第159話 銀世界
長めの日常回です。
一面に広がる銀世界を見ていると、ふと、無駄に炎を起こしてみたくなることがある。
自分の緋翼が発生させた熱によって周囲の雪が解けていくさまを見ていると……自分がこの世界に生きていて、周囲に影響を与えることができるのだという、至極当たり前のことを再認識できる気がするからだ。多分だが。
石造りの階段を降りきり、膝まで浸食してこようかという積雪をかき分けるように数歩前進してみる。
普段よりずっと強い抵抗を感じ、やはり雪はどちらかといえば害だよなぁ……と思う。
雪を遊び道具としてはしゃぎ回る子供の姿は、里にいた頃はよく目にしていたが。あの底なしの体力はどこから来ているんだろうな。
いや、雪をクッションとして思い切り飛び込んだり、丸めて投げ合う行為だったりが全く楽しくないとは、俺も言わないけどさ。
シャパソ島は、イェス大陸に比べて降雪量が多い。それが地理的な理由なのか、アイルバトスさんをはじめとした氷竜が棲み付いている故のものなのかは不明だが。
天気こそいいが、2月の早朝は酷く寒い。寒さに強いはずの俺ですら寒いと感じるのだから、周囲にまだ誰もいないのは、当たり前と言っていいのかもしれない。
城下町で生活するようになってから最初に雪が降った際は、散々靴の中へ雪の侵入を許し、悪態を吐いたものだけど。
今日は背の高いブーツに、それを覆うようにして耐水性に優れた長ズボンを履いている。
どっからでもかかってきやがれ雪って感じだ。嘘だ、上からには対応できない。
上はいつも通り首元まで覆う黒いアンダーウェアの上に、≪聖レムリア十字騎士団≫仕様の赤いジャケットを着ている。本来はロングコートと言っていい程の丈をしたそれは、腰の部分からチャックによって分離できるようになっている。
高く降り積もった雪によっていたずらに濡らすこともないだろうと、下半分は自室に置いてきた形だ。
まぁ、その分寒さは加速するが……そこは気合で耐えよう。どうせ、すぐに日が昇ってあったかくなるだろうし。
城下町の出口から石階段を降り、そこから剣氷坑道まで延々と続く広大な雪原。
それを平原に逆戻りさせる……というのはフカシ過ぎか。真っすぐ、人やナイドが問題なく通行できるよう、ある程度の幅の道を作り上げることが今の俺の任務だ。
――今日は、何も問題が無ければレイスとリバイアが戻ってくるはずの日なんだ。もしかすると、他に何人かもおまけで。勿論、それは全てが予定通りに進んでいた場合の話だが。
劫火と共にアルが離脱したあの日から、色々なことがあった。ヴァリアー一行をまとめ上げるはずだったランス、アルが次々といなくなったせいで、レイスが暫定的にリーダーを務めることになったんだ。
それから、あいつにくっ付いて離れようとしないリバイアと共に、あいつは“ヴァリアーと魔王軍の橋渡し役”として頑張っている……という訳だ。
間違いなく難しい立場だろうし、定期的にあっちとこっちを行ったり来たりする肉体的負担も相当だろう。少しでもその負担を減らす為に、道の整備くらいはしてやりたい。
丁度、昨日までに漁の手伝いや、薪の確保は終わらせておいた訳だしな。
完全フリーとなった今日を使って、友人の為に身を粉にして働こうというワケだ。
住人たちの助け合いで回っているのがこのベルナティエル城下町だ、もう少し日が昇る頃になれば、気を利かせた住人たちが除雪作業を開始しかねない。
別にそれ自体は何も悪いことじゃないんだが、俺が朝早くから一番乗りでここを訪れたのは、出来るだけ人目につかない状態で試したいことがあったからだ。
とは言ってもどの時間でも門番はいる訳で、階段の遥か上に座して「レンドウくん、こんな朝早くから何してんだろうなー」「修行じゃね?」などと会話している声が微かに耳に入らなくもない。気が散るからやめて欲しい。
……俺は、俺の修行の成果を確かめたかったんだ。あわよくば、ついでに雪をやっつけられたらいいなとも思うし。
――目を閉じて、深呼吸。
