第23話 レイス式の考え方
意外に居心地の良いマルクの居住区兼研究室は、やはりというか、ヴァリアーの管轄地域であるらしい。
とは言っても、直接ヴァリアーの隊員が寝泊りしたり警備したりしているかと言えばそんなことはなく、研究室とは名ばかりの“マルクの家”なんだとか。
三十路に足を踏み入れようかというこの糸目のおっさんをレイスがわざわざ訪ねてきた理由は、図書館で暴れた魔人の少女を引き取ってもらう為だった。
マルクがヴァリアー内に住まわず、外部で好きなように生きていられるのは彼が有能だから(ヴァリアーへの貢献度が高いから)だそうだ。あのなんでもかんでも管理したがるヴァリアーがそんな奔放な真似を許すなんて、俺からしたら意外なんてもんじゃないんだが。
それだけこのオッサンは特別な存在だということなのか。
マルクの研究分野は魔人の生態についてだ。
……それこそヴァリアーには捕らえられた凶暴な魔人達がいるだろうに、なんでわざわざこんなところにいるんだ? という疑念は……まぁ、抱く前に解決した。同じ家に温厚な魔人が住んでいるなら、そりゃなにより研究は捗るだろうよ。
実のところ、マルクはヴァリアーに対して後ろめたい気持ちがあるらしい。
ここいら……ヴァリアー周辺の町、≪エイリア≫と呼ばれる地域には、人間との共存を選んだ魔人が少ないながらも存在する。あ、当然そいつらは大して危険の無い種族だ。だからこそ、俺が未曽有の危機として扱われた訳だしな。
マルクはそういう……ヴァリアーに個人登録を済ませた、“首輪付き”との交流を求めて外部での生活を送っている……と、ヴァリアーに偽りの報告をしているそうだ。
で、実際はその時間をこっそり家で飼っているフローラの為に使っていると。まぁ、外の魔人とは全く交流してないって訳でも無いのかもしれないけど。
しかし、この世間擦れしていなさそうな少女から目を離すのも心意的負担が大きそうだしな。引きこもり気味になってしまうのも頷ける。付きっきりで世話をしなければならないとか、面倒なペットって感じだな。……いや、俺は違うはずだ。レイスは勝手に付きまとってきているだけだ。
とにかく、その同居人の生態を纏めるだけで日々の生活が保障されるというなら、苦労に見合う対価なのかもしんねェけど。
「……つまり」
マルクがずず、と啜っていたお茶をテーブルに置き、話を纏める。
「レイス君は……今のヴァリアーにおけるヒトの扱われ方に納得がいかない、ということだね?」
「はい」
レイスは神妙な面持ちで頷いた。
「確かに、副局長アドラスの方針は排他的だ。ヴァリアーが奴隷制を採用している、とまでは言わないけど……階級主義なところはあるしね」
マルクがいきなり副局長の話を持ち出したので、さっき切ったばっかりのフローラの髪をわしゃわしゃして暇をつぶしていた俺も注目せざるを得ない。
なんだ、あの陰湿メガネ、一部では“ちゃんと”顰蹙買ってんのか。
二人掛けのソファの上で、マルクに向かって左から俺、真ん中の腕置くとこ、レイスの順に座っている。
フローラは俺の腹の上に頭、腕置くとこからレイスの上にかけて胴体、足をソファ外に放り出してブラブラさせてと、やりたい放題だ。こいつの警戒の解き加減は凄まじいものがあるな。ちなみに金髪のガキはマルクが座っている向かいのソファの方に座らせたというか、置いたというか。
「あっ、ここは勘違いしないで欲しいんですけど……副局長にとって人間が一番大切だってことには、何も文句は無いんです」というか、自分の種族を愛するのは普通ですしね、とレイスは補足した。
確かに、人間の民族愛って凄いよな。
肌の色、住む地域、職業に階級が違っても、誰とでも愛し合うことができるし、また誰とでも憎みあうことができる。……そして、相手の為に変わっていくこともできる。寂れた砂漠で生まれたのに、家庭を持って工業の街に移り住むとか。
関係を築けるってのはそれ自体が、無限の可能性を生むよな。
それに比べて、魔人の民族愛は閉鎖的だ。吸血鬼は吸血鬼同士で集落を作って生活するし、エルフは森から出ようとしないし、ドワーフは鉱山に噛り付いて生きている。それが悪いとは全く思わないけど。
どちらも悪くない。そういう考え方。
それが「区別」というものだろう。
「ただ、この国の住人なら。アラロマフ・ドールの人間なら、一番にヒトと心を通わせることができるかもしれない、そう思うんです」
レイスのよくないところは、ヒトと一概に扱うところだと思う。全ての種族が手を取りあえたら皆ハッピーでしょ、という考えを平気で他人に押し付ける。
つまるところ、理想論者なんだ。
「と、いうと?」マルクが続きを促す。
「例えばここがサンスタードなら、人間は味方、ヒトは敵と言う固定観念があるでしょう」
サンスタード帝国ってやつか。どうやらそこでは魔人は歓迎されないらしいな。
「……それは充分ここでもあるだろ」俺が口を挟むと、「いや、」とレイスは首を横に振った。
「この国は、可能性を持っているから」
「可能性……」
マルクがそう呟く。お前にはレイスの言いたいことが解っているのか?
