第164話 緑の約束
レンドウとジェットの回です。
決戦の地、アニマの里に向けて出発するまで、残り二日の予定となっていた。
そんな中、俺はベルナティエル城下町の外縁部に程近い、とある小貴族の館に招かれていた。
薄橙の外壁をした、それなりの大きさの屋敷だ。
……招かれていたという言い方には、少々以上に語弊があるだろうか。
今も俺の隣で、俺の動向を監視するように佇んでいる魔人の少年……ジェットが、半ば無理やり約束を取り付けてきたんだ。
発端は、毎日欠かさず前魔王ルヴェリスの墓へと赴くジェットに、俺が嫌味を言ってしまったことだった。
「毎日毎日墓を磨きに行くより、優先するべきことが他にあるんじゃねェのか?」
いや、正直な気持ちとしては、嫌味のつもりは無かったんだが……だが、今にしてみれば俺が悪かったと思う。
ジェットのことを嫌う余り、ついついちょっかいを掛けたくなってしまったんだろう。極力関わり合いにならなければいいだけだったのに。
こいつにとって、前魔王の墓に挨拶し、手入れをするという行為は……間違いなく、大切なものだったんだ。
ルヴェリスの死後、ジェットの幼馴染であるシュピーネルが塞ぎ込み、自室に篭ってしまっていることもまた、彼に焦りのような感情を抱かせているはずだ。
このままではいけない。現状をどうにかしたい。こいつは人殺しだが、そんな悩みを抱える一人の少年であることも……また事実なんだ。
そんなことにも気づけなかった馬鹿な俺は、まぁ殴られても文句は言えないだろう。言ったけど。文句も言ったし、殴り返しもしたけど。
最終的には仲間たちに仲裁してもらうことで事なきを得た。
だけど、ジェットにとってはそれでは収まりがつかなかったらしい。
俺と仲間たちの前で、彼は言った。
「気付いてんだよ。オマエが、オレがオマエの仲間を殺したことをずっと根に持ってることなんかな。気づいてるに決まってんだろ。オレに何をして欲しいんだよ。あれは戦闘行為だったんだぞ。オマエの仲間を殺したのがオレって理由だけで、まるでオマエはヴァリアー襲撃の全責任がオレにあるみたいなカオをしやがるよな? それが前からずっと、気にくわなかったんだよ……!」
図星だった。ヴァリアー襲撃の際、人間を傷つけ、殺したのはジェットだけじゃない。
それなのに、俺は目の前で殺されたイオナと、彼女を殺したジェットのことだけを恨んでいた。
あの事件の惨状と辛さを思い出し、怒りを向ける先はいつもジェットだった。
「どうせ今も、オレの態度が加害者側のソレじゃねェって考えてんだろ? ……ならよ、忘れた訳じゃねェだろうな。オマエだってオレの仲間を殺してンだよ。ラルフのことを」
だから、その言葉に俺は完膚なきまでに叩きのめされ、貫かれていた。
返す言葉も無かったからだ。
忘れては……いない。忘れられるはずがない。
――夜ごとに夢に見る程だ。
俺が殺したヒトのことを。たとえ、それを見ることに耐えられず、鎧の下の顔を知らないまま逃げ続けたとしても。
俺がヒトを殺した事実は、消えることがない。
「オレが殺したヤツの身内が目の前にいるなら、オレだってもう少し気を遣ったろうさ! ……だから、まずはオマエが見せてみやがれ。明日にでもラルフの両親に会わせてやるからよ」
その後は、売り言葉に買い言葉だった。
仲間たちの手前、カッコつけたかったのもあると思うが、トントン拍子に話は進み、翌日の午後(つまり今だ)、俺はノルドクヴィスト家を訪ねることになっていた。ジェットと二人だけで、だ。
レイスやカーリーは俺のことを大変心配し、同行を申し出てくれたが、やはりカッコつけたがった俺は「俺とジェットの問題だから」と断った。
それに関しては、今も後悔していない。
だけど、そもそもこの状況に陥ったこと自体は、心底後悔している。
――なんであんな嫌味を言っちまったんだろう。そりゃ反撃もされるよ。ボコボコにしたくなっても仕方ないよ。俺ってほんとバカ。
腹が痛い。なんだよ、自分が殺した相手の親に会いに行くって。
首でも差し出すのか? いや、恐らくそこまではならないだろうと高を括っているところはあるが。
……そんな自分の内情すらも、卑しく思えてならない。
俺って、ヒトを殺しておいて、なんの反省もできていない屑野郎だったのか……?