周囲の音を意識から外し、己の肩甲骨の辺りに意識を集中させる。
それだけで、俺は緋翼を発現させることができるようになっていた。
目を開ける。背中から前へと両翼を持ってくると、以前よりずっと大きく、しっかりと実体を感じるそれが腕に触れた。
カラスを思わせる、一つ一つの羽が折り重なって作られたような、漆黒の翼。そのうちの一本を右手でぷちっと引き抜いてみる。
引き抜いて尚、固形化を維持することもできる。親指と人差し指で挟んだそれを擦るようにしながら、宙へと放ってみる。同時に「燃えろ」と念じれば、それは赤い炎となって、すぐに消えた。
もう一本を引き抜いて、今度は宙に放った後、固形化を解除する。黒い羽が揺らめいて形を失い、霞のようになった後、空気に溶ける様に消えていく。
……だが、ゆっくりと自分の中にそれが戻ってくるのを感じる。
――この使い分けが重要なんだ。
この世界にとって重要な存在となるらしい、“翼の力”。魔王ルヴェリスはそれを≪創造する力≫と呼んでいた。
それの行きつく先が生命の創造なのであれば、確かに世界を揺るがす程の力だと思う。俺にそんなことが出来るようになるとは、とても思えないが。
これを扱えるどの種族も、その色に関係なく自分が望んだ形を造り、物理的な攻撃手段として振るったり、建造物のように扱うことができる。
その場合、解除された翼の力は所有者の元へと還ろうとする。
注釈として、還ろうとした力が別の“翼の力”を持つ者に横取りされる可能性はあるが。例えば、明確に格上である劫火の前では、俺はこの力を使うべきではないだろう。
次に、自分の種族のみが持つ属性へと、翼を変貌させる使い方もある。
俺の……アニマの持つ翼、緋翼の場合は炎にあたるものだ。ナージアの場合は、氷だな。
体内で生成された緋翼を燃焼させ、明確に消費する必要こそあるものの、強力な炎を巻き起こすことが出来る。
里の中でも特段緋翼の扱いが上手かった俺だけど、それでもヴァギリに感覚を教わるまでは炎の力を使うことはできていなかった。
アニマが持つ緋翼は全て、生まれた後に劫火によって与えられたものだという話だ。もしかすると劫火はアニマがこの力に頼り過ぎないよう、与える量を調節していたのかもしれない。
だが、俺は体内で生成できる緋翼の量が他のアニマに比べて多く、それが「緋翼への適正が高い」ということなのだという。
……きっとこの炎の力を極めた先に、劫火が見せたあの“青い炎”があるんだと思う。
――あれを自分のものとしたい。その想いから、俺は緋翼の扱い方についての研究を重ねてきた。
当然、劫火やアニマと戦う際には、炎が使えたところで大したダメージは与えられないだろうとは思うが。
だけど、もしかすれば。緋翼への理解度を深め、それを自由自在に操れるようになっていれば、俺は相手の炎を……熱を奪えるようになれるのかもしれない。
劫火が見せた……俺達全員に膝をつかせた、あの冗談のような力を模倣することも。
もしくは、黒仮面のアニマたちをはじめとした、上位のアニマの緋翼を奪うことも可能になるかもしれない。
これから先、同族を殺さずに無力化するためには、間違いなくそれが重要になる、と。そう思ったんだ。
だからこそ、体術や剣術を習うことを推奨された一方で、魔王の存命中は翼の扱い方について、積極的に彼に師事していた。
その成果がこれだ。中々いい方だと思う。
最早手を握る必要も、力を入れる必要もない。叫ぶことも必須では無くなった。
背中の緋翼を体内に戻し、右手に緋翼を大きく纏わせる。ベアクロウ状態だ。
そのまま右手を突き出し、左手で肘を支えて……前方へと緋翼を薄く、長く伸ばしていく。腕を覆う緋翼が薄皮一枚ほど、まるで俺の腕を黒い長手袋が覆っているような形になった頃、緋翼は20メートルほど前方まで伸びていただろうか。
――それを、思い切り燃焼させる。
一息に端から端までが燃え盛るのではなく、俺の手元を起点に、炎が走っていく。それが燃え尽きてしまわないように、新たな緋翼を供給し続けるイメージだ。
