第177話 出生の秘密を
ラ・アニマ。
現在では≪アニマの里≫と呼ばれることが多い、劫火が守護する聖地。
長らく眠りについたままの劫火……炎竜ルノードではあるが、休眠中であっても、その場所は結界によって害為す者の侵入を拒み続けていた。
その昔、アニマと吸血鬼が共に暮らしていた頃。
アニマの族長シャラミドが吸血鬼の族長ヴィクターと共に≪翼同盟≫の街にて生活していた一方、その息子であるカイは、妻子や弟の家族と共にこの地に暮らしていた。
族長の一族として、劫火が眠る竜門を内包している聖堂を、綺麗に保ち続けるお役目を任されていたらしい。
カイには兄もおり、その人物こそが長男であり、≪翼同盟≫の街に暮らす彼が本来であればアニマ側の後継ぎとなる人物だった。残念ながら、人間との戦争で亡くなってしまったそうだが……。
――19年程前のある日、ラ・アニマにて。竜門の前にぽつんと置かれていた赤子が発見された。
赤子でありながら濃い緋翼の気配を放っていたその子供が、普通の子でないことは明らかだった。
その赤子について、シンの眠りを妨げてでも詳細を明らかにするべきかと、カイは一族と話し合うことにした。
劫火をシンと仰ぐアニマ達は、いたずらにシンの眠りを妨げることを嫌っていた。
話し合いの結果、結局劫火を起こすことはなく、カイはその子供を自分で育てることにした。
……最早分かり切った話ではあるが、その子供こそが俺なんだという。
「里の者にお前の出自を明かせば、お前を“劫火様の生まれ変わり”だと崇める者もいただろう。……劫火様がお隠れになった訳でもないのに、生まれ変わりという表現はおかしいが……」
「…………まァ…………癪だけど、分からなくはない。状況からみて、ルノードから分離して生まれた……と考えるのが普通だもんな」
「それから私は、お前を我が子と思って育ててきた。姉や弟と同じ様に接してきたつもりだ。この話をしたことで……血の繋がりが無いことを知っても。お前との信頼が揺らぐことはないと信じている」
「そりゃ、な」
自分が親に愛されていたことくらい、分かるさ。何年の付き合いだと思ってんだ。今更疑うかよ。
……いや、待て。聴き逃せない言葉が混じっていたような気がするぞ。
「待ってくれ。え? いま、俺に弟がいるって言ったのか?」
問いかけると、親父はしまったという表情になった。……表情の変化に乏しい人物ではあるが。かすかに目を見開いたんだ。
「そうだな。だが、それは今優先するべき事柄ではない」
そう言われてしまっては、一旦引き下がるしかないか。
だけど、弟の話をわざわざ避ける意味も分からな……いや、そうか。
きっと、記憶を失う前の俺とは一緒に暮らしていた時期もあるのだろう。姉であるロウラも、その弟も。
その人物が、今の俺の記憶に無いということは……。
9年前に起きた人間との戦争の際に、死んじまった。そう考えるのが自然かもしれない。それなら、親父が話を避けようとすることにも頷ける。できるだけ思い出したくない、痛ましい出来事なのかもしれないから。
別のことを訊こう。
「さっきの口ぶりだと、里の連中の殆どは俺の出自を知らないってことでいいのか?」
それは、果たして情報アドバンテージになり得るのか。俺の出自を知ったことで俺に付こうと考える者がいるのだとすれば、むしろ周知されていない状況こそが良くないのか。
「基本的には、そうだ。族長に、私とサンドラ。それに、お前の叔父さんと叔母さんだけだ。だけだった」
「過去形か」
「9年前に“翼同盟”が崩れ、ラ・アニマへと同胞が移住してきた際……その時こそ我々は今が有事だと判断し、劫火様へお声がけしたんだ。その際に一時的にお目覚めなされた劫火様に事の次第や、劫火様が眠られていた間に起きた出来事を報告した。当然、お前のこともな」
「ルノードは俺が自分から生まれたことを知ってる……ってことは」
「劫火様が信頼を置く黒騎士たちあたりには、共有されている可能性が高いだろう」
「なるほどな」
ということは、親父は俺が龍脈をこの身に取り込むことで龍……になるかは未知数とはいえ、少なくとも強力な力を得ると考えているようだが、しかし。一方ルノードはそうは考えていないということか。
自身に匹敵するほどの力を得る可能性があると思っているなら、もっと全力で俺を殺しに来ていないとおかしいだろ。
黒仮面……黒騎士というのか? は、決して俺の息の根を止めようとしている様子では無かった。もっとも、当の黒仮面が俺の姉らしかったので、手心を加えられていた可能性が無くはないが。
いや、ルノードと約束を取り付けたフーゴの目的も“レンドウを無力化して引っ張っていく”だったんだ。むしろルノードは、俺を殺さない方がいいと考えている……?
