第176話 父と刃を
親父が地面を蹴りつけると、次の瞬間には眼前に刃が迫っている。決して目で追えない速さではない筈なのに。
呼吸か、瞬きのタイミングを計られているのだろうか。そこら辺に関しては確かに、俺はまだ修練が甘いところがある。
瞬時にレンディアナに緋翼を纏わせて長剣の形をとる。これで、ほぼ確実に親父は緋翼を使えない……正しく言うなら、俺の緋翼とかち合う形では使えない、はずだ。
親父の右の曲剣による縦斬りを横向きのレンディアナで防ぐが、立て続けに振り下ろされる左の曲剣は……防げない。
左の曲剣の特徴である、半月状の刃が防御をすり抜け、俺の顔面に迫る。首を左に傾けることでかろうじて回避するも、このまま防戦一方じゃマズい。
そう考えた俺が右足で蹴りを放つ……と同時に、相手もまた蹴りを放っていたのか。考えることは同じか。腹部に衝撃を受け、後ろに飛ばされる。
ブーツの裏で深々と積もった雪が削れる。転びはしない。着地は問題ないが、すぐに次がくる!
掬い上げるような一撃は、右手によって放たれたものだった……そのせいで、攻撃の質を勘違いさせられたのか。
親父は……両手の剣を持ち替えていた。
右手に持ち替えたガード殺しの曲剣が、その湾曲した部分でレンディアナを捕らえるように打ち上げた。
逃れようにも、相手の武器の形状がすぐにはそれを許さない。
「チッ――!!」
舌打ちし、思い切ってレンディアナから手を放す。後で手元に引き寄せればいい。今この剣を手放さないことに拘って、更に体勢を崩されるのはマズい。
横ぶりの肉厚な曲剣を、上体を限界まで逸らせることで躱……せない!
いや、躱したはずだった。だが、左手で剣を横薙ぎにした姿勢から、更に左足で蹴りを放ってきたんだ。鍛え上げられたアニマの脚は、剣といっても差し支えない威力で。
二刀流どころじゃない。3本の剣を同時に相手にしているかのような感覚だ。
俺は右の脇腹を打たれ、無様に吹き飛ばされた。
空中で緋翼の翼を展開し、姿勢を制御する。
ここで一度、嫌な流れを断ち切るべきだ。前方に広く、扇状に緋翼を散布する。染色する弾丸。それは俺から離れる程に威力を失い、相手に取り込まれる可能性も増すが……対処せずに突っ込んで来れるものでもない。
何もせずに受ければ、目つぶしとなる技……のはずだからだ。といっても、“創造する力”を備える、ルノードの眷属であるアニマには、果たして目つぶしとしての効果がどれほどになるのかは未知数だ。
人間相手には効果覿面だろうが、もしかしたら高位のアニマなら無視できるものなのかもしれない。
果たして…………親父もまた翼を展開し、それをひと薙ぎすることで染色する弾丸を拡散させた。
――よし、一応警戒させられる程度の技ではあるらしい。
俺はその間に右腕から緋翼をロープのように伸ばし、レンディアナに巻き付け、引き寄せることで回収できた。
……そうだ、待てよ?
今俺は、今まで通りに緋翼を逐一自分の意思で操作していた。だが、先ほど謎の生物を生成し、仲間たちに伝令として(ちゃんと送れたはずだよな?)走らせたように……。
共に戦ってくれる生物を生み出し、それに武器の回収やら、敵の妨害やらを任せられれば……最高じゃないか?
これが上手く行けば、そのまま勝てる。そんな確信があった。そして、今の俺にはそれが出来るはずだ、とも。
もう一度、先ほどよりも強く緋翼を放ち、親父を牽制。緋翼の容量はまだまだある。それに、出し惜しみするつもりは無い。常に全力だ。
右手を前方の足元に向けて、緋翼を吹き付ける。黒いもやの塊にすぎないそれに向けて、念じる。
――小さくていい。素早く、雪の上でも問題なく駆けまわることが出来れば。顎は強い方がいい。場合によっては、剣を持ち上げられるような。
3秒と掛からず、ただのもやだった緋翼が収縮し、一つの小動物の形を取った。月明かりと、周囲の雪による照り返しによって浮かび上がるそのシルエットは……。
「……狐、か?」
漆黒の狐は俺の方を振り返ると、まるで肯定するかのように頭を下げた……ような気がするが、きっと勘違いだろう。
だって、まさか本当に命を創造できているとは思えない。たった3秒しか掛けてないし。緋翼という力の塊に過ぎないこれに、感情が宿っているとは……なぁ?