だが、炎が終端まで達した後、目に見えて緋翼の線は短くなっていく。新しい緋翼の供給が、最奥までカバーし切れていないのだ。
前方5メートルほどまで後退したところで、炎の減退は止まった。どうやらこれっぽっちが、今の俺の出力で無理なく維持できるラインらしい。
気合いを入れれば一瞬だけ炎を強く吹かすことは可能だろうが、それでは力尽きたようにぱったりと緋翼が途切れてしまうだろう。
この調子なら、数十分でも炎を出し続けられそうな気がする。一度の食事で緋翼を最大まで回復できることを考えれば、これは中々のエネルギー革命かもしれない。
長い冬も、一家に一人アニマがいれば解決だな! という冗談は置いておくとしてだ。
寒さに震える人々の元を巡り、温めてやる仕事くらいは真面目にできそうな気がするな。
いや、まぁ……普通の人間や魔人と同じような食生活をした場合は緋翼の回復までにラグが生じる為、新鮮な血液を提供してくれる存在がその場にいないことには、難しい事業かもしれないけど。
普通の人は、他人に血を吸われる(正しくは交換だが)のは嫌がるもんだ。どこぞの変態バニーじゃあるまいし。
炎を維持したまま、時折左右に腕を振りつつ前進する。20分程それを続けていると、目標の一割くらいは除雪が進んだだろうか。
さすがに俺一人で除雪を終わらせるつもりは無かったし、一度石階段まで戻って休憩することにする。
すると、そこには先客がいた。石階段の2段目にちょこんと座った白ウサギは、髪だけでなく服装までもが保護色になっていたせいで、遠くからでは気づきにくくなっていたんだ。
高めの身長に、切れ長の目。長い白髪に隠れた両耳の他に、頭の上部、髪の毛を割るように大きな耳が生えているのが特徴の少女。かつての戦いで、残念ながら左耳を根元から失ってしまっている。それは、俺を護るために戦って負った傷だ。
だけど、俺はもうそれを見て落ち込んだりしない。それを取り返して余りあるくらい、俺の手で幸せにしてやればいい。それくらいの心意気で生きようと思っている。
「おはよう、カーリー」
「……おはよ。朝ごはん、作って来たよ」
そう言いながら、蓋つきのバスケットを掲げた彼女。新妻かな?
もこもことしたコートと手袋を着用した白い少女は、とても戦いを得意としているようには見えない。
だが、有事の際はすぐさまそれらを脱ぎ捨て、しなやかな脚から繰り出される強烈な蹴りが、相手の骨を容赦なく砕いてしまうことを俺は知っている。
去年の夏、初めて剣氷坑道に立ち寄った際、魔人としての血の力よって冬仕様の外見に切り替わってからというもの、不思議と元に戻ることが無かったのだという。冬はまだ遠かったにも関わらず、だ。
あまり短いスパンで何度も毛の色が白に変わったり、黒に戻ったりすることは不可能なのかもしれないな。
バスケットの中身は、肉類と野菜類が明確に分かれたサンドイッチ数種だった。
「お、うまそう」
ポロっと零した声は、本心からものだ。
以前の俺であれば、人間と同じような食生活を送ることに忌避感を覚えていただろう。そういった食事を摂ることによって、排泄の回数が増えることにも慣れなかったし。
だが、周囲の魔人や人間が美味しそうにものを食べ、和気あいあいと談笑している所に、次第に俺も混じりたいと思うようになっていった。
そうして、味の薄いものから少しずつ慣らしていった結果、今に至る。
まぁレイスには「薄味の食事で満足できるなら、その状態をキープした方がいいと思うよ」と言われているし、皆と同じ空間で食事をする際にも、俺用の食事は特別製であることが多い。
多くの場合は――このサンドイッチもそうだ――他人からすればひどく味が薄いと感じられるものらしい。
俺からすれば、皆が食ってるメシの方が、急に口に突っ込まれると吐いてしまうレベルで刺激が強いんだけどな。
「うん、美味いよ」
「よかった」