門の前で黙って突っ立っている俺に業を煮やしたのか、ジェットはため息をついて、呼び鈴を鳴らしたようだ。
黒い格子で造られた門の前に下げられた鐘。そこから垂れている紐を掴んで振れば、鐘が音を立てるだろうと思ったが……存外に音は小さかった。
恐らくだが、この場で鳴っている音とは別に、屋敷の中でもなにか報せが鳴っているのだろう。
門の奥に見える玄関の扉が開き、メイド服を着た女性が……つまり、メイドだよな。メイドが出てきた。
「あなたが……」
――のだが、そのメイドがこちらに到着するより先に、俺の背後から声が掛けられた。
正面に立つメイドの目が大きく見開かれていた。俺はそれらを受けて振り返……った瞬間、首を掴まれていた。
「がッ」
「――あなたがぼっちゃんを殺したんですねぇ?」
黒い服を着た女だ。身長は俺より頭一つ以上低いが、力は強い。それが本来の筋力によるものか、怒りによってブーストが掛かっているのかは分からないが……恐らく、両方だ。
痛みに思考が緩慢になりかけて……すぐに、研ぎ澄まされる。
――俺のことを……恨んでいる人だ。俺を殺すつもりなのか?
「――死んで詫びろぉっ!!」
そこまではさすがに……いや、しそうな雰囲気だ。だが、止めていいものか。俺の反省の意を示す為には、抵抗せずに一撃を受けておくべきか……その一撃で、で死ぬとしてもか?
俺にはやるべきことがある。ルノードとの決戦も迫っている。
俺自身が奴を止めることが叶わなくても、仲間たちと協力して倒し、俺はアニマの指導者の座を簒奪する。
それを叶えるまで……叶えた後だって、死ぬわけにはいかないんだ。
償えるなら償いたい。だけど、それは俺の命を払うこと以外で、だ。……それがどれだけ傲慢な願いなのかは、俺自身よく解っているけど。
そんなことを考え、俺の首を掴む女の左手を右手で掴もうと……する寸前に、ジェットが右手を振り回すことで女を追い払ってくれた。
「やめろ、イェシカ!」
「やめなさい!!」
慌てた様子で門を開いたメイドもまた、声を荒げて女を叱咤していた。
……ジェットが俺を助けてくれるのは意外な気もするが、ありがたい。
きっと、俺が自分で振り払うよりも、他人に仲裁してもらった方が良い結果を生むはずだ。
屋敷の中から数人のメイドや執事が飛び出してきて、俺に襲い掛かろうとした女――イェシカというらしい――を連行していった。
後に残されたのは俺とジェットと、最初に門から現れたメイドの3人。
居心地の悪い思いをしながらメイドを見れば、彼女もまた沈痛な面持ちを浮かべていた。
「レンドウ様でございますね。わたくしは、ここのメイド長を務めさせていただいております、ドリスと申します」
色素の薄い赤髪のメイド長は、俺より一回り年上だろうか。彼女もまた、俺を前にして複雑な心境のようだ。
いや、なにが複雑だよ。普通にぶん殴りたいくらい嫌いで当然だろう。彼女らの身内を殺した男なんだから。
「はじめまして……」
「旦那様がお待ちです。こちらへ」
そうして、俺とジェットは屋敷の中へと招き入れられた。
いたたまれなくなって、視線を前を歩くメイド長に固定できず、あっちこっちへと彷徨わせてしまう。
華やかさは左程ではなくとも、武家としての力を感じさせる調度品やインテリア、そして傍らを歩くジェット。
その表情に、違和感を覚えた。
俺はてっきり、ジェットは俺が怯えたり、傷つくことを喜ぶと思っていたんだ。
それなのに、ここに来てからのジェットは普段の凶暴性を潜め、静かに振舞っている。その上、俺を助けるような行為までしている。
一体どういう風の吹き回しなんだ。そう思っているうちに、メイド長が一つの扉の前で立ち止まった。
「――旦那様。レンドウさんをお連れ致しました」
「入っていただいてくれ」
扉の向こうから、低く落ち着いた声が響いた。
それは一切の激情を感じさせるものではなく、しかしそれにすら怯えを抱いてしまう自分を、俺は深く恥じた。
――そうして、俺は俺が殺めてしまった人物の親に面会した。
深々と頭を下げたメイド長に見送られ、門を潜る。
「――これで、オマエの番は終わった」
ジェットの言葉を背中に受けながら、俺は地面に膝をつき、力なく地に拳を打ち付けた。
ひどくやるせない気分だ。自罰的になりたくなるが、それすらも封じられてしまった後だった。
最早大義を果たすことでしか、ラルフ・ノルドクヴィストの両親に対する償いには決してならない。
それに、人通りが少ないとはいえ、ここは往来だ。
大声で泣き叫ぶことも、力任せに何かに当たることも、ノルドクヴィスト家に対しての迷惑にしかなり得ない。