しかし親父にとっては、これは戦いを一時中断するほど驚くべきことだったらしい。
「それは、以前からやっていたのか?」
両手の剣を下げ、俺に質問を放った。
「……それってのは、緋翼を生き物っぽくすること……で合ってるか?」
「そうだ」
言いながら、親父は左手を水平にぴんと伸ばす。肉厚の曲剣を握る手首の後ろ辺りに緋翼が集まり……ものの数秒のうちに、腕に掴まった鳥のようなシルエットが形作られた。
「――戦闘をする必要は無くなった。……そう伝えてくれ」
親父の言葉を受け、鳥は飛び立っていく。この場に駆け付けようとしている仲間への伝令だろう。
「私はこの技術の修練を積んで、もう10年近くになる。だが、その私から見ても、レンドウ。お前が今創り出したそれは……異質だ」
「異質……? さっきの質問の答えだけど、これが初めてだよ」
今日が初めてってだけで、本当の初めてはさっきの伝令だけど。……さっきのもどうせ、気づかれてたんだよな?
親父は深くため息をついた。
「やはりお前の力は凄まじい。私や一部のアニマが生み出す疑似生命は、非常に簡単な命令しか受け付けない。生み出した時に刻み込んだ命令に、愚直に従うのみだ。その一方……」
親父に指を指され、漆黒の狐は警戒するように俺の横まで下がった。並ぶとよく解るが、小さいな。立ち上がってようやく俺の膝を超えるくらいだろうか。
その様子じゃ……まるで、親父に怯えているみたいじゃないか。一緒に戦ってもらうために創り出した疑似生命が、怯えちまって戦えませんじゃ話にならないような……。
「お前の生み出したその狐には、情報量がある。戦いにおいては無駄とも言える、怯えが……感情があるように見える」
「な……マジで、この急造すぎるこいつに感情があるだって?」
そんなことが…………だって、こんなにも軽い気持ちで突発的に生み出したのに?
緋翼で造ったということは、いつかは消えるということでもある。
感情を持つ生命体なら……自己の消滅も嫌うのではないか。
「里の誰にも……同じことができる者はいないだろう。更なる力に目覚めれば……完全な生命体を創り出すことも出来るようになるはずだ。お前は間違いなく、最も劫火様に近い存在なのだから」
ルノードに近い存在……?
同じような力を備えてるから、ってことか?
それにしたって、ルノードを100として、俺は5くらいじゃないのか。他の一般的なアニマが1とか2だとしても、さ。
その時、驚くべきことが起こった。親父が、両の剣を腰に戻したのだ。
「……………………え、戦いは? もう終わり?」
「最早それどころではない。その狐は命あるものだ。消えてしまう前に、処置をせねばな」
先ほどまで、本気で俺を殺そうとしていたと思える威力の攻撃をブチかましてくれていたというのに、この親父は。
まるで俺から不意打ちをされることなど万に一つもあり得ないと確信しているかのように、自然な様子で歩み寄ってきやがる。いや、しないけども。
だけどまぁ、深く考えずに生み出してしまったこの狐を失いたくないというのは俺も同じなので、「どうすりゃいいんだ?」と続きを促す。
「その短剣は魔法剣か」
「そうだけど」
「なら、その剣に宿してしまうのが手っ取り早いだろう。その剣はいつもお前が持ち、緋翼を定着させ続けるのだろうからな」
「魔法剣に……この狐を?」
確かに、この漆黒の狐が緋翼の塊である以上、魔法剣であるレンディアナに取り込む……纏わせる? ことは可能だと思うが……。
「そんなことをして、こいつの意思は残るのか?」
二度と同一の存在として狐の状態に戻れないのだとすれば、それは死と変わらないのではないか。
という俺の疑念に対し、親父は首を横に振る。
「私は里で、いくつもの魔法剣を……祭具を見てきた。お前はアルフレートの父親が鍛えた短剣、清廉・穿牙を知っているな?」
「あァ……よく知ってる……って言ってもいいくらいだと思う」
半年前に俺を助けてくれた、ヴァギリが宿っている魔法剣じゃないか。
……そうか。そうなのか?