そんなこんながあって、カーリーが俺の為に作ってくれたサンドイッチは、問題なくウマいウマいと言いながら平らげることができた。
それを嬉しそうに隣から眺めてくる彼女の視線をくすぐったく感じつつ、最後の野菜サンドに手を伸ばそうとしていると、
「――俺も腹減ってるんだけど、それ貰っちゃダメか?」
という声が頭上から降ってきた。
「ダクトか?」
と振り返りながら問いかけるが、金髪の少年は既に階段にはいなかった。どれほどの高さから飛び降りたのかは分からないが、首を戻せば、積雪の中にダクトの両足がずぼっと飲み込まれたところだった。
……いや、そりゃ多少は雪が衝撃を緩和してくれるかもしれないけどさ。それでも普通、かなり痛いと思うんだけどな。
全身の傷が癒えてから、本代ダクトは再び見てるこっちが不安になるような、自分の身体を大切にしていないようにすら見える立ち振る舞いを見せるようになっていた。
まぁ、それができるから人類最高峰の男なのかもしれないが……。
「ダクトだけど」
「……いや、せっかくカーリーが作ってくれた、この俺の為に味付けされた料理なんだ。それを最も美味いと感じられる俺が全て食べるべきなんじゃないかと思うんだけど?」
お前にとっては薄味すぎるだろ、というツッコミだ。
まぁ、どうせコイツのことだ、「腹に入れば何でも同じだろ」みたいな戦闘民族感溢れる返答が来そうだな……などと考えていると、
「ううん、一応レンドウにとっても味が薄かった時とか……レンドウがお腹いっぱいになった時に他の人が食べることも考えて、塩のビンも入ってるよ」
意外にも、残りのサンドイッチをダクトが食べることを奨励したのはカーリーだった。むしろ俺が食べ過ぎることを心配していたのかもしれない。
何が何でも、自分の作ったものは全部レンドウに食べて貰わないと気が済まない! みたいな感じでは無いんだな。気持ちが通じ合った故の余裕ってことか?
確かに、彼女は俺に関することで以前ほど感情的にならなくなったように思う。心に余裕が生まれている、というか。
「……そういうことなら、じゃあ……実際もう充分食ったしな。いいぞ」
「いっただきー」
そう言いつつダクトは野菜サンドを手に取ると、確かにバスケット内の隅にちょこんと鎮座していた塩の小瓶には目もくれず、口いっぱいに頬張った。
「こ、こいつ……」
結局塩掛けないで食ってるじゃねェか。お前にとっては滅茶苦茶味薄いだろ。やっぱり美味いとか不味いとか関係なく、食えれば何でもいい理論じゃん。
呆れてそれ以上は言わなかった。まぁ、カーリーがいいなら、いいか。
恵まれた身体能力と惜しげも無く晒し、大人なのか子供なのか分からないような理論でサンドイッチももしゃもしゃとする金髪の少年だが、こいつも現在では人間界にとって中々のビッグネームとなっていた。
本代ダクトはなんと、ヴァリアーを抜けたらしい。勿論、それはヴァリアーと敵対するという意味ではないが。
劫火の一件の後、レイスとリバイア、守、真衣、貫太、大生、アストリドの7人はヴァリアーへ戻った。
それはダクトも同じだったのだが、彼の場合は途中で本代本家に立ち寄っていた。そこで現当主代行である本代・J・バティストから、前当主の遺書に「ダクトが家に帰ることを許す」と書いてあったことを知らされたらしい。いや、魔王城へ向けての旅路の最中には既に、遺書の内容は聞いていたんだったか。
その結果、ダクトがどれほど悩んだのか、はたまた即決したのかは分からないが……バティストと話し合い、最終的にダクトは本代家に戻ることを決めたのだった。
だが、その後にバティストがダクトに与えた命令が「レンドウの監視役を頼む」だというのは、最早笑い話にでもするしかないだろう。
また監視役かよ。いつでもどこからでも湧いてくるな、クソ。
そんなこんなで、現在ダクトは本代家の実質的なナンバー2となっている。ナンバー2に家を空けさせるなよとも思うが……。