立ち上がって、早々にこの場を離れるべきだ。……早々に、に関しては到底為せそうも無いが。
とぼとぼと、力なく宿に向けて歩みを進めた俺に対し、
「その調子じゃ通報されちまうよ。すぐそこにもう一個公園があんだ。そこでちっと休憩していこうぜ」
ジェットはそう声を掛けたのだった。
果たして貴族外に公園などというものが必要なのかどうか、俺には計りかねる。
実際、日も高い午後であっても、人っ子一人見当たらない。というより、そもそもこの貴族街がルナ・グラシリウス城ごとこの島に渡ってくる際、公園を利用するような小さな子供は、全て本土に置いてきたのだろう。
すなわち、この公園は俺とジェットの貸し切りということだった。
滑り台の最上部で片膝立ちになって遠くを見つめているジェットを横目に、俺はナイドを模したものであるらしい、スプリング上の台座に支えられた遊具に横向きに座り込んだ。
これに跨って前後に揺れる気分じゃない。……というか、この手の遊具の用途通りに遊ぶ日は、この年齢じゃ二度と無いだろう。
頭の中では、ノルドクヴィスト家で掛けられた言葉たちがぐるぐると回っていた。
『息子の命が失われたことは勿論悲しい。だが、それは必ずしも君を憎む理由にはならないよ』
『それは戦闘行為だったのだから、仕方がない』
『状況によっては、私の息子が君を殺めていたかもしれない』
『そうなっていたとしたら、今頃罪の意識に苦しんでいたのは息子の方だっただろう』
『君には、どうか健全な精神を保ったまま、この世界の平和のために尽力してほしい』
屋敷でラルフ・ノルドクヴィストの父ベリル、そして母マーユから掛けられた言葉は、ひたすらに優しかった。
……否、それは優しいなどという言葉で容易く片付けていいものではなかった。
人間が出来過ぎている、と思った。
どうして俺に気を遣える? あんたらの息子を殺した男なんだぞ?
――あんたら、あんまり息子のことを愛していなかったのか?
そんな疑問が通り過ぎていく。そんなはずがないだろう。俺がバカな問いかけを発していれば、果たしてあの両親は激昂し、俺を殴り飛ばしただろうか?
まぁ、そうはならなかった。俺は何も言えず、ただ相槌を打つだけの、腰抜けだったから。
ノルドクヴィスト家は武家だ。きっとあの父親も、かつて多数の人間を殺めた経験があるのだろう。
命を奪った経験を持つ者だからこそ、同じ経験をした俺に甘かったのか?
何人も人を殺していけば、俺もいつかは殺した相手の一人一人の存在などいちいち思い出しもできなくなるのだろうか。
……きっと、それだけが理由じゃない。
――魔王ルヴェリスだ。いや、彼本人かは分からないが……彼の手の者が、事前にノルドクヴィスト家に使いを送っていたんだ。
いつか君の息子を殺した人物である、レンドウという少年がそちらに見えることがあるかもしれない。その際は、どうかお手柔らかに……と。
そう考えた方が辻褄が合う。
だとすれば、俺は何処までいっても負んぶに抱っこだ。前魔王をはじめとした、大人達に。
ここから抜け出さないと。立ち上がらないといけない。
……むしろ、そのための力を、今日は受け取ったのかもしれない。
自分で立ち上がるための力を。きっと俺は、ノルドクヴィスト家に罰を受けに行ったつもりだったんだ。
だが、望んだ罰を受けることは叶わなかった。
肉体的にも精神的にも、彼らは俺に苦痛を与えることをしなかった。
となれば、自罰的になるのも違うのだろう。自分で自分に与える罰など、たかが知れているからだ。
どうせ、自身が耐えられるだけの傷のみを自らに刻み、そこで満足してしまうからだ。
それだけが、ノルドクヴィスト家が俺に許さなかったことなのだとすれば。
……全力を以て、ルノードを倒そう。それを妨害しようとする、アニマ達を打ち払おう。
世界の危機を救うんだ。そしてその後、ベルナティエル魔国連合の人々が人間界の侵攻に怯えずに済む国造りができるよう、手を貸そう。
俺の一生を賭けて。
「オレがこんなことを言っても、オマエはまた冗談だと思うのかもしれねェが。……今日、オマエの誠意を、オレはちゃんと見届けたぞ」
ジェットの声に、顔を上げる。
「こんな言い方も変かもしれねェけどな。……ある意味、オマエのことを信用してやる。信用に足るヤツだって、今からはそう思える。オマエとは仲間でも、ましてやダチでもねェ。だけど……、」
そう言葉を綴るジェットの顔は、俺より年下とは思えないほど思慮深く、大人びて見えた。
言葉遣いや喋り方はこうも壊滅的だというのに、よくもまぁそんな雰囲気を出せたもんだな。
「利害は一致してる。ベルナタの為に戦い続けるってんなら、もう二度と敵対することは無いはずだ」