「あれも同じだってのか? 清廉・穿牙っていう銘の剣に、後からヴァギリという生命体を定着させた……ってことか?」
「あの剣の場合は少し事情が違ったはずだが……今はそれはいいだろう。それに近い認識で構わない。実際、族長がその力を纏わせた魔法剣もあるからな」
族長とは……現グロニクルであるシャラミド、つまりジジイだ。他人行儀な呼び方をしてはいるが、つまるところ親父にとっての父親じゃないか。
「ジジイも魔法剣に疑似生命体を……」
「勿論先ほども言った通り、お前が生み出したこの狐と違い、族長が生み出した疑似生命体は感情を持たない。剣の使用者の命令に従い、敵に向けて自己判断で攻撃を仕掛ける程度だ」
だがしかし、と親父は言う。
「数多のアニマの戦士の手を渡り、数々の戦闘を経た魔法剣の中には……言葉を話すまでに成長したものもある……と、言われている」
「言われている?」
「他の者には確かめようがないからな。魔法剣に宿した存在の声は、誰にでも聴こえるものではない。更に……剣の使用者にしても、「戦いの最中に話しかけられた気がする」というレベルでしかない」
……そうか、そうだよな。あのヴァギリの声だって、持ち主であるアルフレートにすら聴こえないんだから。
魔法剣の中で育ち、言葉を得るまで。
根気よく育てていく……というイメージだろうか。
俺はしゃがみ込んで狐と目線を近くしてから、ゆっくりとレンディアナを狐の前に置いた。
狐は今のところ、俺に対して怯えた様子を見せてはいないが、さて。
漆黒の狐は、不思議そうに俺とレンディアナを交互に見つめている。
戦いの為に生み出されたのに、その戦いがすぐに終了してしまったことに困惑しているのかもしれない。いや、こいつは親父にビビってるだけで何にもしてなかったけど。
「お前自身の言葉で、促してやる必要があるのだろう」
「……そう、なのか」
何も言わずに察してもらおうという方が甘いのか。
俺の言葉で。
「……このままじゃ、そう遠くない内にお前は消えちまうんだよ。そんなの、お前だって嫌だろ? その前に、この魔法剣に宿って欲しいんだ。この剣には常に緋翼を供給していくし、緋翼を保持する力もある。この中にいれば、お前は生き続けられるから」
果たして俺の言葉がそれを推奨するに留まったのか、それとも命令として受け取られたのかは分からない。だが、狐の外見に変化が訪れたのは、わずか数秒もしないうちだった。
漆黒の狐がぼやけ、緋翼の球体になったかと思うと、そこからレンディアナに向けて何本もの線が伸びる。それが伸びるごとに球体は小さくなっていき、レンディアナの中に入っていっているんだな、と感じた。
5秒もした頃には完全に狐の姿は消えていた。おもむろにレンディアナを持ち上げ、問いかけてみる。
――居心地はどうだ? 悪くないか?
…………返事はない。そりゃそうか。突発的に生み出した疑似生命体だし、そもそも喋る機能を与えようと思って造った訳じゃないし。
でも、確かに狐はこの中に入った。きっとこの中で生き続けていて、いつかまたその意思を示してくれることがあると信じよう。
「…………で、」
俺は傍らに立つ親父を見上げる。見上げ続けるのも癪なので、立ち上がるけどさ。
「親父、あんたは一体どういうつもりなんだよ? 問答無用で俺と戦おうとしたかと思えば、唐突に戦いをやめたりして」
俺ばっかり殴られて、全然反撃すらしていない気がするんだが。
親父は「それなりに問答はしたと思うが……」とぼやいたが、そんなのどうでもいいだろ!