一方、カーリーがヴァリアーに所属した経緯も複雑であり、彼女の身分を保証するのはアルフレートだった訳だけど……あいつは劫火の憑依体として、ヴァリアーから離反することになっちまった訳だしな。
現在カーリーの後ろ盾になっているのはレイスだ。レイスがヴァリアー上層部と交渉し、カーリーを「ヴァリアーから派遣したレンドウの監視役」として認めさせた。
こんな可愛い女の子の監視なら大歓迎だぜ。いやー監視役って女性に限り最高。
……とまぁ、そんなこんなで。俺、カーリー、ダクトの3人で行動する機会は多い。
「しかし、ダクトの親父さんは何を考えてたんだろうな……」
「そうだなぁ。姿を隠したアーヴリルの動向も気になるしな」
俺の呟きに、ダクトは同意した上で付け加えた。
本代・L・アーヴリル。それほど面識は深くないが、あの女の嗤い声は強烈な印象を脳に焼き付けていった。
俺達はバティストから……ダクト越しではあるが、本代家が崩壊させられた日の出来事を聴いている。
アーヴリルこそが、当主である本代創始を初めとして、屋敷にいた全員を殺し尽くした反逆者なのだという。
バティストが最後に見た彼女は、背中から漆黒の翼を生やしていたとも。
――あの日の状況と、俺達が知っている情報から推察するに、どうもこういうことらしい。
半年前のあの夜、俺がバティストと戦っている間に、アーヴリルはカーリーを襲い、血液を奪っていた。
そのカーリーの血液には、入れ替えられた俺の血が大量に混じっていたはずだ。
アーヴリルはそれを自ら摂取し、見事にアニマの力に適合したと……恐らく、そういうことになるはずだ。
そして得たばかりのその力を振るい、人類最高峰の実力者の集まりであるはずの本代家をたった一人で壊滅させた。
何故アーヴリルが本代を裏切ったのか、そして「血液を取り込めば吸血鬼の力を我が物にできる」と考えたのかは疑問だ。
また、得たばかりにも関わらず満足に力を振るうことが出来たのかは謎が残る。
だが、もしかするとそれこそが本代家に流れる血の素質なのだろうか……などと、俺は考えている。
……ニルドリルが妖刀に唆されてフェリス・アウルムから力を奪ったように、アーヴリルもまた、何者かに唆されていたのだろうか……?
「ダクトも……俺の血を飲んだら、アニマの力に目覚めたりするのか?」
冗談でもなく、本当にあり得そうだ……などと考えながら問いかけてみると、
「試してみたいのか?」
と、少し面白がるような響きの返答が返ってきた。
「お前が試したいかどうかじゃないのか」
「いや、別に……まだいいかな、って感じ」
その返答は、少し意外な気もする。
確かに、お前ほど強ければ、焦って新たな力を求める必要性は薄いのかもしれないが……得られる可能性があるなら、全てに手を出してみるのかと思ってたぞ。
もしかすると、このダクトですら、“純粋な人間で無くなる”ことには忌避感を覚えるものなのだろうか。……普通は誰でもそうな気もするな。
だとすれば、アーヴリルには一体どれほどの覚悟があったのだろう。
「――お前ら、いい加減手を動かしたらどうなんだ」
という声と共に、雪の上にドサドサとシャベルが落ちてきた。危ないな。いや、結構離れたところに落としてはくれたみたいだけど。
振り返って見上げれば、愛も変わらず学者タイプにはとても見えない、大柄で強面なアシュリーがそこにはいた。
アシュリーは、個人的に思うところがあったのか、ヴァリアーには戻らずにこの街に残っていた。
恐らくは自分の目で、ベルナタの人たちの本当の姿を確認しようというのだろう。見上げた根性だと思う。
魔人たちの中に人間はお前とダクトしかいない訳だけど、不安感とか無いのか? ストレスで死にそうになってないか? と問いかけたことがあるが、「ヴァリアーで生活していた頃、お前が平気だったんだ。俺に無理なはずがあるか」という返答をいただけた。本当に口の減らないやつだと思う。
「――いや、俺はもう結構頑張ってたからな? ほら」
炎の力で除雪された一帯を指さす。アシュリーはそれを見て、ふんと鼻を鳴らした。
