第171話 VSロウラ&ゲイル
――鎮めの黒。
それは遥か昔より伝わる、ホンモノの吸血鬼の別名らしい。尤も、それが意味するところは不明となってしまって久しいそうだが。
偃月刀を大きく振り払った後、両手で斜めに構えたクラウディオ。
それに対するロウラとゲイルは、俺と戦っていた時に比べ、目に見えて緊張しているようだ。
それを情けないとは、もう思わない。クラウディオのことは、俺だって頼りに思っている。
俺より優れた仲間がいるってのは、とても素晴らしいことじゃないか。
俺だって、身体が動くようになれば、まだまだやってやる。やれることは……あるはずだ。
そう思い、全身を雁字搦めにする鎖をどうにかしようと、もがいてみる。だが、ダメだ。鎖が結ばれていて、どうにもならない。
相手を黒翼に取り込み、その内部を移動させる技……それによってロウラ、ゲイル、俺の立ち位置を移動させたクラウディオだが、その際に俺を拘束する鎖をどうにかすることはできなかった。
衣服や武器や鎖など、身に着けているモノに関してまで細かく指定し、奪ったり解いたりするのは難しいってことなんだろう。
まぁ、簡単にできたらほぼ無敵の力になっちまうもんな。相手を武装解除し放題だ。
……待て、そうだ。俺の左腕には今も巻き付けたままの一本目の鎖がある。そして、俺の身体全体を縛っている鎖は二本目だ。
なら、今のロウラは……丸腰なのか?
視線をそちらに向けると、丁度ロウラが左方向へ飛びつくように移動したところだった。
もしかすれば、鎖を失った後の為の予備の武器も懐に隠しているかもしれないが……それよりも、ロウラは相手の武器を奪うことを優先したらしい。すなわち、俺の手から零れ落ち、短剣へとその姿を戻した魔法剣、レンディアナへだ。
「――クラウディオ!」
俺の意図を察してくれたのか定かでは無いが、クラウディオは動きを見せたロウラに向けて猛然と走り寄る。
ゲイルが、その手に残った曲剣を振ることで牽制しようとする。だが、それによるダメージを歯牙にもかけず、クラウディオは横向きにした偃月刀と共にタックルを仕掛ける。ゲイルの身体は容易く弾き飛ばされた。これが力か……。
それでもロウラは、クラウディオの攻撃よりも先に、それを拾い上げることができると判断したようだった。確かに、それは正しかった。
だが、その後が問題だ。彼女が右手で拾い上げたのは、俺の為に造られた魔法剣。
――暴れろ、レンディアナ!!
果たして、俺が念じたことが原因なのか、何も念じる必要など無かったのかは分からない。
それでも確かに魔法剣は残存していた緋翼を吐き散らし、ロウラを驚かせ、その手を封じつつ顔面に覆いかぶさろうとした。
ロウラの反応も早く、左腕に緋翼を大きく纏わせ……クロウを作ると、それでレンディアナから発生した緋翼を貫こうとした。
それは、クラウディオが見逃すはずも無い、極大の隙となっていた。
偃月刀の刃の腹が、ロウラの左肩を打った。背筋も凍るような音が響き、ロウラは一瞬で見えなくなった。どこまで吹っ飛んだんだ。
刃で斬るのではなく、打撃だ。それは決して斬撃より優しいものではなく、殺す可能性を十分に秘めた一撃だった。
当てても大丈夫なのかよ、それ。……とは思うが、事前に「手加減した結果殺されるくらいなら、相手のアニマを殺す方を選んでくれ」と仲間たちに言っていたのは俺なので、文句は言えない。
まともにガードも出来ない状態でクラウディオの攻撃を受けたのだから、ロウラはもう戦闘不能になったはず……だよな?
油断はできないが、現実的に考えれば、期待してもいいはずだ。相手もそうだが、俺の仲間だってハチャメチャに強いんだから。
――ロウラを吹き飛ばしたばかりのクラウディオの首に、背後からシュルシュルと紐状の緋翼が巻き付く。
……ゲイルの攻撃だ!