「私の元々の考えとしては、他のアニマ達と変わらないさ。劫火様に勝てる勢力など、この世界のどこにも無いと考えた。それ故にあの方に従い、例え悪事を働くことになろうとも、アニマという種族が存続できる道を進む、と」
「つまり、人間の国を滅ぼすことになっても仕方ないと考えたってことだろ?」
「少なくとも、帝国とドールの首脳陣を殺めることには同意していた。その先で、全ての人間を滅ぼす、もしくは隷属させるというところには……」
「ジジイ派閥……つまり、あんたも含めた族長派閥は反対していたと。ルノードの意見に全面的に従う強硬派が、黒仮面のアニマたちなんだよな」
「そうだ。彼らが攫ってきた人間たちは、現在私や族長が管理している」
穏健派……といって良いのかは分からないが、人間たちの管理をジジイが担当出来ているなら、きっと心が壊されるような事態には陥っていないはずだ。さすがに現場を自分の目で見てみないと何とも言えないが。
そこでの人間の扱い方によっては、これから先の世界においてのアニマの立ち位置が大きく変わってしまうだろう。
「全面的にルノードに同意していたワケじゃなくて、結局はアイツが強くて、勝てないから従うしかなかった……そういうことだよな?」
「歯に衣を着せなければ、そうだ」
こんな風に、俺に対して赤裸々に内情を吐露しているカイの姿を知れば、ルノードは激昂するだろうか?
分からない。案外、黙って許しそうな気もする。あいつには“自分は眷属たちを力で抑えつけている”という認識が、棘にもならなそうというか。
「なら、さっきの今で何をそんなに心変わりすることがあったんだよ? 俺の緋翼のレベルが高かったから、これならルノードにも勝てるかもしれないって思ったのか?」
冗談だろ? 確かに感情豊かな疑似生命体を造れるらしいことには俺自身驚いたけどさ。
こんなんでルノードに勝てるワケないだろ。
敵の強大さに怯えて動けなくなる生き物を創り出せるから、なんだってんだよって話だ。
「今のお前では、そうだろう。だが……劫火様の竜門に行き、龍脈を摂取したとすれば……どうだ?」
「どうだ……って」
龍脈……って、あれだろ、「エーテル流に触れた人は、皮膚が焼けただれたようになるんです」って言われてるんだろ。
「そんなの、身体の内部から焼き焦がされて死ぬだけじゃねェのか」
親父は腕組みをして、俺の目を真っすぐに見つめた。
「本当にそうなのか。お前は……お前だけは違うんじゃないのか。龍脈をその身に取り込んだ時……お前もまた、龍に成れるのではないか?」
「なッ…………」
龍に……なる、だと?
「ど、どういうことだよ。何の根拠があって言ってんだ。そもそも、龍ってのはそんなポンポン任命……誰に命ぜられるんだか知らねェけどさ……任命されるもんでもないんだろ? この1000年でも大した数はいないって話だし。それに、あんただって他人が龍に成るところを見たことがあるワケでもないだろ。なんだってそんな…………」
「それは……お前が、特別な存在だからだ」
言いながら、親父は俺の両肩に手を置いた。
「特別だァ?」
それをくすぐったく感じ、緩く払いのけようとするも、親父が意外にもがっしりと俺を掴んで離さない。
「いいかレンドウ。落ち着いて聞きなさい。……この話をするのは、私がお前を信じているからだ。この話をしても、私とお前の間にある絆は揺らがないと、そう信じているからだ」
何なんだよ、その脅すような前置きは。まだ俺の人生には、そんな大どんでん返しがあったのかよ。正直、半年前の“実は吸血鬼じゃありませんでした問題”だけでお腹いっぱいなんだけど。
だが、真剣なその目から、俺は視線を外せなくなった。
「レンドウ、私は…………お前の本当の親ではないんだ」