「確かに雪が減ってはいるが。地面が見えてないじゃないか。お前の除雪方法を適用した場所、逆に滑って転びそうだぞ」
「ぐぬぬ……」
言われてみれば確かに、炎で溶かした部分が冷えて固まり、凍りなおした状態になってしまっていることは否定できない。少し雪を被せ直す……のはプライドが許せないので、土が見えるまで掘った方が良さそうだ。
シャベルを手に取り、再び雪の中まで歩き出そうとしたところで……右隣に、さっきまでは居なかったはずの人物が立っていることに気づいた。
「……フーム、執務の休憩がてら、わらわもストレス解消をさせてもらってよいかのう」
俺と同じ程度の長身の女性。白い肌に黒い瞳。長すぎる上に量の多い橙色の髪が束になり、波打ちながら後ろへと流れている。毛先の方は白くなっているが……あれは自分で染めているんだろうか。
俺達と同世代にも思える程若々しく見えるが、恐らくはずっと年上だ。帯びている雰囲気から察するに、何百歳とまでは行ってないと思うが……。
水をよく弾きそうな黒のロングコートが羨ましい。コートには十字を描くように紫色のラインが入っている。
センスいいな~この人。この人というか、魔王様……。
「うわっ魔王っ!?」
失礼な叫び声を上げながら雪の上に後ろ向きに倒れ込んだのはダクトだ。カーリーとアシュリーも、思わず仰け反っている。
ダメダメだなーお前ら。俺なんて驚きのあまり一切身動きが取れなかったぞ。その結果、一番失礼じゃなくなってるまであるから。
暫定魔王ナインテイル。先代の魔王ルヴェリスが亡くなる一週間ほど前に、暗黒大陸からやってきた人物だ。
シュピーネルやステイルさんの種族である≪妖狐≫の族長であり、ベルナティエル魔国連合でも屈指の実力者なのだそうだ。
「…………おはようございます、魔王サマ。ストレス解消、と言いますと……?」
両手を上に、ぐぐ~っと伸びをしている現魔王に質問すると、「ん~」と眠そうな声を上げつつ黒い瞳が俺を見た。
「雪かきのことじゃ。たまには身体を動かした方が気も晴れるというものでな」
「世間一般的には雪かきは苦行にあたると思いますが……いや、何でもないです」
俺は何を言っているんだ。魔王がやりたいと言っているんだ、何も言わずにさせておけばいいだろうと思い直す。
「溜まりに溜まった魔力をぶっ放すというのは、中々に気持ちのいいものじゃ」
そう言ったナインテイルの髪が、先端の方から白い光を帯びる。チリチリと音を立てて……髪が少しずつ短くなっていく? 消費してるってことか。
何かを持ち上げるように両手を前方に掲げると、それぞれの手のひらの上に50センチ台の火球が生成された。
肘を曲げ、それらを重ねるように一瞬だけ手のひらを合わせた後、ナインテイルは前方へとそれを解放した。
「うおっ……」
猛炎が迸り、周囲の雪が瞬間的に消失する。蒸気がもうもうと立ち上り、どうやら雪の下に眠っていた枯れ草までもが燃えているらしい。
さっきまで同じようなことをしようとしていた手前、俺との力の差をありありと見せつけられるようで、複雑な心境だ。
勿論、妖狐であるナインテイルの力は、俺とはルーツが異なるものだと思うが……同じ属性だからついつい比べてしまうな。
「この調子で、ほい、ほいっとな」
しかも、ナインテイルにとってそれは軽々と、次々と放てる類のものだったらしい。
彼女が気の抜けるような発声と共に腕を降るう度に、炎の線が積雪を斬り裂いていく。
最初以降は髪が発光していないので、はじめに支払ったコストのみで、全ての魔法を賄っているのだろう。
優れた魔法の使い手は、コストパフォーマンスもまた優秀なんだな……。
暫定魔王のストレス解消により、必要な除雪作業は僅か40分で終了することとなった。
新キャラである、現魔王ナインテイルの登場回でした。
前編から半年が経過しているため、キャラクターたちの仲はかなり深まっています。
★お知らせ:しばらく忙しいので、7月の終わりあたりまで更新をお休みする可能性が高いです。