同族を愛するあいつのことだ、出来ればアニマの数を減らしたくないと考えているのだろう。
少し力を得たくらいでは、俺があいつに並び立つことなどあり得ないと。そう思っているのかもしれない。
第一、前魔王ルヴェリスによれば、その属性の龍が既に存在する時に同属性の龍が新しく任命される……つまり、同じ属性を司る龍が2体同時に存在したことはない、とのことだが。
……これは、言わない方が良いか。俺がルノードに比肩する力を身に着けることに期待し、親父がこちら側についてくれるというなら。
ズルい考え方だとは思うが、その夢を壊さないままでいた方がいいだろう。いいんだ、少なくとも、俺にとっては。
何故なら、俺が親父と戦いたくないからだ。
味方になってくれるなら、騙すことになっても構わない。
「でも正直、納得する部分もあるよ。どうして俺は……そんなに努力をした訳でも無いのに、他人より緋翼の扱いに秀でていたのかって……ずっと不思議に思っていたからさ」
俺の言葉に頷く親父。このまま一気に畳み掛けてしまおう。
「あんたの提案に乗るよ。里で龍脈を摂取して、力を手に入れてやる。その力でならルノードを倒せると……里の皆を説得して、仲間になってもらおう」
「それがいいだろう。私が提案したことだしな」
一言多いぞ、息子に華を持たせろよと半目でねめつけると、しかし親父は腕を組んで俺に疑念を向けた。
「だが、それは今出た案に過ぎないだろう。お前たちがここに来たのは、当然勝算があってのことだろう。元々はどういうプランで劫火様に挑むつもりだったんだ」
何度か目をしばたたかせて、じっと親父の目を、表情を見る。そこに、俺を騙そうとする意志は感じない。
今までの全てが俺をいい気分にさせるためのブラフであり、実は俺たち一行の作戦を引き出す為に誘導されていた……なんてこと、あるワケないだろ。
俺は親父を信じる。
「魔王城の近くに、氷の竜……氷竜っていう種族が棲んでるのは知ってるか?」
「ああ。劫火様とは面識が無いらしいが、氷竜の長は氷を司る龍であるという話だったな。……ということは、……そうか」
口元を右手で覆い、視線を下にやる親父。
「氷の龍は、随分と若いという話だったが。それでも、劫火様の相手になれるのか」
「200歳程度を若いって言えるなら、そうなんじゃねェの。少なくとも、先代魔王のルヴェリスはそう考えてた。属性の相性がバツグンとかで……一対一で戦えば、アイルバトスさんならルノードに勝てるだろうって」
対等な条件ではなかったのかもしれないが、他ならぬ“ルノードを決闘で破った男”、魔王ルヴェリスの言葉なのだ。
「……お前の、敬称を付ける基準が分からん。敵対することを決めた故に、劫火様を呼び捨てにするのは……不敬ではあるが、まだ理解できる。だが、何故氷の龍にはさんを付け、先代の魔王は呼び捨てにするんだ」
確かに、呆れ顔をされるのも無理はないかもしれない。
「それに関してはなんとなく、としか言いようがねェよ」
俺だって別に、明確に誰をどう呼ぼうとか考えて決めてる訳じゃないんだ。
ルヴェリスの場合は、彼が死ぬまでの間に沢山会話してもらっているうちに、自然とそうなっていただけだ。
呼び捨てにされることを嫌がるどころか、むしろ喜ぶような男だった。あと、俺が魔王を呼び捨てにした時に周囲の人間がぎょっとするのも面白かったし。
「――今の魔王に関しては、呼び捨てになんかできないしな」
現魔王ナインテイルは、力で言えばルヴェリスに大きく劣る。しかし、彼女は呼び捨てにされることを好まないだろう。
飄々としているようで、周囲の期待を負担に感じることもある、真人間なんだ。あれで存外プライドが高く、理想の魔王になるべく邁進している最中なんだ。
同じ属性を持つルノードに対して劣等感を抱いてしまうような、一人の女性に過ぎない。そんな彼女の気分を害したいとは思えない。まァ、気分を害したら焼き殺されそうというのも少しはある。
「フッ……。どうやら、お前も中々凄まじい人生経験を積んできたようだな」
「あんたの育て方の賜物じゃね――――、」
と、そこで親父が手を挙げて俺を制した。口を閉じ、なんだよ? という視線を向けてやる。
親父は振り返り、周囲に視線を飛ばしながら、
