第172話 レン坊の次はレン兄かよ
「……だけど、安心しろぉレン坊。今のオレは、おめぇの側だ!!」
俺の前へと歩み出て、猛々しく吠えたフーゴ。
……状況が分からない。混乱する。何でお前がこっち側に立つ?
「お前、もしかして……俺が右腕を治してやったから……その分だけこっちに味方するとか……言う系?」
自分で言っておいてなんだが、どんな系だ。
「いや、違ぇぞ」
フーゴはこちらを振り返らず、ロウラを睨みつけたまま言う。
「――だらだらと説明してる暇は無ぇ。ゲイルを助けてぇんだろ? さっさと治しに行け。あいつはオレが止めといてやる」
落ち着いたトーンで諫めるようにそう告げられ、その通りだと思い直す。事情なんてどうでもいい。
フーゴは他人を謀ることなどできない人物だ。その人物が味方をしてくれるというなら、喜んで受けてやろう。
今一番優先するべきは、ゲイルの命の灯が消えるのを防ぐことだ。
一目散にゲイルの元まで駆け出す。今も緋翼のキューブに篭り、受けたダメージと身体に纏わりついた黒翼を引きはがしているであろうクラウディオ。その近くにゲイルは倒れている。
俺には医療の知識がある訳じゃない。ゲイルに対して緋翼を吹き付けて、あとはあいつ自身の治癒力に任せるしかない。
――ロウラは、俺のことを妨害しようとはしなかった。
それが自らの動向を注視し続けているフーゴを警戒してのものなのか、仲間の命を救う行為の最中は見逃した方がいいと考えているのかは……きっと後者だろう。
ロウラだって、ゲイルが死んでいいと思っているはずが無いんだ。
「レンドウ、あなたは本当に甘い。そのやり方ではこの先勝ち残れないわ。あなたはこの戦争を、誰も死なない≪遊戯戦争≫にでもするつもりなの?」
ゲイルの脇腹に手を当てて緋翼を流し込んでいると、ロウラがそう問いかけてきた。
「……俺だって。必要に迫られれば、何かを諦める時も来るかもしれない。だけど、今その時できる努力が残ってるなら。お前たち側にも死人が出ないように頑張れちまう。……頑張っちまうんだよ、俺ってやつは」
「――付き合いきれないわね」
ロウラは一蹴するように鼻を鳴らすと、唐突に踵を返し、俺達から距離を取るように走り始めた。
何かあったのか……? と、答えはすぐに明らかになった。
森の出口側から、走り寄って来る人物がいたのだ。
「皆、大丈夫か? そっちの人は……フーゴさん、だったっけ。どういう風の吹き回しか分からねぇが、この状況を見るに和解した……と見ていいんだな?」
金髪の少年、本代ダクトだ。同時に、クラウディオを包んでいたキューブが崩れ、中から傷を癒した彼が現れた。
フーゴの心変わりに、ダクトの参入と、クラウディオの復活。確かに、これだけの脅威を前にすれば、ロウラが逃亡を決めたのも頷ける。
「ああ、オレは誓って不意打ちなどしないからな。これから先も、君たちと戦う時は必ず宣言してから仕掛けるよ」
「まだ戦う可能性は残ってんのかよッ!」
フーゴの言葉に、思わずツッコミを入れてしまう。それによって、俺は自分の精神状態がまっとうであることを再認識できた。
相手が多数になった際はさすがに一方的にやられてしまったが……今の一連の戦いは、中々に悪くなかったはずだ。
いや、俺史上最高にいい精神状態のまま、戦いの終わりまで駆け抜けられたといっていい。油断も慢心も無く、俺の技もしっかりと通用していた。
いける。このままの状態をキープしていけば、俺はきっと目標を達成できる。誰にも見せないように、拳をギュッと握りしめた。
「――竜化したナージアの戦闘力が一番高いからな。あいつを起点に、ナイドを護る陣形を取ってたんだよ」
森を抜けて仲間たちの元へ戻る道すがら、ダクトが現状を説明してくれた。
ナージアが俺達の足であるナイドたちを護り、クラウディオ、ダクト、ジェット、アシュリー、カーリーがアニマに向けて果敢に攻撃を仕掛けた。
隙を見せたり、ノックダウンされたアニマに関しては、レイスが白い力を使い拘束していった。