首を引っ張られたクラウディオは「ごがっ」という苦しそうな声を漏らした。ゲイルは仰け反ったクラウディオの頭部を狙っているのか。まずい。
紐を引っ張ったエネルギーも合わせて、地面から打ち出されたように跳躍したゲイル。紐はその左手から伸びている。
クラウディオの頭頂部に向けて曲剣を振り下ろし、勝ち割ろうとしている。だが、クラウディオは首に負担が掛かるのも構わず、足、腰、首と曲げられる全てを前に傾けた。
自ら宙に身を躍らせていたゲイルの身体は、それによって大きく行き先を変更させられる。クラウディオの頭上を通り抜け、眼前の地面に背中から叩きつけられる。
クラウディオの首から紐が解け、空気に溶けて消失する。自分の目の前に落ちてきたゲイルを、クラウディオは見逃さない。
「――ゲホッ! ゴホッ」
苦し気な咳を繰り返しながらも、ゲイルの胸に偃月刀を突き立てた。
殺した……のか!?
「ゲッ、ゲイル……!」
ここからでは、貫かれたのが心臓のある位置なのかどうか判断がつかない。
クラウディオを責め立てる意思は無かった。ただ、兄貴分である男の生死が気になって、声を漏らしていた。
だが、ゲイルは生きていた。クラウディオが飛び退ると、今まで居た場所に血の雫が舞っていた。
……“先行する治癒”だ! クラウディオの一撃は、漆黒と化したゲイルの身体に吸い込まれていたんだ。その命には、届かなかった。
クラウディオとしても、それを得意とする自らの族長を見ている以上、決して知らない技ではない。だが、やはり対処をするには脳が追い付かない。
それは、天才だけが使える技だ。ゲイルは胸への刺突を“先行する治癒”で無効化――相応に緋翼を消耗するはずではあるが――すると、攻撃を放った態勢のクラウディオに向けて、倒れた姿勢のまま曲剣を放ったんだ。
クラウディオは、腹と胸と……足まで斬られたのか!?
あの一瞬で。目に見えて動きの悪くなったクラウディオ。その傷を修復すべく、しゅうしゅうと黒翼が立ち上るが、ダメだ。
ゲイルの緋翼の方が、≪創造する力≫としての格が高い。立ち上っていた黒翼が、たちまちゲイルに吸われていく。
それに気づいたクラウディオはすぐさま自制し、身体の自己修復機能を止める。
――ゲイルとクラウディオの、息もつかせぬ打ち合いが始まった。
自分の緋翼の方が優勢であることを悟ったゲイルは、曲剣に緋翼を纏わせる。対してクラウディオの偃月刀は、素の性能のままだ。
翼を纏わせなければ武器として弱い、などということはないが、翼を纏った武器と長時間打ち合いのは悪手だ。
鍔迫り合いなど以ての外だ。武器を通じて緋翼が迫り、たちまち腕まで飲み込まれてしまう。いわば、ガード不能の攻撃なんだ。
面の打撃では柔らかく受け止められてしまう。斬撃に紛れて迫る緋翼を、クラウディオは断ち切ることを義務付けられる。
ゲイルは片方の剣を失い、手数が減ると思ったが……とんでもない。右の肉厚の曲剣だけが本命の攻撃なのは間違いない。
だが、左手から飛ばすガード不能の緋翼の方が、クラウディオにとっては厄介なのだ。消して無視できない。それも斬らなければならない。
ゲイルにとって、それを振るうことは造作もない。なにせ、右の剣に比べて羽のように軽いのだ。左手が踊り、クラウディオの肩に、肘に、足に巻き付き、移動を阻害する。
それを顔面に吹き付けることに成功した時、両者の均衡は大きく崩れた。
クラウディオの顔の上半分は真っ黒に染まった。一切の視界が効かない状況だろう。だが、クラウディオは諦めていない。
膝から崩れ、勝利を確信したゲイルの一撃が首元に吸い込まれても。
彼は何かを信じているように、右手一本で偃月刀を短く半ばで持つと、後ろへと下げていた。
「クラウディオ――ッ!!」
彼の首に、左側から斬り込んだ凶刃は、そのまま胴を引き裂き、脇腹の下へと抜け…………ない。
抜けない……?
「おうるぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――!!」
それは初めて耳にする、クラウディオの絶叫だった。
「なっ――――」
ゲイルもまた驚き、何か言葉を発しようとしたようだが……完全に埋もれた。
クラウディオ、お前も……!
――“先行する治癒”を成し遂げたのか!?
いや、それだけじゃない。クラウディオの首から胴までを斬り裂いたはずのゲイルの刃は、“先行する治癒”によって素通りさせられた状態で。
しかし、脇腹に到達した時点でクラウディオは“先行する治癒”を解除し、その攻撃をわざと受けることを選んだ。
それは視界の効かない状態にあって、相手の場所を知るためのもの。相手をその場所に縫い留めるためのもの。
ゲイルとしても、クラウディオもまた“先行する治癒”に挑戦することを、丸きり警戒していなかった訳ではないかもしれない。だが、自分の攻撃が仇となった。緋翼による行動の疎外と目つぶしの為に、クラウディオの身体を黒く染め上げていたのは、他ならぬゲイル本人だ。
だからこそ、クラウディオが決死の覚悟で敢行した“先行する治癒”の起こりに気づけなかった。
「終わりだ!!」
「――そうはいくか……ぐっ!?」
そして、クラウディオは“先行する治癒”の破り方までも編み出したというのか。
筋力にものを言わせ、曲剣を体内で押しとどめたクラウディオ。その状態で短く持っていた偃月刀を突き出し、ゲイルの腹に埋めた。
刺さったのではない。ゲイルも再び“先行する治癒”を使い、致命傷を逃れようとしたのだ。
だが、クラウディオは偃月刀を動かさない。黒く染まっていないゲイルの部位を探し、刃を動かすことをしない。
ただただ、ゲイルをその場に縫い留めたまま、ゲイルの胴に武器を突っ込み続けている。
「そんな、バカな……我慢比べをしようというのか!?」
ゲイルの驚愕の言葉に、しかし俺はクラウディオの勝利を確信していた。
こいつは絶対、我慢強い。単に我慢強いなんてもんじゃない。炎の中だろうと、足が串刺しにされていようと、我を通し続けるだろう。
たまらずゲイルは曲剣から手を放し、後ろに下がろうとする。
だが、クラウディオの背中より生えた2枚の翼が、ゲイルごと自分を包み込むように広がった。いや、その先端は手のような形をしていて、実際にゲイルの両肩を掴んで離さない。
「つれないな。最後まで付き合ってくれよ……!!」
「こんな戦い方、が……! だが、消耗するペースは君の方が……いや……!?」
確かに、翼の力の優先度はゲイルのものの方が高い。ゲイルの肩を掴んでいる黒翼も、少しずつゲイル側に取り込まれているはずだ。それでも、クラウディオは構わずに新たな黒翼を絶え間なく供給し続ける。
一方、ゲイルは腹に埋まっている偃月刀よりダメージを受けないために、“先行する治癒”を使い続けている。
その消耗スピードは、凄まじい。俺が感じるだけでも、ゲイルの保有する緋翼の気配は急激に衰えていく。
……そもそも、ゲイルの“先行する治癒”の使い方が間違っていたんだろう。
それは、決してゴリ押しを続けるための力じゃない。吸血鬼の族長であるヴィクターさんでさえ。ニルドリルの刃を受ける際に、一瞬しか発動させていなかったのだ。
相手の意表を突く形で使うから、強い。相手の刃に対して自ら向かい、一瞬ですり抜けるからこそ連打できる。そういう技なんだ。
だから……そればかりを多用し、使用するタイミングを見抜かれてしまえば、対応もされる、と。俺には思いつかなかった方法ではあるが。
相手の体内に武器を止め、“先行する治癒”の解除まで待つ……など。
もしかすると、クラウディオは族長であるヴィクターさんより、それを破る術を学んでいたのかもしれない。だとすれば、これは吸血鬼殺しの秘儀。間違いなく、外部に漏らしてはならない対応策だろう。