「おかしいと思わないか。いくら何でも遅すぎる」
何のことを言っているのかは、少し考えれば分かることだった。
「……そういうことか。親父も俺も、仲間に報せを出したはずなんだよな。もう20分くらい経ったか……?」
確かに、遅すぎる。俺が出した伝令……緋翼の使い魔に関しては、初めて故に上手く生成できておらず、仲間を連れてくることが出来なかったのだと納得できなくはない。
しかし、そういう力の使い方に慣れているはずの親父もまた、伝令を送っていたはずなのに。
こうも長い間、増援が一人も駆けつけないというのは……何か予定外の事態に陥っていることを窺わせる。
「親父が呼んだ増援が……黒騎士に妨害されてる、なんてことはあり得るか?」
「それは無い……と思いたいものだが。我らと劫火様の派閥は捕らえた人間の扱い方で揉めたとはいえ、敵対している訳では無いからな。まさかそんな……」
宙へと手を伸ばし、自分が放った緋翼の鳥の気配を探しているのか。
親父の表情が険しくなる。
「気配を全く感じん。消された……いや、取り込まれたか」
緋翼の鳥が攻撃を受けたのは確実ということか。まさか、ただの野生動物があれにダメージを与えられるとは思えないし。
「なら、俺の仲間と親父の仲間がかち合っちまった可能性もある……?」
緋翼が取り込まれた……ということであれば、親父が生成した鳥を仲間たちが倒してしまい、レイスかクラウディオが吸収したと考えれば辻褄は合う。
「その可能性は高いだろう。せっかく争う必要が無くなるかもしれないのだ……そうだとすれば、急いで止める必要がある。レンドウ、お前たちの野営地の方向へ移動するぞ」
「分かった」
そう言い、俺と親父が断崖を後にし、森へと足を踏み入れようとした時だった。
「レン――――ッ!!」
俺の隣にいたはずの親父の姿が、掻き消えた。
――違う、ちゃんと見えていた。
巨大な質量を持った黒い塊が、親父に襲い掛かったんだ。それにより、親父は後方へ大きく吹き飛ばされた。
「チッ――――!!」
親父の無事を確認したいのは山々だが、視線を前方から離す訳にはいかない。親父を吹き飛ばしながら後方へ消えた大質量の存在――恐らく、緋翼のキューブのようなものだろう――の中に、一人。
そして、木々の間から進み出てきたもう一人。……襲撃者は二人いた。
な……んだ、こいつ。
その人物は、すらりとした長身のシルエットをしている。俺と同じか、もう少し高いくらいだろうか。
月明かりに照らされているはずなのに、俺の目を以てしても漆黒のシルエットにしか見えない。
まさか、緋翼で造られた人形じゃあるまいに。いや、光を吸い尽くしたようなその出で立ちには、心当たりが無くもない。
「認識阻害…………か?」
ヴァリアーにいた頃、そんな魔法を持った潜伏魔人を見た覚えがある。それは小柄な少女であったし、勿論目の前の人物とは別人なのだろうが。
それとも、全身に薄く伸ばした緋翼を纏っているのか。ほぼ確実にアニマなのだろうし、そうとも考えられるが……だが、しかし。
そうだとすれば、恐らくは俺の緋翼の方が高位なワケで、相手のそれを引きはがし、奪うことが出来るはずで。
レンドウ相手では緋翼に頼れない。相手だって、そんなことは百も承知のはずだろう……?
絶えず湧き出る疑問に一旦歯止めを掛けるように、短剣を引き抜いて強く握りしめる。
眼前の黒いシルエットが、左腰に下げられていた何かを持ち上げた。左手で、だ。それが武器であることは想像に難くないが、普通は左腰の武器は右手で抜くもんだろ。
本当は、その技の存在を知っていたはずなのに。
愚鈍すぎる俺は、初動で後れを取ってしまった。
黒い人物の右手がぬるりと動き、左手で持つ何かに接触した。
次の瞬間には……右腕が振り抜かれており、俺の胸からは血が噴き出していた。
「――――――――ッ」
仰け反っていなければ、首を取られていたかもしれない。
――――こいつは、“抜刀術”の使い手だ……!!
レンドウ君の出生の秘密が明かされる回でした。
劫火の現身、と言えばいいのでしょうかね。
劫火は勿論今も生きているので生まれ変わりとは違いますし、上手く言葉で説明するのが難しいのですが……。