」とエト。別にあいつの心配はしてないけどな。どうせ無事だろうと思ってたし。
てか。
「説得ねェ……」
ヴァリアーに下るように説得するレイスと、潜伏魔人の一員にならないかと勧誘するエトとアランの親玉。説得合戦になってたら笑えるな。
* * *
ようやく橋を渡りきり、対岸の洞窟へと足を踏み入れる。この先は居住区なのかな。そう思った。入口の壁には燭台が掛かっていて、炎が踊っている。
「あのドロドロがあるとこは、他に明かりがいらなくて便利だな。お前らが流してんのか?」
言うと、二人に意外なものを見るような目で見られた。しかし、「ご、ごめんなさい。魔人相手だと、これを説明するのがすごく新鮮で」アランがすぐに謝罪をする。はぁ、なるほど?そんなに地下暮らしの間では常識なのか、あれは。
「俺たちは、生きやすい場所に住みついて……しがみ付いてるだけだよ。あの灼熱のエーテル流は、ずっと昔からここを通り道にしてる」
エーテル流? 灼熱、通り道、ねぇ。疑問が尽きないぜ。おっと、足元が悪いな。大きめの石ころを蹴り飛ばす。
「なんだそれ。エーテル流とか……。ファンタジーの世界かよ」
「現実なんて結構ファンタジーじゃないか」
……言われてみれば。
争いのない、魔法もない日常の方がよっぽど夢物語なのかもしれない。
とは言っても、仕方ないじゃないか。俺が里の書籍で得た知識では、人間界には魔法なんて無かったんだから。俺は今、言わば書籍を超えた世界を体験しているんだ。
「灼熱って言うほど高温なのか、あれ」
「……分かりません。でも、あれに触った人の手は焼けただれたと表現するしかない怪我を負う、と伝わっています」とアラン。
「水じゃないんだし、意味不明な物質に物理法則を求める方が筋違いなんじゃないかって俺は思ってる」とエト。
「ふうん。通り道っつゥのは? あれ、地面に溶けてるように見えたけど」
先ほどの光景を思い出してみる。青緑色のボコボコとした液体は、土がもともとぬかるんでいたためすぐには吸い込まれていかない水、という風に見紛える状態だった。
「あれ、結構各地で目撃されてるんだよ。どこからか染み出してきて、誰が作ったかもわからないパイプを伝って、どこかに向かって流れてるんだ。最終的にどこに行くのかは、誰も知らない」
うっわ、最終的に海まで言ってたら嫌だな。なんか衛生的によくなさそう。まぁ、大方地殻の中に流れ込んでいくとかじゃないのか? いや、でもそれだと“誰か”がわざわざパイプで運搬する機構を作った意味が解らないか。
そもそも、パイプに流してるってことは、そのレベルの液体でしかないのか。仮に地下に眠るマグマのような高温の物体だったら、運搬する技術なんて無いと思うし。それが作られたのが大昔だと言うなら、尚更。……もしかしたら、液体も凄いけど、それ以上にパイプの材質が凄いとかあるのかもだけど。
「ちょっと待って」
エトが俺の足を止めさせる。その前の壁には火のついた燭台があった。ここにきて初めての、用意された灯りだな。
「この先は、明かりが無いから」
エトは壁に掛かっていた棒切れをひょいと持ち上げると、燭台に近づけた。すると、棒切れの先端に巻かれた布がたちまち燃え出した。予めすぐ使えるように準備してあった松明だったらしい。やるな。
だが、
「俺はたま~に燭台があれば充分見えるんだけどな」夜目が利くんで。
「あ、そっか、吸血鬼だから? でも、俺たちは違うぞ。むしろ目は良くない」
「それに、本当に何の明かりもなくなるんです。吸血鬼でも見えないと思います」
「それは……そうかもな」
吸血鬼は夜目が利く、とは言っても、それは月明かり程度の光源があれば不自由なく視界を確保できるというだけであって、本当に何の光源もなければ瞳に何も映すことができないのは、眼球が水晶体を採用している以上当たり前と言わざるを得ない。
「階段だから、気を付けて」
「おう」
注意を促され、湾曲した昇り階段を上がっていく。一段一段は広く、高さはさほどでもない。これは少し上るだけでも大分長さを必要とする、手間のかかる工事だぜ……いい仕事するなァ。誰だか知らないけど。
「え、お前らこの洞窟とか階段も元からあったの? こんな最高の場所がほったらかしにされてたから住んじゃおう的な」
二人は首を横に振った。
「いや、さすがにそれはない。この洞窟は元からあったところはかなり少なくて、自分たちで掘り進んであちこちを繋げたんだよ」
そりゃそうか……でも、逆に言えばごく一部は元からあったんだよな。あの立派な橋も、最近作られたものには思えないが……というか、あんな高さに橋を作る技術、人間でも中々ないと思うし、こいつらにはできないと思う。
「あ、着きました」
ひょいひょいと軽くなった足取りで最期の数段を登りきったアランが、現れた大きな木製の両開きの扉を叩く。
オイオイ、ノックするってことはつまり、この先にお仲間の魔人達がいるのか?心の準備をする暇もくれないのかよ。
「待て待て! 俺が先に話をするから!」
よかった、エトが先行してくれるらしい。ギイ、と音を立てて開かれたドアの先へ、エトはするり滑り込んだ。
さて。
鬼が出るか、蛇が出るか。
どんな凄いモンスターの頭がのっかった人間が出てきても、俺は紳士的に対応してやるぜ。
……言い過ぎた、というか、そもそも俺に紳士的な対応は難しいか。
――誰にでも同じように接してやるぜ、かな。