結果的に、順調に勝利を収めることができたらしい。フーゴより力を持ったアニマは、どうやらいなかったようだ。全員、ただの村人AとかBだったんだろうな。それでもそこそこ戦えてしまうというのがアレだが。
途中、森の中から強大な力の気配を感じ、それを探知できる人物であるクラウディオが、俺の援軍として向かってきてくれた……ということらしい。
「……よかった、これで全員ね」
と、俺に走り寄ってきたカーリーが言った。それに頷き、「そうだね。レンドウ、ゲイル君も無事に無力化できたみたいでよかった」というレイスに「あァ」と返す。
仲間たちの視線は、すぐにゲイルを担ぐフーゴへと向いた。
「んで、なんでオッサンは急にこっちに寝返ってンだ? コウモリ野郎かよ」
地面にしゃがみ込んだ状態で、ジェットがフーゴを睨むようにしながら言った。まぁ、先程まで戦っていた相手なのだし、多少は仕方ないだろう。
「ちょっとどいてくれ」
「……おゥ」
ジェットの前に、アシュリーが拾い集めてきた木片を積み上げていく。どうやら、火を起こして野営をするらしい。
気絶させたアニマ達が起きるのを待つことになるんだろう。意識を失った全員を連れていくことはできない訳だし、フーゴという仲介役もいるようだし。
だったら、この場で全員を説得しちまうのが得策だよな。その説得の結果は……想像もつかないが。
「そうですね。皆さんが気になるのも無理はないでしょうから、説明しますよ。なぜオレが、戦いの途中でレン坊側に付いたのか」
フーゴは背負っていたゲイルを地面に優しく寝かせた。ゲイルの意識は戻らないままだ。それも仕方ないだろう。本気の戦いで負った、本気の傷だった。傷のショックで痙攣していた時間もそれなりにあったし、命があるだけマシだ。
……フーゴは間違いなくこの場における年長者だが、勢力の違いもあってか、丁寧語を使うことにしたらしい。こういうとこ、ちゃんとできる大人って凄いよな。
その時、アシュリーが俺をじーっと眺めているのに気づいた。なんだ? と俺も視線を返し、はたと気づく。あぁ、俺が火をつけるのを待ってるのか。
そりゃそうだ、いちいち道具を用意しなくても火を起こす方法があるんだもんな。
レンディアナを抜き、積み上げられた木の下の方に刃を押し当てる。そのまま念じれば、レンディアナが俺の緋翼を変換し、炎に変えた。
魔法剣無しの素の状態でも炎を起こすことはできるが、やはり何かを触媒にした方が楽だ。
そこら辺は、何か物を造るにしろ壊すにしろ、素手よりも道具を使った方が何倍も上手くいくのと同じようなもんだと思う。我ながら上手い例えだな。
「レン坊には既に話したことなんですが、現在のアニマの里は、決して一枚岩とは言えない状況でしてね……」
――半年前、里に戻ったルノードはアニマたちに向けてこれまでの経緯を説明し、とりあえずは“待ち”の姿勢を取ると伝えた。
だというのに、それから一週間と経たずにルノードを激昂させる出来事が起こった。アロンデイテル政府による、ランスらの処刑だ。
それにより、何万もの人間が命を落とした“シルクレイズの変”が起こり、ルノードは“焦土の魔王”と呼ばれることになった。
アニマたちの間でも「こんな情勢になってしまっては、もはや人間界に自分たちが受け入れられることは二度とないだろう」という意見で纏まってしまっており、そう簡単に俺達の側につく者は現れないだろうとのことだ。
ただ、それでも考え方に多少の差異はあり、派閥も存在する。
まずは、里の外で暮らしていたエリートだという黒仮面のアニマたちが多くを占める派閥。
長らく休眠状態にあったルノードだが、その間も黒仮面のアニマたちはかつて受けた指示通りに各国を渡り歩き、諜報活動を務めていたのだという。
諜報活動というと、つまりスパイだよな。あの青髪のアニマのように、髪を染めて素性を偽っている者も多いのかもしれない。ロウラは染めていないようだったが。
今回の人間界との戦争にあたって呼び戻される以前は、自分たちの裁量で行動を決めていたということだが……。
