第169話 心残りを消す為に
――地面に仰向けに倒れたフーゴを見る。
俺の望み通り、殺さずに無力化することができた。だが、こいつの右腕の状態はあまり良くないかもしれない。
敵として戦ったばかりだが、最低限治療してやるべきだろうか……?
フーゴの意識がどれほどで戻るのか定かでは無いが、こいつの緋翼は先ほど俺が奪ってしまったのだ。仮に目が覚めたとしても、自力で治療をすることは不可能だろう。
そうなると、この先こいつの右腕が再起不能になるかどうかを決めるのは、今この瞬間の俺の選択次第ということになる。
…………どうする…………?
――ええい、時間が惜しい。
迷うくらいなら、さっさと処置してしまおう。
倒れたフーゴの傍らに膝をついて、右腕に手を当てる。
――それこそお前は、目を覚ました時に自分の右腕が俺によって治療されていることに気づけば、気持ちよく戦えなくなりそうだもんな……。
これは、こいつをこれ以上ないくらい無力化する行為なんだよ。
そんなことを考え、フッと笑みが零れる。
……まぁ、万に一つくらいは「もう一度勝負だ! ただし、オレは絶対に右腕を使わねぇ!」とか言って来る可能性も一応あるが。なくていいぞ。
フーゴの右腕を緋翼で包み込み、漆黒の包帯を何重にも巻いたような姿を作る。だが、緋翼がフーゴの右腕を再生する気配はない。
――もしかして、俺の支配が続いているからダメなのか?
黒く、元の倍にも見える程膨れたシルエットとなった右腕から手を放し、数歩後ろに下がってみる。
そして、腕を振って、その場に残した緋翼とのリンクを切ることを意識すると、フーゴの右腕に纏わりついた緋翼が、シュルシュルと収束していく。
フーゴの右腕に、俺の緋翼が取り込まれていっているんだ。
よし、これでいいはずだ。
フーゴの右腕が再起不能になるという懸念も解消し、これで心残りなく仲間の元へ向かえる。
落ち着いて周囲を見れば、俺達がどの方向から来たのかは分かった。より明るい方が、森の出口だ。
遠くで、木が粉砕されたような音がした。仲間たちが戦っている音だ。大木を粉砕するような力を持っている仲間は少ない。
竜の姿となったナージアなら可能だろう。もしくは、ジェットやクラウディオでも可能だろうか。だが、どうしてもアニマが為したものだという直感がある。それだけの質量がある攻撃を繰り返され、仲間たちは無事だろうか。
今更ながら焦りが芽生え、走り出そうとした俺の足が、何かに取られる。
――いや、違う。
見えていた。寸前で察知し、右足をより上に持ち上げようとはした。
結果、右のブーツの爪先の底が僅かに削がれた。それだけのはずだったのだが、衝撃を殺しきれず、俺の身体は前のめりに回転する。
――何者かの、攻撃……ッ!!
瞬時に、驚くほど感覚が鋭敏になる。
顔面から地面に激突するより先に、両手で地に触れ、そっと押す。そのまま回転する力を後押しし、両の足で着地する。背中から2枚の翼を展開し、その両方を左に向けて振り払うことで、反時計回りに回転して、攻撃者へと向き直る。
その勢いのまま左手を振り払い、霞とした緋翼を広範囲に飛ばす。
それは攻撃としてのものじゃない。周囲に振りまいた緋翼が、少しでも攻撃者に触れたなら。
俺はそいつの居場所を知ることができる。敵を感知し、マーキングするための使い方だ。フーゴとの戦いで、アニマに対してはそれが目つぶしにはなり得ないことは学んでいた。
……思い付きの技だったが、この使い方は素晴らしいな。
まき散らした緋翼の一部が、消える。それはすなわち、敵対者に吸収されたということに他ならない。
思い切り跳躍し、世界が横向きになる。翼のおかげで滑空するような形になり、重力もあまり感じない。
驚くほど身体が軽い。木を踏みつけ、また別の木へと飛び移る。それを繰り返し、敵対者へと肉薄する。
これだけ近づけば、気配を追える。居場所は分かるが、どうにも視認しづらい相手だ。
額に白い布を巻いて隠密性を捨てていたフーゴとは違い、この相手は闇に紛れる気しかないらしい。黒の衣服に、黒い髪。肌の色も認識できないということは……。
敵対者の懐に飛び込むように、身体ごとぶつかりながら、レンディアナの刃を押し付ける。
俺の速度に反応し切れなかったのか、敵対者は回避を選択する余裕が無かったのか。とても最善とは言えない、レンディアナを自らの武器で受け止めることを選んだ。俺が選ばせていた。いいぞ。
俺の攻撃は敵対者の身体を弾き飛ばした。
仰け反った敵対者が木々の間から僅かに零れる月明かりを受け、照らされる。
――やはり、黒仮面のアニマだ。
思い出すのは、ゲイルの言葉。
――黒仮面のアニマは、里の外の世界を生き抜いてきた、エリート……。
ここで、こいつに自由を与えちゃいけない。
こいつだって俺に不意打ちを喰らわせようとしてきたんだ。反撃される覚悟はできていたはずだろう。
「――ッうらァァアアッ!!」
――後ろにはじき出された敵対者に向けて更に飛び掛かり、両手で握ったレンディアナを思い切り振り下ろす!