やがて、ゲイルは諦めたのか。――いや、諦めた顔ではなかった。緋翼が完全に尽きるまで現状を維持する意味は無いと判断し、“先行する治癒”を取りやめた。
クラウディオの首に向けて、両手を伸ばしかけるが――クラウディオの動きの方が速い。
ゲイルの腹に埋まり……確かなダメージを与え始めた偃月刀。それを両手で握り、思い切り右へと引いた。
――ゲイルの胴の半分が千切れ、大量の血液が舞う。クラウディオの首を目指していた腕は力なく垂れ下がり、ゲイルの身体は右側から地面に頽れた。
「ゲイルぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ――ッ!!」
仲間が勝利した瞬間だというのに、俺の喉は敵の身を案じて叫びを上げていた。
身動きの取れない状態で、それでもなんとか地面を這って進もうとする。ドクドクと血を流して痙攣する、幼馴染の兄貴分へと。
しかし、まだ戦いは終わってはいなかった。
「――あなたたちを、恨みはしないわ。これはそういう戦いだもの」
ゆらり、と。
暗闇の中から現れた――ロウラは、左腕の調子が良くないのか、だらりと垂れ下がっている。
それでも右腕には長剣を握り、右腰には鞘に入った長剣がもう一本見える。
「――――ッ!!」
フーゴの双剣だ。ロウラはクラウディオにより負ったダメージの修復を待つと同時に、代わりの武器を拾い集めてきていたんだ。
ロウラが右腕を後ろに下げ、前傾姿勢を取る。
「全身を覆って護りを固めろッ!! ――クラウディオッ!!」
俺が警告すると同時に、未だ視界が戻らないままであろうクラウディオは、即座に偃月刀をその場に放ると、仕舞ったばかりの翼を再び放出する。
それたちまちクラウディオの全身に巻き付き、固まり、2メートルほどの球体を形作る。
――その向こう側まで、ロウラの身体が走り抜けた。そこまでの空間に死が通り抜けただろうことは想像に難くないが、黒翼の球体に包まれたクラウディオは……無事だと信じたい。
ミッドレーヴェルで何百メートルか落下した時、俺も似たような感じに護りを固めたことがある。そのまま落下した後、結局ベニーによる治療を必要とはしたものの、防御力は確かだったと思う。
普段とは違い、全ての力を防御に回しているのだ。きっと耐えきれたはずだ。
……だが、今の一撃は耐えられたとしても、このまま幾度も斬撃を受ければどうだ?
エリートであるという黒仮面のアニマのロウラが、動けない吸血鬼を料理できないとは……思えない。
それに、ゲイルだ。今も大量の血液を流し続けている、ゲイル。
早く処置をしないと死んでしまう。ああ、クソ。
クラウディオもヤバいし、ゲイルもヤバい。そんな状況だってのに、俺はいつまでも身動きが取れない状態で。
「誰かいねェのかッ!? 誰でもいい、助けてくれ――ッ!!」
そんな、身も蓋もない俺の叫びに、
「――誰でも、か。オレでもいいのか?」
背後より、答える声があった。俺の身体が僅かに持ち上げられ。
振り返るより先にバキッ、という音がして、俺は再び地面に突っ伏した。
「わぶっ」
「――ま、返事を聴く前にもう助けちまってる訳だが」
その言葉通り、俺の身体は自由になっていた。地面に手を突いて起き上がる。信じがたい状況ではあるが、後ろの人物が誰なのか、既に声だけで分かっていた。
目で確認したい気持ちはあるが、ロウラから目を離すのは愚かだろうと思い直す。
そのロウラもまた、クラウディオが篭る球体に斬りつけようとしていた手を止め、俺の背後の人物を見つめていた。その瞳には、僅かに驚きが含まれているように思う。
「……あなたも裏切るの?」
そうして、ロウラは目を細め、右手の長剣を持ち上げた。
「……んー、どうだろうなぁ。オレぁこう見えて気難しいからなぁ」
俺の背後で、その剣の本来の持ち主であるはずの男は、どうやら自らの胸を強く叩いてみせたらしい。
「……だけど、安心しろぉレン坊。今のオレは、おめぇの側だ!!」
二体一をほぼ切り抜けてみせたクラウディオ、相当な強キャラです。