その黒仮面たちの独断によってニルドリルは見殺しにされ、そこから転じて前魔王ルヴェリスの立場の回復が難しくなったんじゃないか。
その行きつく先がランスらの処刑であり、ルノードの凶行だったことを考えれば、あの時黒仮面のアニマたちがニルドリルの自殺を止めることを邪魔してくれなければ、もう少しまともな今があったんじゃないのかと思わずにはいられない。
……現実逃避していても、どうにもならないか。
この黒仮面のアニマたちは今までずっとルノードに付き従ってきたし、これからもそうだろう。その結果人間が滅びることになろうと、厭わない。
現在、この先の戦いに備えて周辺地域から人間を攫ってきているのも、この黒仮面たちなのだという。
こいつらが戦争に勝利した後、隷属することを義務付けた上で一部の人間だけは生かすつもりなのか、それとも全ての人間を根絶やしにするつもりなのかは、わからない。
フーゴは里での人間の扱いを見て、憤慨したらしい。場合によっては俺の側に付く……かまでは決めかねていたものの、状況を変えようと行動を起こした。
初戦で俺を打ち倒し、ルノードの元に引っ張っていくことができれば、願いを一つ聞き届けるように、と。ルノードにそう約束させたのだという。
このオッサン、中々の行動力だよな。
そのフーゴと共に行動していたアニマ達が、もう一つの派閥。
族長シャラミド。ジジイの……現グロニクルの派閥だ。
元々ジジイはヴァリアーと密約を交わし、アニマと人間の間に良好な関係を築けるよう尽力していたワケで……意外ではないな。
別派閥だからといって、ルノードや黒仮面と明確に敵対している訳じゃない。ただでさえ人数の少ないアニマは、同族で争うことを特に嫌う。ルノードも勿論、自らの眷属を深く愛している。
今回ロウラに対面した際のフーゴのように、明確に同族と争おうと思えるアニマは多くない。
もし人間を隷属させるのだとしても、知的生命体として最低限まともな生活を保障してやるべきだと考えた連中。
さすがに正々堂々と正面から勝負を挑みたがったフーゴには、他の6人も呆れていたようではあるが。
ともかく、フーゴを含めた7人は独自の考えを持って俺を倒しに来た派閥であり、途中で現れたロウラやゲイルとは、行動を共にしていた訳では無かった。
黒仮面であるロウラからしてみれば、フーゴと俺たちの戦いを観察し、俺達の実力を探るいい機会だと思ったんだろう。
魔王城への使者を務めた後のゲイルもまた、帰路の途中でロウラに拾われていた、と。……いや、元から合流するつもりだったのかもしれないけど。
恐らくはロウラは、フーゴによって一人孤立させられた状態の俺なら、手っ取り早く倒せると思い行動を起こしたんだろうが。
――あいにく、俺は存外しぶとい奴に成長していて、仲間たちが救援に来るのも早かった、と。
間違いなく、先ほどの戦いは小手調べでしかない。黒仮面のアニマが一人だけで行動する理由も無いだろうし、この近辺には他にも強敵が潜んでいるんだろう。
……いや、もしかすれば今この瞬間すらも、遠巻きにこちらを監視している黒仮面のアニマたちがいても不思議じゃない。
フーゴからしてみれば、黒仮面のアニマに俺を引っ張って行かれると、自分の意見を通せなくなるから避けたかった、と。
それに、何より自分たちを利用して楽をしようとしていたロウラのことが気に食わないのもあるそうだ。ほんっとに、そういうとこが気持ちいいなこのオッサンは。
――フーゴの語った内容を纏めると、こんな感じだ。
自分勝手に暴れた結果、アニマという種族のこれからに多大な影響を与えたルノードのことを、本来なら疑問に思ったり、悪感情を抱くべきなのかもしれない。
だが、どうにもアニマというものは、ルノードという存在を嫌うことが難しく、その言葉に従いたくなってしまうものらしい。
……それはルノードこそが創造主だからなのだろうか?
それとも、自らが一度でもシンと仰いだものに対しては、どんな種族であってもそういうものなのだろうか?