もう、それを止めることができなくなった段階で、俺の目は敵対者の行動をしっかりと見た。
その不可思議な動きの始動を見た瞬間、「防がれる」と感じた。
仰け反り、後ろ向きに倒れ掛かっている状態から、敵対者は両腕をふわりと持ち上げた。そのゆったりとした衣服……ローブと言ってもいいか。の袖の中から、ジャラジャラと――鎖のようなものが飛び出した。
鎖のようなものというか、鎖そのものだ。蛇のようにのたうつそれは、片方の腕ごとに2つ。つまり、2対だ。
鎖にしか見えないにも関わらず、それは音を立てずにレンディアナに巻き付いた。
――なんで音がしないんだ?
緋翼を纏わせているから? なら、なぜ緋翼を纏ったレンディアナとかち合い、それに取り込まれずにいられる? 俺と同じだけの優先度を持った緋翼? なんで、そんなヤツがここに……いや、まさか。
世界の上下が反転する。レンディアナを支点に、空中に投げ出され俺の腹に、顔に、肩に、足に。次々と敵対者の鎖による殴打を受け、俺の身体は悶絶するように崩れ落ちる。
投げ出され、打撃を受けるまでにラグがあったことが幸いした。全身の痛覚を鈍化させるよう意識しつつ、すぐさま再生に努める。
急いで地面に手を突き、勢いのままに立ち上がれば。敵対者もまた、俺の攻撃による衝撃により、尻もちをついていた。
半分、尻から雪に埋もれているような状態だ。雪の上を高速で滑りながら止まろうとしたものの、摩擦によって滑りやすくなった結果、体勢を保てなかったのだろう。
何にせよ、立て続けに攻撃を貰うことが無かったのはラッキーだった。積雪バンザイだ。
こうして、一瞬とはいえ戦いが膠着してみると、敵対者の気配には覚えがあることに気づく。
「……あの時の。剣氷坑道の上で会ったアニマ……だよな?」
ニルドリルとの決戦の日だ。あの時に一番最後まであの場所に残り、フェリス・アウルム姫を介抱していた女……その気配に、よく似ている。
ほぼ間違いない、とは思うのだが、しかし。……あの時よりも、ずっと緋翼の力が強い。あの時は戦ったワケじゃないが。鎖による攻撃もまた、初見だ。
だが、あの日には。……ここまで強大な気配は感じなかった。
そこから推察されることは、何だ。
「今回の戦いに備えて、ルノードから強力な緋翼を貰ってきた……ってことか……?」
そう考えるのが妥当だろう。だとすれば、俺でも吸収できない事も頷ける。だが、その強力な緋翼はいつまで持続するものなのだろう?
半永久的に強化され続ける? いや、それさすがにあり得ないだろう。そんなに上手い話はないはずだ。なら、緋翼を使い続ければ、段々と衰え、元の力へと戻っていくのではないか。
ちなみに、敵対者を睨みつつ、これまで疑問形でボソボソ呟いていた俺だが、別に相手からの返答を期待しているワケじゃない。
自分の考えを整理するために呟いているだけだ。尤も、相手もアニマなのだし、俺の呟きは耳に入っているのだろうが。
風によって木々の葉が揺れ、擦れ合い音が生じる。
「――私の名は、ロウラ。アニマの黒騎士が一人。参る」
それは、ともすれば、環境音に飲み込まれそうな音量の呟きでしかなかった。
だが、敵対者もまた……それを俺に聴かせる心積もりだったのだろう。
――は?
そして俺は、敵対者の思惑通り。その言葉を咀嚼すると同時に、衝撃を受けていた。
だからこそ、伸びてきた鎖に対する反応が遅れた。いや、全く反応できちゃいなかった。左腕を絡めとられ、引き寄せられ、身体ごと回転しかけたところに――左側頭部に打撃をもらッ……。
…………考えが纏まらない頭のまま、俺は頭から地面に突っ伏した。
いや。突っ伏していた、らしい。
今は、いつだ?
倒れてから、どれほど経った?
一瞬か、それとも数分か。
そうして、思考は再びそこに至る。
……ロウラ、だと?
――それは、俺の姉の名前じゃないのか。
第142話ぶりのロウラです。名前は初出ですが。