「……お前、今の方がまともだぞ。シュピーネルのナイトを気取ってる時よりな」
「――うっせえ!」
本心だった。こいつにはちゃんと芯があって、それを貫けたなら、ベルナタにとって立派な騎士に成れるだろう。
幼馴染の身を第一に考え、それを護るために他の全てを蔑ろにしがちな限りは、聖レムリア十字騎士団では評価されないままだろうが……。
だが、それは前魔王ルヴェリスの教えに従った結果らしいからな。
ヴァリアー襲撃の後に一人帰還したジェットを、ルヴェリスは叱りつけたらしい。
何者かの策略に踊らされ、ヴァリアーを襲撃してしまったことを、ではなく。
幼馴染の安全より、人間界にダメージを与えることを優先してしまったことを、だ。
人情派の魔王に影響を受け、せっかく一段階いい方向へと前進したはずなのだ。それを止めることはできない。魔王ルヴェリスに従うこともまた、こいつの人生の絶対だったのだろうから。
個よりも全を優先する騎士団という組織もまた、立派なものだろう。だが、その組織の中でひたすら出世を目指すことだけが、人生じゃないよな。
全よりも個を……自分の手の届く範囲にいる大切な人を、より優先して何が悪い。それを失ってしまえば、明日を戦えなくなってしまうじゃないか。
俺にも大切な仲間たちがいる。今この街にもいるし、ヴァリアーにも、アニマの里にもいる。
だから分かる。それら大切なものを護るためにこそ、全ての力を出し切れるのだと。
……同時に、誰かにとってそれだけ大切な存在を奪ってしまった自分の罪も自覚する。
だけど、動けなくなるほどじゃない。ヒトとは忘れていく生き物だからだ。
ラルフというヒトを殺した記憶は、きっと少しずつ薄れていくのだろう。
それでも構わない……と言い切ってしまうと、本当に自分がドクズのように思えるが……だがしかし、構わない。
屑でもいい。後ろ指を指されてもいい。彼を殺した感触すら、いつか忘れてしまうのかもしれない。
それでも、彼への償いの為に、魔国領のために戦うことを忘れてしまわなければ、それでいいんだ。
悔しさやら情けなさやら、それらを圧し潰すように力強く、決意と共に両の拳を握りしめる。だが、皮膚を破って血が流れる程ではない。そこまではいけない。それではただ衝動的に自分を傷つけているだけのガキのままだ。
俺は……戦士になるんだ。戦士にならなければ、アニマ達にはきっと勝てない。
「いつか、オレが殺した女……イオナ、だったな」
「……あァ」
「その女の身内に会ったら、何一つ隠し立てしないと誓う。オレもオマエと同じように頭を下げる。そして……オレが許せる範囲でになるが、向こうさんの願いを聞いてやる」
「…………信じとくぜ」
考え無しのバカだなんて、とんでもない。
この日、俺ははじめてきちんとジェットという少年の顔を真正面から見た。
こいつは思慮深く、しかしそれを即座にかなぐり捨てられるほどの同族愛を備えた、本物の戦士だ。
俺のように自らの罪に怯え、動けなくなることなどない。
俺はただ、その強さに嫉妬していただけだったんだ。
本当にくだらない、考えることも馬鹿らしいことではあるのだが。
もし俺が違う場所に生まれていて、こいつの幼馴染として育ったなら――。
こいつと笑い合い、背中を預け合うような関係になることも、あり得たのかもしれない。
苦笑し、脳裏に浮かびかけたそんなイメージをかぶりを振って霧散させてから、俺は仲間たちの待つ宿へ向けて歩き始めた。
お読みいただきありがとうございます。
もうすぐ最終決戦となるので、いつか書く必要があると思っていた回をここに挟むことにしました。
「第66話 赤の約束」と同じくらい頑張って書いた回です。そもそもカッコいいバトルシーンが書きたくて小説を書き始めたクチなので、この手のヒューマンドラマの回を上手く描ける自信がなくて、ヒィヒィ言いながら書き進めることになるんですよね。
ラルフ・ノルドクヴィストは全身に鎧を身に着けていたため外見設定すらないようなモブキャラクターではありましたが、唯一レンドウが明確に殺めてしまった人物であり、話題にせずに生きていくことはできない存在です。
他にもミッドレーヴェルの地下街における、ザツギシュを製造している組織の戦闘員など、レンドウが間接的に死を招いた相手は存在しますが……やはり、ラルフの殺害はそれとは一線を画しているように思います。
今回のノルドクヴィスト家訪問を受け、レンドウとジェットの間にある種の信頼関係のようなものが築かれた、と認識していただければと思います。決して、仲良しになった訳ではないんですけどね。