だったら、俺は……どうして、ここまでルノードに対して敵対心を燃やすことができているんだろう。
別に、残酷な殺し方をしてやりたいなんて思っちゃいないが……。自分勝手なクソ野郎、俺と家族に迷惑を掛けやがって、くらいは思ってる。ぶん殴ることに抵抗はない……ってくらいか。
幼いころの記憶を失っていることとか、そもそもアニマにシンがいることを知らずに生きてきた、とか……そこら辺が関係しているんだろうか。
ある意味、俺は教育という聴こえのいい洗脳を躱して生きてきたのかもしれないな。
「フーン……なるほどね。じゃあオッサンはこの先どうするつもりなンだよ。傷が癒えたら、またレンドウを捕まえるために戦いを挑んでくんのか?」
話を聞き終わったジェットが、やるなら相手になるぜ? とでも言いたいかのように手を握ったり開いたりしてみせる。
お前は戦いが好きかもしれないけど、俺は御免なんだよな。もう一度やって同じようにフーゴに勝てる保証もないし。
「それは気持ち良くねぇから、ありえ無ぇ……んです。オレがここでもう一度戦いを挑むって言ったならば、あなたたちの最善としては……オレたちを再起不能になるまで痛めつけてから出発するべきとなる。それは……レン坊が嫌がるでしょうからね」
「……そんなん嫌に決まってんだろ」
口では「もう挑まない」と言っておいて、こっそり不意打ちを仕掛ければいいだけなのでは……と俺は思ってしまうが、それは勿論フーゴの美学には反する訳で。いや、俺だってできることなら嘘はつきたくないけどな。
「なので、負けは負けと認めます。オレらは今、恩情でダルマにもされずに生かされているだけで、殺されていてもおかしくなかった。オレの気持ちとしては……この戦争が終わるまで、あんたらに敵対はできませんわ。……まぁ、他の連中がどういうかは微妙ですがね」
フーゴがそう言いながら後ろを振り返ると、自分たちに話題が向いたことを察してか、一人の人物が這い出てきた。
「ムー。ムー!!」
這い出てきた、という表現は間違いじゃない。
特に元気に暴れ回っていたというそいつは、レイスの白い力によって厳重に縛られていた。随分と若い。俺よりも年下に見える女だ。
「……なんか言いてぇのか、ビルギッタ?」
長い髪をポニーテールにしている。毛先が黒で、しかし根元は完全に金髪という不思議な出で立ちの少女は、ビルギッタという名前らしい。
「……別に自殺をしそうな雰囲気がある訳でも無いし、いつまでも口を塞いでやる必要は無いんじゃないか?」
女の子を縛る性癖がある訳じゃないだろ、と視線を向けると、レイスは目の前でブンブンと両手を振った。
「――いや、その子、凄い噛みついてきたんだって! レンドウより鋭い歯だったんだよ!? ……や、今はもう治ったんだけど。僕の腕に……がっぷりって! 動きもとんでもなく速いし!」
……まァ、別に本気では疑っていたワケじゃねェけど。確かに、尺取り虫のような体勢でムームー唸りながらフーゴの背中に頭を押し付けている小柄な少女は、とてもすばしっこそうだ。でもまァ、小さいし。お前ってこういう小さい子が好みなんだろ? え、そうでもない? 向こうから勝手に言い寄られてるだけ?
「じゃあ、とりあえず口だけ解除しますね」
そう言ってレイスが宙をなぞる様に右手を振ると、ビルギッタの口から白い光が弾けた。その軌跡を最後まで追えた訳ではないが、宙に溶けたそれはレイスの中に戻っていったように感じられた。
――ん? 少女の口に長時間触れていたものがレイスの中に……いや、待て待て。たぶんだけど、他の誰も一々そんなこと考えてないだろうな。ううっ、むしろ俺が一番変態なのかも……。
ほら、レイスのことになると直ぐに爆発させるリバイアだって大人しくして……あ、そうだ、あいつはいないんだった。
などと考えていたのだが、
「――だから一人じゃ勝てないかもよって言ったジャン! でもほんとにフーゴに勝っちゃうなんて、レン兄ってやっぱスゴー! アタシ的には、このままレン兄の下に付くのもやぶさかではない的なー? カンジなんだケドー!」
それら全てを吹き飛ばすように甲高い声がまくし立ててくれたおかげで、幸いにも心中で自分を責める時間には早々に別れを告げることができた。
……レン兄だって?
フェリス・アウルムにもそう呼ばれた覚えがあるが、また随分と親し気に呼んでくれたもんだなおい。
えっと、ビルギッタだよな。ビルギッタ……。
…………いや、まったく記憶にないんだが?