「この国では、人間もヒトも平等に敵になりえます。夜道で後ろを歩いている人間を信用できない。法が無いから」
なるほど?
なんとなく、言いたいことが掴めてきたぞ。最終的に同意してやるかはわからんけど。
「それに、平等に味方にもなりえます。少なくとも、ヴァリアーでは“従順なヒトなら”という条件付きですが、公に職業と居場所が与えられている。僕は他にそんな国を知りません」
要するに、このアラロマフ・ドールという国は原始的な概念が色濃いわけだ。弱肉強食のサバンナや、ジャングルに近い。
その中で、レイスはこの金髪の命を守りたいと思ったワケだ。ここまで来れば、マルクがヴァリアーに内緒でフローラを匿っているであろうことも容易に想像がつく。
「僕は、できるだけ功績を上げて、ヴァリアー内からこの国を変えていきたいと思っています。幸い、ヴァリアーはこの国の中でも発言力がある」
ま、そりゃア……あるだろ。発言力=軍事力だろうからな……。
「人間に向けて、“今すぐ変わってくれ”って言うつもりはないんです。ただ、人間とヒトが仲良くなる過程で……不幸になる命を、なんとか少なくしたいんです」
レイスは、角を隠して人間のように振る舞っていると思ったけど、心の中は魔人寄りだったのか。いや、こいつ流に言うなら、魔人派でも人間派でもなく、中立ってことか。
それか、そう在ろうとしている、か。魔人が完璧に人間として物事を見るなんて可能なのかどうか。少なくとも、「できます!」って言われても俺は信用できねーな。
「分かった。私も協力するよ。危険な能力を持ったヒトでなければ、ここで預かろう」
マルクはそう言い、レイスは顔を綻ばせたのだが、どうしても俺という奴は、口を挟みたくなってしまうというか、なんというか。
「待て待て。その金髪は危険じゃないのかよ。認識阻害とか犯罪し放題じゃねーか?」
「えっ……そんなヤバい子なの?」
「違います違います! いえ、能力は確かにそうなんですけど」
マルクが固まりかけて、レイスが慌てて手を振って否定する。
「僕の能力を掛けておいたので、一週間はその能力は使えないと思います」
それにしたって、一週間で人間と仲良くやるようにしつけなきゃいけないことに変わりは……って、え?
「お、おまっ……」
言葉が続かず、レイスをただ指さすだけになる。それに対し首をかしげるだけのレイスに無性に腹が立った。
「ッ、お前の能力ってそういうアレなのかよ!!」
やっと言えた。
「うん、そうみたい。ティス先生が言ってたんだ。少なくとも、ヒトの能力発動を阻害する、そういう能力は確定だって」
それを聞くや否や、確かめずにはいられなかった。
立ち上がって、腕を水平に振り上げる。
「出ろよ!!」
そう叫んで、肩甲骨に力を入れると、背中が爆発するようないつもの感覚が現れた。
部屋の明かりを食い尽くすかのように、黒が溢れた。服が千切れたわけじゃない。ただ、肩甲骨を始点として、空気に触れてブレる靄のようなものが、巨大な翼を形作ったのだ。
「うぎゃあっ!」マルクが悲鳴をあげてソファからひっくり返った。「な……なんだい?それ……」要するにソファの反対側に落ちて見えなくなった。
対照的に、フローラが特に驚かなかったのが意外だ。黙ってゆらめく俺の翼を見つめている。興味は無い訳じゃ無さそうだ。
「……存外に簡単に出たな」
レイスの方を向きながら、再び腰を下ろす。ソファを貫くでもなく、緋翼はゆらりと、ソファの丸みに沿うようにしな垂れかかった。
「さすがに、一生能力が使えなくなることはないと思ってたけど」レイスはあははと笑った。「ちょっと出過ぎだね?」
確かに、この力の奔流には自分でも戸惑っている。
この勢いは……しばらく使わないでいたせいだろうか?
それより、ソファの後ろから復帰してきたマルクに、俺の素性を明かさねばなるまい。
「ワリィ、言い忘れてたけど、俺は吸血鬼なんだ」
――その後のマルクの反応には、まあ随分と楽しませてもらったとだけ言っておこう。